初めてのダンジョン
階段を下りていく。
灯りは丸い野球ボール大の石が発していた。点々とあり、思ったよりも明るい。
なんか人工的で、ちょっと拍子抜けだ。大自然の神秘とやらは感じられない。
下に降りるにつれ、だんだんと階段は狭くなっていく。
階下に到着。
フロアへの入り口は横幅二、三メートルほどにまで狭くなっていた。その先はどうやら小部屋になっているらしく、人の声がした。
入り口を潜り抜ける。
小さな円形の部屋には、それなりに人がいた。おしゃべりしている人も少なくない。
その中でも一際うるさい四人組、いや、三人の男と一人の少女が目に付いた。
「おぉおっ!! マジでステータスがありますぞ!」
デブ男が興奮している。
「俺のスキル火魔法だっ!! 魔法つかえるんだっ!!」
小男が甲高い声で囀っている。
「ふふふ……わたしは瞬間移動ですよ、ふっ」
ゴボウみたいな男がメガネを中指の先端で押し上げる。なぜか自嘲的な笑いを残した。メガネは下界のものだろう。どうやら肉体の一部とみなされているらしい。
はしゃぎようからして、あれはプレイヤーだな。
少女は中学生くらいだろうか。ほかの男どもに保護されてるって感じだ。
「あ、あいらちゃんのスキルはなんですかな?」
「へぇっ!? ……えっと……け、結界魔法?」
突然振られて、ロングの黒髪がぶわっと立ち上がるほどに(幻覚)驚いていたが、すぐに落ち着きを取り戻し、答える。
ちょっと絵面的にハラハラしたけど、問題はなさそうだ。びくびくしてるけど、男どもともそつなくやっているように見える。
それにしても、かーいい。
やっぱあれくらいの女の子には癒される。まぁでも、女戦士のナイスばでぃには到底敵うまい。
青いリンゴもおいしいが、俺は熟れた果実の方がいい。(訳:ロリもいいけど、やっぱむちむちのチャンネーでしょ)
そのはずなのに、くそっ、なんで視線が外れないのだ!?
地獄で鍛え抜かれた鋼の精神を振り絞り、誘惑を振り切った。
周りを見る。
みんなリラックスしていた。どうやらこの部屋は安全らしい。
とはいえ、俺には特に準備することもないので、出口へ。
そしてダンジョンへ、最初の一歩を踏み出した。
そこは、何の変哲もない洞窟の通路だった。
薄暗いが、問題ないだろう。
左右を見渡す。
幅はかなり広い。道は果て無く続いているように見える。
分岐は見える範囲にもかなりあった。
踏破するのは大変そうだ。
とりあえず右へ進むことにした。
しばらくして。
第一モンスター発見。
すぐにナイフを出現させ、構える。
緑色のちっちゃな子鬼。遠目で見ると子供に見えなくもない。
けど近づくと不気味だ。切れ長の目は煌々と黄色く輝き、口は裂けているかのように大きい。牙も鋭そうだ。
ただし武器は無し。
雑魚だな。
とりあえず、ステータスをいじくらずにどれだけ戦えるのか確認しよう。
ゴブリンはこちらを見て、キィイっという、金切り声を上げた。
戦闘開始だ。
息を深く吸い込み、駆け出した。
体感速度は、よく覚えてはいないが、あの頃よりだいぶ遅い。けど、ゴブリンよりは速いな。
近づきながら、解析する。
ナイフを片手に順手で持ち、腰の位置へ。全身からは力を抜き、左手は体の前。
昔、自然に身に着けた構えは、ちゃんと覚えているらしい。かりそめの肉体へと、正確に動きを伝えていく。
ゴブリンとの距離、二足半歩。
その時、ゴブリンが屈みこむ。
なんだ?
予想外の動き。一瞬の躊躇が、致命的な硬直を生む。
直後、ゴブリンが射出された。いや、跳躍したのだ。まるで大砲の弾のように、一直線にこちらへ向かって飛びかかってきた。二足半歩、普通の――人間の攻撃なら十二分に対処できる距離が、一瞬にして縮まる。
「ハッ!!」
声とともに、腰を落としつつ左手を突き上げた。
顎を狙った拳は、数舜遅れてゴブリンの首を抉る。軌道を逸らされたゴブリンは、俺の髪の毛を掠めて飛んでいく。
体の向きを変え、その動きを目で追った。
キィキィと声を上げ、ゴブリンは着地と同時に再びこちらへ飛んできた。
しかし二度目は通じない。
体を落とし、ナイフをゴブリンの首元へ突き出す。
懐かしい感触だ。
引き抜く。
その瞬間、ゴブリンの体が消滅した。まるで空間に溶けていくかのように、消えたのだ。代わりにあったのは一本の牙。
「……ゲームだなぁ」
つぶやきながら拾う。
ステータスを開くと『ゴブリンの牙』とだけあった。
レアドロップ? 違うか。
とりあえず所持品へ追加し、一息つく。目をぎゅっとつぶると、奥の方で火花が散った。
油断したとはいえ、まさかこの俺が少し本気を出すことになろうとは(中二風味)。そのせいで封印されていた能力がちらっと解放されて、ありえないくらい客観的な思考になってしまったではないか(魔王設定)。
それはともかく。
体のスペックが低いというのもあるけれど、これは難易度が高すぎるんじゃないか?
