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結局、レイカの涙は数十分止まらなかった。着替え終わっても泣いてしまうレイカに、スァンはそっと寄り添って、頭を撫でたり、事情を知らないながら「辛いよねぇ」「でも大丈夫だよぉ」とレイカを励ましたりした。
その声と表情に、嘘がひとつもないことに、レイカは驚いていた。
本気で心配し、本気で慰めてくれているのだ。まだ出会って数分の、多分自分より若い、この女性は。
おそらく、ローシュの仲間なのだろう。こちらの弱みを握り、交渉と取引といえば聞こえのいい脅しを仕掛けてきた、あいつの仲間なのだろう。それなのにどうして、こんなにも優しいのだろう。
この女性が、あいつに騙されていなければいいな、とそんなことを考えながら、レイカはやっと泣きやんだ。鼻をすするレイカの頬を、そっとスァンの両手が包み込む。
「泣いちゃってぇ、目も鼻も真っ赤だねぇ。メイクしなおそぉねぇ」
段ボールの奥になぜかしまってあったメイクボックスを取り出し、ちょうどいい大きさの段ボールにレイカを座らせ、スァンはメイクをし始めた。メイクボックスがあったということは、ここは倉庫であると同時に、彼女の部屋なのかもしれない、とレイカはぼんやりと考えていた。段ボールのほかに、よく見ればむき出しになった服が数着置かれている。商品には見えないほど着つぶされたそれは、もしかしたら彼女の私服なのかもしれない。
「はぃ、おめかし完了だよぉ」
レイカは、鏡を出され、目を何度かしばたいた。メイクで急激に変化が……という派手なメイクではなかったものの、やはり自分のメイクと少し違う。
「ありがとう……ございます」
「笑って、ローシュさんに会いなねぇ。楽しくなるよぉ」
全力で自分を励ますその声に、レイカは微笑んで、頭を下げた。ローシュといれば大丈夫、と言うようなその自信に満ち溢れた声に、彼女は彼に救われたのだろうという事を感じ取っていた。
あいつが。
あいつが、どうやって?
部屋を出ると、扉のすぐ前でローシュが腕を組んで待っていた。
「遅いよ」
と文句を垂れた彼に、慣れた様子で「女の子は時間がかかるんだってば」とスァンが諭す。
「ありがとう、スァン」
さぁ行こうか、とローシュがにやりと笑った。ありがとうございました、とレイカが振り向くと、頬を赤く染めた彼女が、慌ててううん、と首を横に振った。
ローシュさんが、好きなのぉ。
彼女の言葉が、脳内でこだまする。
ありがとう、と言われて赤くなってしまうほどに、好きなのか。
「……また」
レイカはそう言って微笑むと、軽く頭を下げた。ばいばい、またねぇ、とスァンは手を何度も振ったが、ローシュは一度も振り向かなかった。
「車はここに置いて行くよ? 駅がすぐそこにあるから、電車で移動ね」
「あぁ……じゃぁ、荷物を取ってくる」
「いや、そこになんか仕組まれてるかもしれないだろ。荷物も置いて行くんだ」
なるほど、こいつは本当に何もかも捨てさせる気なんだな。
オーケー、とため息をつき、レイカは言った。
「一つだけ、持ってきたいものがある。思い出の品だ、思う存分調べてもらって構わないから」
「……何? 俺が取ってくる」
「サングラス。ケースに入ってる」
ローシュは面倒くさそうに店の前に止めてある車に向かい、助手席に置いてあったバッグの中をごそごそとあさった。
「これ?」
しばらくして、黒いケースを振りかざす。あぁ、とレイカはひとつ、頷いた。ローシュはケースを開き、様々なところを入念にチェックした。しばらくして、ふうんと小さく言って、ケースごとレイカに投げ渡した。
「何もないね、一応またあとで調べるけど」
「思い出の品だって言ってるだろ」
「どんな思い出?」
「お前には関係ない」
「つんけんしてるー」
あはは、と心のこもっていない笑い声をあげ、ローシュはレイカに静かに歩み寄った。そのまま止まることなくレイカの横を通り過ぎ、ついて来てと静かに言う。
レイカは黙って、彼について行った。
「いつか聞きだしちゃうからね」
と小さく言った彼の言葉は、空を仰ぐことで無視をした。
電車の中で、二人は何も話さなかった。ローシュは窓の外を見つめ、ぴたりと人形のように停止してしまったのだ。レイカも特に話したくは無いと思い、黙って外を見ていた。向かい合わせになっている席で、二人は三十分と少し、無言で過ごした。
「ローサ」という駅で、二人は降りた。手荷物を持たない二人は、身軽なまま電車を降りる。閑散とした駅だった。
「こっち」
ついて来い、と言う意味なのだろう。ローシュの後をレイカがついて行くと、駅のすぐそばにある小さな一軒家にローシュは入っていった。彼の家か? とも思ったがその家に入ると、すぐに違う事が分かった。
白い器具がずらりと並んでいる。薬品のにおいが鼻をついた。
外面は普通の民家。中身は病院だ。おそらく彼行きつけの病院なのだろう。もしかしたら、表には出ていない人が行くような病院なのかもしれない。
ルークは、こういう裏の病院の医者のような仕事も、少しやっていたのだっけな、と思い出す。もっとも彼は一人で、勝手に治療をしていただけだったが――考えて、また首を横に振る。
だめだ、思い出すな。
「レイカ、こっちに」
ローシュは奥にある扉を指差した。その先は、小さな部屋だった。中には一人の女性が座っていた。黒い髪はとても短く、白衣がよく映えている。赤い口紅を塗った彼女は、どこか私と好みが合うかもしれない、とレイカは思った。青い眼だけは自分と似ていなかったが、なんとなく雰囲気も似ているような気がした。
「座って」