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はじまり

 笑い声と怒号とが混ざり合って一つの喧噪を奏でるのが酒場の常である。特に魔族領と隣接するバルリング領は、その立地から兵士や傭兵が多く集まる場所だ。そこにある酒場は殆どがそういう性格をしていた。


 緊急時の対応力を高める為に食事は手早く済ませられるものが主流で、質より量を重視したそれと、あとは酒さえあれば言うことは無い。更に極力面倒を減らす為に、そういった場所は大抵が宿場も兼ねている。

 しかし決して兵士や傭兵が人口の全てを占める訳ではない。市民、農民、商人など、荒事を好まない人種も少なからず存在した。彼らが利用するのは専らもっと落ち着いた雰囲気の店だった。


 この酒場はどちらかと言えば後者に属する。領内の他と比べれば聞こえる喧噪も比較的穏やかで、その殆どが談笑からなっていた。そうした場所に集まる者は大体が金と心にある程度以上の余裕を持つ者ばかりだ。


「気に入らねぇ!」


 だが何事にも例外というものは付き物だ。一人の男が木製のジョッキを激しく叩きつけながら叫んでいる。中に注がれたエールが勢いよく周囲に飛び散り、叩きつけられたカウンターを汚した。隣に座る他の客が迷惑そうに男の方を見やる。しかし今の男に周囲は見えていない、そんな視線などお構いなしだった。


「どうして俺はこんなにモテねぇんだ!!」


 男はヤケになったように残りのエールを一気に飲み干し、口元についた泡を乱暴に拭うともう一度ジョッキを叩きつけた。男の正面、カウンターの対岸に立つ酒場のマスターが、困ったように眉尻を下げて飛び散ったエールの水滴を拭く。


「まぁまぁ、アマデオ君。どうか落ち着いてください。女なんて、星の数ほど居るじゃないですか」


「星には手が届かねぇだろうが!!」


 気をつかったつもりのマスターの言葉も、今の男にとっては火に油を注ぐようなものだった。アマデオと呼ばれたその男が、自身の短い茶髪を掻き毟りながら喚く。少しだけ垂れ目がちなその双眸には既に生気が無かった。

 深く考えずとも明らかに迷惑な酔い方をしていて、ともすれば営業妨害ともなりかねないアマデオが追い出されなかったのは、単にアマデオが酒場の常連、しかも上客であったからに他ならない。


「どうすればモテるんだよぉ……教えてくれよ、マスター……」


 一転して今度は泣きそうな声でアマデオが言い出した。上体をカウンターにだらしなく預け、顔だけをマスターに向けている。上目遣いにマスターを見やるその様はまるで哀れな捨て犬のようだったが、決して庇護欲をそそるものではなかった。


「すみませんねぇ。私も、色恋沙汰にはとんと縁が無いもので」


「嘘つけぇ!狙ったように美人ばっかり従業員集めやがって!

 あ、そうだ、従業員でいいや。紹介してくれよぉマスター」


 どう対応したものかと考えあぐねたマスターは、自身の横にいる女性の従業員に視線を向けた。目があった、と思ったのは一瞬のことで、すぐに視線を逸らされた。こちらに話題を振ってくるなと、その横顔が何よりも雄弁に語っている。

 この酒場の接客方針は2つ。"お客様は神様と思え"そして"触らぬ神に祟り無し"だ。そんな接客方針を忠実に守っている優良な従業員に無理をさせる訳にも行かず、また、彼女は店の看板娘である。アマデオの相手を任せていい理由は、どこにも無かった。


 誰にも気づかれないように小さくため息をついた後、マスターはすぐに接客用の笑顔に戻り、男の方に向き直る。色恋沙汰には縁は無いが、それでも傷心中の気持ちくらいはわかるつもりだ。アマデオが酒を飲んで荒れる時は、いつもフラれた直後だということをよく知っていた。


 ──今日くらいはとことん付き合ってやるか。


 しかしせめて、その頻度が月に1度程度になれば楽なんだがなぁ。心の中でそう思いながら再び深い溜息をつくマスターの胸中を知ってか知らずか、アマデオは明け方まで飲み続けた。



 * * *



 最悪の目覚めだ。誤魔化しようのないくらいの二日酔いで、頭痛が警鐘のようにけたたましく鳴り響く。


「ちっくしょう……飲みすぎた……」


 昨晩いつもの酒場に飲みに行ったことは覚えてるんだが、飲み始めてからの記憶が殆どない。重たい頭を手で支えながら起き上がろうとしてみれば、身体中のどこを探しても立ち上がれるほどの力は残っていなかった。諦めて再びベッドに四肢を投げ出す。今日はもう起きてやるものか。1日中寝て過ごしてやる!


