小さな女子高生
やわらかい。それになんだか、甘いにおいがする。
意識が戻った。その瞬間、抱いた所感。あまりに心地よくて、目を開けることさえためらった。
どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。体力の限界だったのだろう。
まだダルい。あぁ、目ぇ開けるのめんどい。
寝返りを打つ。
顔面が、やわらかい何かに突っ込んだ。
「あっ……」
頭上から、かすかな声がした。
甲高い。しかも近い。
ん? なんでやわらかい? ここは確かダンジョンの中だったはず。やわらかいはずがない。それにあの子は?
頭が急速に活動を再開する。
処理完了。状況を理解した。
女の子にどっか行かれちゃまずい!
がばっと起き上がる。
「きゃぁっ」
すぐうしろから、かわいらしい悲鳴が聞こえた。
振り返る。
そこにいたのは、あの少女だった。
お姉さん座りして、真っ白な頬を、ほんのり桃色に染めている。大きな目が、驚きでさらに真ん丸に見開かれていた。
驚くほどの透明感。改めて見ると、透き通るような美少女だった。
……これは、まさか。
プリティ・ガールと自分との距離を測り、次に彼女の姿勢を見る。
これはまさか、世に言うところの、ひひひ膝枕でしょうか!?
しかもこれは『横膝枕』だ。
太ももと垂直になるよう寝転がるそれは、いわゆる典型的な膝枕だ。
だが、この状態で頭の向きを行使者の方へ向けると、ふかふか下っ腹に、いや、下手すればふにふにゾーンにすら接触し得る非常にエロスな体位である。
では、ここからが重要な問いだ。
俺の敏感な突起物(鼻)がさっき刺激したのはどこでしょう?
下腹部が熱くなる。
「あのっ……」
「ザラァアアーーッキ!!」ゴキィイっ!! 母なる大地にど頭突きぃっ!!
「きゃぁあああっ!!」
即死魔法風味の叫び声をあげ自らに呪いをかけ、罰した。少女の甲高い悲鳴が耳に突き刺さる。
危ない危ない。もう少しでテントが設営されるところだった。
まったく、少しは自嘲というものを覚えなければ、ガールを怯えさせてしまう。
爽やかな(たぶん)笑顔を少女に向ける。
「ひぃっ」
怯えられた。小さな上半身を仰け反り、カタカタとかわいそうなくらい震えてる。大きな瞳は涙でいっぱい。今にもこぼれそう。
え? この笑顔、そんなに怖い?
傷ついた。
「えぇっと……」
やばい。どうしていいかわからない。
言葉が見つからず、沈黙がおりた。
少女は、それはそれは慎ましやかな胸の前で、細い指をもてあそんでいる。
『どうしよう』
そんな声が聞こえてきそうだ。
冷静になれ。こんなちんまい少女相手に、何をビビることがある?
落ち着いて話すんだ。
そう、俺は紳士なのだ。JのKだかCだか知らんがヒロインの一匹や二匹攻略できない俺じゃあない。
仕事が無い時やりこんだゲーム、そこで学んだ幾万通りのパターンの中から最適なルートを割り出した。
選択肢召喚。
・『怪我はない?』⇐ ピッ。
・『大丈夫?』
いざ出陣!!
「けっ、怪我は大丈夫っ!?」
「へぇっ!?」
ミスったぁあああ!!
『怪我はない?』を選択したはずなのに、どもった瞬間『大丈夫?』と混ざっちまった。しかも大声で威嚇するというオプション付き。さらっと爽やかにキメるはずだったのに。
あぁぁ、あんなに怯えちゃって。
距離がさらに開いた気がした。
くそっ早く挽回せねば。
選択肢召喚。
「『パンツ見せて』
『いい太ももしてるね』」
「はぁええっ!?」
声に出テーーーールッ!? いやもしかしてさっきも!? しかもなんでこんな選択肢だよ!? バグってんのか!?
