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アビスフェルノ 4

 セレブロとの距離は充分に離れている。さて、お望みは遠距離戦か格闘戦か。どちらでも構わん、悠然と両腕を広げて相手の出方を待つ。得意な方で相手をしてやろう。

 挑発を受けて激昂したか、セレブロが獣の雄叫びを上げて大地を蹴り迫る。どうやら格闘戦をご所望らしい、自らの身体こそを最大の武器とする獣人族らしい判断だ。貧弱な人間族の身体能力ではいささか分が悪い。筋力増加の為、魔力を糸のように伸ばして体内に張り巡らせた。


 流石は獣人族の戦士といったところか、一飛びで間合いを詰め、そのまま先制。脇を引き締め放つ拳は、巨体に似合わず小振りな打撃だ。

 初撃は首を横に傾けて難なく回避。続く二撃目は半身を翻して避けるが、拳先が鼻を掠める。次撃を回避する余裕は無く、右腕に纏う魔力の鎧の装甲で受け止めた。


「ほう、これは……」


 繰り出す拳を瞬時に引き戻し、間髪入れずに次の打撃へ。高速で繰り返される動作は、なるほど隙が無い。絶え間なき猛攻の嵐が縦横無尽に吹き荒ぶ。


「いつまでその余裕が持つか、見どころだなっ!」


 上下左右の区別も無く迫る連撃が視界の全てを埋め尽くす。降り注ぐ無数の打撃を躱し、受け、捌き、この魔王が防戦一方とは!


「面白い!」


 退くことが出来ぬなら攻めるまで、一歩引いた半身の先、開いた左掌に魔力を集中させる。その隙を突いて放たれた横薙ぎが左頬を直撃するが、既に装甲が首筋から頬までを保護している。速さを重視した軽い一撃では、我が鎧に傷を付ける事すら叶わん。

 被弾を気にせず強引に猛撃を振り払い、攻めに転じる。狙うは奴の頭部だ。掴みかからんと伸ばした腕はされど空を切り、込められた魔力が溢れ出して空間を裂くように迸った。


 深く上体を沈め回避したセレブロは右脚を踏み込み、我が懐深くまで潜り込む。最早互いの間に距離は無く、次なる手を打つその前に、セレブロの振り上げた右拳が我の顎を捉えた。だがその攻撃は予期している、予め顎に重ねた魔力装甲が衝撃を防ぎ、そして。


「むおおっ!」


 先程までの打撃とは訳が違う。セレブロは大地を強く踏み締め震脚、正しく渾身といった力を以て顎にあてがう拳を更に押し上げ、我が装甲を打ち砕いた。見事なり!


 屈強な獣人族とは裏腹に人間族のなんとか弱きことか、大きく跳ねた頭部に引き摺られ、我が身体はたたらを踏んだ。遥か上空に飛んだ視点を地平に戻すと、流石は練者か、セレブロは油断も無く追撃、左廻し蹴りが迫り来る。掲げた腕で防御を試みるが、風を裂く剛脚は装甲を粉砕して尚止まらない。我の右腕ごと叩き折らんとばかりに勢いを増す蹴りを、腕の内側の魔力糸を躍動させ、無理矢理受け止める。いくつかの筋繊維が引き千切れる感触が広がった。


 なんとかそれを凌ぎ切れば、敵は蹴った姿勢のまま動きを止め、隙を見せている。この好機を逃す術があろう筈も無い、空いた左手に魔力を流し込む。握りしめた拳を、あまねく全てを打ち砕く漆黒が覆った。そうして放った正拳の真上を通り抜けるようにセレブロは跳躍し、打撃は躱された。


 跳んだ勢いのまま、セレブロは空中で体を左に倒し、繰り出す右膝が我が喉元へと迫る。両腕に自由は無く受ける事は叶わん、纏った黒鎧の魔力を直接その一点に集約し急所への一撃を凌ぐ。だが安堵する間もなく、我が後ろ首に何かが押し当てられる。先の左脚か!


