ミノタウロス
翌早朝。
味付きの液体でパンを胃袋へ流し込んだ俺たちはダンジョンの中へと足を踏み入れた。
そして人気のない場所まで移動して、立ち止まる。
「ここら辺でいいだろう。鈴森」
「はい?」
「まず確認すべきなのはお前のスキルだ。ステータスを読み上げてくれ」
「えっと……結界魔法。何者にも侵入を許さない、めちゃ硬い結界を作り出します。伸縮自在。術者の筋力に応じて硬くなります。また、一度に出せるのは一つまで。解除することで新たな結界を作れます。けど作ると疲れる……です」
相変わらずあいまいな説明だ。
「……けっこう制限があるな。とりあえず俺の周りに結界を張ってくれ」
「どうやって張れば?」
鈴森が小首をかしげる。
そんなこと俺が知るか。
「いや、俺に聞かれても……とりあえず念じてみたらどうだ?」
「やってみます」
と次の瞬間、俺の周りに透明な膜が張られた。まるでガラスのようだ。
「やった!! できました!!」
鈴森大喜び。ちょんちょん跳ねてる。
無視して、結界観察を始めた。
まず、内側から触れてみる。
感触はおととい外から触れたときと同じだ。ガラスのような見た目のくせして、鉄の壁かと錯覚するほどに強固な感触。どう頑張っても破壊できないだろうということが、触っただけで分かった。
外界と完全に断絶されている。
「鈴森、外から触ってみてくれ」
「はい」
鈴森が結界に手を触れる。
「すり抜けられそうか?」
「ううん。無理そうです」
「じゃあぶっ壊すとか」
「絶対無理」
なるほど。
どうやらこの結界は術者とそれ以外の区別なく、平等に効果を発揮するようだ。
「ありがとう。解除してくれ」
「えっと、念じればいいんですかね?」
「たぶん」
消えた。
どうやら魔法も念じるだけで使えるらしい。
じゃあ次の実験だ。
そのために必要な獲物を探して歩くこと数分。ゴブリンを発見し、その足の腱を切り裂く。そしてゴブリンの両腕ををつかんで押し倒し、その腱を断ち切る。
「な、何してるんですか……?」
「実験に使うんだ。そのために動きを封じてる」
答えながらキビキビ行動する。
キィキィうるさいのでついでに殴って黙らせる。一発二発……計四発もかかってしまった。俺としたことが。
しかし、おかげで静かになった。
「……罪悪感とかってないんですか?」
「ん?」
一瞬、質問の意味が分からなかった。
鈴森があわてたように付け加える。
「あっ、いっいえ責めてるとかそういうんじゃないんですっ! 生きるために必要だってこともわかるし、今は私のためにやってるってこともわかりますっ。
でも、もし私のために神津さんが無理してるなら、それはなんかやだなって」
罪悪感か。人間ならともかく、それ以外の生き物相手にそんなもの、感じるわけがない。
いや、ふつう感じるのか? これは異常なのか?
ならば取り繕わなければならない。ふつうであるために。
「ぎぃ……」とうめき声を漏らす緑色の子鬼を見下ろした。
醜い化け物だ。とても情など湧かない。
うまく演技できるだろうか。いや、難しいだろう。
ごまかすか。
「無理してるように見えるか?」
「いえ、平気そうです……」
「ならいいだろう。気にするな」
適当に言って、作業に戻る。
「でも本当は……」
「鈴森っ」
少し大きめの声で遮った。
鈴森がためらったことを確認して、作業を続ける。
「こいつの周りに結界を張ってくれ」
そう指示して、身動きの取れなくなったゴブリンから離れた。
鈴森はちょっとためらって、目をぎゅっとつぶった。直後、ゴブリンの周りに結界が張られる。
「そのまま範囲を狭くすることはできそうか?」
「や、やってみます」
鈴森は目を閉じたまま返事をした。そしてその目をさらにぎゅぅうっと瞑る。
しかし結界の形は変わらない。どうやら閉じ込めた魔物を圧し潰すことはできなさそうだ。
では伸縮自在とはどういうことだろうか。作るときに大きさが自由、という意味か?
