人さらいの襲撃
ダンジョンに潜って、三日目の午後。
俺たちは八階層で宝漁りを続けていた。
運を高めに設定しているため、モンスターも出ない。のんびりとしゃべくりながら歩く。
とはいえ。
「そろそろ引き上げるか」
鈴森もだいぶ疲れているみたいだし、だいぶ奥地まで潜っている。
結局ユニーク武器は手に入らなかったが、宝石はザックザク手に入ったし、経験値もそれなりに稼げた。
目的は十分達成したと言えるだろう。
「この先に小部屋ありますけど?」
地図を手に、鈴森が小首を傾げる。
疲れた顔色とは裏腹に、表情は楽しそうだ。
足取りも軽い。ごつごつとした岩の壁に片手をつきながら、スキップして道を折れる。まるで宝探しをしている子供のよう。いや、リアルとはいえ宝探しには違いないのか。
「じゃあそこを確認してから直帰だな」
「宝石あるといいなぁ」
「もう十分手に入っただろ」
「できれば全色揃えたいわけですよ」
鈴森はそう言って、コレクションを取り出した。
赤、黄色、緑、無色……いろいろあるが、なぜか青だけがない。そういえば、俺も青は見てないな。結構メジャーな色の宝石だと思うんだが。
「さふぁいや(サファイア)欲しいなぁ」
「どうせ全部売っ払うんだから同じだろ」
「売りません~」
ペロッと小さく舌を出してきた。
「いーや、全部売って黄金に変える」
「ダメです非売品ですっ!!」
「あっそ」
頑固なやつだ。
「それはそうと神津さん家の玲雄さん?」
「なんだい鈴森さん家のペットちゃん」
「そこは名前で呼びましょうよ!!」
毛を逆立てて(幻覚)威嚇してくる。
「んで、なんだ?」
「今日の夜何食べます?」
ワクテカ、といったご様子。尻尾があればふりふりしていそうだ。
泊まり込みの探索後には、ちょっとゴージャスなご飯を食べるのが決まりになっている。ダンジョン内では味気ない食事ばかりだから、そうでもしないとやってられないのだ。合宿が無条件で大好きなチビガキ以外は。
「んーそうだなー」
「わたし気になってるお店があるんです!!」
目を輝かせている。いつの間に調べたんだそんなもの。
「何の店だ?」
「肉です!」
「……またアバウトな……」
「あとパーフェなるデザートがあるそうです!」
聞き覚えのある食べ物。
「パフェだな」
「パーフェクトの略かもしれませんよ? 食べたいです」
鈴森はまだ見ぬデザートに思いを馳せた。
「じゃあそこにする――」
違和感。
「……」
立ち止まらず、会話を区切ったまま自然に歩き続ける。
ただし、意識を背後に向ける。
一瞬、視線を感じた。
友好的なものではない。しかし敵意、と呼ぶには熱量が足らない。それが発見を遅らせた。
この感じは、そう、獲物を狙う冷静なハンターのものだ。限りなく無感情に、こちらを観察している。
距離は近い。先ほど曲がった角あたりからこちらの様子を伺っているものとみた。
鈴森が不思議そうな顔をして見つめてきた。
「……神津さん?」
「小部屋には行かない」
「え?」
声が不安げに揺れる。
「……いいか。驚かず、落ち着いて聞いてくれ」
「は、はい……」
「……俺たちは、何人かの人間から悪意をもって狙われている」
「……」
鈴森は一瞬、ぽかんとした。
少女にとって、あまりにも非現実的な事象……一瞬で理解するには、鈴森は幼すぎた。
一秒。そして、
「……っそ、それって……」
鈴森の顔がこわばる。
「動揺するな。歩き続けて」
「……ぁ、はぃ……」
「急ぎ足にもなるな。難しいだろうが、平静を保って、いつも通りのペースで歩き続けてくれ」
鈴森の方を向き、無理やり笑顔を作り出し、頭を撫でてやる。
「へ?」
「そうだ。その調子」
鈴森はこちらを見あげ、元に戻る。幾分、落ち着いたようだ。後ろから見ても、そう違和感のある行動には見えないだろう。
「で、でも、どうして……?」
「人さらいだ。しかもかなり手馴れている」
油断はあった。しばらくはあちらから手を出してくることはないだろうと。しかしそれでもなお、こちらに気付かれず、あの数であそこまで接近できるのは、本職――プロの手際だ。
状況の悪さは、明確だ。
どこかで運悪く遭遇してしまった、というわけではないだろう。
つけられていたのだ。今朝、いや、もっと前からかもしれない。
ではなぜ、ことここに至るまで手を出してこなかったか。
人目につかないところ、かつ逃げ道がないところへ追い込むためにだ。
それに加え、こちらが一番疲れている機まで計算しつくしている。最後の宝を見つけて弛緩したところだ。
そして一人二人ではない人間を動かし、ここまで追い詰めてきた。
相手の本気が伺える。思わず歯噛みした。
「鈴森、地図を出してくれないか? 自然にな」
「はいっ」
地図を受け取る。
鈴森の震えが羊皮紙を介して伝わってきた。
この先、この道からは二本、道が出ている。
手前の道――右へ進めば、そのままさらに奥地へ進んでしまう。奥の一本、左へ進めばボス部屋への直線ルートと合流できる。このまままっすぐ進めば小部屋にぶつかる。
どの道へ進む?
