表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/25

バフォメット

調子に乗りました。

 中に入ると、平べったい円柱状の空間だということが、かろうじてわかった。

 薄暗くて、ほんの少し、足を踏み入れるのを躊躇ってしまう。


 俺たちが足を踏み入れると、扉が勝手に閉まった。

 一瞬、空間は闇に包まれる。

 直後、壁際に並べられた大きな燭台に一斉に火がともった。燭台は壁、そして天井にも設置されていて、一気に気温が上昇する。


「きゃっ!」


 鈴森のかすかな悲鳴。円柱状のホールは、それをほんのわずか反響させた。死闘の予感に、無意識に鋭さを増した五感が、僅少きんしょうな音のブレを感知する。

 上を見上げた。


「鈴森、上だ」

「は、はいっ!」


 悠然と、中心部にそれはいた。

 バフォメット。

 羊の頭に人型の胴体をもつ悪魔だ。ミノタウロスと違い、胴体部は完全に人間のものだった。細身だが筋肉質な上半身。そして下半身にはゆったりとしたアラビアンパンツを履いている。

 だからこそ、羊の頭が異様に映る。

 やや人間に近くデフォルメされた顔には、しかし表情がない。頭頂部に生えた角は攻撃的に天を衝いている。目は黄色く煌々と光を発していて、どこか狂なるものを感じさせていた。

