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緋巫女


 その瞬間、柔志狼の首筋のうぶ毛が沸き立った。

 腐臭を縫うように微かに漂う、甘い麝香の香りが鼻腔をくすぐる。

 柔志狼は弾かれたように、左へ大きく跳んだ。

 躱しざまに、膳を引っ掛けて倒したのは果たして偶然か。

 直後、柔志狼の残像の残る空間を、何かが奔り抜けた。


「出やがったか」


 膝立ちになり振り返った柔志狼の顔が、ぶちまけられた膳を見て、安堵に緩んでいたように見えたのは、これまた偶然か。


「うぬ」


 厳座が眼を見張る。

 それはいかなる妖異の術なのか。

 固く閉じられた障子から、体半分。

 黒い烏帽子。

 濡れたように艶やかな髪。

 白い水干。

 閉じた障子からまるで生えてきたように、巫女の姿があった。

 その手には三間以上有る、槍のようなものが握られている。

 いや、そうではない。槍と違い、その先には三日月のような大きな鎌がついていた。

 柔志狼の首筋を襲ったのは、これに間違いがない。

 妖しげな巫女は閉じた障子を透り抜け、血の様に紅い打袴に包まれた下半身までも露わにした。


 今宵は薄曇りの朧月――――

 行燈の灯が消え部屋の中は、障子越しの僅かな月明りのみ。

 にも拘らず、その姿をはっきりと見ることが出来るのは、妖巫女自身が、朧気に光を発しているからだった。


「成程――こりゃあ“人三化け七”だな」


 柔志狼がどこか嬉しそうに呟く。

 だが眼前の妖巫女からは、瘴気や邪気と言ったものは感じられない。

 むしろ、刃のように張り詰めた凛々しさすら感じられる。


「って言うか――どこが醜女なんだよ」


 にやりと、柔志狼の頬が緩む。

 すっと、眼前に立つ妖巫女、細面で眼つきは鋭い。

 だが、薄幸を思わせる線の細さと陶器のような肌は――――


「凄ぇ別嬪じゃねぇか」


 五尺五寸の柔志狼より高い背丈に、陰間を疑いたくもなる。


「わたつみの結界を打ち破り、秋津島に踏み込みし邪なる|禍津神《

まがつかみ》の眷属よ。早々にこの神州より立ち去るが良い」


 だが、玲瓏としたその声音は、柔志狼に姫神を確信させた。


「その物言い、この地に住まいし古のものか」


 厳座の、腐った魚のような眼が怒りに揺れる。


「あんっ?」


 柔志狼が眉間に皺をよせ、二人を交互に見つめる。


「外つ神域より彷徨い出し、邪なる禍津神に使えし雑魚よ――――“ひひいろかね”にて打ちし我が神剣にて、黄泉比良坂の彼方へ押し返して見せようぞ!」


 強靭な意志を秘めた裂帛の叫びと共に、巨大な鎌が唸りを上げた。


「我らが尊き神“くとゅりゅぶ”の復活、貴様などに邪魔などさせようか!」


 突如、厳座が柔志狼の首筋を掴んだと思いきや、二〇貫(約七五キロ)はある身体を片手で放り投げた。


「なんならぁ!」


 これには柔志狼も意表を突かれた。 

 なす術も無く宙を舞う柔志狼に向かって、妖巫女の巨大鎌が襲い掛かる。

 柔志狼に逃げ場無し――――と思われた瞬間。


 ちゅぃん!


