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カミングアウト

 夕方。

 鈴森と別れたあと、二階層まで下りて、また地上に戻ってきた。

 ステータスを『敏捷』に偏らせれば、大迷宮の中と言えどもそれほど時間はかからない。

 そもそもダンジョン内は、同じような景色がいくつも連なっていることと、蜘蛛の巣のように張り巡らされたやたらと多い分岐、そしてその分岐から生まれるいくつもの道が複雑に絡み合うことで、探索する者に巨大だと錯覚させているだけだ。

 最短距離をたどればせいぜい二、三キロといったところ。


 一階層のボスは剣を手にしたゴブリンだった。

 名はゴブリンナイト。それ以外のことはよく覚えていない。金棒で殴っておしまいだったから。

 ミノタウロスの金棒、こいつは本当に使える。

 攻撃力はなんと五十二。破格もいいところだ。

 代わりに『敏捷』に十のマイナス補正が付くが、『筋力』にポイントを極振りして『運』をゼロに。あとは小部屋にいるだけで雑魚共が勝手に湧いてくるから、その場でぶんぶん振り回すだけでガンガン経験値が稼げる。

 なんかゲームで裏ワザ使った時のような感じがした。『自動レベル上げ』とかそういう類のやつ。


 入り口には鈴森がいた。予定時刻にはまだだいぶ早いのだが、待ってくれていたらしい。

 そんな余裕ないくせに、本当にバカな少女だ。

 目が合う。

 すると、とててっと駆け寄ってきた。


「おつかれさまですっ」

「あぁ、お疲れ」


 合流し、ギルドへ向かう。今日の成果が楽しみだ。

 そういえば。


「どうだった? 三人組は見つかったか?」


 尋ねると、鈴森はちょっと残念そうな顔をして首を振った。


「いえ、だめでした。人が多すぎますし、みんなもうそれなりの装備をしているからか、私たちのように見ただけでそれとわかる人はほとんどいません」

「……そうなのか?」


 まだ始まって三日だというのに、もうほとんどの人が装備をそろえているのか?

 いや、俺だって相当な効率で進んできているはずだ。鈴森のことがあるから最大効率ではないけれど、そこまで後れを取るとは考えられない。

 スキルの差? 

 けれど固有スキルにそこまで差があるとは考えづらい。俺と鈴森の差だってこんなもんだし、現に鈴森は俺がいなければ今頃、路頭に迷っていただろう。

 では、ほかに考えられることは?

 答えは、至極簡単なものだった。

――この三日間で、ほとんどの挑戦者がゲームオーバーないしそれに近い状況になっているんだ。みんないい防具をつけているんじゃなく、初期装備で生き残っているやつがいないということ。

 ごくりと、思わず生唾を飲み込む。

 絶対ではないが、確信はあった。

 いきなり小銭程度の金を持たされ、異国の地へ飛ばされる。ゲームだといわれて遊び感覚でダンジョンに潜れば、本物の殺意を持った化け物の餌食だ。かといって何もしなければ、一晩宿に泊まっただけで文無しである。輪廻転生が報酬となればなおのこと、ダンジョンに潜らざるを得ないだろう。

 そしてダンジョン内での生存競争に打ち勝った者だけが今生きている。

 そもそも、人間の運動能力なんてゴブリン以下なのだ。相手が無数にいること、それと初期装備がごみクズである以上、戦い方を身に着けていなければ勝てるわけがない。

 これは当然の結果なのかもしれない。


「ど、どうしたんですか?」

「……いや、なんでもない。残念だったな」

「はい。でもまぁ、そのうち見つかりますよ!」


 明るそうに笑いかけてくる。

 わかりやすいもので、ちょっとひきつっている。無理しているのバレバレ。心配は、日に日に濃くなっているのだろう。

 このことは鈴森には言えない。

 黙っておくことにした。



 ギルドに到着。

 時間帯が悪いのか、中は大変に混雑していた。

 当然、お素材コーナーは大変賑わっており、割り込み喧嘩何でもありの状況だ。

 怖い。

 なんとなく懐かしさとおばちゃん軍団を思い出しながら、お行儀よく最後尾に並ぶ。

 日が暮れてしまうだろうが、しょうがないだろう。

 あぁ、本当は買い物して帰る予定だったんだけどなぁ。さすがに下着くらいはほしいし。

 そういえば、この世界の下着ってどんなものなんだろうか。遠目にパンチラ拝見した感じだと、下界のそれと似てたようだけど、どうなんだ?

