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終章 とっても高い、デートのお値段

         1


 次の日。

 昨夜はなかなか眠れなかった。寝返りを何度もうったのを憶えている。

 今日が休みで本当に良かった。眠りが浅かったこともあり、私はずっと布団の中に入っていた。

 それにしても昨日の出来事は、一体、何だったのだろう。あるいは夢だったのかもしれないな、とぼんやり思う。

 昨日、一昨日と続いた、私の部屋への侵入事件。結局、これはわからないままだ。今日や明日も、同じようなことは続くのだろうか。不安だけど、どうしようもない。

 ケインはヘレンの仕業だと言っていたが、彼女がそんなことするはずがない。だいたいウチに、盗られるほどの財産なんてないのだ。

 疑いをかけられて、可哀想なヘレン。次に会った時には、話の種になるかな。そう、ただの笑い話になるはずだ。


 昼過ぎごろ、チャイムが鳴った。

 ドアスコープから覗いて見ると、民間の郵便会社のようだ。

「速達で、お届け物です。ヘレン・メリエスさんから」

 それを聞いて、正直、飛び跳ねた。書類にサインをして、荷物を受け取る。それは封書の手紙だった。

 封を開ける。手紙が、一枚。

「……」


 私は、それを読んで、笑った。

 なんだ、そういうことだったのか。

 無性に可笑しくなってきて、一人でクスクス笑った。

 ケインが。

 完璧に見えたケイン・フォーレンが。

 今ではとてつもなく、身近に感じた。

 そりゃそうだ。同じ人間だもの。もちろん、確かにケインは頭がいい。知識も豊富だ。だが神様ではない。そう、自分と同じ、人間なのだ。

 そうだ。同じ人間なら、恋の可能性もまだある。

 あるいは。私は今まで、ケインのことを神聖視し過ぎていたのかもしれない。


         2


 夕方になるのが待ち遠しかった。まだ少し早いけど、もうケインの家へ行ってもいいだろう。私は玄関の、花瓶の横に置いてあるものを取った。財布、鍵、カード入れだ。宝くじだけは、いつものように胸ポケットに入れる。

 そしてヘレンからの手紙を手に、足早にケインの家へ向かった。

 チャイムを鳴らす。すると、昨夜もチラッと会ったレニーが出迎えてきた。

「やあ、ロアリー」

「あら、レニー。どうしたの?」

「昨夜の事件が気になるだろう? ……まあ、実害は何もないから、事件ってわけじゃないけどさ」

「えへへへ」

「ん? ロアリーは何か知ってるのかい?」

「あーとーでっ☆」

 玄関から、応接間へと踏み入れる。そこには、机に突っ伏しているケインと、ソファに座っているフィニアがいた。

「はーい、フィニア」

「ロアリー。今日はなんだか、機嫌が良さそうね」

「まーね」

「少しケインにわけてあげなさいよ」

 フィニアが視線を投げかける。その先には、机に突っ伏しているケインの姿。

「ようこそロアリー……」

 憂鬱そうと言うか、もう疲れ果てたようなケインだった。こんなケインを見るのは、初めてだ。

「ケイン、どうしたの?」

「昨夜。あれからヘレンの部屋に張り込んだ。非番の刑事に動員かけて、今も張り込ませている。だが無理だろうな。もう捕まらない」

「ケインは、ヘレンが泥棒か何かだと思ってるのね?」

「当然だ。それ以外にない」

 私はヘレンからの手紙を読んでいるから、もう真実を知っている。だからヘレンが泥棒でないことはわかる。ちょっとケインをからかってみたくなった。

「いいわ。ヘレンが泥棒だとするわね。でも彼女は、誰から、何を盗んだのかしら」

 ぐったりとしたケインが、掠れるような声で答える。

「それだけが、わからないんだよ……」

「もう! ケインが、ヘレンを泥棒だと思ったのは『なんとなく』でしょう? いい加減にヘレンを泥棒呼ばわりするのはやめなさい」

 だがケインは、頑として納得しない。

「泥棒か、詐欺師か、あるいは殺人犯かは、わからん。だがヘレンは、逃げた。大学生という身分を捨ててまで、逃げた。これは確実なんだ」

「その根拠は? どうせ『なんとなく』なんでしょう?」

「……」

 そこでレニーが声を上げる。

「ほらケイン。ロアリーにもアレ、見せてあげなよ」

「なぁに、レニー」

「さっき、ヘレンから手紙が届いたんだってさ」

 それは凄く興味があった。

「見せて、見せてよ」

 ケインは無言で、一通の手紙を差し出してきた。私はその手紙に目を通す。


『ケイン・フォーレン様へ。

 いつか一度、お会いいたしましたね。昨夜は私の依頼を果たしていただき、ありがとうございました。成功報酬として、薄謝を同封します。お貸しした衣装のほうは、そのままお使い下さい。すでに支払いは済ませてあります。

