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安息の間

 TWOを目指して攻略を始めて二日目の夜。ボス部屋の前にある小部屋に到着した。

 ダンジョン内にはモンスターが出現しない場所がいくつかある。

 一つはレスト・スポットからダンジョンに入る前に通り抜ける小部屋。二つ目はボス部屋の前に存在する小部屋。三つ目はボスを倒すことで現れる小部屋。そしてそれらは『安息の間』と呼ばれている。

 小部屋に入ると、何人もの探索者がだべりながらだらけていた。皆、探索の疲れを癒しつつ、来るボス戦に向けて英気を養っているのだ。だべってないで寝てた方が効率いいのに。


「お疲れさん。お前らは俺らの次、十番目ね」


 ぼっと突っ立っていると、ちゃらそうな、というかイケメンヤンキーな茶髪の青年が声をかけてきた。俺より目線が上……そうとうでかい。


「わかった」

「ていうかお前ら二人で挑むのか? ここのボスめっちゃ強いらしいぜ、だいじょぶか?」

「お気遣いどーも」


 馴れ馴れしいやつ。なんて思ってると、それが伝わってしまったのか青年がばつの悪そうに笑った。


「あぁいや、嫌味とかじゃないんだ、別に。ただここで死ぬ人多いらしいからさ」

「いや、こっちこそすまない。愛想が無いのは素なんだ。気を悪くしないでくれ」


 軽いが気遣いのできるいいやつだ。

 青年は円陣組んで座ってる四人組の男女を指さした。一人、黒髪巨乳がいる。うらやま。


「あれが俺たちのパーティーだ。もし困ったことがあったら言ってくれ」

「あぁ、気遣いありがとう。こっちにも遠慮なく言ってくれ」


 社交辞令のようなもの。言われたら返すのが暗黙のルールだ。

――青年が、なぜか低姿勢になった。まるで何かを乞うように。なぜ?


「……じゃあ、一つ頼みがあるんだが……」

「え?」

「水、余ってたら分けてくれないか?」


 どうやら社交辞令でも何でもない、本心だったらしい。詐欺師並みの手際だ。


「あぁ、少しでいいんだ。……黒ヤギとやり合う前に、みんなに一杯水を飲ませてやりたい」


 黒ヤギとはバフォメットのこと。


「あぁ、別に構わない」


 俺は水を樽で持ち運びしている。当然、有り余っているので問題ない。

 ステータス欄から樽を出現させる。青年は特に驚くでもなくそこから水筒に水をくみ、お礼を言って皆のもとへ戻って行った。

 ステータス欄の道具袋と言うべきか、そういったものはこの世界の誰にでも存在する。しかし大きさには個人差があり、それは挑戦者の間でも違いがある。

 どういうわけか、鈴森と比べると俺のステータス欄は規格外に大きいから、こんなアホみたいなこともできた。

 しかし、挑戦者だから特別大きいと言うわけではない。普通でも、これくらいできる人は少なくはないらしい。エレベーター一つで物資のやり取りができるのは、この能力のおかげでもある。 

 俺と鈴森は壁際に座り込んだ。


 しばらく、疲れを癒すためクッキーをつまみながら水を飲み、だらだら過ごした。

 五組ほど戦闘に向かって。おそらく『全員無事』で抜けられたのは半分の三組だと予想された。戦い後、歓声が聞こえず、泣き叫ぶ声が聞こえたからだ。

 戦いの音――悲鳴、絶叫――は、漏れてきていた。

 

「あとどれくらいでしょーかねー?」


 不意に、鈴森がつぶやいた。少し震えた声。おそらく、緊張に耐えかねたのだろう。


「一組三十分、ボス復活まで十分として、三時間ぐらいじゃないか?まぁほかのボスより強いらしいから、もっとかかるかもしれないけどな」


 努めて冷静な声で返す。

 ボス戦の間はボス部屋に入ることができない。ボス戦終了後、ボスが復活するまでの十分間、奥に通じる小部屋が出現し、ボス復活と同時に消失する。


「それよりも鈴森、作戦会議だ。基本的には練習してきたとおりだが、もう一度確認するぞ」


 緊張を解きほぐすにはこれが一番。経験的に知っていた。


「はい」

「まずは……」

「わたしが弓でボスの気を引きつけて、ボスが槍で突進してきたら結界でガード、その隙に神津さんがボスを攻撃、ですよね?」


 鈴森は得意げにさらさらと言ってのけた。


「あぁ。それが通じなければ、次。鈴森の結界を足場に俺が空中で戦う」

「はい」

「それで確認しておきたいんだが、今の『体力』はいくつだ?」

「えっと……百三十五です」


 俺の体力は百十二だ。鈴森の方が高い。戦闘による経験値は圧倒的に俺の方が高いということを考えると、やはり、男と女ではステータスの伸びに差があるらしい。

 男は筋力、女は体力が伸びやすい。

 っと、そんなことよりも。


「ってことは二十回が限界だな。覚えとけよ、疲れ切ってダウンしたらおしまいだぞ」

「は、はいっさー!!」


 いいお返事。寸分も作戦について疑っていない。危険な作戦だというのに。疑うということを知らないのだろうか。

 裏切られるかもとか、考えないのか?

