モテたいから魔王になる 1
大変な苦労をしてまで見つけた私の気持ちを知ってか知らずか、この方は人混みに紛れると他の民草に埋没し、目を惹くようなに華やかさや覇気というものを欠片も感じさせません。
内心、ため息をつきます。このままでは見つけた甲斐も無いというものです。
最も、初めの内は容易く見つけられると──人族からすれば救世主であり、恐らくは英雄として持て囃されているだろうと──思っていたのですが、しかしその幻想は直ぐに砕かれました。
何故ならこの方は、魔王を討伐した英雄として数えられて居られなかったのです。
名前はアマデオ、成人を迎えて10年が過ぎた25歳の傭兵。手入れのあとを感じさせないボサボサの茶髪と日に焼けた浅黒い肌、そして無精とも剃り残しともつかない微妙な長さの髭が特徴的な人間族の男性。
そういった名前や容姿などの簡単なプロフィールは存じておりましたが、それでもお世辞にも有名とは言えない個人を探すのは全く以て骨が折れました。
極々僅かに存在する目撃情報や細々とした噂だけを便りに、何のツテもコネもない見知らぬ土地で街から街へと渡り続けること半年間。やっとの思いで居所を掴み、とうとうその根無し草の独り旅も終わりを迎えようとしています。
だというのにその成果がこの凡庸という言葉をそのまま身体で表現したようなお方だとすれば、それはなんとも報われない話ではないでしょうか。
「ようやく見つけましたわ」
そうして心の内でいくら毒づいてみてもどうやら自分の心に嘘はつけないようで、はやる気持ちを抑えることが出来ずに思わず口端から笑みが溢れます。
それでも今すぐ駆け寄りたい衝動だけはぐっと堪え、目深に被った、薄茶のローブと繋がっているフードをゆっくり外しながら近づきました。
「お迎えにあがりました、魔王様」
人間族からすれば突拍子もないことを言っているのは承知の上ですから、驚かれるだろうことは覚悟をしておりました。一度会っただけの私の顔を覚えているとはよもや思ってもいませんが、顔を隠すフードを取った今、白い髪が、紅い相貌が、尖った耳が、雄弁に私が魔族であることを物語っています。
ですが存外に驚愕した様子は見せず、ともすればまるで安堵、はたまた歓喜の表情を浮かべているようにさえ見えるのは私の気のせいでございましょうか?
まあ、華や覇気や実力というものはこれから覇道を進むのなら嫌でも身につくものです。今はこの想定外の事態に驚かない胆力だけでも及第点と致しましょう。
この先本当に魔王様として君臨できるかどうかは、全てこの方次第ではございますが。
* * *
緊急事態だ。
俺は今、生まれて初めて誰かに必要とされている気がする。いや、お迎えにあがったというくらいだ。気のせいでは無いだろう。
相手が魔族であることなど今はどうでもいいので思考の隅に置いておくとして、更に重要なのは相手が美人であることだ。それもかなりの!