 セレブロは装甲に阻まれるのも構わず右膝を喉へと押し込み、左脚では頚椎を圧迫。その両脚で首を締め上げんと力を込めるが、纏った装甲がそれを阻みながら、内側では魔力糸によって気管を広げている。呼吸を行うことになんら問題は無い。


 それならば、とセレブロは宙に浮いたまま腰を回転、首の骨をへし折らんとばかりに、添えた両脚を捩じりあげる。その流れに逆らわず体勢を崩せば、我は後頭部から地面に叩き付けられる形となった。


 魔力で頭を保護し衝突のダメージを和らげるが、依然として首元は脚に挟まれたままである。間を置かずにセレブロは地面に手を付き身を反転、今度は逆方向に捻りを加える。首筋に痛みが走るが、咄嗟に身体を起こすことでなんとか凌ぐ。上体が起き上がる姿勢になると、いつの間にか体勢を変えたセレブロが、我が肩口に足を掛けるように座っていた。


 息つく間もなくセレブロの追撃、頸動脈を両脚で圧しながら我が顎を手に抱え、反時計回りに全身を回転。我が意志に反して頭部は右に傾き、撓みかけた首の骨がミシリと嫌な音を立て、伸び切った筋が張り詰めるのを感じた。だが攻勢もここまでだ、続けて首を折りに来るだろうことは既に読んでいる。腰を右に捻り、セレブロが回りきるよりも早く同方向に身体を倒してやれば、攻撃を仕掛けていた奴の身が、強か地面に打ち付けられた。


「むうっ!」


 極めていた脚も離し、勢い良く転がり行くセレブロを横目にしながら、我はあくまでゆったりと立ち上がる。首を擦ってダメージを確認すると、痛みはあるが、それだけだ。動かすことにも問題は無く、存外損傷は少ないようである。さて、受け身を続けるのにも飽いた頃合いだ。


「そろそろ、形勢逆転と行こうか」


 とは言え流石に白兵の分の悪さは身に沁みている。種族差というものがここまで大きく響くとは、些か誤算であったと認めざるを得んだろう。であれば次は離れた距離から戦うとしようか。防御に回していた魔力を解くと、黒鎧は飛沫のように細かい塵となって霧散した。


 右手を掲げ、立てた人差し指の先に魔力を集中すると、呼応した魔素が空中に浮かぶ。黒い霧状のそれが集まり象るのは鋭利な刃、さしずめ魔法の矢と言ったところか。一切の光を飲み込む闇色は鋼よりも硬く鋭い刃物へと変質を遂げ、指を標的へと差し向ければ、音を超える速度で直線を描き飛び出した。


 体勢を立て直し接近を試みようとしていたセレブロは、その黒矢を見据えると即座に横に飛び躱す。ほう、なかなかの反射神経ではないか、だが。

 セレブロが着地すると同時にその右肩を二本目が掠める。唖然とした表情を浮かべた眉間を貫く軌道の三本目は、咄嗟に上体を傾けて回避。しかしその程度では終わらせん。


「準備はよいか?まだまだ続くぞ、精々死ぬ気で避け続けるがよい」


 一本目を射ち出すと共に精製を続けた漆黒の矢が、我を取り囲むように空中に顕現している。その数は二十八本、少し小振りではあるが、今の魔力量であればこんなものだろう。残り二十五、どこまで保つか見物と行こうか。広げていた両腕を大きく前方、セレブロに向けて振り翳し、数多の矢を一斉に射出する。


「う、おっ、オォォォオオオ!」


 四、五、六、七。大気を震わせる唸り声は雄叫びか、はたまた悲鳴であろうか。切り立つ岩々と大地を足場に、右へ左へと飛び回る。十一、十二、十三、十四。しかしそれだけで避け切れる筈もない、絶え間なく飛来する矢がその身を掠め、削ぎ、貫いていく。十八、十九、二十、二十一。黒矢に胸を、頬を腕を脚を、至る所を穿たれながらも退くことはしない。戦意は万全、勇猛果敢に我が元へと徐々に接近。二十五、二十六、二十七、二十八。満身創痍ながらもその全てを潜り抜け、なんとも天晴れ!我が懐、つまり間合いへと辿り着いた。


「素晴らしいぞ獣人族ウェアビースト、まさかここまでやるとはな!」


 これこそが我の求めていた闘争だ!心は躍り、鼓動は高鳴り、猛る魔力を左拳へ。腰を深く落とし、全身の体重を乗せ、前傾姿勢を取るセレブロを迎え撃つように、その顔面に正拳を叩き込む。

 黒矢を避け続けた今、我が拳を躱す余裕などある筈も無い。深く食い込んだ拳先から噴き出した黒色の魔素が弾け、大気を歪ませるほどの衝撃を生み出した。巻き起こった風圧と共にセレブロは大きく後方に仰け反り、だが!