一瞬ロングヘアがふわっと浮き上がるほどにびっくりして、少女の震えは止まった。
いや、止まったのではない、硬直したのだ。あまりの恐怖で。
あぁあああ……。
「あぁ、ええと、その、怪我はないか?」
おずおずと尋ねる。
「あっ、その、……だ、大丈夫です」
「そうか……」
たどたどしいことこの上ない。けれど一応、第一関門クリアだ。
しかし沈黙。
くそ、次どうしていいかわからない。
「あのっ」
こんどはあちらから声をかけてきた。
顔を向ける。
「助けてくださりありがとうございましたっ!!」ガスゥっ。
勢いよく土下座。額を地面にたたきつけた。
「あぅぅ……」
涙目で頭を抱えてる。
「えぇと……何やってんの?」
「かける言葉違ぅぅ……」
頭を押さえてうめいている。
かける言葉が違う。その通りだと思う。たぶん「大丈夫か?」ってかけるべきだったんだろう。
ん? そうなのか? 自爆だし、間違ってないような気もする。
「あっ、いっいえっ、すみません……」
納得いかないのが顔に出ていたのだろうか。謝られた。
「いや、なんかごめん……」
なんかってなんだよ。
「いっいえっ、さっきのは私がごめんなさいです」
頭を抑えながら、ぺこりとお辞儀。また謝られた。
そして沈黙。
というか、ここは危ないんじゃないだろうか。幸いモンスターはいないようだが、いつ現れてもおかしくない。
ステータス確認。
体力は残り五。寝たからか、多少は回復しているようだ。だけどこれ以上は見込めない。
移動しよう。
立ち上がる。
少女は不安げにこちらを見上げていた。
「来ないのか?」
「あの……ついて行ってもいいのでしょうか?」
遠慮がちに尋ねてきた。
一瞬考える。
この子は俺を利用しようとしているのだ。
魔物避けにし、地上についたところで「はいさよなら」なんてこともあり得る。それじゃあ命をかける甲斐がない。
いや、それなら……。
ひらめいた。
口元が緩まないよう注意しつつ、話しかける。
「……そうだな……君は戦え、ないよな……」
「い、いえっ何とかお役にたてるようがががんばりますっ」
「いや、無理するな」
「……うぅ……」
しょんぼりする。いいぞ。
「正直なところ、君を助けるのは命がけだった。
あれだけのゴブリンを相手に実質一人で戦いを挑むなんて、無謀もいいとこだったしな。しかもそのせいで、今俺の体力はほとんど残ってないんだ。君を守りながら移動するのは、リスクが高い」
「……そう、ですよね……」
少女がうつむいて、蚊の鳴くような声でつぶやく。
「そこでだぁあ!!」
突然の大声に、少女はびくりとして顔を上げた。
いかんいかん、興奮しすぎた。
ビー・クールだ、俺。
「条件がある。もし二人とも生きてレスト・スポットへ帰ることができたら、その時は……」
言い出しづらくて、ためらった。
「そのときは?」
先を促される。
勇気を持て、神津玲雄。ここで言わなきゃ、いつまで経っても夢を叶えられんぞ。
下界にいた頃、ついに叶わなかったエロ充生活(造語。エロが充実した生活の意)……甘ったるい青春……今が叶えるチャンスなのだ。
息を吸い込む。
「(膝枕してくれ)」
とても小さな声が出た。しかも早口。
「へ?」
「ひ、膝枕を、してくれ」
今度はちゃんと言えた。けれど少女は、ぽかんとしている。
まずい、引かれたか?
不安になる。
「……えぇと、そ、そんなことでよろしいんでしょうか?」
拍子抜けだ、とでも言いたげな顔をしている。
「い、いいのか?」
「も、もちろんですっ」
「よっしゃぁああ!!」
拳を上げ、高らかに吠える。
「ふぁっ!?」
「絶対だぞ? 契約だからな?」
仰け反る少女に追撃をかける。
「わっわかりましたっ!!」
なぜか敬礼を返してくる。
「契約書とかないけど、これは公的な契約だからな! 破れば豚箱行きだぞ!?」
「た、タイーホでありますかっ!?」
「あぁそうだ。だから破るなよ軍曹」
「ラ、ラジャであります!!」
少女は敬礼したまま、真剣な表情で頷いた。
よし、これで安心だ。そうと決まれば、さっさと行くか。
少女に向かって手を差し伸べる。
少女は俺の顔と手を交互に見て、一拍置き、おずおずと手を取ってきた。
細いのに、信じられないくらいやわらかい。慎重にその手を引っ張り、少女を立たせた。
「じゃあ、契約成立だ。俺は神津玲雄。これからよろしく」
「鈴森愛蘭ですっ。よろしくお願いしますっ」
ぺこりと、頭を下げてきた。
あぁ、疲れた。
小部屋を後にして、左右を確認。
さて、どっちへ行こうか。さっき来た道を戻って、もともと行くつもりだった分岐を進もうか。
いや、ちょっと待て。
鈴森は確か、ほかの野郎どもと一緒にいたはず。はぐれたのか死んだのかは知らんけど、出口を知ってるかもしれない。
「なぁ鈴森」
「はいっ! なんでしょうっ!?」
いいお返事。洞窟に響き渡る。
「いや、そんな気張らなくていいから」
「はいっ!」
「あとあまり声あげるな。モンスターが来る」
「すっすすすみませんっ!!」
一際大きく響き渡った。
「いや、あのな……」
話が進まん。この小動物、どうすればいいんだ。
ちょっと考えて、
「……まぁいい」
あきらめた。
話を進める。
「で、鈴森、出口がどこかわかるか?」
「出口ですか……すみません……」
申し訳なさそうに目を伏せる。
「だよな……いや、いいんだ、気にするな」
