3-4
「意味が分からねぇ。あいつは本当のことだけを言って、大切なことは隠してたのか……俺が、気がつけなかった?」
「何か裏にあることを、上手く隠していたんです」
「俺が気がつければ」
「落ち着いてボス」
「落ち着けねぇよ!」
――どうしよう。
泣きそうな顔で、ボスはアクルにしがみついた。その手は、怒りからか、情けなさからか、わなわなと震えている。
「何で? いつも嘘とか、相手の感情とか、そういうのが嫌でも分かるのに、どうしてあいつは後ろにあることを上手く隠せた? どうして、肝心な時にこうやって俺は騙される? どうして? どうしよう、ニールが……」
「考えるのは俺の役目だって言ってるでしょう」
強い口調で、アクルは叫ぶように言った。滅多に叫ばないアクルの大声に、ボスは身体をこわばらせる。ぎゅっと、両手でアクルはボスの肩をつかんだ。
「隠すのが上手い奴は、あいつのほかにだっています。分かりやすい人、分かりにくい人、います。ボスは知ってるはず。あいつは物事を隠すのが上手いから、雇われたのかもしれません。何もかもボスのせいみたいに言わないでください。来ちゃったもんは仕方ない、現状で最良の方法を考えましょう。ね、ボス。
あなたはボスです。凛としていてください、いつものように」
静かな声で、アクルは言った。
穏やかな灰色の瞳に見つめられ、思わずレイカは泣きそうになる。
そうだった、私は、ボスなのに。
「……悪い。ミクロもマクロも……いるのに」
取り乱した、悪い。
ボスは、両肩を掴んでいるアクルの肩を自分の手でそっとはがした。もう大丈夫だ、と静かに言う。
「……マクロ、全員に伝書鳩は送ったな」
「はい、送りました」
「……ニールは、ローシュに直接、手紙の返答をしにくるんだろう……アクル、ニールに聞くのは、ローシュがいなくなった後の方がいいか? 今へたに動かない方がいいのか……?」
「ニールの安全が最優先、ですよね?」
「そうだ」
「俺も、今は動かないに賛成です。ニールが行動を起こして、ローシュがそれを報告しに戻ると言っていました。その間に、彼から聞きだしましょう、なんとしても」
「――だな、そうしよう。それまでは動かない。アクルは俺とこの部屋にいろ、ミクロ、マクロは部屋で待機していてくれ」
双子ははい、と頷くと、静かに部屋を出て行った。双子を見送った後、ボスは長い長いため息をつく。
振り向き、アクルに小さく頭を下げた。
「すまん、取り乱した。ありがとう」
「………………」
アクルは、すぐに返事をすることができなかった。
あなたは、ボスだ、という言葉は、酷く彼女を傷つけたような気に、今さらながらなってしまったのだ。
取り乱す彼女を前に、とっさに冷静になれと諭してしまったが……感情を爆発させた方が、彼女は楽になったのではないか。今、彼女は何かを懸命に殺しているのではないか。
これじゃぁ、右腕失格なのではないか。
「……こちらこそ、すみません」
行き場のない悔やみを、わざわざ彼女にぶつけた。ボスは「何が?」とでも言いたげに、首を小さくかしげたが、アクルは返事をせずに視線をそらした。
ミクロとマクロが部屋を出てから数時間、アクルとボスは部屋を出ずにずっと二人で話し合った。
最大限の予想をするためだ。様々な方向からの予想をたてていく。
ニールにどんな接触をする可能性があるか。
リッツとはどのような組織だったか。彼らがニールに要求するようなことはあるか。
リッツではない組織や人が絡んでいるとすれば、どんな可能性があるか。
エストレージャを探ろうとしているのなら、どのような探りを入れてくるか。
全て可能性、予想の話でしかなかったが、それでも二人は可能な限りの案を出した。時間にして、二時間と少し。
二人の会話をばっさりと切り捨てるように、ボスの部屋にノックの音が響いた。無機質な、こんこんという音が、二つ。
「レイカさん?」
ローシュの声だ。ボスはアクルに小さく頷いた。彼が来たという事は、きっと何らかの進展があったのだろう。もう出て行きますね、と言いに来たのかもしれない。
ボスはゆっくりと扉を開け、ほぼ同じ視線のローシュを睨みつけた。
「そんな怖い顔をしないでくださいよ」
「……どうした」
「貴方に用事がある」
と、急にローシュは声を静めて言った。そうして直後、しっと人差し指を自分の唇にあてて見せる。静かに、ということなのだろう。
「来てください、ニール君の命がかかっている」
またニールを人質に取りやがって。アクルにも聞こえないほどのひそひそ声で話すローシュに、ボスは苛立ちを隠そうともしなかった。何なんだよと大声で言ってやりたかったが、ニールを盾にされては、そうもいかない。
ボスは声を押し殺し、どう言う事だと返答した。
「二人きりで話がしたい。頼みます、数分で終わる。ニール君を助けたい」
ローシュは見たこともないような真剣な表情をした。何があったのだろう? ボスはローシュがいまいちどういう立場の人間なのかが分からないままだったが、少し考え、分かったと頷いた。
こいつが何をしようと考えているのかは分からないし、何かを隠しているのかもしれないが、こいつが「ニールを助けたい」と言ったそのこと自体は真実だ。
彼に、何の心境の変化があったのか、はたまた最初からニールを助けに来ようとしていたのか、定かではないが――ボスは振り返り、アクルに「少し待ってろ」とだけ言って、すぐに部屋を出た。ボス? と背中にアクルの声を聞いたが、返事はせずに、ローシュと向き合う。
「ありがとう」
ローシュは小さく頷くと、こっちへ、と歩き出した。彼に貸している部屋に向かうのかと思っていたら、彼は自分の部屋と逆の方向に向かい始めた。どういうことだ? ボスはおい、と後ろから呼びとめるが、早く、とローシュはボスを急かすだけだ。
「そっちは玄関だぞ」
「いいんです、早く」
玄関に早足でローシュは向かうと、半円形の玄関の、扉に向かって右側につかつかと歩いて行った。なんだこいつ、何を考えているんだ?
