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葛城 柔志狼


 くつくつと、ひどく鰓の張った頬を揺らして、海木蛇厳座(うみきだごんざ)は嗤った。

 海木屋は、伊勢町掘の塩河岸の外れにある海産物屋だった。

 北は蝦夷地より昆布を仕入れ、南は土佐の方より魚を仕入れると言う。

 蝦夷より仕入れる昆布はともかく、魚を土佐より仕入れるなど、法螺話も甚だしいと思われるが、腐らせぬよう、干物として運んでくるらしい。

 その際に天日に干し、秘伝の調味液に漬けこむのだそうだが、これがなんとも旨いと、たちまちに評判になった。

 元々は天秤を担いで売り歩いていたらしいが、今ではそれなりに使用人を抱え、立派なお店を構えている。

 近々、どこぞの大名屋敷に御献上するとの噂もあった。



 薄暗く陰々滅々とした部屋だった。

 障子越しに月明りが照らすでもなく、細々と行燈が照らすだけ。

 季節は初夏に差し掛かろうというのに、部屋の中は冷たくじっとりと湿気だけが高く、なんとも息苦しい。


「で、俺に何を頼みたいと言うんで?」


 諦めにも似たため息交じりに、葛城柔志狼が頭を掻いた。

 墨染の着物に黒い革袴。

 髪は髷は結わず短く刈っている。

 山門に立つ仁王像を思わせる体躯ながら、その貌にはどこか愛嬌がにじみ出る。

 岩のような身体に胡坐をかき、困ったように首を傾げた。

 なんとも参った。

 柔志狼の生業は『万荒事屋』を称する。

 切った張ったの刃傷事から、果ては憑き物落としに妖怪幽霊(まじな)いごとまで。

 事の表裏問わず、荒事退治を生業としていた。

 そんな柔志狼に仕事を頼むと呼びだして起きながら、先ほどから、厳座は眼前に並べた膳を進めるばかりで、一向に本題に入ろうとしなかった。

 確かに、高級そうな器に盛りつけられた料理は、贅を尽くしたももてなしなのだろう。

 艶やかに脂ののった白身の刺身や、海木屋自慢の逸品と噂の干物らしきもの。

 浅蜊や蛤とは明らかに違う、妙に鮮やかに輝く見たことも無い形をした二枚貝の入ったすまし汁など・・・・・・

 本当ならば、胃袋を刺激する旨そうな匂いを漂わせているのだろう。

 だが、それもこれもこの場では台無しだった。

 柔志狼は堪らず、指先で鼻を擦った。


「どうかされましたかな?」


 そんな柔志狼を、瞬きもしない眼で厳座が見つめた。

 床の間を背にし、正座をしている。だが、顔を前に突出し、背を丸めた姿は蝦蟇が蹲っている様であ姿を思わせる。

 その低い頭の向こう――床の間に、厳座に良く似た蛸か蝦蟇のような石像が置かれていた。

 商いの守り神とでもしているのだろうか。柔志狼には見覚えがないが、丁重に飾られているのが伺える。


「いや、別に――」


 別にどころではない。

 柔志狼と厳左の居るこの座敷、なんとも堪らなく臭い。

 鰯や鯖の腐ったものに、鍋で煮詰めた海水ぶっかけてすり潰したように生臭い。

 妙にしっとりと湿った畳など、押せば腐水と共に匂いが湧きだしてきそうである。

 干物を作る際の秘伝の調味料のせいだと厳左は言うが、まともでは無い。

 それこそ“くさや”の比ではないのだから、味が格別だと言われれば、そういうものかと納得してしまいそうになる。

 だが、入梅前の湿った空気と相まって、その臭さときたら、鼻腔からすりこ木を突っ込んで、かき回された様な痺れを感じさせる。

 しかし百歩譲って、異臭は良しとしよう。

 だが眼前に座り、瞬き一つもせず腐った魚のような眼でじっとこちらを見つめる厳左を前にしては、流石の柔志狼も食欲の“し”の字も湧いてこない。

 ずんぐりと肩にめり込んだような頭部は、猪首というよりは蛸が眼の前に座っている様だった。

 瞼の薄い、魚とも蛙とも思わせる眼つき。

 灰緑色をした肌は、ぬめっと湿っぽい。

 まるで髷を結ったおたまじゃくしが、羽織小袖を着て座っているようで、不気味を通り越して滑稽ですらある。

 そんな姿を見ていると、膳の上の料理が厳左の身を切って作られたのではないかと疑いたくもなる。


「葛城様は、実に慎み深い方なのですな。ですが折角のもてなし、箸の一つも付けないのであれば、些か失礼とも思いませぬか?」


 鰓の張った顎をひくつかせ、正論で痛いところを突く。


「い、いや・・・・・・仕事の話を聴かぬうちから振る舞いを喰ってしまっては、断りにくくなるので」


 と、思わず正論で返す。


「お断りになると仰いますので?」

「断るとは言ってない」

「では、お引き受け下さると?」

「引き受けるとも言ってないだろ」

「では、何故そこまで頑なな態度を――――」

「おいおい、頑なもクソも無いだろ。肝心の依頼の内容を、俺はまだあんたの口から一言も聞いて無いんだぞ。それで引き受けるも何もないだろうが」


 柔志狼が厳座を睨みつける。


「おや、そうでしたか?」


 口をぽかりと開け、呆けたような態度で惚ける。


「ちっ」


 濁った水に手を突っ込んで探っているような、なんとも感情が読み取りにくい相手に、柔志狼は辟易した。

 分かったと、柔志狼は徐に立ち上がった。


「帰らせてもらう」


 と、厳座に背を向けた。


「お待ちください」


 と、慌てた様子も無く声を掛ける厳座を尻目に、障子を開ける。

 すると、咽かえるような磯の匂いが更に濃くなり、障子の両脇に店の使用人が二人、蹲るように控えていた。

 膝を着き控えてはいるが、ちろりと柔志狼を見上げるその姿は、主人と同じような猪首ならぬ魚首。

 鱶と鱏のような顔をした下男が、感情の読み取れぬ顔で柔志狼を値踏みするような眼で見上げている。


「葛城様、分かりました。お話いたしますのでどうかお座りくださいませぬか」


 障子を閉め、振り返る柔志狼に向かい、


「お食事は、依頼を聞いてもらってからでようございますから」


 厳座が丸い眼を、ぎょろりと向けた。





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