その6
「キャス、どうしてサンドウィッチにきのこなんだ?」
私がキャスと呼んだ目の前の女性。共に人生を歩もうと誓い合った相手。
彼女が麻の敷布を広げている間にバスケットを覗いた私は、うめいた。
彼女はこともなげに言う。
「あら、あなたいつも偏った食事ばかりじゃない? いろんなものを食べる事が大事です、って、料理の先生に言われたわ」
あいまいな返事でお茶を濁す。宮廷兵は実は大変なのだ、とか何とか、そういうことを言うつもりだったのだが。
手に取ったサンドウィッチには、バターで炒めたきのこ、庭園でとれたと思しき数種の野菜に、オーブンで焼かれた大きな肉の塊を薄く削いだもの(私の大好物である)がはさまっていた。赤いソースがかかっており、なめてみると、かなり辛い。
「つまみ食いしないの」
そう言う彼女は、敷物に座り、お茶を淹れていた。素足の白が、麻との対比でさらに白く見える。
私は一瞬見とれていたものの、つまみ食い、との誤解を与えたことを思い出した。
「いや、そんなことはしていないよ、ただ……」
「それは全部食べるように。いい?」
こちらを見上げ、挑発的な目で見てくる。思わずこちらも相手をじっと見つめてしまった。ちょっとしたにらみ合いの末、
「わかったよ」
負けてしまった。彼女が着ているワンピースのせいか、彼女自身もふわふわした印象になっているが、いや、だからこそ、こういうたたかいにはめっぽう強いのだ。油断してはいけなかった。
並んで座り、サンドウィッチを食べる。私はあぐらをかき、彼女は足をのばして。
久々の、のんびりした時間。
「ねえ、おいしい?」
「ああ、おいしい」
「そう言って貰えて、うれしいわ」
「前より上手くなった。宮廷料理人を越えたよ」
きのこですら、彼女はおいしい料理に変えた、と思う。
「まあ! それじゃあ、私、コックさんにでもなろうかしら」
「それはダメだ」
「なんで?」
「まあ、うん、なんだ?」
恥ずかしい台詞が浮かんでしまい、私は頭を掻いた。
「……ほんとは、美味しくないのね?」
彼女はその白い脚を折り、顔をうずめてしまった。また、誤解を与えてしまったようだ。
「あ、いや、そうじゃない。そうじゃないんだ」
彼女がちょっと顔を上げ、横目遣いでこちらを見る。申し訳なさと、少しの期待の入った眼、だと解釈してみた。意を決して、言う。
「……他の奴には、キャスの料理を食べられたくない」
息を呑む音がした。
「あら、ありがとう。お世辞でもうれしいわぁ」
冗談めいた口調とは裏腹に、こころなしうつむいた彼女の顔は、ほんのり赤くなっていた。
さっきの解釈は、間違っていたかも知れない。
昼食後、日に照らされた野原を眺めて過ごす一時。
よく見ると、ところどころにピンクの花畑が広がっている。ふと、その花の名前が知りたくなった。
「あの花、なんて名前だか知ってるかい、キャス?」
「え? ……うーん、なんだろう。ちょっと行って見てみようか」
彼女が小走りで近くの花畑に向かう。なびいたブロンドの髪が陽光に貫かれ、透き通るようだ。私も手に持っているものを平らげ、立ち上がる。強い風が吹いた。心地よい風だ。
――そう、このときも、風のような音が聞こえたのだった。
何かを感じ、後ろを振り向くと、それがいた。口を開け、のどから火炎をほとばしらせて。とっさに右手で盾を拾い、構えた。覗き穴から様子を見ようとして、次の瞬間、目の前が真っ白になった。
――そして、記憶がまばらになる
