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誰が為に、何の為に 2

鬱パートはどうやら次で終わりそうです。

 魔王城近くでは、魔族領に入ってから初めて見る”町”と言える規模のそれが栄えていた。決してしっかりした出来とは言い難いが、それでも他と比べれば随分と立派な石造りの家が堂々と立ち並んでいる。その様子からは、魔族もやはり人族と同じように、高度な知恵を持つ種族なのだということが伺い知れた。


 人通りも多く活気づいていて、町からは賑わいと、それなりの華やかさを感じ取ることが出来る。人々の身に付けた衣服も──おそらく、そういったものもかつて人族領から奪い取ったものなのだろうが──人族が着るそれと何ら変わりは無い。


 俺とオリガちゃんは、この町唯一のパン屋から出てきたところだった。オリガちゃん曰く、食品を提供する店は、この町どころか魔族領でたった一つしか無いのだとか。


 劣等な小麦で作られたパンは風味も悪く、口の中の水分を根こそぎ持っていかれるような粗悪な品だ。飲み込んだあとも、舌の上にはざらつきと不快感が残る。だが魔物の干し肉に飽きた俺の心は充分に潤い、慣れたら案外イケるかもしれないな。


「流石に城下は栄えてるんだなあ」


「私が人間領で買い付けた食糧も、城の方で保管しておりますので。ここにいる人々が飢える等ということは、まずございません」


 心無しか誇らしげに言うオリガちゃんが堪らなく可愛い。思わず頭を撫で付けたくなったが、そこまで俺達の距離が縮まっていないことぐらいは理解していた。


「やっぱり食糧を領土全体に行き渡らせるのは難しいのか?」


「一応、めぼしい集落には充分な量を回したのですが……」


「ですが?」


「……全ての人々が満足できる程には、賄えませんでした。そして彼らは、その足りない分を求めて互いに奪い合ってしまうのです」


 歯切れの悪い口振りも納得の事実だった。今は魔族全体が手を取り合っていかなければならない時だというのに、ただでさえ少ない蓄えを巡って魔族同士で争うとは。


 人族と一口に言っても、人間族と亜人族は概ね仲が悪い。やはり魔族間にも、そういったいざこざがあるものなのだろうか。

 あるいは、そもそも略奪することでしか糧を得たことのない彼らからすれば、それは当然の行動と言えるのかも知れない。どちらにしても、なんとも救えない話だ。


「この町には、先代魔王様の時代から仕えていた兵士が幾分か残っております。彼らが此処を守ってくれるお陰で、城下に住む人々は、なんとか平穏に過ごすことが出来ているのです」


「なるほど、ね」


 町に入る際に目にした二人組の兵士を思い出した。一人は獣人族で、もう一人は鬼族だったか。鬼の方は金属製の鎧を身に纏っていた。

 訝しげにこちらを睨みつけながら、ともすれば襲われかねない雰囲気だったが、オリガちゃんが話をつけてくれたお陰でどうにか事無きを得た次第だ。それでも彼らは、最後まで俺に敵意を向けていたけどな。


 ここでは人間族は珍しい。そうでなくとも、ついこの間まで戦争をしていた、彼らからすれば今でも敵対している種族なのだ。警戒するのも当然と言えよう──だが俺は、彼らを含む全ての魔族を救ってやろうとしているのだ。だというのにその扱いは、無礼千万に尽きるとは思わないだろうか?


「おい見ろよ、あそこにすげー汚らしい奴がいるぜ!」


「本当だ!パンのゴミなんかを漁ってやがる!」


「しかも人間混じりじゃねえか、気持ちわりー!」


 随分と芝居がかった大げさな嘲笑に、一瞬自分のことを言われたのかと思って慌てて振り向いてみれば、どうやらそうではないらしい。俺達が立ち寄った大きなパン屋の脇、人目に付かない細い路地に、まだ幼くも見える三人の少年と、それに囲まれた少女の姿があった。


 十三、四歳頃だろうか。少女は少年達の罵倒を全身に浴びながら、それでも何か言い返すことも無く、または出来ずに、ただ黙って涙を流しながら、道端に捨てられた残飯を漁るのをやめようとはしない。