 男物はいたって普通のステテコ(生地は意外と滑らか)だが、女物は? セクシーなショーツとかならいいなぁ。


「なぁ鈴森」

「はい?」

「下着ってどんなのはいてるんだ?」

「はいぃ?」


 二回とも同じ言葉を用いながら異なる意味を込めるという高等技術を、鈴森はいとも自然にやってのけた。


「いやさ、男物は普通のステテコなんだけどさ、女物はどうなってんのかなぁと思って。見せて?」

「女だって普通のパンツですっ!!」


 鈴森、大衆の視線を一身に受ける。 


「あ、あぅぇぅ……」


 情けない声とともに赤くなり、顔を伏せてしまった。


「恥ずかしい奴だな」

「神津さんのせいでしょうがっ!!」


 会話が途切れる。いたって自然な流れだった。

 しかし、このままだと日が暮れるのは確実だ。

 どうするか。

 手持ちの金だけでも下着くらいは買えるだろう。さすがにこれ以上同じ下着を履き続けるのは嫌だ。鈴森だって、いや、鈴森の方がそう思っているに違いない。

 買ってきてもらうか。


「なぁ鈴森」

「はいぃ?」


 おチビ様はガンをおくれなさった。


「パンツ買って来てくれないか?」

「なんで私が神津さんのパンツを買ってこなきゃならないんですかっ!!」


 至極まっとうな意見だが、鈴森、再び大衆の注目を浴びる。


「あぅぇぅぁ……」


 情けない声とともにまっかっかになって、さらにコンパクトになってしまった。


「恥ずかしい奴だな」

「またそれですか!!」


 怒鳴り声をスルーし、無理やり会話を続ける。


「いやだからな、お前もパンツ欲しいだろ? 何日も同じの履いてて、気持ち悪いはずだ。だから俺の金預けるから、適当に買って来てほしいんだ。ついでに自分のも買えばいい。このまま二人で待ってたら買えなくなっちまう」

「あぁ、それならそうと最初から言ってくれればよかったのに」

「いや、言ったぞ」


 三百Gの入った袋を取り出す。

 ほぼ全財産だ。

 鈴森がこれ持って逃げたら? 一瞬そんな言葉が脳裏を過る。

 まぁ大丈夫だろう。逃げたとしても捕まえられる。

 手渡す。


「えへへ」


 なぜかにやついている。


「やらんぞ。釣りは返せ」

「ちっ違いますよ! そういう理由で笑ったんじゃないですっ!」

「ならなんで」


 鈴森は、ちょっと間をおいた。


「信用、してくれているんだなって」

「は?」

「ほら、これって神津さんの全財産じゃないですか。それを預けてくれるってことは、そういうことでしょう?」


 何言ってるんだこの脳内花園娘は。


「まぁそうだな」

「えっ?」

「俺は信用している。……お前の弱さを」

「えっ?」


 鈴森はまたも、同じ言葉で、それもたった一文字で、二通りのニュアンスを使い分けた。

 初めは期待を込めて、次は呆気にとられて、その文字を発したのだ。


「……逃げても捕まえられるってことだ。さっさと行って来い」

「なんですかそれぇ」


 不満たらたらといった様子で、それでも、鈴森はとててっと駆けていった。



 日が沈んで少しして。

 ようやっと番が回ってきた。思ったより早かったのはポニテ受付が優秀だからだろう。


「またあなたですか」

「開口一番それですか」


 ようこその一言もない。ちょっと顔なじみになってきたからってこのアマ。


「日に二度も三度も来るような人ほかにいませんよ」

「三度も来てないです。それにあんなはした金じゃもちませんよ」

「七百Gをはした金ですか。ド新人にしては大きく出ましたね」


 あれ、ちょっとムッとした? 