 その目が、こちらを見据えた。 


「鈴森、まずは作戦通りに行くぞ」

「はいっ!!」


 言うや否や、散会。

 鈴森は同時に矢を放つ。

 バフォメットが真横に羽ばたいた。

 信じられない速度で、真横にスライドしてのける。

 下界の自然界では見られない動き。

 ある種超能力的な動きによって、容易に矢を躱す。


 鈴森が一瞬、戸惑った。 


「落ち着け鈴森っ当てる必要はない!!」

「はいっ!!」


 我に返り、二射、三射と矢を放つ。

 当てる必要はない。

 まずは引きつけて、地上に降りてこさせればいい。


 しかし、こちらの期待は看過されていたのか。

 バフォメットは機敏な動きでこれを躱し、決して降りてはこない。


 そして、手のひらが鈴森へ向いた。

 予感。

 悪魔の眼から、攻撃の意思を汲み取った。


「来るぞっ!!」

「っっ!!」


 瞬間、バフォメットの手のひらに熱の塊が出現した。

 炎だ。

 バスケットボール大のそれは、見ただけで中に膨大なエネルギーを内包していることがわかる。

 当たれば、微塵も残らない。

 そんな非科学的な想像が、自然と脳裏を過る。


 発射。

 同時に、ある疑念が浮かぶ。


 果たして、結界は魔法を防げるのだろうか。

 当然のように防げる前提でいたが、いまだに魔法攻撃を防いだことはない。

 どうして気づかなかったのか。


 手足から、感覚が失われた。

 直撃。

 鈴森の周囲が炎上する。

 発射された火の玉とはどう考えても釣り合わない巨大な炎が、結界ごと彼女を包んだ。


「鈴森っ!!」


 叫び声は、反射的に出た。


「サーッヘーキでありますっ!!」


 切羽詰ってはいる。しかし変わらず元気のいい返事が、俺の身体感覚を正常に戻した。 

 杞憂だったらしい。 


 バフォメットの攻撃の手は緩まない。

 今度はこちらに向かって火の玉を放ってきた。

 距離は十分。

 速度もそれほどではない。

 余裕をもってこれを躱す。

 目線は悪魔から離さずに。


 二発目、放たれる前に軌道を読み、躱す。

 三発目も同様。

 火の玉の軌道は、どうやら直線以外にないらしい。これなら、鈴森でも避けられる。


 数発、火の玉による攻撃をやり過ごした。

 その間に、鈴森復活。

 結界を解除し、再び射撃に移る。


「鈴森っ!! 火の玉はまっすぐにしか飛ばないっ!! 避けられるなら避けろ!!」


 結界魔法はできる限りとっておいてもらいたい。


「はいっ!!」


 返事。しかし視線は感じない。

 しっかりと敵を見据えているらしい。射撃を続けている。

 だが、鈴森の奮闘は悪魔に届かない。悪魔はそれを軽く躱し、再び鈴森へターゲットを移した。


 火の玉。

 鈴森は難なくこれを躱す。

 二発、三発、続く攻撃もやり過ごしていく。


「いいぞ小動物っ!!」

「小動物ゆーなっ!!」


 突っ込みあり。余裕がある証拠だ。

 確認して、上空の悪魔を見据える。


 こちらにも余裕はある。

 だが、このままというわけにもいくまい。

 鈴森の矢は敵に致命傷を与えられない。対してあちらの攻撃は、一撃でこちらの命を焼き尽くす威力をもっている。


 打開策が必要だった。 


 脳裏に、俯瞰図を呼び起こす。

 この程度の能力なら、どうということはないようだ。

 安心して、位置関係を図上にプロットする。

 空中戦の準備は整った。

 あとは、鈴森に余裕ができればいける。


 石つぶてを取り出す。

 ポニテに言われたことを参考に、あの後ギルドで購入しておいたもの。攻撃力は一、ただの石である。

 だが、ダメージを与えるのが目的ではない。