 そうやって半ば不貞腐れながら横になったところで、眠れる訳ではない。そういう時は決まってやること、というより出来ることがない分色々なことを考えてしまう。そして俺は思い出さなくてもいいことを思い出した。昨日のことだ。


 街が沈みゆく夕日に染められ幻想的な雰囲気を醸し出す、その全貌を見渡せる丘。彼女をそこに呼び出して隣に座り、2人でそれを眺める。考え得る限り最高のシチュエーションである。だが、俺が真に見惚れているのは勿論、彼女の横顔に他ならない。


「シェリー。起きてから寝るまでの君の一日を、常に俺に守らせてくれ」


「アマデオ君は生理的に無理」


 断るまでに一瞬の躊躇いも無かったね。


 鮮明に再生された記憶に、ふつふつと怒りが込み上げてくる。

 ちょっと、いや、かなり顔が良いから、あとスタイルも良いからって調子に乗りやがって。いや、更に性格も良いかもしれない。どこか色気のある困ったような笑い方も魅力的だった。よくよく考えると調子に乗っているのではなく、彼女は自身を正当に評価していただけなのかもしれない。

 だとしても、簡単に納得してしまうことは俺のプライドが許さなかった。


「モテる為に必死にやって来たのによぉ……誰も見向きもしやがらねぇ。

 俺、結構イイ男だと思うんだけどなぁ」


 誰もいない部屋で虚空に向かって独りごちたのは、まだ酔いが残っているせいだろうか。晴れない気持ちと冴えない頭を、どうにかしてすっきりさせたい。気分転換に、自分が今までしてきた努力を振り返ることにでもしよう──



 始めは故郷の兵士だったな。故郷の為、民衆の為に戦う男はモテる!そう思って始めた兵隊稼業も、何の意味もなかった。

 一兵卒である俺には誰も見向きもせず、村の女性人気は教会の騎士様が全部持っていきやがる。俺の故郷の領土で一番の腕前とされる騎士様は美形だったもんだから、その人気は猶更だった。


 俺に惚れる女がいない町になんて未練はねえ!とばかりに故郷を飛び出して、今度は各地を気ままに旅しながら傭兵を始めた。世界を股にかける器のでかい男になろうとして、毎日毎日死にもの狂いで戦ったもんだ。

 だけど女性のピンチに都合よく遭遇するとかそういったこともなく、戦い続けるだけの日々はただ孤独だった。それならばと行く先々で知り合った女性をナンパしたりはしてみたが、結果は全滅。


「俺はいつかこの世界中に名を轟かす程の男だ。

 今のうちに俺の女になっとくのが、賢い選択ってやつだぜ?」


 俺の決め台詞だった。口説き文句として最高傑作である自信があったんだが、反応は散々なもんだ。鼻で笑うか、馬鹿にするか、無視。せめて返事くらいはしてくれてもいいじゃないのよ。


 そうして何年も過ごしていたが、結局世界に名を轟かせるような立派な兵士や傭兵にはなれなかった。

 腕っぷしも中の上程度だし、モテないのに戦ってても面白くないし、そろそろ傭兵もやめちまおうか、なんてことを考えていたちょうどその頃。魔王を討伐する為に旅をしているという勇者パーティが、俺の居た町にやって来たんだ。


 勇者パーティの回復担当、僧侶ファビオラちゃんとの初めての出会いもその時だ。全てを包み込んで癒してしまうような慈愛に満ちた笑顔と、ゴールドの髪を毛先まで滑るように流れていく太陽の光が神々しい、天使のような女性である。むしろ天使だ。ファビオラちゃんこそはこの世に顕現した天使そのものであるに違いない。つまるところ、人間と呼ぶには余りにも美しすぎるファビオラちゃんに俺が一目惚れをしたのは最早当然のことであると言えよう。


 思わず声をかけて、2秒で告白した。そしてフラれたが、それも当然である。何故なら彼女は天使だからだ。きっと天界の掟だとかそういった類のものがあり、人間と添い遂げることは出来ないと決まっているんだろう。こればかりは仕方がない。だが、いつか俺と彼女の幸せの為にも、その掟は変えてやらねばならん!