「鈴森、もういいぞ」
「あっはい」
解除させる。
「じゃあ今度は、このゴブリンより小さい結界……だいたい胴体までを覆えるサイズのものを作ってみてくれ」
「えっ? はい……」
鈴森はよくわからないといった様子で、返事をした。
意味は分からなくていい。
もし俺の考えがわかってたら、鈴森は集中できないだろう。なんせこれが成功すれば、モンスターの首と手足がとぶことになるのだから。
しかし、
「だめみたいです」
予想は外れた。障害物があると結界が作れないのだろうか。
「それは残念だ」
「はぁ……」
「じゃあこいつをギリギリ覆えるくらいのを頼む」
「は、はい……」
今度は即作られた。
障害物がなければ、大きさは自由に変えられるらしい。
「じゃあ次は……」
「あ、あの……少し、休みが……」
鈴森を見ると、すごく疲れた表情をしていた。
しまった。結界魔法を使うと『体力』を消耗するんだ。
「すまん、忘れてた。そこに座れ」
「すみません……」
へなへなと崩れ、ぺたんこ座りになった。
俺も座るか。
隣に腰を下ろす。
「水飲むか?」
「ありがとうございます」
んくんく飲んでいる。
「ありがとうございました」
「ん」
鈴森から水筒を受け取り、俺も飲もうとして、止める。
この子は間接キスとか気にするのだろうか。
ちらりと様子を見る。しかしまったく気にしてはいないようなので、そのまま飲んだ。
「さて、疲れてるところ悪いが、ステータスを確認してもらえるか? 『体力』の値が知りたい」
「えっと……十四、点、三十四って書いてあります」
「ってことは一つ張るのに五ポイント消費するってことだな……」
五ポイントか……おとといの感触だと、三、四時間休まずに歩き続けるレベルの疲労だな。それをこの短時間で三回も発動してたのか。
実際には体感時間とか精神疲労とか様々な要因が絡んでくるから、厳密に言えば同程度の疲労ではない。けれどすごく疲れていることに違いはないだろう。
「もっと早く言えよな……」
「え?」
「すごく疲れるだろ、その魔法」
「えへへ、まぁ……」
鈴森はばつが悪そうに笑った。
なんかむかつく。ので、ほっぺを引っ張る。
「いひゃいいひゃいれすっ!!」
「ったく」
外してやる。
「らにするんれすかっ(なにするんですかっ)!?」
「なんとなくだ」
「らんれすとっ(なんですとっ)!?」
「とにかく、無理する前に言ってくれ、そういうことは」
油断すると、すぐ思いやりが消えてしまうから。不器用に作られたはりぼての感情は、ひどく薄い。
「えへへ」
「……にやにやするな。気持ち悪い」
「いひゃいっ!」
なにを都合よく勘違いしているのか知らないが、鈴森はご機嫌だ。気持ち悪い笑みを浮かべてる。
気に食わないので頬をもう一度引き伸ばし、会話を切った。
鈴森がだいぶ回復してきたところで、ステータスをいじくることにした。
なんかむしゃくしゃするから思い切り『運』を下げて、緑色のサンドバックどもでストレス発散しよう。
ついでに今の状態を確認していた時、気になるものが目に入った。
スキル
改造者
縮地法 LV1
縮地法。そういえばおとといの戦いで手に入れたんだった。
詳しく能力を知るため、詳細を開く。
・縮地法……三秒間だけ速く動けます。そのかわり疲れちゃうのでご注意を。
またもあいまいな説明だ。
疲れるってのは体力を消費するってことだな。速くってのがどれくらいかはわからないが、やってみるしかない。
そうと決まればさっさと準備を済ませよう。
スキル発動。
ステータス
体力 55:55
筋力 12:12
敏捷 17:15
運 15:15
昨日の夜に『体力』の値を高めておいてよかった。スキルの実験をするからこれくらいは必要だろう。
前回のこととギルドでの話を総合して考えれば、『運』が低いとモンスターとの遭遇率が高くなるってことで間違いない。
スキルを試すならなおのこと『運』は低いほうがいい。そうでなくても金欠で困っているんだ。できる限りたくさんのモンスターを倒しておきたい。
とはいえ、ゼロはまずいだろうか。『運』がゼロなんて人間は、この世界に存在しないだろう。
何が起こるかわからない。だけど、モンスターハウスでも平気だったし……ここは思い切ってゼロでもいいのでは?