「ガ、アアァァァッ!」


 轟く咆哮、大地にしがみつく足に力を入れ、驚くべき体幹の強さを以て踏み留まる。焼け付く毛皮には夥しい黒矢の傷創が刻まれ、獣の耳は欠け、額から鼻から滝のように流れ出る血糊が、顔中をべったりと汚している。最早傷の無い場所など見当たるべくもなく、それでも尚闘志を失わない気概は、それでこそ歴戦の闘士と言えようぞ!


 セレブロは自身の鼻先ごと身体を押し付けるようにして一歩前進、再び徒手空拳の間合いへ。我は引き戻した左拳を突き込むが捌かれ、更に一歩踏み込まれる。半ば密着するような状態となった。


 我が胴に向けセレブロが拳を突き出す、その動作は傷のせいか緩慢で、力も篭っていない。それよりも早く我の打撃が、白毛に覆われた頭部の左側面を捉えた。魔力糸によって増強された筋力を以て放つそれを、しかし奴は意にも介さず、血走った眼光は鋭く我が視線を射抜く。


 いつの間にか我が腹部にはセレブロの右拳が押し当てられている。続けて奴は右脚をもう一歩踏み出す、この体位は先程と同じ、震脚!

 胴体には既に魔力の鎧を纏い直している。その上から幾重にも装甲を重ね防御は万全。セレブロが大地を力強く踏み締めると、足の形をなぞるように地面が沈み、ぴたりと添えられたセレブロの拳が強く押し込まれ、その右腕が、全身が一瞬膨れ上がり、そして。


「これで最後だ、全身全霊を込めて放つ獣人族の奥義、しかと受け取れ!」


 地を揺らす震脚、伝わる力は体内を通し一点へと集中、密着した姿勢から零距離で解き放たれる。分厚い黒鎧を貫き、鳩尾深くを穿つ衝撃が、我の背中から身体中を巡り突き抜けていった。五臓六腑が悲鳴を上げのたうち回り、脳の指令を受け付けようともしない。嘔吐感と共に込み上げた血液が、どぷりと口から溢れ出た。


「ご、ふッ」


 痛みから逃れるようによろめき後退る我を、セレブロは追い縋ることもしない。否、出来ないのであろう、渾身の一撃を放った反動で、今や奴の方も満足には動けん筈だ。


 倒れかけた身体を両足で支え踏み止まる。ダメージは甚大だが、なんとか耐え切ることは出来た。とはいえ命令を聞かぬ四肢では、距離を取ることも、また攻めることも叶わない。黒鎧を解除、再び魔力糸を全身に回し、まともに機能をしていない体内組織を縫い合わせていく。万全には程遠いとは言え、よもやこの魔王が、これ程までに追い詰められようとは。


 糸で神経を繋ぎ、強引に腕を動かす。残された魔力もあと僅かというところだ。消費を最少に抑えつつ最大の効果を得る為に、腰に吊り下げた直剣に手をかける。慣れない獲物だが充分だろう、柄から魔力を注ぎ込んでいく。


 視界の先では既に回復したセレブロが動き出し、こちらに詰め寄っている。未だ脚力は健在か、一息に接近すると右腕を横薙ぎに振るい、剥き出しの鉤爪が鈍く光った。最早互いに余力は無く、これが最後の一合となるだろう。対する我は直剣を引き抜きざまに斬り上げる。爪の軌道と剣戟とが交差してぶつかり合い火花を散らした。一瞬しなった後半分に折れた刀身が、甲高い音を上げながら宙を舞う。衝突に勢いを削がれた右爪は、それでも我が革鎧ごと無防備な胸板を抉った。しかし、致命傷には至らない。


 振り抜いた直剣は折損した分長さが足りず、敵には届かない。剣閃はセレブロの右半身を掠めるだけに終わり、だが問題は無い。刀身に込めた魔力を開放すると、振り抜いた直剣の、その軌跡をなぞるように闇が顕現する。漆黒の斬撃はセレブロの右脇腹を深く斬り付け、胸を通ってから右眼を縦に裂き、頭上へと抜けていった。


「ぐおっ、ガアアッ、がはッ!」


 勢い良く血潮を撒き散らすセレブロの、がら空きの胴を蹴り飛ばして間合いを取る。折れた剣先がようやく地面に突き刺さった。


「見事だセレブロ。貴様は我が力を振るうに相応しい手練れであったぞ」


 直剣に魔力を流し込むと、失った刀身を補って余りある魔力の刃が現出する。揺蕩たゆたう影の刀身と空間の境は曖昧で、吹く風に流れるかの如く溶けていく。

 体一つをここまで磨き上げた武芸者への、せめてもの手向けだ。最期は苦しまぬよう、心臓を一突きにして終わらせてやろう。魔力を固めれば揺らめく剣身はピタリと静止して硬質化する。徐ろにセレブロへと近付き、右手の直剣を構えた、その間に、先の獣人族の娘が飛び込んだ。