戦いに慣れてるやつはいいだろうけど、そんなの一握りだろうし。
いや、だからこそのスキルか。
まずは、ステータスをいじくろう。
ステータスを開く。
ステータス
体力 30:30
筋力 10:10
敏捷 12:10
運 10:10
『敏捷』を見る限り、この表記は 実際値:元値 ということなのだろう。盗賊のナイフにより増加した値が左側にきている。
さて本題。
ゴブリンにさえ左拳の一撃は効いていないようだったから、ただの蹴りやパンチによるダメージは望めないだろう。
それに比べて、ナイフなら一撃だった。急所を抉ったからか、武器がいいからか。
いずれにせよ、少しくらいは『筋力』から『敏捷』へポイントを移してもいいかな。
『運』はやはりドロップに関係しているのか?
だとしたら、少し強くなるまで削っておいても問題ない。どうせしばらくは極貧生活を覚悟している。
『体力』を削るのはまだやめよう。
『体力』がなくなっても死なないとは書いてあったが、戦闘中急に動けなくなったらお終いだ。回復条件もわからないし。
ということで、『筋力』から一ポイント、『運』から四ポイント『敏捷』へ移した。
レッツ実験。
獲物を目指して徘徊する。
とりあえず”きり”のいいところまで戦って、ちょうどよさげな小部屋を見つけたため避難した。
「うがぁああ~~っ! つっかれたっ!!」
壁に寄りかかり、ずるずるとへたり込む。
喉が渇いたし腹減った。飲み物くらい用意してくれば良かったな。
一息ついて、ステータスを開く。
戦果確認。
ステータス
体力 15:35
筋力 10:10
敏捷力 24:22
運 5:5
所持品
ゴブリンの牙 31
スライムの核片 84
蝙蝠の羽 22
「くくくっ!!」
一人ほくそ笑む。
このゲーム、俺にちょー有利だ。
ステータスをちょっといじくっただけで、難易度がガクンと下がった。下界のころの経験と合わせると、なんつーか、余裕すぎ?
まさにぬるげー。
とにかく、俺は現時点でほかのプレイヤーより一歩先んじていることは間違いない。ゲームをやりこんでいて、かつ殺し合いを経験している人なんてそうはいないだろう。
もうこの階層に敵はいない。明日は食料と水持参で、一気に次のレスト・スポットを目指すとしようか。
いや。
オーナーは言っていた。交流を持て、観光をしろ、楽しめ、と。とりあえずレスト・スポットの中を巡るくらいはしておいた方がいいのでは?
体力はある程度までは自動回復で、残りは体調に左右されているようだし、休憩は必要なのだろう。
慣れているとはいえ、飲まず食わずで動きっぱなしだったし、明日は休日としようか。
「ん~~」
”のび”をする。
なんだか急に余裕が出てきたようで、心が宙に浮きあがるような感じがした。
「明日が楽しみだ」
こんな気持ちは、いつ以来だろうか。いろんなところがむずがゆくて、なんかじっとしていられなくなる。
「さぁってと、帰るとするか!!」
勢いよく立ち上がり、部屋を出る。
「……さて、と……」
右を見て、左を見て。どちらも果てしなく続く、岩の道。さぁーっと、血の気が引いていくのを感じた。
「ここ、どこ?」
もう何匹目になるかわからない子鬼を一蹴して、一息。足に限界を感じて、壁を背に座り込んだ。
あたりを見渡す。
どこまで行っても同じに見える。
せめてほかの冒険者に会えればと思うが、なぜかこういう時に限って出会えない。
もう深夜なんだ。
くそっ。ちゃんとマッピングするなり印つけるなりしとけばよかった。
勢いに任せて脳筋プレイかましてた自分が恨めしい。ていうか、ほかの冒険者たちはどうしているんだ?
