その8
――そう、そうして私は、私の愛するパートナーの仇をとったのだ
馬鹿な雇い主がいなければ、引き起こされなかったであろう、あの戦闘。
「……」
昨日のことにも拘らず、ひどく遠い昔のように思える。酒に口をつけようとして、残りがほんのわずかしかないことに気がついた。せいぜいあと二口、三口。
「ふっ、ふふっ……」
――あの時、本当は私のほうがずっと、魔法を望んでいたのかも知れない。
そう思うと、おかしさが込み上げてきた。
そろそろ、私の語りを終わらせよう。
燃え盛る森の木々。倒木のせいで、道もふさがっている。
私は道の真ん中に座り込み、何をするでもなく、炎を眺めていた。
しばらくの間、燃え盛る火の様子を見るのは暇つぶしになった。が、なんとなく、息苦しくなってきた。空気が足りないのかも知れない。体中の痛みも、どこか鈍いものになっていく。
世界が横倒しになる。いや、私がか。目を閉じれば、楽になれそうだった。耳鳴りだろうか。耳元で鉄砲を撃ったような、ひどい音した。
「おい、大丈夫か――」
意識が、遠のく。
目が覚めると、まず視界に入ったのは天井。左には明かり窓(といってももう閉めてあるが)、右にはドアと火の灯った燭台があり、ほかにベッドが二つ、いずれにも傷ついた仲間が眠っていた。
まだ思考回路が整わず、目を瞑ろうと考えた矢先にドアが開いた。コリーともう一人が――宿の従業員だろうか――水桶と包帯を持って入ってきた。
「誰か、起きたか?」
小声でコリーがつぶやく。
「起きていない、誰も」
体を起こし、そう答えてやると、コリーはため息をついた。
「よかった、結構心配だったんだ」
「それはどうも。だが、私の怪我はたいした事じゃない」
「んなこと言ってると、傷口に鉛ぶち込むぞ。 少しは頭のいい戦い方しろよ」
「十分洗練された戦い方だろう? おかげであの怪物は死んだ。もう、森の道の危険は去った」
「ん、まあ、そうっちゃそうだけどな」
「……」
あの怪物は、あのまま放って置いても、恐らく死んだだろう。私が、仕留めたと言うことを否定しないのは、コリーなりの気遣いだろう。
隣で、コリーと一緒に包帯を換えている従業員が、興味深そうにこちらを見ている。
「森の怪物を、倒したんですかい?」
「ああ、倒した。でも、こっちもやばかった。何人も死んだ」
「……」
あの馬鹿な雇い主の所為だと、だれかれ構わずに吹聴することはしなかった。
そうすれば他の生き残った者達に迷惑が及ぶからだ。
「でもよ、むしろ生き残れたのが奇跡、みたいなもんだろ? こいつが例の火吐きの話してなきゃ、皆死んでたかも知れない」
そう。火吐きも含め、ああいった特異な怪物は、滅多にいない。それでデマだと高をくくって全滅、というケースもままあるのだ。
私の包帯を換えていた従業員の手が止まる。
「え? 火吐き、ですかい。それはどんな怪物なんです。黒い奴でしたか?」
「いや、黒と言うより、緑に近いかなぁ。……あ!」
コリーがこちらを見た。私も気がついた。どう考えても、火吐きは噂の怪物の特徴と合致しない。
「まだ、いんのか?」
「……まあ、街にいれば、とりあえずは安心、だろう。それに、道を迂回すればいいんだ。オーナーも今頃は、考え直してくれているだろうしな」
包帯を換え終わり、従業員がおじぎをして退出した。
「じゃあ、俺ももう寝る。しっかり休めよ」
「……いや、ちょっと付き合えよ」
ドアに手を掛け、去ろうとするコリーを、私は引き止めた。ベッドから降り、靴を履く。それから、武具も身に着けた。とはいっても、剣だけだ。小手と皮鎧はやめておいた。
「外で一杯飲もう。月見酒だ」
私はそう言って、懐から酒を取り出す。
それを見て、コリーは苦笑した。
「どこにしまってたんだ? それに今夜の月はたいした事ない。イモみたいな形だった」
「ふん、月は月だ。行くぞ」
「でもよ……」
コリーがつぶやく。
ここは屋根の上。見晴らしがいい場所を見つけるのが面倒で、結局宿の屋根の上で飲むことにしたのだ。
コリーは足を屋根から垂らし、干し肉をくわえている。平屋根なので滑り落ちることはないが、子供のように足をぶらぶらさせることに保守的な私は、縁から少し離れた所に落ち着いた。
「よかったな、奥さんの仇、とれてよ」
「”奥さん“か。……そんな言うほど、あの頃、実感は無かったな」
「そうか、新婚ほやほやだったんだな?」
「ああ、今のお前と似たようなもんだろう?」
コリーは頭を掻き、小さく笑った。その様子は私に、こいつが幸せいっぱい野郎なのだと再認識させた。
酒を注いでやり、自分でも一口すすり、ため息をついた。
「仇を、とったのか。だが……」
やはり、何も変わらなかった。劇的な心境の変化だとか、ばら色の未来が見えてくるとか、そんなことまで望んだ訳ではない。ただ、歩を進めたかった。前に、もしくは後ろでもいい、今いるところから立ち上がって、何処かへ行きたかった。
「なあ!」
私ははっとした。いつの間にか、眠りそうになっていたようだ。軽く首を振り、立ち上がって、コリーのそばまで歩いていく。
「どうした? 私は寝てないぞ」
コリーが、心持ち真剣なまなざしでこちらを向く。
「……大丈夫だって。お前、ちゃんと立ち上がれてるよ」
私は、自分が酔っ払ったのかも知れないと思った。
目の前のコリーが歪み、目の周りがかっと熱くなった。声もやけに震える。
「……そうか?」
「ああ、ちゃんと立ち上がってるよ」
キャスとの思い出、最後に思い出すのはキャスの最期だった。いつも、火吐きを倒した時ですらそうだった。だが、この時、最後に現れたのは、愛しいあいつの、無邪気な笑い顔だった。
「そう、か。――ああ、そうだったのか」
私は、やっと自覚した。自分は今、立ち上がって、そして泣いている。
コリーに涙を悟られぬよう、上を向き、月を見る。イモのような月は、ゆがんでもイモのようだった。
「ありがとうな。コリー」
「おう」
とめどなく流れた涙も乾き、私は、首を戻してコリーのほうを向いた。
そして、眼と眼が合った。
空っぽな、眼ともつかない眼。黒い、もやのような体。月の光を受けているはずなのに、その眼と口の中には、空恐ろしいほどの暗やみが広がっていた。
それは、コリーのひざ元の近くからその虚ろな顔を覗かせていた。コリーの足を掴んで。
「ん? どうした――」
コリーが気づき、絶叫する。
私は、骨の髄まで恐怖に侵された。
――それはまるで、まるで
死のかたまり