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アビスフェルノ 5

短めです。エピローグ的な感じ。

 静かに深まっていく夜の闇に冷やされた風が、ゆっくりと肌を撫ぜる。立ち込める濃霧に覆われた月は姿を見せず、暗闇と静寂が、見渡す限りに広がっていた。

 芯まで冷え切って凍える身体を抱きかかえてみても、気休め程度にしかなりはしない。焚き火代わりに灯した松明の炎だけが、この夜を越える唯一の命綱だ。


 肌を焼き付けるような昼間の暑さとは裏腹に、アビスフェルノの夜は寒い。その寒暖差も、アビスフェルノが魔窟とまで呼ばれる所以の一つだ。


 暗がりの中、松明の灯りはオリガちゃんだけをぼんやりと照らし出す。全身を包むローブの上には、俺のボロ布のマントが肩を覆うように掛かっている。ファビオラちゃんのように太陽の下で眩しく輝く柔らかい笑顔も素敵だが、薄明かりに浮かぶ妖艶で儚げなオリガちゃんの美しさも、また違う趣があっていいものだ。


 二枚の布の下でオリガちゃんがもぞもぞと動き始めた。ようやく目を覚ましたようだ、瞼をこすりながら徐ろに身体を起こす。


「ん……アマデオ、様ぁ……?」


 寝惚けたまま薄目をあけて、どこを見ているのやらといった様子で掠れた声を発した。普段の凛々しいオリガちゃんは何処にいったのか、ぼーっと宙を見つめながら微動だにせず、まだ眠そうに目を細めるのがとってもキュートでプリティだ。


「おはよう、オリガちゃん。つってももう夜だけどな」


「うぅん……、っ!?ア、アマデオ様、ご無事ですか!?お怪我はっ!!」


 ハっと慌てたオリガちゃんが佇まいを直すと、透き通る白髪が揺れ動き、掛けていたボロ布がするりと落ちた。もう少し眠た気な可愛らしい仕草を拝んでいたかったんだが仕方がない。俺は立ち上がって身体を動かし、見てみな全然平気だぜ、とばかりにアピールする。


「この通りだよ。まだ多少痛みはするけど、もう大丈夫だ。オリガちゃんの方こそ、もう動いてもいいのか?」


 ズタズタだった体内は魔力の糸で縫い合わせ、一先ずの応急処置は済ませた。そこら中に蔓延する高濃度の瘴気も手伝って、随分と体力も回復している。オリガちゃんの方も同じだろう、幾分全身の傷も癒えているように見える。魔族にとってこのアビスフェルノは最高の環境だ。


「え、ええ。私の方はなんとか……」


 そこで区切って一度沈黙。息を整え、何やら思い詰めた表情で話し始めた。


「アマデオ様、今回のことは私の不祥事でございます。如何様に罰せられても仕方がありません。私の我儘で、危険だと分かっている場所に赴き、あまつさえ害意を持つ者達に助けを求める始末。この命一つでは到底償いようの無い失態でございます」


 オリガちゃんの顔が痛みを堪えるかのように歪む様すら美しい。だけどまあ、今更そんなことを言われても、起こってしまったことを無かったことに出来る訳でもない。何より俺はアビスフェルノに足を踏み入れた時点で命を捨てる覚悟をしていて、だとすれば今生きている事実でさえ幸運と言えよう。


「こうして二人とも無事で済んだ訳だし、そんな深刻に考えなくていいって。俺の方こそ情けないよなあ、マンティコアの毒なんかで倒れちゃってさ」


 ただ、飲まず食わずのままでオリガちゃんを背負い動けたのは、その毒が栄養源となったおかげでもある。とは言え流石にあれから半日歩き続け、下半身はクタクタだ。それでも今日しっかりと眠れば、明日からはまた動き出せるだろう。


「今度こそ、男としてしっかりオリガちゃんを守るよ。危険な目に合わせちゃって、ごめんな」


「そんなことっ!」


 切実に言うオリガちゃんの瞳にはうっすらと涙が滲んでいる。きっとその雫を瓶に詰めれば、家が建つような金額で売れるに違いない。


「わた、私はっ!魔物に襲われ荷物も落とし、自身で招いた窮地でさえ、何もすることが出来ませんでした!そんな私が、罵られることはあっても、謝られるようなことなどっ!」


 初対面の時からずっと、オリガちゃんはクール・ビューティーを体現する、冷静な女性だと思っていた。けれどもこの数日で、少しずつその人となりが解るにつれて、それは誤解だったということに気付いた。


 オリガちゃんはどんな時も必死なのだ。真面目で責任感が強く、それでいて情に厚い。魔族全体を襲う飢餓という問題は、オリガちゃんの細い肩で背負うには重すぎる。それでも常に弱音を吐かず、気丈に振る舞って目の前のことをこなす彼女は、きっといつだってその重圧に押し潰されそうになっているのだ。


 誰からの協力も得られず、たった独りで困難に立ち向かって来た。だからこそ、誰かに甘えたり、優しくされたりということに全く慣れていないのだろう。


 張り詰めた緊張の糸が切れれば、オリガちゃんは歳相応の──とは言っても、魔人族の寿命は人間族よりも長い。見た目からは俺と同年代だと察せられるが、実際の所は果たして──普通の女の子なのだ。つまりそれが、いつも涙を見せず強がる彼女の、本当の姿なんだと思う。