 上空のバフォメットめがけて放った。

 スキルこそ持ってはいないが、投擲技術は、下界ですでに身に着けている。


 胴体へ直撃。

 悪魔は、こちらの遠距離攻撃を予想してはいなかったのだろう。避ける素振りすら見せなかった。


 ダメージはない。しかし意識を誘導することはできた。

 悪魔の顔がこちらを向く。


「鈴森っ。跳ぶっ!!」

「はいっ!!」


 叫ぶと同時に、跳躍。

 『敏捷』に比重を置いたステータスは、ジャンプ力にも影響するらしい。もっとも、『筋力』とのバランスがある程度とれていないと支障をきたすのだが。

 とにかく、下界では考えられない高さ――三メートルほどの跳躍を果たした。


 最高地点で、足場が出現する。

 タイミングは完璧。続けて三度跳躍し、バフォメットに肉薄する。


 バフォメットは、しかし動揺の色を見せない。

 的確に、かつ素早く槍を突き下ろしてきた。


 槍は、イメージ通りのものだ。

 悪魔の持つ槍。

 三つに枝分かれしたそれは、突くことに特化している。

 手甲をもって横に受け流す。

 強靭な力を感じたが、直線的な動きは真横からの力に弱い。

 あっけなく軌道が逸れた。


 さらに肉薄。

 右腕に軽く握られた短剣を突き出す。


 空中だ。

 踏ん張る足場は無い。

 しかし余計な力は入らない。

 素早い動きは適度な弛緩によってのみ生み出される――肉体は叩き込まれた動きを正確に再生する。

 状況は関係ない。


 文句なく、最高速の一撃だった。

 しかし、短剣が敵の右胸を貫く寸前、頭上に激しい衝撃を感じた。


 瞬間、反射的に体の力が『抜けた』。

 通常の生理現象とは真逆の反射活動。

 思い出したくもない『実験』の結果、得られたものだ。

 完全に人外、いや、生物外のメカニズムが、意識の消失を防いだ。 


「神津さんっ!!」


 鈴森の悲鳴。

 しかし役割はちゃんと行っているらしい。目を凝らして瞬時に足場を確認した。

 空中で反転、透明な結界の上に着地する。

 結界の表面は、いくつもの小さな半球によってでこぼこしていた。滑り止めだ。上手くできている。

 内心、鈴森へ賛辞を送る。

 結界の形は厚い円盤上だった。そして大きさは、ほぼホールの全域に及ぶ。これでバフォメットの逃げられるスペースは限られる。

 高さ三メートルほど。

 あとは翼にダメージを与えるか、空中で決着をつけるか。いずれにせよ、『縦方向の不利』はほぼなくなった。


 バフォメットを見据える。

 頭へのダメージは、思ったほどない。

 下界にいたころなら一撃で昏倒、少なくとも脳震盪は起こしていて当然の一撃だったが、どうやら装備による防御効果は相当な物らしい。


 バフォメットは距離を取りながら手のひらを向けてきた。

 この期に及んで、遠距離からの攻撃を選ぶらしい。どこまでも慎重なモンスターだ。


 駆け出す。

 身体能力はあちらの方が遥かに上らしいが、それでも、接近戦では負ける気がしない。

 次は槍の一撃も、空いた腕による攻撃も、捌ける自信があった。


 火の玉が発射される。

 しかし軌道は丸わかりだ。

 駆けながら、躱す。

 後ろで膨大な熱量が放散されるのを感じつつ、距離を詰める。

 水平方向への移動速度はこちらの方が上らしい。


 距離、約五メートル。

 跳躍に特化した今の肉体なら、容易に一足飛びの間合いだ。

 それは、バフォメットにもわかっていたらしい。

 翼の向きを変え、高速で転進してきた。


「――っっ!!」


 予想外の速度に、一瞬の硬直を強いられる。

 四メートル。

 膨れ上がる殺気を感じ、斜め後ろへ後退。