「おい、なんとか言えよ!黙ってんじゃねえ!」


「そうだ、そうだ!」


「この町はお前みたいな半人が居ていい場所じゃねーんだよ!」


 一層激しい暴言を吐く少年たちは、とうとう落ちていた木の棒切れを手に取り、少女の小さな身体を叩き始めた。少女の着ている服は、貧困層のそれと変わらない、ボロ布という言葉すら生易しいものだ。既に所々破れていたその布切れが、棒を叩き付けられる度に穴を広げていく。


「うっ!ぅ、ぐぅっ、ううぅ!」


 痛みに喘ぎ嗚咽をあげながらも、少年たちには目もくれず、身体中を土と泥に汚しながら、少女は一心不乱にパンの残骸を貪っている。その様子は、悲壮だとか悲惨だとか悲劇だとか、そんな言葉では到底表せるようなものではなかった。


「あれは、なんて酷い……!申し訳ございませんアマデオ様、少しあの子達を──」


 前に出ようとしたオリガちゃんを右手で制し、俺は少女の方へと向かって行った。薄い紫色の肌を隠す黒髪の隙間から、僅かに覗く赤い瞳孔が、こちらを見た、気がした。


「やめろ、お前ら」


「は?」 「うぇっ!?」 「なんだ、お前」


 言い放った俺に向けて、少年達は三者三様の反応を見せる。無垢な少女が一方的に嬲られているのを見て、黙っていられる訳も無い。


「聞こえなかったのか?やめろと言ったんだ」


 一回りも年下の子供達に対して大人気ないだとか、そんなことは既に頭から消え失せていた。いつの間にか廃棄物を漁る手を止めた少女が、恐る恐るこちらを注視している。

 

「お、おいどうするよ……」


「やべーんじゃねーの?」


 他二人が狼狽える中、リーダー格だろうか、短い茶髪に蒼肌の少年が、臆すること無く俺を睨みつけた。魔人族の中でも、蒼色の肌を持つ者達は高い魔力を持つ。ギラリと光る少年の眼光からは、そういった優れた種族の誇り、というよりも驕りが垣間見える。


「あんた、人間混じりを庇うつもりかよ……お?」


 リーダー格の少年は悪びれもせずに言葉を返す最中、俺の姿を見て何かに気付いたようだ。一切身を隠していない俺の、目と耳をじっと眺める。その色と形は、魔族のどんな種族とも異なるものだった。


「……こりゃ、驚きだ。人間だ。コイツ、人間だぞ!それも純血だっ!」


「おいっ、マジかよ!」


「やべーよ人間だ!殺される!」


 声高らかに叫ぶリーダー格につられて、取り巻き二人も騒ぎ立て始める。全く、種族がどうだとか、心底くだらない話だ。


「そうさ、俺は人間だ。だが、それがどうした?」


 少なくとも、同族で傷付けあっている貴様らよりは、よっぽど魔族のことを考えている。人間の血が混ざっているだとか、そんな些細なことは関係無く、魔族全体のことをだ。


「俺は魔王だ。これから先、貴様ら全ての魔族を統べることになる」


 自分で言った”魔王”という言葉が、初めて重みを伴って聞こえた。


「は?」 「な、何言ってんだこいつ……」


「人間族が魔王、だって?何寝惚けたこといってんだ、お前」


 リーダー格の少年は尊大な態度で毒づく。手に持った木の棒で肩をとんとんと叩きながら、双眸には敵意を滲ませている。


「ここには人間なんて必要ねえよ、人間混じりもな」


「痛っ、ああうっ!」


 嘲り笑うリーダー格が勢い良く振り下ろした棒が、少女の背中を強く打ち付けた。不意に走った痛みに、少女は一際甲高い悲鳴を上げる。


「俺の親父は魔王軍の兵士だった。そして人間に殺された。俺だけじゃねえ、この二人も、いや、この町に、いや、北の大地全体に!そういう恨みを持ってる奴がいるんだよ!」


 叫びながら棒を振り回す、その先端が俺の頭部に直撃した。浅く割れた右額から血が流れ出るのも構わず、俺は真っ直ぐに少年の目を見据える。

 

