おわり
そして、再びの暗闇。
だが、さっきとは一つ、違うところがあった。
それは、目の前に浮かぶ細身の剣。まったくの闇の中でも煌々と輝き、ゆっくりと回転している。
近づいて剣身を観察する。そこには鈍色の文字で、こう書いてあった。
” 我は始祖
朽ちゆく歴史の流れの中で 消えゆくひとつの塵芥
されど折らせぬ我が剣 いのちの証しの器もて
時を貫き いつの日か ”
そして、その文字が消えると、代わりに小さな文字の群れがびっしりと浮かび上がった。
私はその文字達を、ひとつずつ追って行った。
長い永い話。様々な文体、多彩な文字。いつの間にか、剣に刻まれた文字は、その刃の面積を遥かに超えて、続いていた。
読み進めていく中で、気がつく。多種多様な物語の中で、ひとつだけ共通していることがあったのだ。
それは、文に込めた想い。皆触れれば切れそうなほどに、痛々しいまでに、綴られた物語の中で、懸命に自分の想いを叫んでいた。
しばらくの間物語を読み進めていた私は、ある異変に気づく。
文字が、欠けているのだ。ひどい箇所では、章のほとんどが消えている。不思議に思い、手にとろうとすると、闇が一層強くなる。あと少しで届きそうなのだが、指先から徐々に、感覚がなくなっていく。
まるで、闇に溶けていくかのような不思議な感触だった。
――これは……
私はさらに手を伸ばす。すでに指の付け根までの感覚がないが、それでも、ぎりぎりまで伸ばしていった。
不意に、掌に剣の冷たい感触が伝わる。と同時に指先に感覚が戻り、私は柄を強く握った。
剣が輝く。まるで、まばたきをするかのように。そして私が疑問に思う間もなく、何かが耳元を掠めて剣の中に吸い込まれてゆく。ひとつ、ふたつ、徐々に加速しながら、剣の中へと飛び込んでゆくそれは、残像のように映像を見せた。
私はそれで、理解する。これは、先ほどの、過去の記憶なのだと。
「うっ――!」
轟音と共に、剣が震えだす。欠けてしまった物語を、懐かしむかのように。
やがて剣は、周りの闇をも吸い込みだした。絶対な無すら感じさせた闇が、あっけなく晴れてゆく。渦状になった黒い霧は、最後の抵抗のごとく私を取り囲んでいた。
気がつくと私は、地下なのだろうか、なかなかの広さはあるが、窓がひとつもない、円形の部屋に佇んでいた。手には細身の剣。ぼんやりと輝いている。
薄暗い中でも見える白い漆喰の壁、床は小石を敷き詰められ、平らに加工されていた。中央には黒い小石が円形に組まれている。
「戻った、のか?」
今見ているこれは、果たして本物なのだろうか。あまりに異常なことが続き、現実かどうかが私には判断できない。
扉が見えた。とりあえずと思いそこへ向かおうとして、私は自分の置かれた状況を知る。
体が動かないのである。数歩と進まぬうちに膝が笑い出し、剣を支えにしてようやく立っていられる程度だった。
「どっこいせ、と」
仕方がなく、その場に腰を下ろし、剣を置いて酒を飲む。
思わず出た掛け声に苦笑しながら、そばにある剣を今一度眺めてみた。欠けていた文字も元に戻ったようだ。何事もなかったかのように微かな光を放っている。
また口をつけ、ため息をつく。
「ああ……、しかし」
あの黒い怪物は、確かに何かを喰らっていた。剣に込められた、生命そのものとでも言えるような何かを。
そして、剣は喰われたものを取り戻したようだが、私はどうなのだろうか。この全身の倦怠感を考えると、どうもそうではなさそうである。このまま意識を失えば、再び目を覚ますことができるかは分からなかった。
「……さて、どうしようか」
私は、目の前にある剣を見つめていた。
消えゆく者たちの、生きた証。時を越えて語り継がれる、存在の軌跡。
私はゆっくりと、剣の柄から針を取り出した。剣身に針をそっと当て、じっと静かに考えて。
「本当に、身勝手だな。私は」
自嘲を込めて言った口調は、予想に反して楽しそうだった。書き残すものは決めた。
それは、私の望んだもの。
書き出しはこうだ。
”私がこの物語を書き記すに至って、ひとつ言っておかなければならないことがある。それは――”
今、私は最後の文に取り掛かっている。
景気づけにと、酒を一気に逆さにしたが、落ちてきたのは一滴の雫のみ。舌打ちをして、それでも空の水筒は懐に戻し、ため息をつく。
すでに意識は朦朧としており、扉から漏れる陽光も、ぼんやりとしか見えなかった。その光は徐々に地下を照らしてゆく。誰かが扉を開けたのだろうか。
「いったい、誰が?」
ついに周りは白一色になり、まぶしさの余り、目を閉じてしまう。しかし、私はすぐに目を開けた。懐かしい、声が聞こえたからだ。
――ねえ、聞いてる?