 金属音が響くと、柔志狼が宙を転じ畳の上に降り立った。


「危ねぇ危ねぇ・・・・・・」


 瞬間――――咄嗟に懐から取り出した苦無で、柔志狼は巨大な鎌を受けたのだ。

 だが所詮は苦無。まして足場の無い宙で受け切れるわけがない。

 刃と刃が刹那に交差すると、一瞬で苦無が砕かれた。

 しかしその一瞬こそ、柔志狼の欲したもの。

 刃の交差の瞬間を足場に、体を躱したのだ。


「後はお頼み申しましたぞ、葛城様ぁ」


 振り返りもせず、厳座が襖の奥へ消えていく。


「お、おい手前ぇ――――」


 厳座を眼で追う柔志狼。

 そこに妖巫女の鎌が、容赦なく襲い掛かる。

 畳を転がり、柔志狼は大鎌を紙一重で躱す。


「“いんすまんす”に組する社鼠(しゃそ)なる者よ」


 刃を打ち鳴らしたような澄んだ声音が、柔志狼の耳朶を打つ。


「飲酢饅頭?不味そうなものを・・・・・・」


 柔志狼が露骨に顔をしかめる。


「訳の分からん事言いやがぁ――――おぉっ」


 頭上を横なぎにする鎌に、寸前で身を屈める。


「おい、人の話を聴けって!」


 大の男でも取り扱いに難儀する程の大鎌を、妖巫女はまるで扇の様に軽々と振り回す。

 だがそれは、掠めただけで畳を削り、梁を砕く。

 妖巫女の振るうそれは、斧鉞の一撃にも勝る破壊の暴風。

 触れる者を黄泉へと誘う死の舞だった。


「駄目だこりゃ」


 堪らず、柔志狼は障子を突き破って、中庭へ飛び出した。

 奥の障子を木端の如く吹き飛ばして、妖巫女も夜気に躍り出た。

 そこへ、店の者だろう。長ドスや刀、銛などを手にした男衆が十人ほど集まってきた。

 いずれも劣らず、厳座のような蛙とも魚ともつかない面相の輩ばかりである。

 その中には、先ほど柔志狼が帰りかけた時に廊下に居た二人の姿もあった。

 彼らが武器を構え、妖巫女を取り囲む。


「いんすまんすの眷属どもよ、夜露と散らしてくれようぞ」


 妖巫女の紅く形の良い唇が、くいと持ち上がった。

 それを見て、取り囲む男どもに一瞬の緊張が走る。


「じぃぃゃ!」


 その時、妖巫女の背後の男が、三叉に割れた銛で突きかかった。


「愚か也」


 妖巫女が鎌を一閃――――池の脇にあった石灯籠を叩いた。

 まるで破裂したかのように燈籠が砕け、銛を持った男に向け石礫が飛散する。


「――ぎゃぶっ」


 一際大きな石が、男の額に直撃。

 鯛が潰れたような顔が朱に染まる。


 ひゅん――――


 と、妖巫女の死の舞踊が男の首を刈り取った。

 自分の身に何が起こったのかも分からず、首から血を噴き出し、男の身体が倒れていく。


「やっ、殺ぇ!」


 叫んだのは、先ほどの鱶のような顔をした男だった。

 そこからは一瞬だった。


 ひらり――

 ひらり――――


 妖巫女が美しく舞う度に、三日月のような鎌が煌めく。

 その度に、魚面をした頭が鞠と踊り、夜気に朱い華が咲き乱れる。

 いつの間にか、中庭の池が真っ赤に染まっていた。

 僅か一瞬で、十人はいた男たちは声を上げた鱶男一人を残すだけとなってしまった。


「・・・・・・あわぁ――あぁ――――」


 感情を窺わせなかった鱶男の身体が、小刻みに震えていた。

 両手で握る数打ちの刀が、切っ先も定まらず大きく振れている。


「おい、蔵はどっちだったかな?」

「――――くっ、くっ蔵?あっ、あっち――あっちだろ!」


 飄々とした問いかけに、鱶男が顎先で左を示した。


「やっぱり、あれか」


 柔志狼がその方を見ながら、鱶男の横に並んだ。


「えっ?」


 鱶男が落ち着かぬ眼で、妖巫女と柔志狼を忙しなく見つめる。


「教えてくれた礼だ、変わってやるよ」 


 ひょいと、鱶男の手から刀を奪うと、そのまま男を池に着き落とした。


「本意じゃないが――――こいつで相手させて貰うぜ」


 柔志狼が刀を青眼に構えた。


「付き合って貰うぜ」


 柔志狼がにやりと笑った。


「禍津神に与せし社鼠なる者よ――――愚昧なるその御魂(みたま)、ちはや振りて祓い清めたもう」


 妖巫女が颶風と化した。

 ひらりと、袖をはためかせながら、大鎌が白い弧を描く。

 黒鉄の三日月が、血塗られた地面より浮き上がり柔志狼を襲った。


 ちゅぃん――――


 柔志狼の手にした刀が、大鎌を弾く。

 交差した鋼から火花が弾けた。


「おぉう――――」


 妖巫女の口から感嘆の溜息が漏れる。

 弾かれた勢いのまま独楽のように回ると、妖巫女は大鎌を一閃。

 柔志狼の頭上から振り下ろした。


「吩!」


 鋭い呼気と共に、柔志狼がそれを弾く。


「|なかなかに武士(もののふ)よのぉ――」


 妖巫女の唇が、くいと吊り上る。


「されば、これはいかに受ける!」


 口元の紅が伸びた。

 そうではない。

 妖巫女の唇の両端が三日月の様に吊り上ると、ぱっくりと裂けたのだ。


「勿体なっ!」


 思わず、柔志狼が見当違いな言葉を漏らす。


「いざ!」


 唇が大きく裂け、喜悦に打ち震えるその様子は、獲物を前にした白蛇の様であった。

 鞭のようにしなり、大鎌が柔志狼を狙う。

 その豪槍とも斧鉞とも思える一撃を、柔志狼はいとも容易く捌く。

 だが、大鎌は止まらなかった。

 凶刃は吹き荒れる嵐の様に、柔志狼を襲う。

 途切れることなく襲い来る大鎌。

 それを、絶妙の剣捌きで柔志狼が受ける。


「おぉぉ――――」


 その見事な剣捌きに、妖巫女の瞳が恍惚に輝く。


「ふふん」


 柔志狼がにやりと笑う。

 だが――所詮は安物。数打ち刀の悲しさか。

 手の中の刀の限界が近いことを、柔志狼は敏感に感じ取っていた。

 それを見て取ったのか。

 妖巫女の攻撃が圧力を増した。


「ちぃ!」


 大鎌を捌きながら、柔志狼が左に奔った。

 好機と見たか。妖巫女が舞うように鎌を振るい、柔志狼を追う。

 激しく打ち合う刃の嵐と化した二人の先には、鱶男の指示した蔵があった。


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