                         依頼人、ヘレン・メリエスより』


 私はクスクス笑った。ケインがそれを、見咎める。

「何が、どこが、おかしいんだ?」

「ケインの心配性なところが、ね。うふふっ。でもヘレンって気前いいよね。あのレンタルした服、そのまま買い取っちゃったわけでしょ」

 ケインは机に突っ伏したまま、言葉を投げかけて来る。

「ロアリー。お前は何かを隠しているね。おそらく、ヘレンはお前のほうへも、手紙か何かを送ったんじゃないか?」

 さすがケインだ。カンはいい。

「うん。私にも手紙が届いてたよ。なんか突然引っ越したみたい。これを読めば、ケインがいかに無駄な心配をしてたか、わかるよ。不思議だった『例の依頼』だって、これで全部、納得できちゃうわ」

 ちょっと皮肉っぽく言いながら、ヘレンから届いた手紙を、広げて差し出した。


『親愛なるロアリー・アンダーソンへ。


 昨夜は驚かせちゃったかしら? 実は私、急に外国に行くことになりました。それで、友人の貴方に、別れのプレゼントとして、ケインとのデートを実現してあげたの。楽しいものになったでしょうか。

 ドレスや靴はレンタルと言ったけれど、実は買いとってあるので、貴方の物にして構わないわ。

 別れのプレゼントとしては豪華だと思った? でも、そんなことはない。むしろ私は、安上がりすぎたかと思って、心が痛んでいます。

 おそらく、二度と会うことはないでしょう。だけどロアリー。私は貴方が友人で、本当に良かったと思っています。心から、感謝してる。ありがとう。

 ロアリー。これからも、胸に希望を忘れずにね。そうすれば、きっと、何か楽しいことがあるから。


                             ヘレン・メリエスより。


 追伸……やっぱり、心が痛むわ。ロアリー、ごめんね☆             』


「もう、私感動しちゃったわよ。いいヤツよねヘレンって。いくら別れのプレゼントだからって、ここまでしてもらってさ」

 私が言うと、ケインは、不服そうに呟いた。

「ヘレンはどうして、行き先を告げなかったんだ」

「え? ……さあ。まだ本格的には住所が決まってないのかも」

 ケインはしばらく沈黙した後、強い口調で、言った。


「『心が痛んでます』『おそらく二度と会うことはない』『心から感謝してる』『やっぱり、心が痛む』。彼女は、何が言いたいんだ?」

 やけに絡んでくるケインが、ちょっと不思議だった。

「……なによぅ。この手紙、何かヘンなの?」

「お前にはわからないのか、この手紙が発する負のエネルギーが!」

「わからないわよ……」

 負のエネルギーの感じ方なんて、少なくとも、学校では教わっていない。

「だいたい、おかしすぎるんだ。お前とヘレンは、そんなに仲が良かったわけじゃないんだろ?」

「ええ」

「なのに何故、こんなカネのかかるプレゼントをしたんだ?」

「さあ。気前がいいからじゃない?」

「そう、気前が良すぎる。彼女は大富豪の娘とかだったか?」

「……別に普通の人よねぇ。や、むしろ親の残した借金があるって聞いたな。ヘレンってば、あんなに羽振り良くて大丈夫なのかなぁ」


 そこでレニーが、何気なく、口を挟んだ。

「あれだろ。ちょうどこの時期だ。宝くじでも当たったんじゃないのか?」

「宝くじ?」

「ロアリーは買わなかったのか? けっこういつも買ってるじゃん」

 ぼんやりと思い出す。……ああ、そう言えば一ヶ月くらい前、宝くじを買ったっけ。その時カフェで、ケインとヘレンは初めて会ったはずだ。

「あぁ! あれってもう当選発表されてるのか。当たってるかどうか見るの忘れてたよ。ほら私って、買っちゃえばそこで気がすんじゃうタイプだから」

「あははは。ロアリーらしいや」

「レニーは、当たった?」

「いや、ほとんどハズレさ」

 フィニアが文句を入れる。

「あんなの、トータルじゃ負けるようにできてるんだから」

「そ、そりゃそうだけど、ほら、宝くじ買ってるとさ。当選番号発表まで夢とか希望とかが湧くだろう? 当たったら何を買おうかな、とか。でさ、一昨日が発表だっただろ? だからぼく、三日前なんかけっこうドキドキしたもん」

