5-4
「そ、俺がスカウトしてきた。後でデータは渡すから、俺の部屋に、とりあえず」
まぁ、と女性は口をあんぐりと開けた。そうですか、と小さくつけたすと、レイカをもう一度見た。今度は観察するような目つきだ。上から下までなぞられるように眺められる。レイカが思わず顔をしかめると、
「す、すみません」
と彼女は慌てて頭を下げ、さっと壁に寄り、道を開けた。その後邪魔にならない程度に頭を下げ、ローシュが横を通る時も、レイカが通る時も、黙って頭を下げ続けていた。
ローシュは三階まで上がると、廊下の端まで歩いて行った。二人は黙ったままだった。一番奥の部屋に着くと、ローシュは静かに扉に手を伸ばした。
「どうぞ」
言って扉を押すと、そこにはシンプルな部屋が広がっていた。ベッドに机、客が来たときに使うのだろう、豪華なソファと机がやけに浮いている。
それほど広くない部屋だった。
「ここが大きな組織のトップの部屋かよ、って思った?」
聞かれて、素直にレイカは頷く。はは、と乾いた笑いを返し、だよねぇとローシュはにやついた。
「安心して、ここ一階分俺の部屋だから。隣も隣も隣も隣も、その隣もね」
「……なら、でかいな」
「ありがと」
さぁ座って、とローシュが黒い革製のソファを掌で示した、その時だった。
かんかんかんかん、と先ほど聞いたような音が響き、かかかかかと廊下を走る音がした。ローシュは少しだけ目を見開き、小さく「どうしたんだろう」と呟いた。レイカも振り返り、扉の方向を向く。
足音は部屋の前でとまり、扉を壊すのではないかと思うほどのノックの音が響いた。レイカは思わずぎょっとしたが、慣れた様子のローシュは「どうぞ」と小さく言う。言い終わるか終わらないかのタイミングで、勢いよく扉が開いた。扉の向こう側には、先ほどの女性が肩を上下に揺らしていた。
「どうしたの?」
ローシュが淡々と聞くと、女性は「あのぉ」と上ずった声で返事をした。
「取引先のお客様が、その……苦情を。契約と違うって、もう少し貸せって言うんです」
「どこ?」
「いつものところです、ボークのお偉いさんで」
「あぁやっぱり、じゃぁどうせ、苦情と言う名の嘘だろ?」
「……だと思うんですけど……」
タイミングがいいね、とローシュはレイカに笑ってみせた。何となくだがレイカにも状況は把握できる。お手並み拝見されるのだろう。
「連れてきて、あくまでお客様だ、丁寧に頼むよ」
「は、はいぃ!」
女性は頭を思い切り下げると、かかかかかとまたも足音を響かせて去って行った。うるさいよねぇと笑って、ローシュは座ろうか、とレイカを手招いた。
「今から、おそらく嘘をついている客が来る。レイカは俺の隣に座って、俺が聞いたときだけ、教えてくれればいいからね。それ以外は何もしないで」
「……分かった」
「よろしく」
数分後、かっぷくのいい男性がローシュの部屋に入ってきた。灰色のスーツがはちきれそうだ。ローシュは立ち上がると、こんにちはと笑顔を浮かべた。随分とまぁ爽やかな笑顔だこと。レイカはローシュを横目で見ながら、人形のように座っていた。
「クレア、下がって」
クレア、と呼ばれた眼鏡お団子の女性は、はいと返事をし、ゆったりとした動作で部屋から出ていった。常にせわしないのかと思っていたら、あんなにおしとやかな対応もできるものか、とレイカは彼女を見つめる。
クレアは、出て行く寸前、レイカをちらりと盗み見た。レイカもクレアを見ているとは思っていなかったのだろう。目があった瞬間に、彼女は体を硬直させ、頭をもう一度さげてそそくさと出て言ってしまった。なんだ、あの行動は……私を羨やんでいると言うよりかは、恐れているような表情だ。レイカは静かにため息をつく。
「やぁ、ローシュ君」
苦情を言いに来た、と言う相手は意外にもローシュに好意的で、笑顔を浮かべながら手を差し出した。ローシュもにこにことそれに応じる。
「そちらは?」
レイカは聞かれるが、ローシュの「俺が指示を出すとき以外は何も行動するな」との言いつけを守り、静かに見つめ返すだけだった。レイカの代わりにローシュが答える。
「俺の新しい恋人です」
何言っているんだこいつは。
後頭部を思い切り殴りつけたい衝動に駆られながらも、レイカは澄まし顔でソファに座っていた。こいつ、後ではったおす。
はは、とかっぷくの良い男は笑うと、失礼、とレイカの目の前に腰かけた。ぎしし、とソファが沈む。ローシュも笑顔を浮かべたまま、レイカの右隣に腰かけた。
「それで、いかがなさいましたか?」
「あぁ、おたくのね、何君だっけね、力持ちの」
「えぇ、髪の長い」
「そう、彼女ね、働くんだけどね、遅いんだよね。こちらはね、七時間で仕事を終わらせると聞いていたんだけどね、十時間かかったんだよ」
「そうですか、それは失礼致しました」
ふう、と男はそこまで言うと、ひとつ息をつく。レイカはなるほどねぇと相手を見つめた。まぁ、これは誰が見ても嘘をついていると思うのでは――と考え、いや、そうでもないのかもなぁと思いなおす。
目は泳ぎ、声の高低は落ち着かず、大切なところで少しどもり、瞬きが多い。
嘘つきの典型だけどなぁ、と彼を見つめる。おまけにうっすらと汗もかいているではないか。しかし、ここまでの気がついた事柄を全て列挙すると、凄い観察眼だねと驚かれるのだろう。私のエスト――能力は、そういうものだものな、とレイカは考えながら、彼らの話を聞いていた。
「だからね、これはね、契約違反なんだよ」
「その通りで」
「早く終わるのはね、一向に構わないんだけどね、遅いのはだめだ。おかげで取引に遅れてしまった。なんとかね、そちらのミス分をね、こちらに返してもらわないとね」
「……だそうだが、本当のところは?」
どう? とローシュはレイカの方を向き、首をかしげた。男はなんだ? とでも言いたげに眉を吊り上げる。