「すみません……なんとなくあっち側の方から来たってことしかわからないです」
ますますうつむいて、斜め左後ろの方を指さした。
「え? わかるのか、方角?」
「なんとなく、ですけど……」
「でかしたっ!!」
思わずその細い肩を叩く。
「ふぁっ!?」
鈴森は驚声をあげて仰け反った。
やった。これは予想外の収穫だ。方角さえわかれば何とかなるだろう。モンスター自体は大したことない。
手を放す。
踵を返し、左を向いた。
「あっちでいいんだな?」
「は、はいっ」
確認をとり、歩き出す。
うっすらとモンスターが近づいてくるのがわかったが、憂鬱にはならなかった。
歩きながら、様々なことを聞いた。
「高校生か?」
死んだのは、とは言えない。暗黙の了解だ。
「一年生です。神津さんは?」
「二十歳だ。部活とかやってたのか?」
死の原因なんてもってのほか。決して聞いてはならない。
「弓道です。まぁ一矢放つ前に召されちゃいましたけど」
鈴森がそう言って、てへぺろした。だいぶ慣れてきたらしい。
どうやらコミュ障とかではなくて、ただ怖がっていただけのようだ。こうして話してみると、案外饒舌だったりする。
ぺちゃくちゃ話すのを聞きながら、ぼぉっと思う。
高校一年生か。そんな若さでお陀仏とはかわいそうに。まぁ俺も似たか寄ったかだが。かろうじて成人してるだけましか。
趣味の人形作りの話を聞き流す。
あぁ、そういえば。
「男どもはどうしたんだ?」
「えっと、さっき私がいた小部屋で、たくさんのゴブリンに襲われてパニックになっちゃって……あの人たちは消えちゃいました」
「消えた?」
「はい。あの人たちはやられそうになったとき、手をつなぎました。そしたら急に光りだして、ぱっと消えちゃったんです」
「瞬間移動か」
彼らの会話を思い出す。
「しゅんかんいどう?」
「いや、あのゴボウ、じゃなくて細長いやつが持ってるスキルだよ。ダンジョンの入り口で話してるのを聞いたんだ。っていうか聞いてないのか?」
「いえ、聞いてはいたんですけど、その、それがなんなのかはわかんなくて……」
もじもじしている。
瞬間移動。
けっこうメジャーな単語だと思っていたけど、そうでもないのだろうか。意味だって字面の通りだし。
まぁいいか。
「瞬間移動ってのは、一瞬で遠くに移動できる技だ。テレポートっていえばわかるか?」
「おぉおーー! てれぽーと!」
納得できたらしい。歓声を上げている。
「でもわかんないな。なんで三人は君を置いて行ったんだ? 見た感じ、君、結構大事にされてる風だったじゃないか」
素朴な疑問。何気なく聞いただけだった。
しかし鈴森は顔を曇らせた。
「……私、役立たずでしたから」
まぁ、その点には同意だ。
でも、それだけじゃないだろう。かわいい女の子はいるだけでいい。無価値になどなるはずがないのだ。
俺がゴボウの立場だったら、真っ先にこの子を助ける。そしてそのほかの邪魔者を見殺……いかんいかん。
その先を待った。
「どうやったかはわからないけど、自分にだけ結界を張って、震えてるだけだったです。あの人たちが助けを求めてるのに。それで、愛想つかされちゃったんだと思います」
鈴森は顔を伏せた。
自分を責めているのだろうか。そんな雰囲気だ。
とりあえず慰めればいいんだよな、こういう時は。それにダンジョン内でめそめそされるといろいろとまずい。
もてる知識を総動員し、なんとか言葉を穿り出す。
「自分を責めるな。むしろ何もわからない中でよく自衛できた、と思う。誇りに思っていい」
気恥ずかしいというか、どんな顔をすればいいのかわからなかったから、前を向いたまま無表情を努めた。
「でも……」
「それにあの三人組は、たぶん君のことを見捨てたわけじゃない」
「へ?」
鈴森は小首を傾げた。
「結界魔法が張ってあったから、君を連れていけなかったんだ。たぶん今頃、後悔してる。もしかしたら、体勢を立て直して探しに来ているかもしれないな。そろそろそんな時間だろうし」
「そっそんなっ! 私が悪いのに……」
「君からすればそうだろうよ。でもあいつらからすればどうだ? いたいけな少女一人を死地に残して、自分たちだけでトンズラこいたんだ。悪いことしちゃったと思ってるさ」
「……それは」
「まぁ、俺にはわからないけどな。あいつらの人柄とかそういうの」
切る。これ以上言うべきかためらった。
言い過ぎか? どの口がほざいてるんだ。
そんなことを思った。
結局言葉は出ない。
「ありがとうございます」
「……別に、思ったことを言っただけだ」
とりあえず思惑は成功したらしい。
笑ってくれた。
話題を変えるか。
「そういえば、人形作りが好きなのに、なんで手芸部じゃないんだ?」
「なかったんです、手芸部。だからその次に気になってたというか、なんとなくかっこいいなと思ってた弓道部に……」
なんとなくで弓道部か。わざわざ茨の道へ足を踏み出すとは。
なんとなく、弓道部には厳しいイメージがある。
「なんとなくか」
「です。というか、ひどいと思いませんか? 手芸部がないなんて」
「え? あ、あぁ……」
その後は、高校への愚痴と人形作りへの執念を聞かされた。
てかそんなに好きなら手芸部ある高校行けよ、とは突っ込めなかった。勢い的に。
9月18日
変更点
・鈴森の髪型 ショート⇒ロング
変更申し訳ございません。