 おっと、少し脱線したか。

 さて、俺は勇者とファビオラちゃんに出会って、それだけ。本来なら一介の傭兵である俺と勇者一行との邂逅はそれで終わっていたんだろう。だが、そうはならなかった。

 ファビオラちゃんは余りにも美しすぎて、それから俺の脳内はずっと彼女のことでいっぱいだった。今はまだ付き合えなくてもいい!しかしせめて、せめて彼女の傍にいられる方法はないだろうか!?

 その時、閃いた。ビビっときたんだ。最早それは天啓と言ってもいい。これだ、これしかない。

 

 勇者一行に付いて行き、共に魔王を倒す!


 そうすればファビオラちゃんともずっと一緒に居られるし、もしかしたら旅の途中で俺に惚れてくれるかもしれない。いや、むしろ惚れさせてやるのだ!そう決意した俺は早速旅の支度を整えて勇者一行に志願し、その後の旅に、多少強引にではあるが同行することになった。


 だが計画はそれだけではない。俺にはもう一つ、大きな目的があった。

 俺が魔王を討ったとなれば、今まで俺をフって来た世の女性は自分の過ちに気付くに違いない。そして、こう思うのだ。


「あの時なんであんなに素敵な方を振ってしまったのかしら……」


とな!


 だが今更俺の魅力に気付いたところでもう遅い!何故なら魔王を倒した俺様は、絶対にモテているからだ!


 そう、モテたかったのだ。俺はどこまでも純粋にモテたかった。ファビオラちゃんにも、その他大勢の美人にも、はたまた美人ではない全ての女の子にも。

 その為だったら、命を懸けて魔王と戦うのだって怖くはなかった。いや、少しくらいは、むしろ大分怖かった気もするが、これから先モテずに生き続けるより、モテる為に死んだ方がマシだ。俺は本気でそう思っている、今も。


 そうやって命の危険を冒して──実際、死にかけた回数は1度や2度では済まなかった──正に必死の思いで魔王を倒したっていうのに、結局、誰一人として俺に振り向いてくれる子は居なかった。。


 このまま俺は、誰にも求められずに生涯を終えていくのだろうか。今まで俺がしてきたことは、一体何だったんだ……。



 ──と、ここまで考えて気付いた。これでは何の気分転換にもなりゃしない。それどころか、自分で傷口を広げている気さえする。

 これはいかん!と気持ちを切り替え起き上がろうとしてみれば、今度はすんなりと身体を起こすことが出来た。どうやら酔いも少しは抜けてきたらしい。


 とはいえ気持ちは依然として晴れないままである。今度こそはどうにかしてこの鬱屈とした気分を払いたいところだ、新しい方法を考えなくては。


 町へ繰り出して新しい出会いを求めるか、それとも再びやけ酒でも煽るか……。いや、やけ酒はいかん。ただでさえ酷い二日酔いを更に悪化させてしまうだけだ。


 ああでもない、こうでもないと考えながら狭い部屋をうろうろしていると、ふと窓から聞こえる喧噪が気になった。昼間だというのに随分賑やかで、楽しげな音が聞こえる。

 何かと思って窓から外を覗いてみれば、どうやら祭りの準備をしているらしい。町人が飾り付けや席の用意、告知の張り紙なんかをしている姿が見える。この町でこの季節に行う祭りなんて果たして何があっただろうか?