 私は何度も肯いて同意する。

「そ。当選番号発表までの一ヶ月くらいさ、希望が持てるのがいいのよね。私なんか癖でね、買った宝くじ、いつも胸ポケットに入れて持ち歩いてるんだ。胸に希望、ってわけ」

「あー、それ。どっかで聞いたっけ。一緒に洗濯したことあるとか、どうとか」

「うー。それは一度だけよ。最近はそんなミス、しないもの」

「おっと、それより当たってるかどうか調べてみなよ」

 フィニアも肯いて、それを薦める。

「毎回、当たりなのに申し出てこないってのが結構あるみたいよ。失くしたり、確認し忘れたりして。もしそうだと勿体無いわ」

「そうね。えっと、発表は一昨日だっけ? まだ新聞に出てるかな」

 だがケインの部屋には新聞がない。

「後で、売り場まで行って確かめなきゃ……」

 レニーがポンと手を打った。

「一昨日の新聞、持ってるよ。鞄に入れっぱなしだった」

 レニーは鞄から新聞を取り出して、私に手渡して来た。

 当選番号のところの、6等のところに、マル印がついている。レニーはこれに当たったのだろう。

 大抵は下一桁の7等に当たるだけなのだから、まあ悪くない結果かもしれない。

 私は胸ポケットから、いつも持ち歩いている宝くじを取り出すと、新聞と睨めっこを始めた。手持ちの宝くじは、連番で10枚。下一桁には必ず当たるとして、後は、いかに上に食い込めるか。お願い、当たって……!


「ダメぇ。連番だから一枚当たってるけど、あとは全部ハズレ! あーあ!」

「残念。まあ、簡単には当たらないわね」

「ねえフィニア。やっぱりさ、宝くじより、自分で番号選べるナンバーくじのほうがいいかな」

「うん、還元率は宝くじよりいいみたいよ」

「ケインがいつだか、何か言ってたよね。人気のない番号を選べば、当たった時の配当金が高くなるとか」

 ケインに話題を振ると、彼は虚空を見るような瞳で、呟いた。


「希望……」


 私達は一斉にケインに注目するが、ケインはまた机に突っ伏す。どうやら、自分のヘレン=泥棒説が外れて、よっぽど落ち込んでいるようだ。

 可哀想……。私は胸が苦しくなった。なんだか抱きしめてあげたくなる。……まあ、実際に実行すれば、突き放されるだろうけど。


 そのケインは、弱々しい声を出した。

「……ロアリー。お前の宝くじ。完璧にハズレか?」

 またわけのわからないことを言う男だ……

「そりゃ、一枚、下一桁のが当たったわ。まあ連番だから当然だけど」

「そうじゃなく、ニアミスはないか?」

「ニアミス?」

 どういうことだろう。

「ロアリー。一等や二等なんかに、極めて近い番号だったりしないか?」

 そう言われてみて、改めて当選番号を見なおす。でも、特にニアミスもない。普通のハズレだ。

「特に不自然なところはないけど?」


 やや沈黙の後、ケインが、陰鬱なままの表情で言った。

「ロアリー。その宝くじ10枚、俺に売ってくれないか?」

「え。でもこれハズレだよ。当たってるのは一枚だけ」

「いいんだ。宝くじ10枚分のカネを払うから」

「そりゃ、いいけどさ……ケインが大赤字じゃないの」

「ああ。しかし、あるいは……」


 ケインの呟きが終わると同時に、レニーが不思議そうに聞いてきた。

「ハズレのくじ買ってどうするんだい?」

「ちょっと調べたいことがあるんだ。宝くじは、番号によって、売り場が特定できるからね。まあ無駄だとは思うけど」

「ふーん。ぼくには、ケインたちの行動がわからないや。連番のハズレくじを10枚買うって言うの、最近何かで流行ってるの?」


 瞬間の、沈黙。そして、直後!