 北の大地。魔族領のことをここではそう呼ぶらしい。確かにここに住む魔族達は、種族を問わず皆が人間族を、そして人族を憎んでいるのだろう。

 だがそれを言えば俺だって同じだ。魔族に殺された戦友の数は、両手では数え切れない。彼らに滅ぼされた村で生き延びた人々の、怨嗟の声を胸に抱いて戦ったこともある。


「てめえなんかに、自分のことしか考えてねえ、矮小な人間族なんかに!魔王なんて大役が、務まるわけねえだろうが!お呼びじゃねえんだよ、てめえも、こいつも!」


 再び振り上げた棒が少女に向かう前に、俺の右手がそれを止める。少年が力を込めて腕を動かそうとするが、その程度でどうにかなるような腕力差では無い。


「ならばどうする、少年。この俺が魔王となることが、気に入らないのだろう?まさか口だけと言うことはあるまい。であれば、矮小な人間族とは違う、高尚で誇り高い魔人族様は、どうしてくれると言うのだ?」


「やめっ……!はな、離せよっ、畜生ッ!」


 握りしめた少年の細い手首が、ギシリと軋む。その瞳の奥には、深紅に染まった双眼で、鋭い犬歯を剥き出しに、歪な笑顔で嗤う俺の姿が写っていた。額の傷は、既に塞がっている。


「さあ、どうする、少年!」


 一体俺が何の為に、命を賭けてまで魔族領に来たと思っている。この俺が貴様らを、種族など関係無く、全ての魔族を救ってやろうと言うのだ。だというのに貴様らは、同族で醜く争い合い、あまつさえこの俺に牙を向けようとは!全く救えない話だ、心底救えない奴らだ!


  煮え滾る憎悪に灼かれた俺の、全身の毛がゆっくりと逆立ち、身体中から噴き出す殺気が、周囲を黒く歪ませた。




「あ、あのっ!」


 少年達が尻尾を巻いて逃げ出したあと、立ち去ろうとした俺達を、先の少女が呼び止めた。


「たっ、助けていただき、ありがとうございましたっ」


 深く頭を下げた少女の薄紫の素肌には、所々鱗が生えている。ということは、ナーガ族と人間族とのハーフなのだろう。小汚い格好に似合わず、しっかりとした教育を受けて来たように思える。両親はどうしているのだろうか、と思ったが、それはきっと聞くべきでは無い。


「お前の為では無い」


 あまりにも低俗な罵りに嫌気が差しただけだ。努めて短く言う俺に、しかし少女は何度も礼を重ねた。


「貴女、少しいいかしら」


 今度はオリガちゃんが少女を呼んだ。自分の近くに寄った少女に手渡すのは、魔族領の貨幣、荒い作りの銀貨三枚。


「こ、これはっ、こんなっ!いけません、施しなんて、私っ!」


「これは施しなどではないわ。貴女、名前は?」


「ソ、ソーニャと申します」


 慌てふためく、ソーニャと名乗った少女の目をじっと見ながら、オリガちゃんは穏やかな口調で語りかける。


「ではソーニャ。私の隣にいる方は、新しく魔王となられるアマデオ様。魔族領を平和へと導いて下さるこの方に、協力して欲しいの。魔王様の配下となるには、もっと良い服が必要でしょう?」