「……どう、しましょう……」
鈴森の声は、いまだ震えている。
こちらが気付いていることを、敵に悟られたかもしれない。
だとしても、訓練を受けていないただのかよわい少女なのだ。鈴森に熟達した対応を求めることはできない。
普通に考えるなら、奥の道を折れて人のいるところへ抜けるという選択肢だろう。
しかし、それは読まれている可能性がある。
ここまで用意周到な敵だ。きっとあらかじめ俺たちのコースからだいたい襲う場所を決めて、罠を張ってきているに決まっている。
挟撃されればアウトだ。
なら、手前か?
けれどこちらにも配置されている可能性はある。
いっそのこと、こちらから攻めるか?
転進して、背後の敵を襲い、無力化。そのまま突っ切る。それが一番手っ取り早い方法だろう。
意識を後方に。敵の気配から大体の人数を予測する――十人前後。実力は状況から考えると、この階層にいる探索者より上だろう。ステータス的にはこちらと同格と言っていい。
無理だ。
一人二人ならまだしも、あの数を一人は厳しい。少し手間取れば、潜伏している敵に挟撃される可能性もある。
鈴森にはまだ対人戦の経験がない。
モンスターを殺傷するのとはわけが違う。自分と同じ人間に対し、明確な意思をもって殺しにかかるには覚悟と訓練が必要だ。彼女にはそのどちらもない。
「……あ、あの……」
鈴森の声。見ると、大きな瞳は不安に揺れていた。今にも溢れてしまいそうだ。
「大丈夫。大丈夫だから、安心しろ」
根拠のない言葉だ。
けれど、これしか言えない。
狙いは鈴森だ。それは明らかだった。そして鈴森もうすうす、そのことに感づいている。
――こいつを置いて行けば、確実に助かる。こういうとき身代わりにするための物じゃないか。
底冷えのする思考が湧いて出る。
「こ、神津さん……」
「ん?」
「置いて、いかないで……何でもしますから……捨てないで……殺さないで……」
異変。劇的なものだった。
何を感じ取ったのか。鈴森の顔は真っ青になっていた。パニック。これは、敵に対する恐怖じゃない。さっきまでとはまるで異質なものだ。
震えは見て取れるほど大きい。
匂いがする。
見ると、鈴森の内腿が濡れていた。失禁している。
いったい何が?