『運』から十五ポイント引き、『筋力』に八ポイント、『敏捷』に七ポイントずつ振り分ける。
「鈴森、まずはそこにいて俺の戦いを見ててくれ。できる限りまねできるようにイメージしながらな。もし危なくなったら結界を張ること、いいな?」
「は、はい……?」
壁を背に腰を下ろしていた鈴森が、きょとんとした表情で返してきた。それを確認して、俺はナイフを手に取った。
数分後。
左の奥から大きな影が見えた。
「なっななな……」
鈴森がエラーした。と思ったら、
「なんですかあれっ!?」
復活した。甲高く囀る。
「ミノタウロス、じゃないか?」
「ミノタウロスっ!?」
牛頭が見えたので、そう判断した。
でも妙だな。確かミノタウロスは五階層のボスじゃなかったか?
近づいてくる。
それに従い、徐々にその概観が浮き彫りになってきた。
ごくりと、思わず生唾を飲む。
神話の怪物、ミーノータウロス。牛頭人身の怪物とされるが、目の前のそれはそんな生易しいものではない。
体長は二メートルを優に超えるだろう。
だが驚異的なのはそこではない。
シルエットだけ見れば肥満にすら見えるほどの巨大な筋肉を、全身に搭載している。
布きれしか装備していない状況でこんな奴に殴られでもしたら、一撃で全身の骨をもっていかれるだろう。
いまいち使い方のわからないスキルの試し打ちなんてしている余裕はない。
見ただけで分かった。脳内で、全機能へ備えろと指示を出す。
「逃げましょう神津さん!!」
「……いや、無理だ。俺はともかくお前じゃ逃げ切れない。俺もお前を担いで逃げられるほど速くはない」
くそっなぜこんなことに? 『運』をゼロにするとありえないことすら起こり得るというのか?
いや、ここまでリアルなゲームで、そんなことはありえないはず。
「後ろにもたくさんっ!?」
「ゴブリンか」
ミノタウロスは、まるで子分を引き連れるかのようにゴブリンを率いていた。
何匹いるかは分からない。
「鈴森、自分に結界を張れ」
「えっ? なら神津さんも一緒に……」
「そしたら誰があれと戦うんだ? いいから張れっ」
「いやっそんな……」
あぁ、もう。何ためらってやがるんだ。三人組のことがあるからか?