「はぁあ~」
思わずため息が出る。
あぁあ、今ので逃げただろうな、幸運。ただでさえツイてないというのに。
「……ん?」
ちょっと待て。まさか『運』ってのはリアルラックのことだったりしないよな?
まさかとは思うが、あり得ない話ではない。
試す価値はある。
スキル発動。
ステータス
体力 8:37
筋力 11:11
敏捷 26:24
運 5:5
ステータスを見る。
移動しながらも『敏捷』を上げ続けていたが、よく考えれば、この階層でこの『敏捷』は意味がない。
『敏捷』から『運へ』十ポイント移動し、『筋力』からも同様に一ポイント移動する。
『体力』にポイント移動しても増えるのは元値だけなので意味がない、というのはさっき確認したから、これでいい。
一気に四倍にまで『運』を高めて、いざ出陣。
とにかく、さっきまでと同様に突き進む。
すでに方向感覚は皆無なので、何も考えずに進む。
心なしか、さっきまでよりモンスターの出現率が落ちているように思えた。プラセボ効果だろうか。
歩く。どんどん歩く。
いや、やはり出現率が落ちているようだ。ということは、この『運』というステータスは、モンスターのドロップ品に関係するだけじゃない。
その時、背後から気配を感じた。
やべ、油断してた。
即振り返り、ナイフを構え――
――足元に、スライム見参。
青みがかった透明の体を波打たせ、うねうねしながら寄ってくる。
なんだ、スライムか。驚かせやがって。
ため息をつき、勢いよくその中心部――核めがけてナイフを突き刺す。
スライムは何の抵抗もなしにべちゃっと音を立て、はじけとんでしまった。体にその破片がこびりつくが、すぐに消える。
「うん? これは?」
しかし残されたものは、いつもの核片とは違う、黒い球状の物体だった。
手に取り、確認する。
スライムの核
初めてのアイテムだ。明らかにレアドロップだろう。やはり『運』は、ドロップ率に影響を与えるらしい。
とりあえず核をしまいこんで、先へ進む。
あれからさらに時間が経った。体感では、もう夜が明けていてもおかしくないように感じる。
しかし出口は見当たらない。あるのは空の小部屋と、どこまでも続く見たことあるような通路だけだ。
しかも、先の方からモンスター軍団の喚き声が聞こえてきた。
「あぁああっ!! ちくしょうっ!!」
いらいらして、叫び声を上げた。それがモンスターを呼び寄せることになるとは経験的にわかっていたが、やらずにはいられなかった。
馬鹿だな俺。
やって後悔する。その時、
「誰かいるのっ!?」
声がした。空耳だろうか。
「助けてぇえっ!!」
空耳じゃない。
声はこの先から聞こえてくる。しかも女の声だ。それにかぶさるように、大勢のゴブリンの声もする。
モンスター・ハウスだ。
小部屋に入った瞬間、一斉に魔物が湧きだすトラップ――すでに一度経験しているが、あれはなかなかにきつい。
急がなければ。
「待ってろ今行く!!」
やっべ、今輝いてる。
女の子を助けに行く――何度もシミュレートした妄想が、今現実のものに!!
まぁ実際、助けてほしいのはこっちなんだけどな。
なんて思いながら、ステータスを少しいじりつつ、走る。
『敏捷』に三ポイント、『筋力』に八ポイント加えた。
大勢に囲まれた時には、ナイフ以外に力技も必要になる。『体力』は残り五。不安だが、しょうがない。
声は少し先の小部屋からだった。
突入すると、山のようなゴブリンたちに出迎えられた。
「どぉおけぇぇええいっ!!」
きもい子鬼に興味はねぇ! おにゃのこどこだ?
脳裏にはすでに、助けた後のことしかない。群がる子鬼を千切っては捨て、千切っては捨てる。
「ひぐっだずげでぇっ!!」
「そこかぁっ!!」
見つけた。
部屋の右端で、座り込んで泣きじゃくる少女。ゴブリンはその周りに群がっている。
しかし、おかしい。
ゴブリンたちは取り囲むだけで、それ以上近づこうとしないのだ。いや、近づこうとしても、それ以上進めないという感じか?