 不意に、言葉が出てしまった。


「……疑わないのな、お前」


 鈴森は相手の初太刀を受けるだけでなく、俺が空中戦をやっているときには完全に無防備になる。


「疑う? はて、なぜでしょう?」


 顎に人差し指をつけ、小首をかしげて尋ねてくる。


「わかってるだろう。この作戦で一番危険なのは、間違いなくお前だ。なのに反論一つしない」


 言うと、鈴森はにへらっと笑った。


「疑いませんよ。信じてマスカラ」


 鈴森が両手をシャカシャカ振る。そのボケはもう通じない。突っ込む気になれなかった。


「マラカスだ、バカ」


 でも突っ込む。もはや義務だから。


「えへっ」

「……信じてもらえるのは、ありがたい」


 俺としてはやりやすいからな。


「だが、信じすぎるな。根拠もなく信じるのは、信仰だ」

「信仰?」


 なぜ、こんなことを言っているのだろうか。信じさせておけばいいのに。

 だが、なんか胸の奥が鈍く痛む。なぜだろうか。


「信仰だ。それには、芯がない。安心だから、楽だから、相手がどうあれ、依存してしまおう……それが信仰だ。

 信じるのはいい。だけど、根拠をもって信じろ。最初は疑ってかかれ……相手に、俺に対して対等でありたいならな」


 どの口がほざく。そう思う。打算にまみれて、相手を対等に見れない男の言葉じゃなかった。けれど、耐えられなかった。信仰は、するのもされるのも気持ちが悪い。

 対等でありたい。


「はぁ……でもわたし、ちゃんと根拠もってますよ。これについては」

「……ん?」

「やらしいですし、普段無愛想ですし、人のことからかいますし……他人のことを考え、いや、自己中、というか、たまにすごく冷たいですけど……」


 鈴森は、こちらを見ずに正面を向いて、言葉を選びつつ、並べていく。

 というか、言いすぎだ。

 こちらを見た。


「でも、根はやさしくあろうとしてくれてます。そういうモードのときは、とくに。なんかずれてるけど、それでも真剣に私のこと考えてくれてるってのは、わかるんです。

 神津さんは私を見捨てない……見殺しにはしない、それは確かです。絶対です」


 強い目線。信じている、というよりは、信じ込もうとしているようにも見えた。いや、願望だろうか。

 いずれにしろ、それは根拠になってはいないのだった。

 けれど、奥の方で何か――熱のようなものが、発生した。悪くない感じがする。

 否定の言葉が、出なかった。

 悪くないのだ。しかし苦く、苦しい。

 逡巡。刹那のためらいの果てに、


「……それが、自分のためであっても?」


 予想外の言葉が出た。これは本心を表す、まぎれもなく不利な言葉だった。言わないにこしたことはないはず。

 鈴森はやわらかく笑った。


「いいんです。自分のために人を大切にできる……結構なことだと、私は思いますよ?」

「……そうか」


 純粋無知な成り立てJKの言葉に、俺は何も返せなかった。のが悔しいので、一矢報いることにした。 


「それ、死亡フラグだぞ」

「んなっ!?」


 それっきり、キンキン声を聞き流しつつ、ボス戦までシュミレーションを行うこととした。


 茶髪たちが行き、しばらくして。門が開錠される音が響いた。

 鈴森の呼吸が荒い。

 茶髪たちめ、散々悲鳴あげやがって。あんなの、ミノタウロス戦以来聞いてない。いや、ミノタウロスは一度倒していたから、実質的にはこれが初なのか。


「落ち着け、いつも通りやればいい。ステータス的には十分安全なはずだ」

「はっははいっ!!」


 だめだ、硬い。


「おい嬢ちゃんっ!! がんばれよっ!!」

「ふぇっ!?」


 後ろから、おっさんパーティーの声援があった。


「どーんと行ってこい嬢ちゃん!!」

「そうだっ気合いだ気合い!!」

「一発かましてこいやっ!!」

「色仕掛けも効くって話だぜっ!!」

「適当言ってんじゃねぇやバカっ!! 気にすんな嬢ちゃん、がんばってこい!!」


 見知らぬ中年から浴びせかけられる声援に、鈴森はあたふたしていたが、


「あ、あのそのっ……え、えっとありがとうございますっ!! かましてきますっ!!」


 ちゃんとお礼を言い、敬礼で応えていた。

 その後も無責任な発言が次々と飛び交う。それが鈴森の緊張を解いていくのだから、不思議なものだ。


「おいっ、にぃちゃんっ!! そのかわいい嬢ちゃんにもしものことがあったらただじゃおかねえぞっ!!」

「しっかり守れよっ!!」


 まったく、いい気なもんだ。

 自分たちも緊張しているからこそ、声を上げたい。お前らの心のうちなど、透けてるんだよ。たまに震え声が混じるから。

 適当言いやがって。


「当たり前だ」

「え?」


 こちらを鈴森が見上げてくるのがわかった。


「行くぞ」

「はいっ!!」


 扉を、押し開けた。





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