「なんだとっ!?」

 陰鬱だったケインの目が、突如、輝いた。


「レニー。今、『ケインたち』と、『流行ってるの?』と、言ったな。それは一体、どういうことだ!?」

「ま、待ってよ。ぼくも知らない。たださ、昨日の昼間に、当たりのクジを換金しに行ったわけ。そしたら声をかけられて、連番のハズレくじ10枚を売ってくれって言うんだ。絵のデザインに必要とか言われたっけ。奇妙な頼みだったけど、代金は10枚分払うって言う。ぼくも損するわけじゃないから、売ったけどね」

「それは、どういうヤツだった?」

 尋ねられたレニーは、ごく自然に、答えた。


「ほら、話題の、ヘレンさんにだよ」


「あああぁあああぁ!!」

 ケインは、驚愕に近い表情だった。こういうことは、ごくごく珍しい。

「それだ! やられた! それだったんだ! ようやく解けた!」

「何が?」

 それに対して、ケインは何かを言おうとしたが、不意に言葉を止め……今度は突然、笑い出した。


「あははははははは! 最高だ! 最高だよ、ヘレン・メリエス!」

 立ちあがり、辺りを足早に歩き回っている。

「な、なに?」

「彼女は最高だ! わざわざロアリーにデートをだなんて、凄すぎる。そうだ、それにあの合言葉! 『今日は素敵な夜ですね。私に希望をいただけませんか』! それにあの手紙! 『これからも、胸に希望を忘れずにね』! 世の中にはこんな女もいるんだね。ああ、ヘレン・メリエス。いい女だったかもな!」

 私たち三人は意味がわからず首を傾げている。


 フィニアが、恐る恐る、ケインに訪ねた。

「ねえケイン、何が、どうしたの?」

 振り向いたケインは、先ほどの憂鬱そうな顔から一転し、物凄く上機嫌だった。

「わかった、わかったんだ。ようやくわかった!」

「なにが?」

「ヘレンのことが! そう、ヘレンは確かに泥棒だった。昨夜、ヘレンはロアリーの物を盗んだんだ。間違いない!」

「ヘレンさんが?」

「そう。ヘレンが狙ったのは俺のほうじゃない。やはりロアリーを狙っていたんだ。だからこそロアリーの部屋に侵入したし、俺達をレストランに呼び出した」

 ケインは嬉しそうに喋っている。各段に機嫌が良くなったらしい。私は小首を傾げて、言う。

「でも私、取られるほどの物なんて持ってないよ」


 するとケインは、クスクス笑って、またもみんなにわからないようなことを言った。

「ヘレンはね。ロアリーが胸に抱いていた希望を、盗んだのさ!」

 そしてまた、大笑いを始めた。


         3


「胸に抱いていた、希望を、取られた?」

 私は意味がわからず、ケインに問いただした。

「そう。もっともこれはまだ、何の証拠にも支えられていない。だから無論、俺の妄想に過ぎない。だがしかし、俺はこれが正解だと、確信している」

「……どうして?」

「『なんとなく』だ」

 また例のフレーズだ。私は眉を潜めた。

「そんな適当な理由で、ヘレンを泥棒呼ばわりするの?」

 するとケインは大きく肯いた。

「『なんとなく』という直感。それが一番の理由だ。俺のこの感覚は今まで外れたことがない。そしてもともと俺は最初にこの直感が来た。後から、なんとか理由をこじつけようとして苦労していたんだ」

 上機嫌で喋り続けるケイン。彼が憂鬱そうな表情を見せることは珍しいが、上機嫌な時はもっと珍しい。彼は続けた。

「いつか言ったことがあるね。物事には、核になる事柄があると。それを徹底的に見つめる。そうすれば、道を間違うことは少なくなる」

 それは、いつかどこかで、ケインから聞いた言葉だった。いつだろう……ああ、最初に出会った『足踏み症候群』の時だ。

「みんな、いいかい? 今回の事件で核になる事柄。これはなんだろう」

 私は少し考えて、答えた。

「私とケインを、あのレストランに呼び出したこと、かな」

「OK,そのとおり。じゃあヘレンは、何故それを行なわなければならなかったか」

 そんなの、決まってる。

「別れ際のプレゼントのため、でしょう?」

 ケインは激しく否定する。かなり情熱的だ。

「違う。それだけは違う。それはヘレンのカモフラージュだ。いいかい、どうしてヘレンは、たいして親しくもないロアリーに、プレゼントをしなければならない? あるいは、どうしてヘレンは、あの部屋を引き払わねばならない?」

「……?」

 どうも、彼の言うことがよくわからない。

「彼女は突然、あの部屋を引き払ったんだ。家具は残したまま。貴重品や、下着、着替えなど少しだけ持って、あの部屋を引き払った。だから机の上には鍵が二本あったし、ショーツは3枚程度しか残ってなかった」