 ほぼ同時に、槍が飛び出してきた。


「くっ」


 左頬を槍がかすめた。

 そこから熱を感じる。

 若干切れたらしい。

 しかしほぼダメージはない。

 槍の性質を考えての回避が功を奏したようだ。


 伸びきった槍を左手で掴み、封殺。

 同時に後退による惰性を殺し、転進。

 間合いを詰める。


 敵の左腕が飛んでくる。

 リーチは、圧倒的にあちらの方が上だ。

 だが、目線と動きが素直すぎる。

 愚直とも言える。

 それがステータスの差、身体能力の差を埋めた。


 首を傾げ、打撃を紙一重で躱す。

 懐へ。

 しかし次の瞬間、体が宙に浮いた。


「なっ!?」

 

 バフォメットが遠のく。

 なんと、片腕で俺ごと槍を振り回したのだ。

 そのまま天井へ。

 迫る石の壁を感じ、左手を槍から離す。

 そして受け身を取った。


「ぐっ!」


 一瞬肺に衝撃が走り、呼吸が制限された。

 しかしダメージは無い。

 バフォメットから目を逸らさず、天井から落ちる。


 着地の瞬間は相手にとって好機だ。

 必ず一瞬、こちらの意識が下を向く。

 当然、バフォメットにもそれは理解できているはず。

 それを証拠に、バフォメットが攻撃態勢に移るのが見えた。槍を構え直し、間合いを測っている。

 だが、それは逆に油断ともいえる隙を生む。

 攻撃は最高速にして最も単純な技――突きに限られる。そして狙いは着地の瞬間、すなわち斜め下方向。

 タイミング、技の種類、方向。そのすべてがわかってしまえば、どんな強力な攻撃も凡庸なものとなる。

 加えて、『仕留められる』という慢心――勝負をかけるならここだ。


 足場が接近する。

 バフォメットの構えに力が入るのを見た。


シモっ!!」


 俺が叫ぶ。


「ネタッ!!」

 

 鈴森が応じる。


 合言葉。

『シモ』と言ったらすぐ下方向に結界を張れということ。同時に『ネタ』と言えば了解したという合図だ。

 大きさは直径五十センチの小さな球体。滑り止めつき。

 すべて決めていた。


 練習の成果は、次の瞬間足元に感じられた。

 着地。

 そしてバフォメットに向け跳躍する。

 それはバフォメットの槍が射出された直後だった。


 完全に虚を突いた形。

 右目を狙い、短剣を突き出す。

 ――捉えた。

 確信する。

 しかし、バフォメットはこれに反応した。

 首を傾げ、頭頂部に生えた長い角で短剣を払う。

 そのまま、角が接近した。

 体を捻り、回避。

 すれ違いざま、翼を切りつける。

 瞬間、バフォメットが翼を折りたたみ、回避した。


 バフォメットからはこちらが見えないはず。

 読んだのか、それとも無意識の防御反応か。


 一瞬生じた疑問は、すぐに解消された。

 ヤギの頭を持つこいつの視界は、広いのだ。

 天敵から逃れるために進化した構造。それがもともと高い身体能力にさらなる性能を与えていた。

 だが甘い。

 前方へ半回転し、


「壁っ!!」

「ズリっ!!」


 合図。

 鈴森はこの言葉の意味を知らない。

 叫んだ瞬間結界による壁が出現し、俺はそこを足場にもう一度悪魔へ向かって跳躍した。

 真後ろからの攻撃。

 これにはさすがに反応できなかったらしい。

 しかしこちらも、反射的な動きであったためにうまく体勢を作れなかった。

 ――項を狙うのは無理だ。

 一瞬の判断。目標を変更し、なんとか右腕を突き出す。

 短剣は、一直線に折りたたまれた翼へ突き刺さった。


「*****っ!!」


 初めて聞く、バフォメットの叫び声。それは明らかに苦悶を表していた。

 ざまぁみろっ!! 