「逃げろ、セレブロ!」


「お、お嬢様……ッ」


 両手を広げてセレブロを庇うように立ち、土に汚れた顔で叫んだ娘の眼差しは凛とした闘志を秘めている。なるほど、まだ幼くか弱いながらも、身を挺して家臣を守る志は立派な戦士のそれだ。であれば戦場で命を散らす事こそが本懐だろう、娘ごとセレブロを貫かんと、剣を握る手に力を込めて真っ直ぐに突き出──


「──さ、せるかぁ!!」


 ──全身の筋肉を躍動、半ば叩きつけるように両足で地面を踏み締める。ぎりぎりと捩じ切れそうな腰を無理矢理捻り、一直線に二人を刺し貫く軌道の黒剣を、止める、止まらない、止まれ!


 必死の抵抗も虚しく、瘴気にも似たどす黒い刃が少女の胸元に吸い込まれるように沈んでいく!半分ほど埋まったところでようやく停止、すると同時に、再び揺れ動いた闇色が空中に滲んで、煙のように消えていった。

 僅かに少女の胸に残った、塵とも、煤ともつかない魔素も霧と化す。そしてそれが去った跡には、傷一つ伺えない。間に合った……のか?


 メッキのように剣を覆っていた黒塗りもポロポロと剥がれ落ち、半分の長さになってしまった刀身が姿を表した。ああ、ファビオラちゃんと俺を繋ぐ、大事なショートソードだったのに……。


「ア、ンタ……どうして……」


 唖然と俺を見上げる少女が虚ろに呟く。答えようとしたところで緊張の糸が切れた俺の身体は、いまや立っていることすらままならない、崩れ落ちそうになる身体を、地面に手と膝をついて支える。どうしてって、そりゃ簡単だ。


「何も、殺すことは無えよな、と思ってさ」


「ふっ、ざけるなッ!テメェ、アタシらに、獣人族に情けをかけようってのか!」


 吠える少女は俺を警戒してか、赤丸耳と黄褐色の尻尾をピンと立てている。

 少女の言葉は、俺の気持ちなんか一つも分かっちゃいないが、それも当然である。なんてったって俺自身ですら何が何やらといった感じだ。


 それでもゆっくりと考えを整理して、荒い呼吸を挟みながら、途切れ途切れに切り出していく。疲れ果てた心と体は休養を欲しがっているが、頑張れ俺、もうひと踏ん張りだ。


「いやあ、そもそも、俺の目的はお前らを殺すことじゃない。オリガちゃんを守ること、それからもう一つは、魔王として認められることだ」


 この先優秀な配下になるかも知れない相手の命を、むざむざと奪ってしまう訳にはいかない。まあ、今回はだいぶ暴走しちまったけどな。魔王の魂が俺の中に存在していること、そしてその影響力の強さを、改めて実感させられた。

 理解してくれとは言わないが、情緒不安定になった訳じゃないからな。本当だぞ!


「だったら何で──」


「それに」


 少女が何か言おうとしたのを遮る形になってしまったが、構わず俺は言葉を続ける。それに、何より。


「君のように将来有望な美人の芽を、こんな所で摘んでしまう訳にはいかないさ」


 今はまだあどけなさが残るが、泥まみれになっても尚可憐さを失わない整った顔立ち。少女の強気な性質を感じさせるつり目がちな瞳は、猫科のように縦長に伸びている。靭やかな筋肉が薄い褐色の肌を彩るのもまた良い。肩に届かない程度に短く切られた、赤味がかったショートカットも、快活そうな少女のイメージによく合ったものだ。


 これが成長したらどれだけの美人になるだろうか。俺は成人した獣人族の女性を見たことがあるが、一様にみなグラマラスで悩ましげなナイスバディをしていた。まだ凹凸の見えない体躯ではあるが、きっとこの娘もそう成長するに違いない!そんな素晴らしい素質を秘めた逸材を、まだ花開かぬうちに屠るなど、そんなことが許される訳が、ある筈も無かった。


 その一心で魔王の意思らしきものを振り払ったが、なんとか上手くいって一安心だ。ナイスガッツ俺、ここ一年で一番の快挙と言ってもいいだろう。


「ナニ気持ち悪ィコト言ってんだテメェ……」


 呆れ顔の無垢な少女にはまだ少し早い、オトナの話さ。君が大きくなったら教えてあげよう。少女が表情を侮蔑一色に染めたように見えるのは、きっと口説かれ慣れていないせいで、こんな時どういう顔をしたらいいのか分からないからだろう。