「……どういうこと?」

「ヘレンは逃げた。何故? もちろん、何か疚しいことがあったからだ。さて、そこで、さっきの話に戻ろう。今回の事件で、核になる事柄。『ケインとロアリーを、あのレストランに呼び出した』ということ。これをよく考えるんだ。最初俺は、直感的に、何かが起こると思った。だから俺は防御した。軽く武装もしたし、レストランにも、俺の家にも、非番の警察をつけた。俺のほうの防御は完璧だった」

「それで?」

「だけど、ヘレンの狙いは俺じゃなかったんだ。今回の事件におけるケイン・フォーレンの存在は、あくまで、ロアリーをあのレストランに呼ぶための撒き餌でしかなかった。ヘレンは最初からロアリーを狙っていたんだ。そう、ロアリーの財産を! だから前日、ロアリーの部屋に勝手に侵入しさえもした」

「でも、だからさ。私、そんな財産なんて持ってないもの……」


 ケインは何度か舌打ちをする。だが楽しそうだ。

「だから、宝くじなんだよロアリー。お前は本来、宝くじに当たっていたんだ。しかも相当な金額が当たっていたはずだ」

 相変わらず、ケインの言う意味がよくわからない。

「でも……私、当たってないよ」

「こう言えばわかるかな。今ロアリーが持っている宝くじ。これは、数日前までロアリーが持っていた宝くじじゃ、ない」

「……どういうこと?」


 ケインは上機嫌で、情熱的に、喋り続ける。彼のこんな姿は珍しいというか……いや、今までに見たことがない。

「時系列に沿って言おうか。まず一昨日の、おそらく朝。最初にヘレンが気づいた。ロアリーの宝くじが当たっているということに。だが当のロアリーは、自分が宝くじに当たっていることに気づいていなかった。実際、当選番号を確認したのは今日なんだからね。

 さて、そこでヘレンは考えた。ロアリーから当たりの宝くじを盗み、代わりにハズレのくじを置いておいたらどうだろう、と」

 皆は無言だ。ケインは説明を続ける。


「だから彼女は、一昨日、ロアリーの部屋に侵入した。目的は、当たりの宝くじ。しかし部屋では見つけることができなかった。これは、ロアリーが宝くじを持ち歩いていたせいだった。そしておそらく、ヘレンはこの時点で計画を立てたのだと思う。兄貴に応援要請をしたのもこの時かな。いや、もっと前かもしれない」

 ケインは話を続ける。


「さてそして次の日、つまり昨日だ。ロアリーはまだ当選番号の確認をしていない。おそらく前日から尾行したりして、ロアリーがまだ換金に行ってないことを把握していたんだろう。もう例の兄貴はヘレンに協力していただろうね。人手不足の心配はない。兄妹のどちらかが、念のためもう一度ロアリーの部屋を探したのだろうが、やはり宝くじはない。当たりの宝くじは、まだロアリーが気づかずに持ち歩いているとヘレンは判断したのだろう。だってロアリーは、一ヶ月前、宝くじを胸のポケットに入れていたんだもの」

「あぁっ……!」

 一ヶ月前のカフェで。ヘレンの目の前で宝くじを胸のポケットに入れ、『胸に希望』とジョークを言ったことが、思い出された。


 ケインの言葉は止まらない。

「ヘレンが練った計画は、俺をあのレストランに呼び出すことで、ロアリーもそこへ行かせる、というものだった。もちろん、当たりの宝くじを盗むためだ。宝くじがロアリーの財布の中にある可能性も考慮して、ヘレンはハンドバッグや財布を用意したんだろうね。でも本命は財布の中じゃない。ロアリーの服の、胸のポケットに入ってるとヘレンは思ったんだ。一ヶ月前のカフェで、ロアリー本人がそう言っていたんだから」


 ケインは一息つく。だが誰も口を挟まない。私なんか呼吸さえ我慢しているほどだ。

「この事件の核になる事柄は『ケインとロアリーを例のレストランに呼び出す』というところだ。だが、その目的は少々普通とは違っていた。ヘレンはあのレストランに、俺やロアリーを集めたかったわけじゃなかった。詳しく言うなら、人間が移動しようがしまいがお構いなしだった。大事なのは、中身の人間よりも、外側の服だった。

 ロアリーの普段着の、胸ポケットの中身こそが、一番重要だったんだよ。

 あのレストランは高級指向の店だから、普段着では、追い返される。いいかい? だからこそヘレンは、あの時の紺色のドレスを自分で用意したんだ。そうすればロアリーは着替えざるをえない。さあその時、それまで胸ポケットに入っていた宝くじはどうなる?

 もちろん! 僅かの間、ロアリーの手元から離れる!」

 脳にビリビリくる、衝撃!