決して美人を相手にすることに慣れていない訳ではない。そもそも、俺が声をかけるのは美人ばかりだ。
だがどういう形であれ相手の方から積極的に接してくる状況とあれば話は変わってくる。自慢じゃないが、そんな経験は生まれてこの方一度もないのだ。
慣れない現状において俺は次なる手をどう打てばよいものかと考えあぐねていて、食事に誘うか趣味の話をするか、散らばる思考に、つまるところ、率直に言えばテンパっている。
一つ気合を入れて深呼吸、邪魔な思考をええいと取り除き落ち着いてみる。
そして閃いた。挨拶だ!何をおいてもまず大事なものは挨拶だろう。ええと、この人の名前はなんだったか。
目の前の美人と初めて会った時のことを思い出す。1年前のことではあるが、好みの女性に関することは直ぐに思い出せるのが俺の良いところだ。
「オリガちゃん!だったよな?」
魔族の領内で相当に珍しい、それも敵の本拠地である魔王城に於いては唯一人間の言語を話せる魔族であり、かつ初めて会った時に丁寧に自己紹介をしてくれたものだから、今でもその名前は憶えていた。
もちろん、記憶に残るような美人の名前は一度聞けば忘れはしないがな。
さて、俺が名前を呼ぶとどうしたものか、彼女は存外びっくりした様子で俺の顔を見やる。
「覚えていらっしゃったのですか?」
「そりゃ勿論。こんな美人のことは忘れないさ」
それは同時にフラれた相手を忘れることが出来ないということでもある。
「大体1年ぶりくらいか?久しぶりだなあ」
「お久しぶりでございます。魔王、いえ、アマデオ様」
思考の端に置いてきた疑念が再び湧き上がってくるのを感じた。流石に二度も魔王と呼ばれたら無視は出来ない。なんだって俺のことを魔王と呼ぶのか、と尋ねようとした言葉はしかし、それ以上の衝撃にかき消えた。
「名前!!」
自分でも驚くほどの大声が出て、オリガちゃんは僅かに身を竦ませる。
「ああごめん!いやでも、驚くよなあ。
よく俺の名前なんか覚えててくれたよなあ」
「あぁ、いえ。先代魔王様に仕えていた時、皆様のことはよく調べておりました故」
なんだ、そういうことか。どうやら俺に気があって、という訳じゃないらしい。残念だが順当な理由だ。
確かに俺含む勇者パーティは魔族の長である魔王に仇をなす宿敵であり、その魔王の側近を務めていたらしきオリガちゃんが敵のことを深く調べようとするのは当然であると言えよう。
いや、だが、そうなると──。
その先を考えるより早く後ろに飛び退き、腰の鞘から剣を引き抜く。片手でそれを構えると同時に左手には盾を持ち、なんということだ!
安全な街中を練り歩くだけの予定だったせいで、今の装備は軽い革のベストとショートソード、バックラー。とてもじゃないが魔族を、それも魔王の元側近を相手取れる武装ではない!
そう、目の前の美人は容姿に騙されることなかれ、魔王の元側近であり、俺が勇者パーティの一員であることを知る数少ない内の1人。だとすれば魔王を討った敵の前に現れた理由はただ一つ、主の仇討ちに他ならない。
しかしこんなところで簡単に死んでやる訳にはいかない。モテずに終わってたまるものか!
盾を前方に構え首元を隠し、剣は突きの姿勢。間合いを取りながら警戒を続け、さて逃げるべきか戦うべきか思索する──が、オリガちゃんは一切微動だにしていない。
「そう警戒なさらないで下さい、危害を加えに来た訳ではございません」
殺意も敵意も全く感じさせない、あくまで自然体のまま彼女は言った。近づいてくる訳でもなく、こちらの様子をじっと観察している。
「私の目的は始めに言いました通りでございます。
魔王様──アマデオ様を、次期魔王候補としてお迎えにあがりました」
三度目の正直とでも言おうか、ようやく自分が魔王と呼ばれている現状を心が重く認識しはじめた。
思考が回る。突然現れた魔族。相手は魔王の側近であり、挙句には俺のことを次期魔王候補などと称している。全てが怪しく疑念に満ち、警戒する理由はあれど信頼に至る要素は何一つありはしない──ありはしないが、それでも俺は武器を収めた。
それを見たオリガちゃんは、呆気に取られたような顔をしている。自分で警戒するなと言っておきながら唖然とするその様子が少し可愛い、ではなく、可笑しい。
自分自身の緊張を解す意味も込めてわざとだらしなく身体を崩し、警戒を解いたことを知らせる。
「いやまあ、正直に言えば全然何言ってんのかわかんねえんだけどさ。
こんな往来で話すことでもなさそうだし、とりあえず場所変えようぜ、オリガちゃん」
努めてとぼけた風に言う俺に、理解したのかしてないのか、オリガちゃんは呆けた顔のまま小さく頷く。
理屈や常識で考えればありえない行動だと言われるかもしれないが、そんなことはどうだってよかった。
イイ女の言うことは無条件で信じるのが俺の信条だ。その結果振り回されることになったとしても、それがイイ男の条件ってもんだろ?
