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「あーっと、ローシュさん、おなかいっぱいになりましたか?」
「はい、それはもう」
ローシュは微笑むと、ひとつ頷いた。
「本当に美味しかったです、びっくりしました。お礼を言いたいのですが、コックさんはキッチンにはいらっしゃいますか?」
「あー、いると思いますけど、夕ご飯の仕込みとかしてるかもしれないので、また、夕ご飯のときに話したらいいかもしれないです」
「そうですか」
はい、とアクルも微笑むが、そこで会話は途切れてしまった。アクルは、初対面の人と話すのがそれほど得意では無かった。ラインのように話し上手の聴き上手になりたいと何度羨んだことか。心の中でボスの一刻も早い帰りを待ちながら、アクルはなんとか話題を探す。
どこから来たのか、年はいくつか、家族は、なんてプライベートに突っ込んだ話はされたくないのだろうか、そもそもどこまでが訊かれたくない範囲なのか? 流行りの映画の話でもすればいいのか、音楽か? どうしよう、何の話をしよう!
無難な話として、最終的に「食事」の話題で続けて行こうとしたアクルは、ローシュの好きな食事を聞こうと口を開けた。しかし、その一瞬前に、ローシュが口を開き、話をし始めた。
「真黒なんですね」
一瞬何の話か分からなかったが、すぐに屋敷の話だと分かり、そうなんですとアクルは返事をする。
「窓もほとんど閉め切ってる」
「そうなんですよ、時々朝か夜か分からなくなります、徹夜明けとか。まぁ、部屋のカーテンを開ければいいんですけど、こういう供用の場所は、基本閉め切っているので」
「どうしてです?」
「何となく、落ち着くんですよね。慣れてしまえばかもしれませんが、不思議と」
「そうなんですか……ここは、ホテルなんですか?」
そこまで会話をして、なんとなく探られている気がしたアクルは、さぁ、と愛想笑いを浮かべた。
「俺は下っ端の下っ端なので、ボスが何を考えているかは分かりませんよ。ここに何人住んでいるのか、どういった人がいるのかも知りませんし」
適当な嘘とごまかしを入れ、にこにこと笑みを絶やさない。そんなアクルの反応に違和感を覚えたのかどうかは分からないが、そうですか、とローシュはそこで話を終わらせた。あまり話に触れてほしくないという意図は伝わったのかな、と感じつつ、アクルは話をそらそうと試みた。
が、またも一瞬早く、ローシュに会話の手綱を握られてしまう。
「黒の中に、薔薇はよく似合いますね」
机の上に置いてある黒いボウルを眺め、ローシュは言った。掌ほどのサイズのボウルの中には、赤い薔薇が三つ浮いている。少し枯れかけており、花びらがふわふわと浮いている姿が幻想的だった。
「俺も、好きです。この薔薇の花」
疲れた時は、だまって薔薇を眺めるのがアクルのひそかな習慣だ。目だたないようにいろいろな所に配置されている薔薇を、もしかしたらこの来客も気に入ってくれるかもしれない。アクルは少し嬉しくなった。
「あの女性……レイカさんの、好きな花なんですか?」
嬉しくなった所に唐突な質問が来て、ん? とアクルは思わず首をかしげた。ですから、とローシュはもう一度同じ質問を繰り返す。
「レイカさんは、薔薇がお好きなんですか?」
「……さぁ」
知らないです、とアクルは答えたが、ローシュはそうですか、と言ってなぜか嬉しそうにほほ笑んだ。
「まぁ、飾ってあるということは、嫌いな花ではありませんよね。お世話になったお礼に、何か花を送ろうと思ったんです」
薔薇にします、と言ったローシュに、アクルは愛想笑いすら返せなかった。
あほか俺は、と心の中で思いながら。
ボスは、赤い薔薇がどの花より好きなことを知っていた。それを訊かれて、とっさに「プレゼントされては」と思ってしまった自分に気がついていた。
ボスの右腕でありたい。そう強く願っているアクルにとって、なんとなく、好きな物を見ず知らずの男性からプレゼントされるボスは、想像したくなかった。
姉が知らない男から貰った花を嬉しそうに抱えている、そんな感覚なのかもしれない。
変な嫉妬だ。アクルは唇を突き出した。
いつだって、ボスには自分を頼ってほしいし、自分はボスの傍に居続けたい。いつか胸を張って「俺はボスの右腕だ」と誇れるように。
そこでふと、ボスにもし恋人ができたらどうするのだろうという考えが浮かんだ。
初めてではない。何度も、何度も浮かんでは消えた考えだ。
もしも、自分以外の人物をボスが頼るようになってしまったら? 尊敬してやまない彼女が、自分を隣に置いてくれなくなったら?
深く考え始める前に、アクルはいつものように考えを中断させた。
考えたって、意味のない話だ。
だって、あのときボスは――。