戦いながら近づいていく。
よく見ると、ガラスのような膜が張られていた。
『えっと……結界魔法?』
脳裏に、小部屋での会話がよみがえる。
そうだ、この子はあの時の女の子だ。ということは、これが結界魔法か。
納得し、戦いを続ける。
とりあえずあの子の周りの雑魚を倒して、結界の中で休憩。体力を少し戻して再戦ってところか。
殴る、蹴る、突くなどして、突き進む。
進みながら、さらに計画を推し進める。
助ける⇒感謝される⇒にゃんにゃん⇒あんあん
何このプラン。隙無さすぎるんですけど。我ながらその堅実さに感嘆の念を禁じ得ない。
興奮した。
同時に、飛びかかってきた子鬼の顔面へ一本突きを放つ。
数十年も愛と無縁だったこの俺が、女の子ピンチに駆けつけないわけがない。わが情熱のパトス、止められるものなら止めてみろぉ!!(訳:何十年もご無沙汰で、もう我慢の限界です。俺の性欲を止められるものなど存在しません)
かりそめの肉体にも性剣が備わっているということは、事前に確認済みである。(訳:我慢できなくて、すでに一回処理済みです)
そうこうしているうちに、結界の前へ到着した。
結界に背を向け、声をあげる。
「おいっ中に入れてくれ」
「やぁっ!!」
一瞬耳を疑った。
飛んでくるゴブリンの顔面を切り裂きながら叫ぶ。
「なんでっ!?」
「わかんないっわかんないのっ!! てゆーかこれなにぃ!? もうやーだよっ!!」
泣きじゃくってる。
くそっ。この子はまだ、自分のスキルを使いこなせていないのか。
飛んでくるゴブリンを叩き落としながら舌打ちする。
ゴブリンたちの数は、かなり減ってきている。
でもこっちの息もかなり上がってる。なんか視界が少しかすんできてるし、腕も重い。
『体力』の限界なんだ。確認しなくてもわかる。
左の足元にいたゴブリンを蹴飛ばした。
その時、危険を感じた。
正面から三匹、右から一匹。ゴブリンたちが、一斉に飛びかかってくる。
――これだけの数を捌く力は、もう残っていない。
瞬時に判断し、右へ飛んだ。そしてナイフを構え、飛んでくる一匹に飛び込みつつその首を切りつけ、正面から来ていた三匹をやり過ごして受け身をとり、着地。すぐに振り返り、ナイフを構えた。
しかし、ゴブリンはこちらへ向かってこなかった。そのまま少女の結界にかぶりつくようにしている。
どうやら俺よりも少女の方が人気らしい。
やつらには結界が見えていないのか。なら彼女をおとりにして、隙を突けばいい。
彼女の結界がいつまでもつかはわからないが、手段を選んでいる余裕はない。
すぐに結界の右脇へ移動し、距離をとる。
ゴブリンは、予想通り結界へ群がった。数が減った今、あぶれてやってくるものはいない。
馬鹿が。
心の中でほくそ笑み、夢中になっているゴブリンを後ろから切りつける。そして即撤退し、息を整える。そうしなければもたないほど、体力がヤバかった。
彼女からはどう見えているだろう。
そんなことをちらっと考える。
囮にしてるとばれたら、心証はよくないだろう。
見えないように、うまくゴブリンを残しつつ、戦うことにした。
その後の戦いは非常に楽だった。
体力が少ないからか、息がすぐ上がる。けれど休む時間ができたため、問題にならないのだ。
ヒット・アンド・アウェイを繰り返し、ようやくゴブリンの数も残り八匹となった。
これくらいの数なら一度にヤれる。最後はカッコつけるとするか。
スキル発動。
『筋力』と『運』から五ポイントずつ、『敏捷』へ移した。これくらいあれば、やつらに反応されることもないだろう。
息を吸い込み、駆け出す。
一気に間合いを詰め、一番近くのゴブリンの首を掻っ切る。そして勢いをそのままに目標を変え、移動。最小の動き、最大効率でナイフを繰り、最高速度を維持したまま、仕留めていく。意識するのは川の流れ。叩き込まれたイメージをそのままに、体ではなく魂の赴くまま、すべてを委ねる。
一体、二体、三体……そして八体目の頸椎をナイフが抉ったところで勢いを殺す。
完璧だ。
ため込んだ息を吐き出し、振り返る。
瞬間。
「……あ?」
世界が傾いた。
いや、これはめまいだ。
気が付くと地面に倒れこんでいた。立ち上がろうにも、力が抜けて立ち上がれない。
体力が尽きたんだ。
くそっ。今倒れたらまずい。
ゴブリンは駆除したが、このダンジョン内ではモンスターは無限に湧き続ける。寝込みを襲われたらおしまいだ。
目を閉じるな。あきらめてたまるか。女の子とのにゃんにゃんイベントはすぐそこだぞ。
うっすらと女の子の姿が見える。泣きじゃくってる、相変わらず。色気のかけらもなかった。
うぅ、かわいいけど、お子ちゃますぎる……。
力が急激に抜けていく。
『スキル取得条件クリア。取得スキル『縮地法 LV1』
声がした。
同時に、視界が暗くなっていった。