「そう、ロアリーが着替えたり、あるいは化粧なんかをしている間に、ヘレンはロアリーの当たりくじを、持ってきたハズレくじとすりかえたんだ」

「そんなぁああぁあ……!」


 私の叫び声の余韻を残した、奇妙な、静寂。

 それを破ったのはフィニアだった。


「待ってケイン。今までの話は筋が通ってる。確かにそれなら、あの『奇妙な依頼』の説明も、全てつくわ。でも一つだけ、ケインの仮説には問題点がある。致命的な弱点が」

 フィニアのやや強い口調に対し、ケインは何度も肯いていた。だがそれはとても嬉しそうで、喜んでいる様子だ。

「いいぞ。さすがフィニアだ」

「貴方は、私の考えていることがわかるの!?」

「こう言いたいんだろ? 『どうしてヘレンは、ロアリーが持っている宝くじが、当たりであるとわかったのか』、と」

 フィニアは強く肯く。声も普段とは違う、真剣な声だ。

「そう。だって絶対、他人の宝くじの番号なんてわかるはずないわ。宝くじがいつもロアリーの胸ポケットにあったなら、なおさら、ヘレンはそれが当たりくじだとわかるはずがない。当選番号の発表は……一昨日の朝だっけ? なのに一昨日の昼頃には、もうロアリーの部屋へ侵入してる。行動が早すぎる」

「そうだ」

「ヘレンはロアリーの宝くじの番号を知ることができない。こればっかりは、どうしたって、知ることができないのよ。ロアリーだって、自分のくじの番号を大声で宣伝していたわけではないのでしょう?」

 あ。そう、そうだ!

「そうよ! 他人の宝くじの番号なんてわかるはずないわ。ううん、自分の宝くじの番号ですら、憶えている人は少ないはず」

 あんな桁の大きな数字、憶えている人なんていないだろう。大抵は、当選番号に当たってるかどうか照合する時に見るだけだ。

 私の言葉に、フィニアは大きく肯いた。

「そうなの。だからケインの仮説は成り立たないわ。『ヘレンがロアリーより先に、ロアリーの宝くじが当たりだと知った』というのが、ケインの仮説の前提よね。でも。そもそもヘレンが、ロアリーの宝くじが当たりであるとわかるはずがないんだもの」

 そう。どうやったって、他人の宝くじの番号を知ることなんてできないではないか。

 しかしケインは、ゆっくりと首を振った。

「いや。それがわかったんだよ、ヘレンにはね。ヘレンだけが、わかることができた」

「どうして!?」


 ケインは、ニッコリと笑った。それは私だけでなく、フィニア、そして男のレニーですら見惚れるほどの、魅力的な笑顔だった。


「なあロアリー、思い出してごらん。お前はあの宝くじを、どうやって手に入れた?」

 ……天井を見上げて考える。そう言えば自分で買った記憶はない。

「あっ! そうだ! 売り場に並ぶのが面倒だったから、お金を渡してヘレンに買ってもらったんだ!」

「そう、それだ。俺は一ヶ月前、カフェで、ロアリーとヘレンのやりとりを聞いていた。その時ヘレンは『私も連番で10枚買った』と言っていた。そして、20枚ある宝くじを半分にわけて、どちらの10枚を取るか、ロアリーに委任した。連番の20枚を、半分にわけたんだ。つまりヘレンの10枚の宝くじと、ロアリーの10枚の宝くじは、番号が繋がっている」

「あぁあぁああ!」

 頭の中が、真っ白になる。

「しかも確かロアリーは『番号が若い方』と宣言して、受け取ったはずだ」

 そうだっけか? 自分でも忘れていたが……。

「ヘレンは当選番号発表の朝、新聞を見てチェックしたんだろうね。そしたら一等や二等の番号に、極めて接近してた。ニアミスだった。そこで気づいたんだ。ロアリーが選んだ宝くじのほうが、当たっているということに」

 もう返す言葉もない……。

「その後は、さっき話した通りだな。ヘレンはおそらく、朝からロアリーの監視をしたはずだ。あるいはロアリー。お前がもし当たりに気がついて換金に行ってたら、ヘレンの兄貴が強盗として襲いかかったかもしれない。互いに面識がないんだからね。だがお前は換金に行く様子もなく、普通に大学に行っている。ヘレンは、『ロアリーは宝くじに当たったことを、まだ知らない』と、確信したんだろう。そして、服を着替えさせるために、デート計画を立てた。そういうわけさ」