彼女の声がして、意識が戻った。立ったまま気絶していたのか。まだ怪物はそこにいた。口から煙を出している。何をされたのか、体が動かない。いつの間にか、右腕ごと構えた盾がなくなっている。そう気がついたが、なにも感じなかった。彼女が近付く音がする。
「だめだ、逃げろ」
上手く声が出せない。怪物はまた口を開け、うなり声を上げた。さきほどの攻撃を繰り返すつもりなのだろう。
――逃げろ、逃げろ、逃げてくれ
何も出来ない自分が歯がゆく、何とか声を上げる。
「逃げろ!」
目の前に、ふわりと広がるブロンドの髪。そこに映った炎が、揺らめく。こちらを振り向いて、そして……
「貴様――!」
真っ黒になった元人間が静かに倒れる。私は駆け出した。コリーがなにか叫んでいる。上の方から、何かが降ってきた。虫型の怪物だ。人の頭大の大きさはあるのだが、そいつが飛んできた。見ると、横じまの腹の先に、長く、鋭そうな針がついている。
「くそっ!」
頭を下げ、紙一重でかわす。耳障りな翅の音が頭の上を過ぎ去った。顔を上げ、火吐きの怪物を注視しようとして、私の精神はいやな衝撃に襲われた。
2,30体ほどだろうか。虫型の怪物が火吐きの周りを飛び交っていたのだ。
「あいつを援護するぞ!」
後ろの方で、武器を構える音がする。尻込みした者はいないようだ。正直かなり、ありがたい。
「この!」
「くらえ!」
数発の銃声が響き、虫型が二体落ちたのが確認できた。さらに、銃撃を食らったのだろう、片翅が動いていない虫型を見つけ、小手で払うように殴りつけ絶命させた。飛ぶことができる分、脆い身体構造のようだ。が、火吐きの周りには未だ大勢の虫怪物たちがいる。
攻めあぐね、いったん立ち止まる。と、唐突に風が吹き、地鳴りにも似た音がした。
「まずい! 皆よけろ!」
虫に注意をとられた隙をつき、火吐きが火炎弾を放ってきた。狙いはこの私なのだろうが、三度同じ技を見切れぬほど私は愚鈍ではない。やつの口腔が赤くゆらめくと同時に右側に転がり、放たれた巨大な火の玉を避ける。熱い風が、皮膚を打った。
転がりながら味方の方を一瞥すると、火炎弾の射線に入るであろう先頭の荷車が見えた。
火の玉が荷車を砕け散らせ、交易の品々は炎に包まれていった。
すぐに体勢を整え、次の攻撃に備えようとしたところで、私の名を呼ぶ声がした。コリーだ。
「おい、そこから離れろ、アレをやる!」
アレ、が何のことか察した私は、急いで街道から逸れ、木の陰に身を寄せた。急に動いた私に対して、虫型たちが向かってくる。独楽の回転音のようなその羽音が近づいてくるのが分かる。
「伏せろぉ!」
轟音。続いて、空を切る鋭い音と、木の幹に何かが刺さる音が、ほとんど同時に複数聞き取れた。
木の蔭から身をひるがえした私は、想像以上の光景に目をみはった。
ほとんど2分の3近くの虫型が、息絶えていたのだ。見ると指先ほどもない小さな針が、無数に刺さっていた。残る虫型も、どこか飛び方がおかしくなっている。
私は思わずコリーの方を見た。
「さすが、武器職人の息子だな! 前より凄い」
「元だよ、元!」
「はは、悪かったよ」
気合を入れなおし、火吐きの怪物に体を向ける。針は通らなかったが、少し動揺しているように見える。恐らく、この虫の怪物はやつの手下なのだろう。
「よし、まずは虫共をせん滅するぞ! 火の玉にも注意しろ!」
「わかった!」
「了解!」
意気軒昂な仲間たちの声を聞き、私は火吐きの怪物を睨んだ。
「絶対に、貴様等を、殺す」
怪物も鋭い目つきでこちらを威圧してくる。
この時火吐きは、私と同じ決意表明を行ったに違いなかった。