「お前が無防備だと戦いに集中できないんだっ!! ゴブリンの引付役として使ってやるからさっさと張れっ!!」
「前っ!!」
その声を聞く前に、俺は鈴森の表情から身の危険を察していた。
前を向いた瞬間、ミノタウロスが金棒を振り上げていた。
――やられる。
それはイメージだった。
体が、半分自動的に右方向への跳躍を開始する。
数瞬遅れて極太の金砕棒がその姿を消した。
振り下ろされたのだ。
理解した瞬間、金棒の地面を抉る音が耳朶を打ち、洞窟内に響いた。足元で発生したその音は、爆撃音に近く。その威力を雄弁に物語っている。
地面に転がり込み、即正対する。
ミノタウロスはなぜか俺だけを見ていた。
「大丈夫ですかっ神津さんっ!!」
「大丈夫だっ!! それより声を上げるな!!」
さっきの威力なら結界を破壊できてしまうかもしれない。そうなれば、鈴森は助からないだろう。
それは少々後味が悪い。なんせこの化け物がここにいる原因は、俺の浅はかな行動にあるのかもしれないからだ。
再びミノタウロスが金棒を振り上げ、襲い掛かってくる。
でかいがゆえに、間合いを詰めるのが恐ろしく速い。
俺が自然と身に着けた間合いの外。未知の領域から必殺の一撃が振り下ろされた。
しかし、動きは単調だ。
振り上げの向き、踏み込み、目線……それらが軌道を如実に語っている。
なんとか左へ転がり、躱す。
余裕はない。
足に金棒の風圧を感じた。
二度目の爆撃音とともに鈴森の悲鳴が響く。
すぐさま体勢を立て直し、後ろへ跳躍。
少しでも間合いを詰められたらおしまいだ。
とにかく遠くへ。
そして体勢を立て直さなければ。
だが、ミノタウロスの切り返しは速かった。
岩の地面に突き刺さった得物を引き抜きつつ、巨大な肉体を、そのはちきれんばかりの筋肉によって無理やり駆動する。
退くことで間合いを取るのは不可能だ。
再び間合いを詰めてきたミノタウロスを見て、確信した。
だとすれば迎え撃つしかない。
振り上げられた金棒を見る。
その向きから大体の軌道を予想した。
多少危険な賭けになるが、最悪はない。
退くのをやめ、ミノタウロスに向かって駆け出した。
一瞬、ミノタウロスが硬直する。
まさか向かってくるとは思わなかったのだろう。
しかしすぐに対応し、こちらの脳天めがけて得物を打ち下ろす。
予想通りの軌道。
打ち下ろしの前から動き出すことで、『敏捷』不足を補うことに成功した。
金砕棒の轟音が左の鼓膜を震わせる。
それを無視しつつ、前傾姿勢になって幾らか狙いやすくなっていた首筋へナイフを突き出した。
勝利の予感。
しかし次の瞬間ナイフから伝わってきたのは強い弾力だった。
まるでゴムタイヤに突き立てているかのようだ。
突き刺さったのは切っ先だけ。
急所まで届いていない。
パンパンに詰め込まれた筋肉がナイフの推進力を阻害したのだ。
ミノタウロスの雄たけびがすぐ隣で爆発した。
次の瞬間、遠心力とともに腹部に衝撃が走り、気が付くと俺は地面にぶち当たっていた。
はっはっと、荒い息を繰り返す。
強烈な嘔吐感と、呼吸困難に襲われた。
――立ち上がらなければならない。
脳がそうプログラムされているかのように、全身へ指示を伝達した。
危機的状況に、ようやく脳の働きが活性化してきたらしい。普段自覚できない事柄を、客観的にとらえ始めている。
起き上がる。
前を見ると、ミノタウロスがこちらに向かってきていた。思ったよりも距離がある。どうやら振り回され、弾き飛ばされたらしい。
ただ振り回した手に当たっただけでここまでぶっ飛ばされるとは、無茶苦茶な破壊力だ。早くいい防具をそろえないとな。
即切り替え、作戦を考える。
結果的に失敗はしたが、さっきの作戦は悪くなかった。もう一度同じところを突けば十分致命傷を見込めるだろう。
賭けだが、やってみる価値はあるな。
スキル『縮地法』発動。
瞬間、全身が熱くなった。ウォーミングアップをして体が温まった状態に近い。
面白いが、ぼやぼやしている余裕はない。
発動時間はたったの三秒だ。
ナイフを構え駆け出す。
「……っっ!?」
体が軽い。
それをまず感じた。
重力というものが消え去ってしまったかのような感覚。気が付くと一足飛びに五、六メートルの距離を埋めていた。
しかし、速すぎる。