 ケインの説明を聞き終えて。

 私は天井を見上げ、大きくため息をついた。


         4


 肩を落としている私を想ってか、レニーが口を開いた。

「警察に言えば、捕まえてくれるんじゃないか?」

 だがケインの代わりに、フィニアが言う。

「んー、ダメね。証拠がないわ。宝くじに名前を書いておいたなら別だけど。もし捕まえても『知らない』って言われれば、そこでおしまいだもの。いいえ、私なら、交換した当たりくじに、すぐ自分の名前と住所を書いておくわ」

 ケインも同意する。

「そういうこと。これは犯罪として立証はできない。まあ裏付けはいろいろやってみるけどね。例えば、今ここにある宝くじは、ヘレンによってすり替えられた可能性が高い。だが俺の仮説だと、この宝くじは、最初にヘレンが持っていたものではないことになる」

「どうしてさ」

「それはねレニー。この宝くじの番号が当たり番号とニアミスしていないからだ。俺の仮説の立場を取ると、こう言わざるをえない。ヘレンはこの宝くじを、誰か別の人から譲ってもらったのだ。……例えば、レニーみたいな人から、ね!」

 一瞬の沈黙の後、全員が爆笑した。

「あはははは! そうか、ぼくがヘレンに売ったハズレの宝くじが、コレなんだ!」

「多分そうだろうね。まあ、後でいろいろ調べてみるよ」


 ……ヘレンの複数の銀行口座に、莫大な金額が振り込まれている事実をみんなが知るのは、数日後のことになる。

 そして。私の手元に残ったハズレの宝くじが、商店街の売り場ではなく駅前の売り場で売られていたものだということも。


「凄いね! あ、ロアリーには悪いけどさぁ。凄いよ、これは」

 レニーは興奮して、身を乗り出している。

「ああ。そしてヘレン・メリエス。彼女はいい女だよ。だって本来、彼女は別に偽装工作なんかしなくていいんだ。何も面倒なことは、しなくていいんだよ」

「どういうことだい?」

「例えばロアリーの部屋で一緒に食事をして、その時に睡眠薬でも盛っておいて眠らせ、単純にクジを交換するだけでも良かった。むしろそのほうが、簡単だし、安全だし、確実だ。あるいは、俺が例の兄貴の『依頼』を拒んでレストランへ行かなかったなら、ヘレンはその選択肢を選んだかもしれないが」

「ああ、そうだな……」

「なのにヘレンは、デートのセッティングのため、無駄な苦労と出費をしている。共犯者として自分の兄をも巻き込んでもいるんだ。共犯者が増えれば秘密もバレやすくなるし、分け前だって減る。仲間割れの心配もできる。でも、それでも彼女はデートに固執した。何故だろう。それはロアリーに何かをしてやりたかったからだ。……どうだい、友達思いのいいヤツだろう?」

「あははは。確かにそうだ」

「それに別れ方がスマートだな。ロアリーに睡眠薬を飲ませクジを交換した場合、犯罪として立証はできないにせよ、ロアリーが気づく可能性が高い。だがこの別れ方なら、ロアリーは真相を知らぬままドレスをもらって、いい気分でいられる。……まあ、俺のせいでヘレンのプランは台無しになっちゃったけど」

 ケインは、ヘレンからの別れの手紙を広げて見せた。

「もう一度これを読んでごらん」


『親愛なるロアリー・アンダーソンへ。


 昨夜は驚かせちゃったかしら? 実は私、急に外国に行くことになりました。それで、友人の貴方に、別れのプレゼントとして、ケインとのデートを実現してあげたの。楽しいものになったでしょうか。