 心の中で快哉かいさいを叫ぶ。


 その時、遠心力を感じた。

 バフォメットが落ちながら、その身を横に回転させたのだ。

 短剣が引っこ抜けるのを感じ、直後、目の前に地面が。

 反射的に頭を腕でカバーするも、衝撃は逃がせない。

 気が付くとバウンドして、地面に仰臥ぎょうがしていた。


 足元の向こう側に、バフォメットが着地する。

 直後、再びバフォメットの叫声。今度は怒りを表している。

 ――危険だ。

 ぐらぐらと揺れる脳内で警鐘が鳴る。

 しかし、立ち上がれない。脳震盪を起こしているらしい。

 次の瞬間、熱を感じた。

 ――炎だ。

 理解した時、すでにそれは放たれていた。

 ――やられる!!

 しかし次の瞬間、熱さが消えた。

 目を開けると、炎が俺の周りを避けて広がっているのがわかった。鈴森の結界魔法だ。


 再び、バフォメットの叫び声。

 快哉を叫んでいた。外から見れば、直撃したように見えるのだろう。だがそれは、次に鈴森が狙われるということだ。


 まずい。

 それは直感だった。

 バフォメットが攻撃に移ったのを察する。無理やり体を起こした。

 今鈴森が狙われたら……。


 鈴森はこの炎が消えるまで結界を解かないだろう。

 一番初めの炎は、鈴森の結界に直撃してから五、六秒は燃え続けた。バフォメットが攻撃に移るには十分すぎる時間だ。


 立ち上がる。

 手を頭上に挙げ、『水五リットル』を出現させた。頭の上から、水を被る。


「鈴森っ!! 結界を解けっ!!」

「でもっ!!」

「俺なら大丈夫だ!! 急げっ!!」


 一瞬のためらい。見えないが、それを感じた。

 スキル『縮地法』を発動する。

 結界が消える。

 同時に、俺は地面を蹴った。

 一瞬、熱を感じたが、すぐに逃れられた。ダメージは無い。ただ、まだ脳がぐらぐらしている。

 着地は失敗し、勢いよく地面を転がってしまった。


 体を起こす。

 バフォメットは、鈴森の結界を槍で攻撃していた。突く、叩く、怒涛の攻撃。しかし結界はびくともしない。

 ほっと一息。

 あれはバランスブレイカーだな。


 ゆっくりと立ち上がり、目を瞑る。

 頭痛無し。

 症状――少しふらつきがある。ごく軽い脳震盪だ。だが、危険ではある。これ以上脳へダメージがあれば、それは致死的なものに変わるだろう。


 ここから先は、攻撃を受けてはいけない。


 深呼吸。

 少し落ち着いてきた。

『体力』の値、八十八。地上に落ちた悪魔を刈るには十分と言える。

 スキル『縮地法』を発動すると、体が熱を帯びた。


 目を開き、駆けだす。

 数歩で、バフォメットがこちらに気付いた。

 だが、遅い。

 一気に距離を縮め、短剣を突き出した。

 瞬間、バフォメットが消える。


「なっ!?」


 激突する寸前。

 結界を蹴飛ばし、静止。

 鈴森の悲鳴を流し、上を見る。


 バフォメットは飛んでいた。

 かろうじて浮いていると言った感じだ。最初のころに比べるとだいぶ拙い。

 空中では、もはやそれほど動けないだろう。


「鈴森っ!! 合わせろっ!!」

「らじゃっ!!」


 跳躍。

 最高点に足場が即座に造られる。

 続けて二度跳躍。

 バフォメットの懐へ。


 槍が飛んでくる。

 しかし何度も見た軌道だ。

 こちらが速くなっている分相対的には速く感じるのだが、避けるのは容易かった。

 あとはやつの左腕。

 間に合わないと判断したのか、守りの構えだ。

 あれをかいくぐって急所を突くのは難しいだろう。

 ならばその腕をいただく。

 目的変更。

 手首の前面へ向け、短剣を垂直に突き刺す。

 動脈。

 そして屈筋支帯、その奥の手根管を通る屈筋腱をいくつか切断した。


「*****っ!!」


 二度目の悶絶。

 バフォメットの左腕が水平に振られ、俺は空中に放り出された。


 だが、逃がさない。

 反転。

 スキル『縮地法』を再び発動。


「壁!!」

「ズリっ!!」


 再び足元に、地面と垂直に壁が出現する。

 そこに着地し、跳躍。

 さすがに『縮地法』の連続使用で足にガタがきているようだが、無視だ。

 真横から接近する。


 しかし、バフォメットにとっては、真横は死角じゃない。

 即座に反応してきた。

 右片手で槍を横なぎに振ってくる。


 だが、片手では十分な威力も速度も出ない。

 左の手甲でそれを叩き落とす。

 軌道を逸らされた槍に振られ、悪魔の上体が傾げる。


 今度こそ、もらった。

 頸部――絶対の急所へ短剣を突き立つ。

 ――手応え、あり。

 

「*****っ!!」


 悶絶。

 それを表した絶叫は、喉を抉られたことにより声とは程遠い雑音のように響いている。

 勝った。

 心の中で、こぶしを握る。


 しかし次の瞬間、予想に反して俺の体は再び宙を舞っていた。

 混乱。

 空中で視線をめまぐるしく動かし、敵の姿をとらえた。


 悶え苦しんでいる。まだ生きているんだ。

 俺は吹き飛ばされたんだろう。あれでもまだ死なないとは、恐れ入る。

 でも、ここで終わりだ。


「壁っ!!」


 返事と同時に壁は――


「あっ?」


 ――設置されなかった。

 異変を感じ、鈴森を見やる。


 膝をつき、肩で荒い息をしていた。

 限界? 

 しかし、結界はまだ二十回も張ってはいないはず。

 連続使用による疲労か? 

 いや。

 それに加え、極限状態での戦い、さらに俺の無茶な動きに合わせるための集中力……それらが鈴森の『体力』を奪っていったんだ。 

 しまった。数値にだけとらわれすぎていた。『体力』なのだから、ほかの要因だって考えられたのに。


 バフォメットの顔が、不敵にゆがんだ。

 狙いは鈴森だ。


 一瞬で察した。

 確実に仕留められるということ、それに結界の厄介さを考えれば当然の帰結と言える。

 悪魔の翼が羽ばたきを開始した。


 槍を片手に、頭上から鈴森へ接近していく。

 速度は遅い。

 しかし自由落下に近いそれは、鈴森のもとへ到達するころには十分な速度となっているだろう。


「鈴森っ!! 上だっ!!」

 

 叫ぶ。

 しかし返事がない。

 急に疲れが襲ってきたのか、意識がもうろうとしているようだ。

 上を見ようともしない。


 くそっ!! どうする? 

 このままだと俺が地面にたどり着く前に、やつが鈴森に到達してしまう。

 なにか方法は……?