予想をはるかに超える速度で近づいてしまったため攻撃態勢が十分ではなかった俺は、間合いを詰めたにもかかわらず攻撃に転じるのが遅れた。
――まずい。
全身に緊張が走る。
この間合いでの判断の遅れは、死に直結する。
死の瞬間、それは完全なる無だ。
それが――圧倒的なまでの無が、目と鼻の先にあった。
耳鳴りがした。
恐怖とともに、原初の記憶が呼び起される。
CPUがプログラムによって自動演算を開始するがごとく、脳が反射的にその能力の一部を解放した。
自覚的に制御してきたシナプス回路が、その抑制系をより上位の伝達系が解除することで発火を始める。
刹那の事象。
視覚的に認識されるはずのないそれはイメージとなって、客観的に一瞬で理解された。
ミノタウロスが左手をこちらへ突き出してくる。
脊髄反射によるものだ。
怪物の双眸は見開かれている。
脊髄反射――それは自身の身を守るための限界を超えた防衛措置である。
そんな動作が、ひどく緩慢なものとして映っている。
躱すのは容易だった。
スキルによって異常な速度で動いているはずの肉体を、指の先、細胞の一つ一つまで完璧に制御する。
右足を右斜め前へ送る。
紙一重で躱し、跳躍。
そして先ほどと同様に頸部を穿った。
ナイフは今度こそ根元まで突き刺さる。
そこを基点とし、ミノタウロスの胴体を足場に体を中空へ放り出し、捻りこむ。
ナイフが筋肉を引き裂いていくのがわかった。
そのまま化け物の巨大な背部へ両足で着地。
足を伸ばすことで短刀を引き抜き、宙返りして地面に降り立った。
ちょうど三秒経過。
体が熱を失った。
残りは有象無象だ。
鈴森の結界にかじりつくゴブリンの方を向いた。
処理終了。
「神津さんっ!!」
鈴森の声。
「だ、大丈夫ですか?」
こちらを見て、ぎょっとする。
「大丈夫だ」
「そ、そうなんですか……でも、なんか……」
「問題ない」
スキル発動。五分はとっくに経過していた。
『運』に筋力から五ポイント振り分ける。
「血が……」
「口内からだ。体内に損傷はない」
「損傷って……」
鈴森の声が消える。
静寂が訪れた。
平穏。
考えやすくなった。
今さっき起きた出来事をこの世界に来てから得た情報と照らし合わせ、客観的に解析する。
ミノタウロスは五階層のボスだ。
精肉店店主の証言から、それは間違いない。『五階層の』という言い方をしたのだから、すべての階層にボスがいるのだろう。
ミノタウロスが五階層からやってきたのだと仮定する。
その場合、人間でさえ迷う大迷宮を五階層分たまたま抜けられ、かつ四階層分のボス部屋を抜けてきたということになる。ボスがミノタウロスに攻撃を仕掛けない可能性もあるが、それは半々といったところか。
なにより、これだけしっかりしたゲームで、ボスが――それも次のレスト・スポットへ向かう際の最終関門である五階層の主がその役割を放棄するなんてバグ、起こり得るのか。
これらを考慮すると、あまり可能性が高いとは言えない。
次の仮定。
ギルドの受付の話にあった犯罪者による、人為的な攻撃である可能性を考える。
その場合、この世界にモンスターを手なずける手段が存在するかどうかがカギとなる。
調教師――モンスターテイマー、あるいは召喚士の類がいるなら、今回のはそれによる犯行と考えるのが自然か。
だとすれば、敵の狙いは鈴森だ。
俺たちには金も優れた武器もない。そんなこと、見れば一目瞭然だろう。快楽殺人の類でないなら、人さらいの線で考えるのが妥当だ。
加えて、ミノタウロスだけが俺を執拗に狙ってきたことも併せれば、ほぼ間違いない。
鈴森を囮にすれば、あぶりだせる。いったんこいつを一人にして、敵の反応を見るのがベストだ。
行動開始。
歩き出す。
「どこへ行くんですか?」
「今のは人為的な犯行だ。その犯人を処分する。危ないから鈴森はここで待っていろ」
「でもっ!!」
袖を引かれる。
妨害と判断。的確な処置を施す。
手を振り払う。
「きゃぁっ!!」
悲鳴。地面に倒れる音。
足を踏み出す。
「うっ、ひぐっ……」
すすり泣く声。
足が止まる。
「ひっ……置いて、かないでくらさい……一人に……しないで……」
何か聞こえる。
なぜか体が動かない。
「――捨て――さん――嫌――」
ノイズが走る。
声がよく聞こえない。
視界が砂嵐に覆われる。
次の瞬間、視界が真っ暗になった。
演じろっ!