「まあそれはともかく、俺は君たちの命を奪う気は無い。それでも今回は俺の勝ちだ、より強き者に従う、ってんなら、この場は退いてくれないか?」


 そこで倒れてる狼男と、セレブロも連れてさ。俺の提案に苦虫を噛み潰した顔の少女が恨めし気に口を開こうとして、その前にセレブロが掠れた声をあげた。


「何を、言うか」


 全身を血の赤に染めながら立ち上がる。足取りはおぼつかないが、それでも未だ戦意は潰えちゃいない。まだやろうってのか、冗談だろ!?


「互いに命を賭した戦いを、殺し合いをっ、そのような形で終わらせようと言うのかッ!!」


 セレブロは漲る殺意を隠そうともせず、喋る度に口元を汚す血を乱暴に腕で拭いながら言い放った。


「セレブロ、そんな傷じゃもう無理だ、戦えやしないよ!どうしてもってんならアタシがやる、その隙にアンタは逃げな!」


「お嬢様こそお逃げください!敵に背を向けるばかりか、お嬢様を置いて逃げたともあればこのセレブロ一生の恥っ!ここで退く訳には行きませぬ!!」


 目の前で繰り広げられる問答は、どうも論点がずれている。全く、こいつらは本当に何にもわかっちゃいない。再び頭をもたげた憎悪をなんとか抑えながら、仕方がない、もう少し丁寧に教えてやるとしよう。苦痛に呻く全身に鞭を打って立ち上がった。


「鈍いなあ、鈍すぎるぜ、お前ら」


 言い合いをやめてぴたりと静まり返った彼らが俺を見やる。俺の身体から膨らんでいく殺気が大気を黒く淀ませたかのような錯覚を覚えた。彼らの全身はゆっくりと総毛立ち、少女は顔を真っ青にして身体を震わせ、セレブロは棒立ちのまま微動だにしない。


「お前らは俺に負けた。既に俺の、この魔王の所有物だ。情けをかけるとか、善意で逃がしてやるとか言ってんじゃあない」


 なんだか今日の俺の声色は、随分と覇気の篭った、迫力のある響きだ。少し喋るのが気持ちよくなってきたが、表情には出さず続ける。


「時が来れば貴様らには我が下で働いてもらう、その為の命だ。主に従い、魔王の下僕として”今日は退け”──これは命令だ。貴様らに、選択の余地など有りはしない」


 つらつらと滑るように出てくる口上が心地良かった。彼らはしばらく呆然としたあと何かを言おうとして、また黙った。そして少女が乱雑に狼男を叩き起こし、セレブロの肩を支える。


「……礼は言わない。確かに今日はアタシ達の負けだ。だけど、アンタのことも、アンタの、そのワケの分からない力だって、認めちゃいないからな」


 一体何だって言うんだい、あの悍ましい魔力は。吐き捨てるように少女が言った。突然起こされた狼男が、現状を把握できないまま俺に向かって唸るのを、犬の躾でもするかのように叱りつけ、無理矢理引き連れる。大柄なセレブロの体躯を支えながら歩く足取りは覚束ない。


 少女にもたれかかるセレブロは、敵意に瞳を燃やしたまま、最後まで俺から目を逸らさずに立ち去って行った。




 彼らが去って残るのは、疲弊しきった俺と、横たわって眠るオリガちゃんだけだ。だが疲れ切っているからといって休んでいる暇は無い。食糧と安全地帯の確保、見失ってしまった方位も確認しなければ。一先ずは行動あるのみだ。


 オリガちゃんを抱き起して背中に抱えると、細身で軽い筈の彼女の身体が、今の俺にはやたらと重みを感じさせた。それも当たり前だろう、魔物に襲われ毒に蝕まれ、挙句の果てに格上の獣人族達との連戦だ。我ながらよくここまで生き延びたもんだと感嘆する。


 いくら頼まれようが、二度とアビスフェルノには来ない。その決意をより深めながら、しかしそれでも、オリガちゃんのか細い呼吸が俺の耳元をくすぐるのはこの上ない幸せで、きっと彼女の願いならば俺は何でも聞いてしまうんだろうなあ。そんなことを考えながらゆっくりと歩く俺達を、アビスフェルノの甘い瘴気が柔らかく包んでいった。

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