 確かにその通りだ。擦り切れ果てたボロボロの布切れからは、少女の幼い素肌が垣間見えている。もはやまともな衣服としていないそれでは、この土地の寒さは堪えるだろう。

 オリガちゃんは自身のローブを脱ぐと、少女に着せてやった。


「でも、私には、そんなっ!だって私は、人間混じりでっ」


「アマデオ様は純粋な人間族よ。それでも私達のことを想って力を尽くして下さっている。それとも、人間族の血が半分しか流れていない貴女には、何も出来ないかしら?」


「──っ!……い、いえ。できます、やりますっ。私に出来ること、どんなことでも、お手伝いさせて下さいっ!」


「それで良い。そのお金で身なりを整えなさい、残った分は好きに使っていいわ……それから──」


 しばらく逡巡した素振りを見せた後、オリガちゃんは意を決したように言った。


「……それから。貴女のご両親は、立派な方々だったわ。誇りに思いなさい」


「っ!……ほ、本当に、本当にっ、ありがとうございます!」


 いつまでも礼を言い続ける少女を背に、俺達はその場を後にした。




「申し訳ございませんでした、アマデオ様……。私、あのように勝手なことを」


「知り合いか?」


「いえ、直接は。ですが、あの子の母親は魔王軍の優秀な呪術師でした。その縁で少しだけ」


 高く聳える城壁までの道のりには、それなりに舗装された街道が伸びていた。靴底が石造りの床をコツコツと叩く音が耳に懐かしい。


 魔王軍に呪術師として仕えていたならば、その母親はナーガ族だろう。確かに紫色の肌の上には、僅かではあるが鱗が垣間見えた。であれば父親が人間族か。どんな経緯で産まれた子供なのかは知る由も無いが、人間族の血が混じった少女は、あのような迫害を何度も受けてきたに違いない。


「ですので、見るに見かねてしまいまして……」


「そうか」


 一歩後ろを並んで歩くオリガちゃんは、俺の様子を伺うようにしながら喋っている。


「……あの、お怒りになられましたか?」


「いいや?どんな手段であれ、どんな者であれ、今は手駒が増えるに越したことは無いさ」


「そう、ですか……」


 黒を基調とした禍々しい城の正門へ辿り着くと、街道はそこで途切れた。門の両脇には、鎧を身に着けた魔人族の兵士が一人ずつ立っている。


「オリガ様、お疲れさまです!」 「敬礼!」


 規則正しく敬礼を行う兵士達の動きは、統率のとれた、よく訓練されたものだった。しかしオリガちゃんにはそうした礼儀を尽くす傍ら、俺に向けるのはやはり怪訝な表情である。


「オリガ様……大変失礼なことを申すようですが、この人間族が本当に──」


「黙れ」


 どいつもこいつも同じようなことを。いい加減もううんざりだ。オリガちゃんが言葉を発するその前に、たっぷりと威圧感を込めた視線を送ってやると、兵士は口を噤み、身を竦めて固まった。


「何か文句があるならいつでも聞いてやろう。ただしその時は、自分達の首が刎ねられることを覚悟しておけ」


「…………ッ!」


 軽く脅しをかけただけで異論を飲み込む兵士達の、なんと他愛無いことか。呆けるオリガちゃんを目で急かし、俺達は城門を潜って、重たい門扉を押し開いた。大凡一年振りの、懐かしき我が城だ。


 かつて戦う力の無い魔族達を駆り立てて造らせた巨大な城は、魔王という存在の権力の強さを象徴している。広い城内は余り清掃の手が回っていないのだろう、そこら中に埃が舞っていた。まあ今はそれでも構わない、これから配下を増やして行き、ゆっくりと掃除をさせてやれば良いのだ。


 とは言え、三階にある玉座の間や、更にその上の寝室などもこの調子では困り物である。そこだけは早急に清潔にさせなければ。

 一階の食堂や厨房、応接間、それから地下牢等は後に回してもいいだろう。二階の兵舎に関しても、今は使う者達がいる訳でも無い。

 規則的に並ぶ柱に施された装飾も、随分と剥がれ落ちて来ている。またドワーフ族の職人を捕まえて彫らせなければなるまい。


 俺が城の内装に目を配っていると、ドタバタと忙しない音を立てながら、二匹の小人がオリガちゃんに駆け寄って来るのが見えた。


「ご主人っ!お待ちしておりましたぁ!大丈夫ですかっ、人間族に酷いことされてないですかっ?」


「……お帰りなさい、ご主人様」


 小人の正体はゴブリンだった。長い金髪をなびかせる一匹は、いかにも満足そうな顔でオリガちゃんの身体に顔を埋めた。緑色の髪で目を隠したもう一匹の方も、頭を撫ぜられて気持ちよさそうに目を細めている。


 ゴブリンは鬼族の眷属である妖精だが、勤勉で手先の器用な彼らは、人間領でもその姿を見かけることがあった。魔族領から捕獲された彼らは、広く奴隷や小間使いとして扱われている。