偽物の意識が、かろうじて浮上する。薄い存在が、精一杯を振り絞り、抵抗してきた。
ノイズ。
目をぎゅっとつぶる。
これ以上はまずい。押し込めなければ。
意識して抗う。
ぐらつく。地面が確かでない。
強烈な吐き気、脳の奥を焼かれるような激痛。
耐える。ひたすら忍ぶ。
実際には数秒にも満たないわずかな時間だろう。しかしかなりの時間が経ったように思える。
ついに、異形を薄弱とした皮膜で包み込み、奈落へ沈下せしめた。
頭の奥から、熱が引いていく。視界に火花が飛び散り、まぶたの弛緩とともにじんわりとした心地よさが押し寄せる。
大丈夫。また演じることができる。
安堵し、目を開いた。
「うぅっ、ひぐっ……」
鈴森が、ペタンと座り込み、うつむいている。
小さな肩が震えていた。細い腕が、目をぬぐっているようだ。
――泣いている。
なぜか?
俺が突き飛ばしたからだ。
それだけじゃない。おそらくその時の俺の顔は、鈴森に恐怖を与えたはず。
フォローが必要だ。
「すまない」
「こうじゅ、さん……?」
鈴森が顔を上げた。短時間だったというのに、目じりが真っ赤になっている。うるうるとした目に不安がたまり、溢れそう。
「……興奮、してたんだ」
「戻った……?」
鈴森が呆けたように、口を小さく動かした。
「あぁ、落ち着いた。もう平気だ……立てるか?」
「えっ? あっはいっ」
手を差し出す。鈴森は差し出された手と俺の顔を交互に見て、手を握ってきた。
やっぱり、細いな。ちょっと力を入れただけで壊れてしまいそうだ。
慎重に力を込め、ゆっくりと引き起こしてやる。鈴森の顔が、やんわりと弛緩を取り戻していく。
「ありがとうございますっ」
一度目をぬぐい、もう笑顔になっている。不安の色はすでにない。
「……いや。……軽蔑、したか?」
黙っていればいいものを。気が付いたら余計な言葉が出てしまっていた。
これは甘えだ。
こんな弱い言葉が出たのはなぜか。もしかしたら、こいつのほっとした空気が伝播したのかもしれない。
ちょっと赤い目で、それでも笑みを向けてくる。
「軽蔑? しませんよ、そんなの。誰にでも、周りが見えなくなることってあるでしょう? ただちょっとびっくりしただけです」
「……そうか」
少し距離が開いたかな。
けれど相変わらずの、屈託のない笑顔。猜疑心のかけらも感じられない。
「行かないんですか?」
「あぁ、よく考えたら、この状態で戦うのは危ないからな。人為的ってのも確かじゃないし」
リハビリなしで急に能力を引き出した反動か、節々が痛い。それに頭痛が激しくて、とてもじゃないが、今はこれ以上戦えない。
敵はミノタウロスを従えるような奴だ。こんなコンディションでは見つけたところで返り討ちに会うのが関の山だろう。
手に震えを感じた。
震え? 鈴森から伝わってくる。
「も、もし誰かに狙われてたら……」
「もし敵がいても、俺を警戒して向こうから仕掛けてくることはないだろう。しばらくは安全だ。とりあえずギルドに行ってこのことを報告しよう。警備隊だっているんだ、そのうち捕まるさ」
何でもない、という風を装った。
「だといいですけど……」
まだ不安そうだ。けれどいくらか安心したらしく、震えは収まっている。とりあえずギルドへ行こう。
俺たちは引き返すことにした。
唐突に意味不明な戦闘描写が入りますが、ちゃんと意味はあるのでご安心ください。
決して作者がトチ狂ったわけではありません。