目いっぱい隅に行った後、ローシュはくるりと振り返る。
その顔は、もう真剣な表情では無かった。気持ちの高揚による笑みと、緊張による硬直が入り混じったような表情だ。
「……なんだよ、こんなところに呼び出して」
「ニール君の命がかかっているんです、そのことを念頭に置いてください。私を殺す――いえ、痛めつけるだけでも、彼の命は危ない」
「さっきから話が一方通行だぞ、分かりやすく話せ」
「そうですね、でもとりあえずは、失礼」
彼はそう言うと、素早い動きで、背中から銃を取りだした。掌にすっぽりと収まってしまいそうな、小さな銃だ。こいつ、隠し持ってやがったのか! だから緊張していたんだな? ボスは舌打ちをし、自らも上着に仕込んでいた銃を取り出して彼に向けた。白い銃が、ローシュを狙う。そのローシュが持っている銃は、同じようにボスを狙っていた。
持っている銃を蹴り飛ばしてやろうか、とも考えたが、彼の先ほどの警告が頭の中に響く。
痛めつけるだけでも、彼の命は危ない。
ぎり、と奥歯を噛みしめ、ボスはローシュの出方を伺うしかできなかった。
「……唐突な来客に、貴方は喜んだものの、すぐに皆にそれを報告するようなことはしなかった。最小限の報告、きっと私がニールに会う事や、あの双子のお嬢さんたちに会う事も、貴方にとっては予想外だったはず」
「……なんだ?」
急に話をしはじめ、レイカは思わず戸惑い質問をするが、ローシュはそれには答えず、話を続けた。
「エストレージャは秘密主義。数々の情報屋でも、その情報の多さに戸惑ってしまうほど。そもそもエストレージャが組織を指すのか、家を指すのか、集団を指すのか、名字なのか、それすらも分からない……情報があり過ぎて、混乱している。だから迂闊に手が出せない」
「………………」
レイカの反応を伺いたいかのように、ちらりとローシュはレイカを見つめたが、彼女は特に何も反応を返さない。ただ、何が言いたい、と目が訴えている。
にやり、とローシュは笑った。黙ってくれた方が、ありがたい。話しがスムーズに進んでいく。
「でも、俺は考えた。屋敷に突然の妙な来客、俺だったらまず、部屋から出るなと言う指示を出すね。外に情報を漏らしたくないから。この屋敷を、組織を、人を護るために」
はは、と乾いた笑いをローシュは漏らす。大正解じゃんね、と小さく言った彼の口調は、もう、「来客」の彼でも「依頼人」の彼でもなかった。
こいつの正体がこれか、とボスは目を細める。何を考えているのかは分からないが、確実に化けの皮ははがれ始めている。
「だからこんな廊下でも、こういう取引ができる。退路を確保しつつ、ね」
そう言って、ローシュは持っていた銃をゆっくり、本当にゆっくりと、天井に向けた。
「それに、位置もほぼぴったり」
向けてすぐ、ボスは目を細め、すぐに察したのか、はっと息を飲んだ。その反応を見て、ローシュはそうだよ、と頷いた。
「爆弾が、眠ってるんでしょ? あはは」
「……何が望みだ」
ぎり、とボスは歯を食いしばった。
ローシュの銃は、そしてその後の言葉は、比喩表現なのだろう。しかし、それでも彼の意としていることははっきりとわかった。この位置に来たことも納得だ。
この真上に、サキ様の部屋がある。