「ん? どうした、キャス?」
「さっきの花の名前、分かったよ」
くたくたではあったが、それを聞いて、私は顔をキャスのほうに向けた。
床にすわり、ベッドにもたれかかって、組んだ腕の上に頭を載せているキャス。ベッドで寝ている私と、ちょうど同じ目線の高さだ。
「なんて名前だったんだ?」
キャスはいたずらっぽく笑い、こう答えた。
「教えてあげない。自分で調べたら?」
「おい、それはないだろう? 必死に助けたっていうのに」
キャスが本当に驚いたような顔になる。
「え! じゃあ、花の名前が知りたくて助けただけなの?」
私は首を振り、笑って否定する。
「いや。お前に死なれたくなかったんだよ」
キャスはそれを聞き、しばらく黙っていたがやがて、
「ねえ……」
「ん?」
「女の子だったら、ジウエラって付けようか?」
「! もしかして――」
男は目を瞑り、最期の時を迎えていた。彼の見た幻想は、遥か古の時代、魔法が存在していた頃には、最も簡単な幻覚魔法のひとつに過ぎなかったが、男にとってそれは、なにより望んでいた魔法だった。
剣の光が途切れ、金属音が地下にこだまする。つい先ほど書き終えたと思われる文は、こう書いて結んであった。
第189章 奇跡を望んだ男の語り フール 著
*
夕暮れに染まる、ニャメウイの町。五階建ての古びた宿にもその光は降り注ぎ、辺り一帯を紅く染めていた。玄関前のポーチには未だ大穴が空いていたものの、怪我をしたキャラバンの者たちもようやく出発し、彼らが泊まった安宿にも、束の間の静けさが訪れていた。
あかい風景の中、破損したポーチに目を奪われなかった者がもしいれば、そのそばに刺さっている剣に気が付くだろう。手前には石版が置かれ、その周りを花が埋め尽くしている。
そして石板には、こう記されてあった。
「お前の分まで、俺達が繋いでいく」
赤、紅、あか。夕日の中で区別できる色はそのぐらいだったが、唐突に花々が、元の色をとり戻した。何かの影が、花々に覆いかぶさったのだ。よく見ると、それは人影だった。
その人影は、刺さっていた剣に手をかけたようだ。恐らく左手を。
「嘘は、とっくにお見通しだったんだな」
その影の主は剣を引き抜いて、己の鞘に仕舞った。石板に何かを書き込んだ後、男は歩き出す。
どこへ向かっているのか、傍目には分からない。ふらつきながらも真っ直ぐに、男はどこかへと向かっていた。通りの端まで歩き続けた男は、最後に一度、ちらとこちらを振り向いた。
男は言う。
「私の望みは、果たした。未来はコリーたちにつないだ。それで、わがままを聞いてくれるならば……」
男はいったん区切り、姿勢を元に戻した。もう、こちらを見てはいない。
「キャスにもう一度、会いたかったんだ。たとえ物語の中だけでも」
男の肩はわずかに震えており、口調は朗らかだった。
「身勝手な嘘、か? 確かにな。でも、だからこそ――」
――もの語り、なのだろう?
おわり
これより下、あとがきです。
このあとがきは、本編中のネタバレを一切含みません
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感無量
おかげさまで「誰かの語り」を完結させることが出来ました。これもひとえに皆さまのおかげです。
この「誰かの語り」は私のこのサイト様における処女作です。
なにか感じるところがあったら、ぜひ乾燥ください