一瞬敵の存在も忘れた。
だが今は。
「大丈夫。置いてかないよ」
「……本当、ですか……?」
「あぁ」
頭を撫でてやる。
今は敵に集中しなければ。
これはもう、敵に感づかれただろう。
いや、まだだ。
タオルを出す。
「拭きな」
「ふぇっ!? す、すみませんっ!!」
真っ赤になった。そしてあせあせと拭き始める。
笑おう。そう思った。
とりあえず笑おう。もしかしたら勘違いしてくれるかもしれない。油断してくれるかもしれない。
鈴森がおもらししてしまう。それはダンジョン内でのトイレのタイミングが難しいことを考えれば、考えられない話ではない。それで泣いてしまったのだと思わせれば――
――今の内だ。地図は手元にある。こいつが下を向いている今駆けだせば、確実だぞ。
機械的な思考が割って入ってくる。
異形だ。歪な合理的価値観が主張してきた。確実に生存するための方法を探りだし、実行する、本能に基づく超合理的プログラム。
不快感。
その考えに対して偽物が発したのは、明確な生理的拒絶だった。
これは福音だ。この気持ちは大切に育てなければならない。
鈴森は守らなければならない。ここで捨てれば、大赤字だ。費やした費用分は、まだ回収できていない。
言い聞かせることで、異形を押しとどめた。
鈴森がタオルをしまい、再び俺たちは歩き出す。
鈴森に地図を渡す。
もう図面はインプットした。
先のパターン、それ以外もいくつか選出し、シミュレーションする。
「……あの……」
鈴森が話しかけてくる。
今度は敵に対する恐怖だろう。話していたいのだ。無理はない。黙りこくってしまったのは俺のミスだ。
「……あぁ、すまない。今逃げる算段を考えていた」
「何か、手が?」
「……」
主観を排し、客観的思考を生み出す。
完全なる客観視。この程度の能力なら問題はないらしい。一番可能性の高いルートを割り出し、最後に覚悟を決めた。
「相手は複数いる――それもかなり手馴れてる。やり手だ」
「……っ」
鈴森の瞳は、ほとんど円ほどにまで開かれている。先ほどのパニック――恐慌、一歩手前の状態だ。
ぽんと、鈴森の頭に手を置いた。ボディータッチは有効だ。
「後ろから来ている」
「うしろから……」
「振り返らないで。気づいたことがばれる」
「え……?」
理解していないようだ。
けれどかろうじて、振り返るのをやめてくれた。
鈴森の小さな心は、恐怖でいっぱいいっぱいなんだ。
「いいか鈴森、よく聞いてくれ。このまままっすぐ行けば小部屋に追い込まれてしまう。その前の道で折れなければならない」
「は、はぃ……」
震えを必死に押し殺そうとして、声が尻すぼみになっている。
「奥の方はだめだ。待ち伏せされているだろう。だから手前の道を右に折れる」
「ど、どこっ?」
鈴森が目で確認しようと、キョロキョロしだした。
「キョロキョロしないで。地図で確認するんだ。距離的にはここから百メートルくらい先」
「ぁ、はぃ……」
「そちらはたぶん平気だ。いたとしても一人二人だろう。それくらいなら俺が無力化できる」
できる限り楽観的に、状況を伝える。
危機的状況には、鈴森も何度か直面してきている。しかし、そのいずれも、鈴森は体が竦んでしまって何もできなかった。
それは当然なんだ。
だが、今回ばかりは自力で動いてもらわなければならない。
「合図したら走れ。曲がるまでは俺が先頭、無事曲がれたら先に行け。俺は後ろのやつをけん制しながら後を追う」
「け、けん制って……」
「大丈夫だ。俺の強さは知ってるだろう。そのあとは、余裕があれば道をふさげるくらいの結界を張ってくれ。足止めになる。それからだいたいこんな感じのコースをたどって最短ルートへ合流するんだ」
地図をなぞる。
「も、もう一度……」
「覚えなくていい。適当に走るんだ。まぁゴールのある鬼ごっこ程度だと思ってくれ。もし何かあれば俺が指示する」
「鬼ごっこ」
意味もなく復唱してくる。肯定の言葉が欲しいということ。
「そうだ。大丈夫か?」
「は、はい」
声が固い。ほぐしてやらないと。
「鈴森、大丈夫だ。一人くらいは。お前一人くらいは、必ず守る」
鈴森が、呆気にとられたような顔をした。そして、やわらかく微笑んでくる。見たことのない、鈴森の表情だった。
「……二人、ですよ?」
「……え?」
思わず、鈴森の顔を凝視してしまった。
「神津さんとわたしで、二人。無謀なことは、しないでください」
どくんと、胸が大きく波打った。
「……あぁ、そうだな」
思わず、鈴森の頭に手を伸ばした。
「えへへ、たくさん撫でてもらっちゃった」
照れたように笑っている。
「うん、いい笑顔だ鈴森愛蘭」
「なんか、怖くなくなってきました」
「大丈夫だな、軍曹」
「大丈夫であります」
敬礼してきた。余裕が戻ってきたらしい。
「……そろそろだ。待ち伏せはいないらしい」
「……はい」
目線だけで道を確認し、真顔になる。
「走れ」
小さな背中をぽんと押してやると、鈴森は駆けだした。




