その5
「ですから、森を突っ切るのは危険だと言っているんです」
「ふん、時は金なりだ。商談は待ってはくれん。あんなでかい森を迂回していたら、一日が無駄になる。話にならんわ」
「貴方は命が惜しくないのですか。我々の護衛も、完璧ではないんです」
「商売なぞ、常に命がけだ。それに、そもそもお前らが遅刻しなければ良かったんだ。いいか、もし何か起きても、お前らは死ぬまで戦えよ。そのために高い金払ったんだからな」
「……もちろん、そのつもりです」
「あのデブヒゲジジイ、いけ好かねえ態度だな」
ノハンの引く巨大な荷車の隣を歩きながら、我々は愚痴をこぼしていた。結局、森を通ることになってしまったのだ。例の怪物のこともあり不安だったのだが、雇い主にはただの噂と切り捨てられてしまったのである。
一列に並び進むこのキャラバンには、ひとつの荷車に付き四人の傭兵がついていて、私たちは先頭、進行方向の左側についている。もう二人は右側を歩いているのだが、あちらでも何か話しているようだ。
我々が行進している森は、かなり大きな、古い森であるが、道はそれなりに整備されている。荷車の車輪の音が快調に響いているし、歩きやすい。
「しかし、魔法とはな。お前、そんなもの信じてるのか?」
「うるせえな、悪いかよ。曾じいさんは戦時中、魔法のおかげで生き延びたんだ」
「なんだかな、うそ臭いし、お前がそんな、頑なに信じようとする理由が分からないんだよ」
コリーが、しばし、沈黙する。
「分かんねえかよ、あの怪物共に、殺られたくないからだって」
「……」
「それに、うそじゃないかもしれないぜ。昨日、墓地に行ってみたんだ。そしたら、ほんとに墓があった。死んだのは、終戦後、半年ほど経った頃だった。死因は、酒の飲みすぎだとか」
私は、あることに気がついた。
「おい、お前の曾じいさんは、ニャメウイで死んだのか?」
「ああ、そうだよ。言わなかったか? 俺の親父の代になって、コドリンに移ったんだ」
「そうか……」
しばしの間。
「でも、もう魔法はいいんだ」
私はどういうことかたずねた。
「俺、結婚するんだ」
驚いた、というのは、正直な私の心持ちではなかった。
何度かコリーが手紙を書いているところを(こっそり)見ていたし、そんなものを普段から書くようなやつではない。
私はこの幸せいっぱい者の肩を思いっきり叩き、祝福のことばを贈ってやった。力が強すぎるとコリーは悪態をついたが、気恥ずかしさからだろう。変にゆるんだ顔になっていた。
「それじゃあ、死ぬわけにはいかないなぁ。この契約で、もう傭兵はやめるんだろ?」
「ああ、あっちの家業を継ぐつもりだ」
強い風が吹き、木の葉が擦れ合う音が聞こえる。ごう、とあたりが震えた。木漏れ日が心地よく、まさにのどかそのものだ。
あまりにのどか過ぎ、それが現実なのか、過去の記憶なのか分からなかった。
唐突に反対側から、誰かが叫ぶ声。
「怪物だ!」
そしてその声を掻き消すように、火砲のような轟音が響いた。
先頭を歩んでいたノハン、数百ゴールはあろうかというその巨体が、ゆっくりとこちらに傾いてくる。私とコリーが潰されないように少し離れると、地響きのような音と共に、この家畜は倒れた。右半身は大きくえぐれており、その周りは真っ黒に焦げている。焼けた肉のにおいが、辺りに立ち込めた。
そして、そして私は、見た。倒れた巨体の向こう側に、口から煙を吐き、こちらに向かってくる怪物の姿を。
「誰も攻撃するな!」
私はとっさに叫んでいた。銃を引き抜こうとしていたコリーを制止させ、前方にいる二人にも、注意を促した。二人はかなり動揺したようだったが、私の眼を見てどうにか頷いた。
「エサを食おうとしてるだけだ。こいつを食わせてやれ」
そう言って、ノハンの焼死体をあごでしゃくる。二人はめいめい臨戦体制のまま、怪物のために道をあけた。
一歩ごとに地面を震わせながら、怪物が近づいてくる。近くに来るにつれて、その巨大な体躯があらわになった。
「でけえ……」
思わずコリーがつぶやく。頭だけで大柄な彼の身長を超えているのだ。
四本足で歩くその怪物のからだは、とげとげした岩のようなうろこで覆われており、頭と長い尾っぽの先に、鋭い角がある。緑褐色の体色は、森に溶け込むための進化だろうか。
駆け付けた後続の傭兵たちにも怪物を攻撃しないよう言い、この場は一時怪物の食事場となった。
焦げた肉をさも美味そうに喰らうその様子は、私にとって見ていて気持ちの悪くなるものだった。
怪物が、獲物をあらかた喰い尽くした時、雇い主が遠くから叫ぶのが聞こえた。
「おい、なにしてる! そいつを殺せ! 俺の家畜を殺しやがったんだぞ! 今がチャンスだろうが!」
数人が顔を見合せ、困惑した表情でこちらを見る。私は黙って首を横に振った。
「あいつは、イカレてんのか」
コリーが毒づく。
「おい、誰も動かんのか! この、腰ヌケの……金食い虫が! 俺が手本を見せてやるわ」
雇い主が懐から銃を取り出すのが見える。皆の顔が凍りついた。
「やめて下さい!」
「オーナー!」
発砲音が聞こえた。弾丸は怪物の装甲に弾かれたが、怪物のプライドには、十分な傷をつけたようだ。地鳴りのようなうめき声、そして、ほとんど爆発のような叫び声が森中に響き、その衝撃波と大音量で、場の全員が一瞬、動けなくなる。
息もつかずに、怪物がその口から真っ赤な火球を放った。火の玉は、一番近くの、先ほど道をあけた傭兵のひとりに向かって、砲弾のような速さで飛ぶ。
直撃した火の玉が爆ぜ、彼を火で包んだ。
「――っ!」
私は、叫んだ。めまいがした。
――ねえ、ここら辺で、お昼ご飯にしない?
森近い、大木の陰。木を見上げる目の前の女性。私は武具を置き、息をついた。
――そうだな、……腹も減ったし
彼女は小さく笑い、こちらを振り向いた。