それに、こんな美人の驚いた顔を1日に三度も見れたってだけで、俺にしちゃあ上出来だ。
* * *
祭りの準備で町が賑わっていたのは僥倖だった。
オリガちゃんと俺の作った──というよりは、俺が一方的に警戒していただけであるが──一触即発の空気も喧騒に流れ、大した騒動にもならずに済んだからだ。
オリガちゃんが魔族であることを多くの人に知られれば混乱は免れず、こうやって落ち着いて話すことも出来なかっただろう。別に多少なら構いやしない。どうせ今のご時勢、人間の領地で魔族を見たなんて話は誰も信じやしないだろうしな。
俺達は場所を変えると決めたあと、すぐさまオリガちゃんに再びフードを被らせてその場を離れた。特に騒ぎになっていないことを遠目に確認してから、俺の行きつけの酒場に向かった。
魔族領と隣り合わせるバルリング領でもとりわけ魔族領に近いこの街フォルトは、人間側の領地の防衛線として大きな役割を持っている。大陸中からありとあらゆる腕自慢の猛者達が集まる大規模な軍事都市だ。
当然飯屋や酒場はそういう連中が好むような店ばかりである。素早く提供される大量の安い料理を酒で胃袋に流し込むのが奴らの流儀だ。
だが農村産まれで戦士としての心根を持たない俺にはどうやらそういう気質は合わないらしく、ゆっくりと食事のとれる場所でなければ落ち着かなかった。
俺の行きつけの酒場はまさにそういったところで、質のいい、この街にしては手の込んだ料理と旨い酒を、腰を落ち着けてしっかりと味わうことが出来る。宿屋は兼ねておらず、兵士や傭兵というよりは商人や町民が好んで利用する店だ。とは言っても所詮は戦う男の町である、小洒落た雰囲気は全く無い。
酒場に入ると、空席が目立った。日が落ち始めるにはまだ少しあるが、昼飯時はとうに過ぎている。酒を飲む客の姿も無く、ちょうど空いている時間だった。話をするのには最適と言えよう。
俺は週の半分以上の食事をここで済ませる常連客で、いつもはカウンター席に座ってマスターと談笑などを楽しむのだが、今日はそういう訳にはいかない。珍しく店の端の方の席に向かった俺を訝しんだのか、マスターがじっと顔を見つめてくる。次いで隣にいる美人──とはいってもその容貌はフードとローブによって殆ど隠されていて、顔がちらりと見えるだけだ──に目をやって、大仰に驚いてみせた。
確かに昨夜はフラれた愚痴を零したばかりだし、俺がモテないのを俺の次ぐらいに知っているのがマスターだ。ある程度驚くのは無理もないが、常連客にその態度は少しばかり失礼じゃないか、おい。
とりあえずマスターは無視だ。端の席に腰掛け、オリガちゃんにも席を勧める。改めてオリガちゃんと正対すると、フードの隙間に見える美しい顔立ちに圧倒され、警戒とは少し違う緊張が交じり始めた。
だが俺は努めて平静を装って話しかける。がっつく男が嫌われるという事実を、数多の苦汁をなめたおかげで俺はよく知っているのだ。
「ここの料理はこの町にしちゃ結構ウマいんだ。
それでも男世帯の汗臭い町だから、店は汚ねえし大味なもんばっかりなんだけどな。
悪いとは思うけど、こういうとこしか知らねえんだ。ごめんな」
こういう時に小奇麗な店を選ぶなりという繊細な気遣いが出来る男の方がモテるのだろうが、生憎人間というものは普段やらないことが出来るようには出来ていない。この日の為にしっかりと下調べをしていなかった自分を心から恨んだ。
「お気遣い頂き、恐縮でございます。
ですがお構い無く。私達の町や文化と比べれば、何処も遥かに素敵に見えますわ」
そういって彼女が少し口元に笑みを作ったのがフードからちらりと覗けば、あまりの可憐さに俺は卒倒しそうに、ではなく、その様子から一切の敵意は感じられない。
いや、ここはいつもの調子で行ってもいいではないだろうか?折角念願とも言える美人との食事だというのに、いつまでも警戒していては勿体無いことこの上ない。
ここは俺の人生の大事な分岐点だ。このチャンスをモノに出来なければ、俺は二度とモテることなく生涯を終えてしまうかもしれない!