 まあなんでもいい、この気分を払拭できるものなら、その内容が何であれ関係なかった。祭りの気配はきっとこの嫌な気持ちを全て吹き飛ばしてくれるだろう。そうと決まれば善は急げだ。俺は簡単な身支度を整え、安宿の部屋を後にした。



 * * *



 完全に失策だった。今すぐにでも宿に戻りたい。

 だが踵を返したところで俺の心の傷が癒えることはないだろう。これが後の祭りという奴である。実際の祭りはまだ先だが。


 本格的な冬の到来を間近にして行われるのは、魔王討伐から1年を記念した祭典。"六英雄感謝祭"とも言われる、街どころか大陸中の国をあげての大祭だった。

 街を行き交う人々の面持ちは明るく、足取りは軽い。一週間後に控えた祭りの準備をしながら、またはそれを眺めながら民衆は笑い、言葉を交わしている。

 勇者率いる"六英雄"への感謝や賛辞、羨望。細部は違えど、彼らの喋っている内容はそれらが殆ど全てを占めていた。


 命をかけて魔王を討伐したと称えられる"六英雄"。その中に、俺は数えられていない。


 勿論そのこと自体を知らなかったわけではない。勇者パーティの一員であることを聖王教会に認められず、褒賞すらまともに受けられなかったのも一年前の話だ。当時こそ憤慨したが、今となっては──今朝のように思い返したりしない限りではあるが──気にすることなどありはしなかった。


 だが、昨日フラれたばかりの俺に対して、その事実は止めを刺すのに十分すぎる殺傷力を持っていた。あまりの不幸の連続に泣きそうになったが、どうやら昨日の酒場で涙も枯れ果てていたようだ。この公衆の面前で泣かずに済んだのだけは不幸中の幸いと言ってやってもいい。


 だけれども、モテたいという一心で命を張り、実際に世界を救った俺に対してこの仕打ちはあまりに酷いのではないだろうか。いや、間違いなく酷い、惨い。残虐とすら言っても過言ではないだろう。

 勿論、俺が出来たことは六英雄達と比べれば微々たるものだ。そもそもあいつらは人間の埒外の存在であり、あくまで常識的な人間である俺とは格というより次元が違う。

 しかし、それでも俺は並の人間には到底できないことをやってのけたつもりである。だというのに、俺はモテない。一向にモテる気配は無い。


「少なくとも、さぁ」


 誰にともなく、俺は呟いた。


「誰かに一言くらい、ありがとうって言われたかったよなぁ」


 俺が魔王討伐に参加していたことは、極一部の限られた人間しか知らない。しがない一介の傭兵に過ぎない俺がそれを人に話したところで信じて貰える筈もなく、だとすれば俺は一体何のために命を賭けていたのだろうか。

 今更のように胸を抉る事実は、度重なる不運に打ちのめされて既に満身創痍となっている俺の心にとって到底耐え切れるものではない。


 人格も努力もその上存在まで否定さえ、俺は最早何もかもがどうでもよくなってしまった。陰鬱とした気持ちが足元から徐々に這い上がり、気力を根こそぎ奪い去られていくようだ。


 深い絶望の底に腰まで浸かれば、全身を気怠さと寂寥感だけが支配する。頭の中は真っ黒に塗りつぶされ、最早思考を巡らせることすら億劫でしかない。途方もない広がりを見せる暗闇にどっぷりと浸された心は悲鳴を上げることすら出来ず沈んでいく。どうしようもなく膨らんだ虚しさはやがて全身を包み。

 そして、それは激しい憎悪に変わった。


 どす黒く燃え滾る怒りは頭を沸騰させ、だがその矛先をどこに向けていいのかもわからず、だからこそそれは全てに向けられた。俺をフった女達。俺を馬鹿にしてきた奴ら。俺を認めない世界。

 悉くが憎く、何もかもを──そうだ、何もかもを破壊してしまえばいい──破壊してしまいたい衝動に駆られる。

 限りなく肥大化する憎悪に──身を任せて、目に映る全てを殺し、壊せば──まるで頭を乗っ取られてるかのような。


 命令を一切受け付けなくなった思考は散り散りになり、その憎悪に支配されて──


「ようやく見つけましたわ」


──いこうとする最中に、その声はよく響いて俺に届いた。

 残り少ない全身の気力をかき集めて声の方を向けば、どこか見覚えのある美人が視界に映る。


「お迎えにあがりました、魔王様」


 この女性が魔族であることだとか、魔王の根城で姿を見たことだとか、自分が魔王と呼ばれたことだとか。少し考えればいくらでも湧き出そうな疑問は全部どこかに吹き飛んで、俺の胸に残った思いはただ一つ。

 俺を必要としてくれる人は、此処に居た。

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