 ある。

 スキル『改造者』発動。

 『筋力』へ極振りする。

 ――外せば負けにつながる。だが鈴森を見捨てれば確実に勝てる。

 一瞬、脳裏をそんな言葉が過った。

 ためらいが生じる。


『神津さんは私を見捨てない、それは確かです』


 何かが、胸に響いた。

 次の瞬間、行動に移っていた。

 ステータス欄から『ミノタウロスの金棒』を取り出す。

 そして照準を定めた。


『筋力』に極振り、全力を込めた一投。

 無心だった。

 気が付くと俺は、それを全力で放っていた。

 外せば終わり。

 それに気づいたのは、放った後だった。

 賽はすでに投げられている。

 不思議な感覚だった。

 なぜか、絶対に外れないという確信がある。

 根拠はない。

 だが、確かなのだ。

 金棒は、吸い込まれるようにバフォメットの胴体へ飛んで行った。

 そして――


「*****っ!!」


 ――直撃。

 金棒はバフォメットの腹にめり込み、一体となって壁まで飛んで行った。


 轟音がホール内に響き、バフォメットの姿は消えた。


『スキル取得条件クリア。スキル『投擲術 LV1』取得』

『スキル取得条件クリア。スキル『怪力 LV1』取得』


 脳内に響いた声を聞き流し、鈴森のもとへ駆け寄る。


「鈴森、大丈夫か?」

「はっはっはっは……」


 過呼吸気味だ。


「落ち着いて、息をゆっくり長く吐け。できる限りでいい。吸うときはしっかり吸え」

「はっはーっはっはー」


 かすかにうなずいた。

 とりあえず背中をさすってやる。

 過呼吸、この場合は極度の疲労によるものだろう。

 急激に『体力』の値を減らすと起こるということか? あるいは、『体力』がゼロになったにもかかわらず無理に結界を作ろうとして、その反動によるものだろうか?

 いずれにしろ、落ち着いたら聞いてみる必要があるな。

 だが、十分でボスが復活してしまう。もし回復しないようなら、おぶっていくか。

 

 しばらくして。

 だいぶ落ち着いたようだが、まだ歩けそうにないとのこと。ドロップを回収し、鈴森をおぶり、部屋を後にした。


 奥の小部屋には何もない。

 その先には階段があり、そこを降りていくと、外気が吹き込んでくるのを感じた。

 外が近い。

 涼しい風が戦いの熱を冷ましていく。その心地よさを感じつつ、ゆっくりと下って行く。


 背中に、鈴森のまだかすかに荒い呼吸を感じる。体はとても小さく、軽く、やわらかかった。脆く、どこまでも弱い存在に思える。


 こんなんで、よくあそこまで戦えたな。


 生まれたのは、一種の感動だった。そのことに、少なくない戸惑いと、驚きを覚える。

 自分に益のない、手放しでの感動は初めてだった。


 思えばたった数週間で、この子は一般人、いや、それよりはるかに弱い少女から、訓練された兵器と肩を並べて戦えるほどに成長したのだ。

 それは、空恐ろしい変貌とも言える。

 俺はどうだろうか。


 考える。

 思えば、かすかな反応が――制御できない何かが、起こった気がする。それはかすかで、やっぱり歪なのだろうけど、まぎれもない変貌だった。

 このゲームの本質は、もしかしたら――。


 視界が、開けた。


「……おぉ……鈴森、顔を上げてみろ……」

「はっ……ふわぁ……」


 TWOは、地下都市であった。

 俺たちは町を見下ろしていた。


 覆う壁はところどころ橙色の光を発していて、どこか温かい雰囲気で町を包んでいる。

 人工のものじゃない。

 ランダム、しかし乱雑さを感じさせない絶妙な配置が、それを確信させた。


 上空では、無数の星がきらきらと自然に瞬いている。

 しかしあれは星じゃない。天井が空ではなく岩石出てきていることが、その光によってはっきりとわかるからだ。

 あれは星じゃなくて、光る鉱石だ。そしてそのことが、町を、どこか幻想的なものにしている。


 階段は途中だ。踊り場に連結し、右奥にその先がある。

 踊り場には、深夜であるのもかかわらず人がいた。おそらく、景色を楽しむために作られたのだろう。


 再び、見上げる。

 星が落ちてくるような、そんな気がした。


 どくんと、不意に胸が高鳴った。

 俺が感じたもの――実体のない、形而上的なそれが、そうせしめたのだ。たったそれだけ。それがうれしかった。

 

「えへへへ……」


 いつの間にか時間が経っていたことに気付いた。

 鈴森から荒い息が聞こえなくなり、代わりに弛緩しきった気味の悪い笑い声が聞こえてきたからだ。


「おい、治ったんなら降りろ」

「まだつらいです」


 辛さが微塵も感じられない。


「降りろ」

「やーです」


 腰を下ろして振り落とそうとする。


「あー今下ろされたら死んじゃうかもです~」

「おぐっ!!」


 首に腕を回し、裸締め。きれいにキメられた。

 こいつ、進化してやがる。

 結局、鈴森を剥がすことは無理だった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