6-3
その後、皆はひとまず別れて行動することとなった。
ミクロとマクロは、ニールを休ませてあげてくれと懇願した。サキはそれを承諾し、ゆっくり休むようにと指示を出した。アズムは、私もついて行く、と立ち上がった。
「いまいち状況は読みこめていないですけど……私も、ニールの傍にいたいです」
「そうね、いてあげて」
サキはゆっくりと頷いた。三人に囲まれ、ニールは部屋を出て行った。出て行く直前に、ルークはそっとアズムに「後で俺も行くから、頼む」と耳打ちをした。はい、とアズムは静かに返事をし、サキの部屋から出て行った。
「……夕食を、作ってきます」
ニールが出て行ったあと、静かにファインが立ち上がった。顔は青ざめ、目は泳いでいる。
「私は……このぐらいしか、できません」
彼なりに、懸命に何をすべきかを考えた末の言葉だろう。アクルが口を開こうとしたが、その前にサキがファインに言葉をかけた。
「腹が空いては戦ができぬ、よ。このぐらいだなんて言わないで、夕食、楽しみにしているわ」
サキの言葉に、ファインは頭を垂れた。しばらくそのまま動かず、何かを考えているようだったが、やがて顔を上げたときにはもう、先ほどまでの表情とは異なっていた。いつも笑顔のファインからは想像できないような、とても深刻な表情だ。
「気弱な発言、失礼致しました」
ファインはそう言って、もう一度頭を下げると、そっとサキに寄り添い手を取った。忠誠を誓い直すかのように、サキの手の甲にキスをすると、ファインは静かに「いつもの時間に、夕食を準備して待っています」と、表情の無いままに言った。
ファインが出て行ったあと、あぁ、とひとつサキがため息をつく。
「彼、手が震えていたわ」
ぎゅっとサキは自分の手を握る。彼女の様子を見て、今、彼女の手も震えているのではないか、とアクルは思った。
この中の誰よりかも、冷静に振る舞っている彼女は、どこかで酷い我慢をしているのではないか。
そう思っていたのは、ラインも同じようだった。ラインは立ち上がると、サキに歩み寄った。そっとサキの前に跪き、大丈夫です、と無理に笑顔を浮かべる。
「いなくなったのではありません、連れて行かれたのです」
ルークが、その言葉に眉をひそめた。目を閉じ、苦しそうな表情を浮かべる。二人の反応を見て、はっとアクルは思い出した。
サキ様のご両親は、彼女を置いていなくなったのだ。
アクル自身は、そのことを話として聞いたことしかない。ルークも、他の人もそうだろう。実際にサキ様が置いて行かれた――両親に捨てられた、その現場にいたのは、ラインとボスだけだ。
冷静に振る舞っている彼女が、酷い我慢をしているのではないか、だなんて。
アクルは、深く息を吸い、それをゆっくりと吐いた。
我慢をしているに決まっている。ある日、突然ご両親がいなくなった時のように、突然近しい人が消えてしまったのだ。しかも、自ら屋敷を出て「行ってしまった」……。
アクルが視線をあげると、ラインがそっとサキを抱きしめているのが見えた。サキは相変わらずの無表情だが、目を瞑り、ラインの背中を力強く握りしめている。
「そうね――大丈夫、ライン」
サキの言葉に、アクルはさらに気づかされた。
サキ様だけじゃない……ラインも、そうだ、全員、落ち着いたふりをしているだけで、混乱している。当たり前じゃないか。
今必要なことは、冷静になることじゃないか。
エストレージャの脳みその、俺が。
「俺、少し部屋に戻ります。――これは提案ですけど、夕食まで、各自、少し休みませんか……冷静に、なりませんか」
アクルの提案に、賛成です、と答えたのはギルだった。ゆっくりと立ち上がり、ラインを抱きしめているサキの方を向く。
「サキ様、俺も部屋に戻ります。調べたいことが、あります」
「えぇ、分かったわ」
ギルの声は、いつになく冷静で、平坦だった。感情を押し殺しているのがよく分かる。失礼します、とギルは頭を下げ、アニータに「どうする?」と小さく聞いた。アニータは、一瞬迷った後立ち上がり、同じようにサキの方を向いた。
「私も……部屋に戻ります。少し、頭を冷やします。まだ――混乱してて」
「そうしたほうがいいわ」
行こう、とギルがいい、アニータは泣きそうな表情で、サキに頭を下げた。その後、アクルにちらりと目をやる。アクルが手を挙げると、アニータはこくり、とひとつ頷き、そのまま走って部屋を出て行った。
「夕飯後、何かもし分かったら、知らせる」
ギルは、アクルに耳打ちした。あぁ、とアクルは頷く。
「無理すんな」
「そのまま返す」
さっくりと言われ、ぐ、とアクルは言葉を詰まらせる。ふん、とそこでギルは静かに笑った。
「相手のことはまだよくわからんが、エストレージャを敵に回すとどうなるか教えてやる、ぐらいでいいんだよ、気構えは。脳みそのお前が混乱してたら、俺の情報も生きない、夕飯までに冷静になることだな」
「……すまん」
「そうなるのは当たり前だ。俺も、アニー……」
言いかけて、いや、とギルは口をつぐんだ。ん? とアクルは顔を上げる。なんだ? アニータ、とか言おうとしなかったか?