「ただいま、ドゥヴァ、トゥリー。随分と待たせてしまって、ごめんなさいね」


 彼らをあやすオリガちゃんの表情は穏やかなものだ。たかが奴隷に対して過ぎた褒美だ、とは思ったが、それが彼女のやり方だと言うのであれば、否定はしない。


 ただし、奴隷と言ってもそこまで酷い扱いを受ける訳ではない。ドワーフ族にとってのノームや、エルフ族にとってのシルフと言うような、眷属の妖精種を持たない人間は、他種族の妖精を飼うことがままあった。

 魔族ではあるものの、小さな体躯のおかげで危険は無い。更に、相手が誰であれ、主人に仕えることを至上の喜びとするゴブリン達の気性は、そんな人間達にとって都合が良かった。


 この城でも同じように使われているのだろう。手近に雑用を任せられるものが居ると、何かと便利だ。彼らは名前を持っているようだが、それは特別扱いを受けているのではなく、単に個体を識別する為の符号に違いない。そのことは、名付けの法則が示している。それにしても、だ。


「数字のドゥヴァトゥリーか。随分と安直な名前だな」


「ええ、何分この子達は数が多かったもので……?」


 疑問符を浮かべた間抜けな顔のままで、オリガちゃんは静止している。それに構うことなく、オリガちゃんの服にしがみつく二匹が、もっと構えと彼女を急かした。


「ご主人、ご主人っ!トゥリー頑張りました、お城をいっぱいお掃除しましたよ。褒めてくださいっ、ドゥヴァよりも、いっぱいいっぱい、綺麗にしました!」


「ボクも、頑張ったよ……トゥリーがサボった時も、一人でやったもん……」


「あ、え、ええ……ちょっと待っててね」


 そうしてゴブリン達がけたたましく騒ぎ立てる中、オリガちゃんは俺の顔をじっと見つめ、やがて口を開いた。


「あの……アマデオ様?」


「何だ?」


「何故、魔族の数字の数え方を、ご存知なのですか……?いえ、それだけではありません。先程の、ソーニャの時などは、魔族の言葉を話しておいででしたが……」


 そこで俺はようやく自分が魔族語を解していたことに気が付いた。各種族の使う地方言語では無く、魔人族を中心に伝わる、魔族の公用語だ。


 確かにかつて勇者一行として旅をした時、魔族領を訪れたことはある。が、魔王城を真っ直ぐに目指したあの時は、大した期間滞在していた訳ではない。何よりも、全ての魔族と出会い頭に戦闘をしていたのだ、言葉を覚える暇など、ある筈も無かった。


 この城にしたってそうだ。一年前にオリガちゃんから案内を受けはしたが、それも応接間と、魔王が居る玉座の間に通されただけである。だというのに、俺には城の内部全てに関する、詳細な記憶があった。


「アマデオ様?」


「あ、あぁ……いやあ、ナハハ。なんでだろうなあ」


 笑って誤魔化せる問題では無かった。

 ──混ざり始めているのだ。俺の意識に、魔王の意思が、記憶が、入り込んでいる。


 どこからどこまでが自分の思考であるのか、それすらも解らず、だとすれば一体どうやって抗えばいいのだろうか。姿の見えない敵を相手に剣を突き立てる訳にも行かず、またそれが出来たところで、俺一人の力では魔王に遠く及ばない。


 最早天辺が見えない程に山積みになった問題が、更に重ねられてしまった。だとしても、俺には負けることなど許されず、いや、誰の許しが必要だと言うのだ。そもそも、恨んでいた筈の種族の為に、どうして俺はここまで必死になっているんだっけ──全てやめてしまえば、楽になると言うのに。


「埃だらけじゃない、これではきちんと掃除が出来たとは言わないの!」


「ご、ごめんなさい、ご主人、ごめんなさいっ、怒らないでぇ!」


「……だからもっとちゃんとやろうって言ったのに……」


 ゴブリン達を叱りつけるオリガちゃんの声は、音を立てて崩れていく俺の自我に、果たして、届いていたのだろうか。それすらも分からないまま、剥離した意識が、どこか遠くで自分の姿を眺めていた。

一章完結まであと二話か三話か、どうにか早く終わらせたいところです。

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