その4
テントから出てみると、既に大分日は高く、朝焼けは到底拝めそうにない。私は外で見張りをしている二人に挨拶をし、近くの食堂へと向かった。
ポーチの階段を上り、両開きの扉を開け中に入る。店内は香辛料の香りと煙が立ち込めており、またひどくうるさい。広いことは広いが、それ以上に人が多いのだ。
のぼりの階段を見つけたので、上に行こうかとも思ったが、そちらも同じような状況だろうと考えた。正直億劫だっただけだ。
偶然席が空いたのを見つけ、昨日立ち寄った店よりはだいぶ安物の、質素な丸椅子に私は腰掛ける。しばらくメニューを眺めていると、まだ決まってもいないうちに、給仕の娘がやって来た。
「おはようございます!ご注文はお決まりでしょうか?」
一瞬右腕に目を寄せたものの、あくまで平然と注文をとろうとする。その熱心な仕事ぶりと、接客態度に私は、少なからず感銘を覚えたものだ。挨拶は返したものの、給仕の勢いに押されて、思わずなにか得体の知れないスープを頼んでしまった。付け合せには黒パンを頼んだ。そのスープと相性がいいらしい。
給仕の娘が去っていく。短いブロンドの髪に目がいった。
「……」
聞きなれた話し声がする。懐かしい髪の色から目を離し、私はその声の主のほうを向いた。
コリーだ。一緒にいるのはそこらで出会った奴らだろうか、数人で他愛もない話をしていた。その輪に加わろうとは思わなかったが、その会話は興味深いものだった。コリーが大声で何か言っている。
「……だから、魔法はホントにあんだよ!」
話を聞いていた者たちはもれなく笑い出した。私は抑えたが、思わずにやついてしまう。コリーはそういうことを信じやすいのだ。大方、以前出会った語り部のじいさんに吹き込まれたのだろう。
「ははっ! おまえ、面白えなぁ! いまどき牧師様でもそんなこと言わねえぜ?」
「おい、魔法って……空飛んだり海割ったりっていう、あれか?」
「それだよ、俺が言ってんのは。――おい、そこ、笑うんじゃねえよ! ホントだって。確かにおれの曾じいさんは魔法が使えたんだよ」
「なあ、魔法って何だ?」
「デン・クレイの戦記物ぐらい読めよ、バカ。ようするに、まあ、なんだ? 非常識な力のことだよ」
「非常識……」
私の中にふとした疑問が生まれた。私にもコリーの癖が移ってきたのだろうか。
デン・クレイの戦記物はたしか、魔法という不思議な力を使う主人公の男が、その力で悪の皇国を打ち倒す、という筋のものだ。怪物こそ出てこないが、神の世界の獣が降臨する場面があり、その際、その獣も魔法を使っていた。
今考えてみると、クレイという男も、”常識を超えた怪物”の存在を知っていたのかもしれない。
だが、皮肉なことではないか。仮にあいつらの非常識さを魔法と呼ぶとして、それが使えるのは、奴ら一部の怪物だけだ。常識を超えた力など、人間には備わっていない。強い力を求めたければ、覚悟と努力が必要になる。そして、それだけだ。
彼らの笑い声が、私に重くのしかかってきた。
「お待たせしました! ウッズ・スープと、きのこ入り黒パンです」
「え?……ああ、ありがとう。いくらだい?」
「えっと、8ウィンと30ポロになります」
私はウィン銅貨9枚を渡した。
「数え間違いじゃないよ」
「ありがとうございます」
私はこの朝食に取り掛かる。先ほどのお礼は社交辞令だ。きのこを食べさせようとする奴に心から礼を言える者はいないだろう。少なくとも私は、言えない。
一口食べてみると、ウッズ・スープとやらの方がおいしいことが判明した。黒パンも一口ちぎって食べてみる。もちろん、きのこのない部分だ。まあ、不味くはないが。
そのままスープの二口目をすすろうとしたとき、まだ隣に例の給仕がいるのに気がついた。
「どうかしたのかい?」
「いえ、あの……おいしかったですか?」
「ああ、おいしいよ」
スープの方は、という言葉を飲み込む。
「よかった! お客さん、その腕、ずいぶん苦労してるんでしょ? だからサービスしようと思って、黒パンにきのこを入れてみたんです。おいしいんですよ、うちの店のきのこ」
「……」
「あ! 勝手に腕の話しちゃってごめんなさい。私ったら、気づかなくて……」
私の沈黙を、別の意味で解釈してしまったようだ。頭を下げ、しおれた様子で立っている。
「いや、気にはしていないよ、大丈夫だ」
そう言うと、彼女は顔を上げ、目を輝かせて厚く礼をいい、去って行った。
「そろそろ時間か……」
私は席を立ち、コリーに声を掛ける。互いに朝の挨拶をした後、キャラバンの出発時刻が
迫っている旨を伝えた。
「しかし」
ポーチを降りながら、コリーが言う。
「お前もついに、新しい女を作るつもりになったかよ」
どうも、こちらに気づいていたらしい。私は、首を横に振り、先ほどの黒パンを半ば放るようにしてコリーに渡した。
「そんなものを入れるような小娘に、私が惚れると思うか?」
私は上を向いた。私のパートナーとの思い出を振り返りたくなったからだ。いつもならば、忘れよう、忘れようと、ただそんな風にしか考えたことがなかった思い出をだ。
そんなことを考えられるようになったのも、コリーのおかげかも知れない。
「最後にあいつとデ……」
「美味いな、これ! きのこがいい味出してんだな、うん。」
……まあ、こういうところもあるのだが。
私たちはキャラバンに合流し、雇い主にこれからの進路を聞いた。