「アニータがどうした?」
「いや、なんでもない、忘れてくれ。また、夕飯のときに」
そう言って、そそくさと出て行くギルの背中を、アクルは不思議そうに眺めた。
もし、アニータが攫われたとしたら、俺も同じように混乱する、とかそんなことを言いたかったんじゃないか?
想像して、ふん、とアクルは思わず笑う。
その表情は、あまりにも寂しい笑顔だった。
「分かってねぇな――ギル、いや、知らないのか」
だって、俺はもう、随分と前にボスに――……。
「すみません」
ラインが立ち上がり、アクルは顔をあげた。サキがいいのよ、と彼の手を握っている。顔は伏せているが、もしかしたら泣いているのかもしれない、とアクルは直感的に感じ取った。同時に、ラインが泣くなどと考えられなかったが、しかし、アクルにはそう見えたのだ。
慌てて立ち上がる。なんとなく、今、俺はここから出て行った方がいい。
「失礼します」
アクルはサキに頭を下げた。夕食の時、わたしも降りて行くわ、というサキの言葉に、はい、とアクルは返事をし、部屋を出た。
出てすぐ、アクル、と後ろから呼び止められる。振り向くと、そこにはユーナギがいた。
「警備室に、あいつの映像が残ってる。すぐに、画像を伝書鳩で送信する」
「はい、お願いします」
「俺は一旦警備室に戻るが――何かあったら、すぐに伝えてくれ」
「はい。あ、イラストもお願いできますか。ユーナギさんのイラストは、特徴を捕えていて、フクロウの画像より分かりやすいかもしれないので」
「分かった……アクル、大丈夫か」
問われ、えぇ、とアクルは静かに頷いた。声があまりに情けなく、思わず苦笑してしまう。
「……大丈夫じゃ、ないですけど、すぐに大丈夫にします。すぐに――ボスを連れ戻します」
「あぁ、サキ様のことがばれていなかったのが、不幸中の幸いだと思おう」
またな、とユーナギは階段を駆け降りた。彼の背中を目で追いながら、大丈夫じゃないな、とアクルは呟いた。
大丈夫じゃない。皆、大丈夫じゃない。
きっと、ボスだって大丈夫じゃない。
ボスのことを考えると、それだけで吐き気がした。心配で、心配で仕方なかった。
強く見せる人だと、知っていたからだ。
「ボス……レイカさん……」
久々に、名を呼んだ。あのとき以来だ。もう、何年経つのだろう。アクルは、唇をかみしめる。
「何が……副ボス、ですか」
アクルは歩きだした。
きっと、ボスはサキ様を守る、最良の決断をしたのだろう。
でも、たとえ拒まれても、俺たちはあなたを助けに行く――ボスあなたのいないエストレージャは、エストレージャではないんですよ。
それを伝えたい、会って、まず最初に伝えたい。
伝えたいことか――と思う。
いなくなってから気がつくことはたくさんある、自分自身、重々承知していて、それでもなお、幾度となく繰り返す。
ボスに、伝えたいこと。
「……………………」
アクルは何も言わず、ただ両手を強く握りしめた。