 ということは、だ。これはチャンスなんじゃないか?ここで俺がぐっと頼りがいのあるところを見せれば、その包容力と大人の魅力に、オリガちゃんはコロっと行っちまうんじゃないか!?脳内の細胞を総動員、全力で思考を回転させ、この場における最適解を見つけ出す。ミスの許されざる場面だ、極限の集中力を以て臨まなければ。


「大丈夫だよ、オリガちゃん。毒は自力でどうにかなったし、荷物が無くても、食糧なんてどうとでもなる。魔族領の方角だって目星はついた。これから先、もしまた魔物や魔族と戦うことがあっても、俺は負けない。だから全部俺に任せとけって!」


 獣人達とだって、あの様子じゃあ遅かれ早かれ争うことにはなっていただろう。オリガちゃんのせいでは無いと、俺は笑いながら、堂々と張った胸を叩いて見せた。


「ほ、方角が分かったのですか?当初の道筋からは、既に大きく外れてしまっているようなのですが」


「まあな。随分歩いたけど、それでもまだ山脈の半分には届かないだろ?だからこっからだと、より瘴気が濃くなる方角が山脈の中心。つまりは北、目的地の方角って訳だ」


 アビスフェルノは気候が安定せず、昼間でも太陽が見えることは稀だ。昼夜の区別なく山脈全体を覆う瘴気と霧は、太陽と月ばかりでなく、ありとあらゆる天体を隠してしまう。くわえて草木の一本も生えないアビスフェルノでは、一度迷ってしまえば方向感覚を取り戻すことは難しい。しかしそれも、普通であればの話だ。


「瘴気が濃くなる……アマデオ様は、その、よろしいのでしょうか。本来なら、中心部は避けて通る予定だった筈です」


「それがなあ、なんだか急に平気になっちゃって。むしろ瘴気を吸い込むと調子が良いくらいだ」


「調子が良い、ですか……。では、毒は平気なのですか?マンティコアの毒は、私達魔族であってすら、抗体を持たない者には危険な猛毒でございます」


「痺れなんかどこにも残っちゃいないよ。それにあんな毒で死んじまうようなら、魔王なんか務まらないだろ?」


「それは、そうですが……」


 オリガちゃんは納得のいかない表情を浮かべる。だけど、あの程度の脆弱な毒でこの俺の身体を蝕もうなんて、片腹痛いね。俺がそう言うと、未だ腑に落ちない様子ではあったが、ひとまずは分かってくれたようだ。

 

「だから、な。何も心配いらないよ。なんつったって、俺はオリガちゃんの、いや、魔族の主になる男なんだぜ。このくらいのこと、屁でも無いって」


 努めて明るい表情を浮かべる俺に、オリガちゃんはしどろもどろだ。自身の演じた大失態を呆気なく許され、その上ここまで見事に解決されてしまえば堪るまい。この調子で行けば、早くもオリガちゃんは俺に惚れてしまうのではないだろうか。いいぞ俺、もう一押しだ!


 そうして気合いを入れ直そうとした俺の耳に、小動物の鳴き声が届いた。きゅるるるるる。なんとも力の抜ける、可愛らしい響きだ。どうやらオリガちゃんはお腹にリスか何かを飼っているらしい。


「く、くふふ、だっはっはっは!」


「すっ、すみません!わたし、ほんと、もう!」


 思わず声を上げて笑ってしまった。女性の腹の虫を聞いて笑うってのは少し意地悪だったかもしれないが、堪えることが出来なかったものは仕方がない。

 オリガちゃんは顔どころか全身を真っ赤にしながら、手足をばたばたとさせて慌てふためいている。悶絶する程愛らしい仕草に鼻血が噴き出なかったのは、正に奇跡だ。


「くっくっく、いや、ごめん、ごめん。そりゃそうだよな、腹も減るって」


 かく言う俺も、オリガちゃんが起きるのを待っていたおかげで腹ペコだ。そこら中に転がる小石でさえも今は美味そうに見える。だが、目が覚めたなら丁度良い。


「……ですが、食糧も、落としてしまいました」


 純白のきめ細やかな素肌は、表情と共にコロコロと色を変える。血の気が引いた真っ青な顔をして意気消沈するオリガちゃん。だが、何も心配する必要は無い。


「何言ってんだ、オリガちゃん。ここはアビスフェルノだぜ?食い物なんていくらでもあるさ」


「……?それは一体、どういう──」


 オリガちゃんが言いかけたその時、突風が巻き起こった。左右の翼をはためかせながら舞い降りたのは、緑色の竜、ワイバーン。獰猛に俺達を睨みつけながら、けたたましい鳴き声を上げている。凶悪な個体の多い竜種の中では、唯一と言っていい下級のモンスターだ。とは言え図体は中々に大きく、その強さも、他種族の魔物と比べれば上位に君臨する。


 ──つまるところ、おあつらえ向きだ。


「見ての通りだよ。ここじゃあ、食い物の方から飛んで来てくれる」


「……っ、……」


 頼れる男を演出しようと格好良く決めたつもりだったんだが、おかしいな、オリガちゃんの反応は芳しくない。まあいい、今は何より食糧だ。ワイバーン程の大きさなら、オリガちゃんと二人で分けても充分腹いっぱいに出来るだろう。


 鞘から引き抜いたショートソードの刀身は、既に魔力で黒く染まっている。切っ先をワイバーンに向け、さあ、狩りの時間だ。アビスフェルノの濃密な瘴気をたっぷりと吸い込んだ魔物の肉は、一体どんな味がするのだろうか。舌鼓を打つ俺の後ろ姿を、オリガちゃんは、ただじっと見つめていた。

アマデオ君が順調に狂い始めました。

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