 ドレスや靴はレンタルと言ったけれど、実は買いとってあるので、貴方の物にして構わないわ。

 別れのプレゼントとしては豪華だと思った? でも、そんなことはない。むしろ私は、安上がりすぎたかと思って、心が痛んでいます。

 おそらく、二度と会うことはないでしょう。だけどロアリー。私は貴方が友人で、本当に良かったと思っています。心から、感謝してる。ありがとう。

 ロアリー。これからも、胸に希望を忘れずにね。そうすれば、きっと、何か楽しいことがあるから。


                             ヘレン・メリエスより。


 追伸……やっぱり、心が痛むわ。ロアリー、ごめんね☆             』


「どうだい? この手紙の『負のエネルギー』に説明がつくだろう? それに綺麗な別れ方だ」

 負のエネルギーのことはよくわからなかったが、ケインの言いたいことは理解できた。

 フィニアも苦笑しながら同意する。

「住所を知らせないのもわかる。あと、今なら『心が痛んでます』『おそらく二度と会うことはない』なんてのもわかるわ。『安上がりすぎたかと思った』のにも、納得がいく」

「最後の言葉も、いいね。『ロアリー。これからも、胸に希望を忘れずにね』。これは凄い皮肉だが、凄く素敵じゃないか」

「そうそう! 最後に『ごめんね☆』って謝ってるし!」

「それにフィニア。昨夜、ヘレンが指定した合言葉……つまりロアリーが俺に言った合言葉は、なんだと思う?」

「なぁに?」

「『今夜は素敵な夜ですね。私に希望をいただけませんか』」

 フィニアはけらけら笑った。

「わぁ! そうか、ロアリーはあの時ドレスだったもんね。ドレスに胸ポケットなんかついてるはずがない。だから、いつも胸ポケットに入ってる『希望』がなかったんだ!」

「そう。あの当時だけ、ロアリーは胸に希望を持っていなかったのさ」

 フィニアやレニーだけでなく、ケインも楽しそうにはしゃいでいる。そう、ケインが、楽しそうに、笑っているのだ。

 私は、胸が熱くなった。我慢しようと思ったけど、堪え切れなくなり、涙がこぼれた。それに気づいたフィニアが、申し訳なさそうに近寄ってくる。

「あ……ごめんなさい。ロアリーは被害者だものね」

 違う、違うの。

「悔しいのもわかるわ。折角、大金持ちになってたところだったのに。笑っちゃってゴメンね……」

 途端に、その場の雰囲気が重くなる。私は強く否定した。

「ううん。違うのよ、フィニアぁ」

「ん?」

「嬉しいし、楽しいんだよぅ」

「え?」

 きょとんとこちらを見るフィニアだ。


 涙を拭いて、ケインを見つめる。

「だって、ケインの笑顔が見れたんだよ? いくらおカネを積んで頼んだって、ケインがあんなふうに笑うとは思えないもの」

 それを聞いたケインは、舌打ちをし、顔を背けている。

 ……照れている彼を見たのも、初めてだ!


 もともと私は、お金があったって何に使うか思いつかないのだ。もうアルバイトをしなくてすむ、という程度の幸せだ。

 だけどヘレンや、そのお兄さんは違うだろう。確か、両親が残した借金があると言っていた。彼らこそが、お金を必要としていたのだ。

 私の当たりの宝くじで、その借金を返せれば、お兄さんも好きな研究ができる。

 だったら、それでいいじゃないかと思う。

 それに……一ヶ月前。もし私がヘレンに宝くじを頼まなくても、当たりのくじは彼女の手元に行っていたはずだ。

 ツキがあったのは彼女のほうだ。私は便乗しただけ、だろう。


 また涙を拭こうとしたが、もう、涙は出てこなくなっていた。

「それにさ、昨夜のデート。アレは私が当たった宝くじと交換なわけでしょう? だったら、凄いよ。それだけ豪勢なデートは、他に誰もできないもの」

 自分で言ったのに何故か可笑しくて、少し、笑った。

 そこにレニーがボソッと呟く。

「ああ、相手がケインだしなぁ……。カネで実現させるとしたら、小国家の国家予算くらいかかるかも」

 フィニアは、必死に笑いを堪えている。が、ダメだったようだ。再び笑い出した。連鎖して、レニーと、そしてケインまでも笑った。

 私も、笑った。

 心の底から、笑った。

 不思議と悔しさは全然なかった。

 憎しみも、怒りも、悲しみもなかった。

 むしろ爽快だったし、そして心地良かった。


 笑いが収まったところで、ケインが申し出た。

「さて。みんな夕食はまだだろう? 依頼人のヘレンから報酬が出たからな。奢るよ。たまにはどこか、楽しいところへでも行こう」

「おー、さすが!」

「やったぁ!」

「とりあえず、外へ出ようか」

 レニーとフィニアが、仲良く、部屋の外へ出た。二人で踊ってるような感じだ。

 私もいい気分で外へ出ようとした、その時。

 ケインが、私を部屋の外へ押し出すようにして、体を近づけてきた。

 そして耳元で、他の二人に聞こえないように、小さな低い声で言う。

「ロアリィ」

「ん?」

「昨夜、俺は言ったな。ロアリー・アンダーソンの美しさの、本質について」

「うん……?」


 すると驚いたことに、ケインが軽く、髪の毛を撫でてくれた。


「昨夜に比べて……」


 そして悪戯っぽく笑い、彼は言う。


「素敵になったな」




 ……断言できる。


 宝くじに当たって大金持ちになってたよりも、絶対、今のほうが幸せだ。

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