そう思って、俺は少しばかり肩の力を抜いた。
とは言ってももちろん、完全にリラックスすることが出来る筈も無かった。美人の前で緊張せずに居られる術があるのなら、今すぐ誰かに教示願いたい。金なら払おう、いくらでも出す。
席に着くと、そう間を置かずに給仕が注文を取りに来た。
俺はいつもの給仕──美人の従業員が揃うこの酒場で、何故か俺には絶対に男の給仕がつく。精悍な顔立ちによく映える、爽やかな笑顔がこの上なく憎らしい──にいつもの料理を頼むと、彼女も同じものを注文する。同じものをだ!
おいやべえよ!これってデートみたいじゃねえか、むしろデートそのものだ、オリガちゃんはやっぱり俺に気があるのかもしれない、いや、あるに違いない!昂ぶる気持ちを俺は必死に押さえつけようとしても、果たしてそれは無駄な抵抗である。せめて表面上だけは真剣な顔を取り繕って、本題に入ることにした。
「それで、ええと。何から聞けばいいんだろうな」
話を始めようとしてみたのはいいものの、余りにも理解の埒外にある情報が多すぎて要点を絞ることが出来ない。切り出してすぐに口を噤んだ俺を急かすことなく、オリガちゃんは穏やかな声色で言った。
「まず、突然押しかける形になってしまった非礼を心よりお詫び申し上げます。
混乱なさるのは無理もございません。どうか、ごゆっくりお考え下さいますよう」
これだけの会話の中にもいくつかの重大な違和感を覚えるが、その正体はわからない。
だがそこからなんとか糸口を得ようとして、
「なんつうか、そうやって畏まられると調子が狂うんだよなあ。そういうの、慣れてねえからさ。
もっと普通にしてくれた方が俺としちゃあありがたいんだけど」
とは言ってみたものの、それは違和感の本質から少し外れている。
「そういう訳には参りません。
私は一介の魔族であり、貴方様が魔王の座に就けば侍女になる身でございますので」
「そう、それだ」
思わず口をついて出た。
正しくそれこそが俺の違和感、疑念の最たるものであり、今最も明かすべき重要項目そのものだ。
「何度か俺のことを魔王って呼んでるけど、そりゃどういうことだ?
言っておくけど俺は魔族も亜人も混ざってない、純粋な人間だぜ」
「もちろん、存じ上げております。
しかしそれでも、私達にはアマデオ様を次期魔王候補として据えるに至った諸々の事情があるのです」
「そこの、諸々の部分を詳しく聞かせてくれ」
オリガちゃんは「ええ」と相槌を打ってから目を閉じてしばらく沈黙した。色々と思案しているのだろう、何か喋ろうとするように口を開き、やめる。そんなことを何度か繰り返して、ようやく言葉を紡いだ。
「アマデオ様の中には今、先代魔王様が残された”魔王の魂”、その欠片が存在しております」
そうやって彼女の口から飛び出した言葉は果たしてというべきか、またしても俺にとっては理解の及ばない遥か彼方のもので、だとすれば俺には半ば考えるのを諦めるように彼女を見つめ、その顔がいかに整った美しいものであるかを再認識するしか、成す術がなかった。