「……こっちにはペットがいるんですよ。まぁいいか。これ、お願いします」


 相当イラついているのか。ちょっとあげ足とったら口論に発展しかけてしまった。

 しかし周りを見て、こらえる。

 俺って超紳士。アダルティー。

 なるたけ大きな音を立てて、素材の山を投下した。


「……これを半日で?」

「おモチだ(=もちろん)」

「……油断した……しばらくおまちください……」


 少し焦り気味に、素材の山を解体していく。

 ふふふ、午前中に一回来てるからって油断したな? さぁ、あえてごちゃ混ぜにして出したガラクタどもと存分に戯れるがいい。

 ステータスから取り出す時に分別すればいいものを、あえて一緒くたにしてつきだしたのだ。腹が減って機嫌が悪い俺だった。


 しばらくして。


「えっと……合計で二千七十Gです……」


 げっそりした様子でコインを渡してくる。内訳するのも忘れていた。


「どうも。……おつかれさまです」

「仕事ですからぁ。薄給でも食いっぱぐれないならサビ残(サービス残業)だって厭いませんよぉー」


 あははーと、何かが抜けたような笑みを浮かべている。

 なんかちょっと申し訳ないな。

 そしてこの受付、意外と黒い。

 野放図な生き方をしている探索者どもを相手に、五時終了などという決まりは無いも同然。ギルド内の時計の短針は、すでに真下を越えている。

 ご愁傷様です。

 いまだ終わりが見えない行列の先頭へ向けて、両手を合わせた。


 その後鈴森と合流して適当な場所で腹を満たし、昨日と同じ場所に宿をとった。

 新しいパンツは色違いのステテコで、なんの面白味もないものだった。



 それから三日間同じような毎日を繰り返した。

 鈴森もようやく戦いに慣れてきて、一緒に三階層まで下りられるようになっている。とはいえ短剣を使った接近戦の方は壊滅的なままで、結界による攻撃に頼りっきりだ。

 鈴森が編み出した結界による戦術とは、一度ふつうの結界を張ることでモンスターを集め、ある程度になったら解除。そして少し小さい範囲にウニ型の結界を再び張ることで、勢い余って飛び出したモンスターを串刺しにするという、鈴森らしからぬ過激なものだった。

 最初のうちは殺すことにショックを覚えていたようだが、死体が残らないというのが幸いしたのか、すぐに慣れていた。今では突き刺した後に鼻歌を歌いながらとどめを刺すこともできる。

 そして俺は基本的に五階層で裏ワザを繰り返していた。

 この技を使って戦うと、金棒が重いからかぐんぐん『筋力』が伸びていく。

 どの値が上がろうと俺には関係ないのだが、やはり戦い方によって得られるボーナスは変わってくるらしい。鈴森は体力を削った戦い方をしているからか、体力が順調に伸びているのだそうだ。

 また、一緒に戦っていると、ある程度ボーナスの共有が起こるようだった。

 ミノタウロスの時に気付いたのだが、俺が戦ったにもかかわらず、鈴森のステータスも上がっていたらしい。詳しいことは分からないが、ゲームで言うパーティーとみなされているのだろうか。


 ともかく、鈴森のステータスは上がったし、ある程度戦えるようになった。

 義理はもう十分果たしただろう。そろそろ別れて、本格的にクリアへ向けて動き出さなければ。


 目が覚めて、ベッドの中でそんなことを考えていた。というか、昨日の朝からずっと同じようなことを考えていた。

 その時、


『みなさんおはようございます』


 あの声がした。

 声というにはあまりにも無機質な何か。それは鼓膜を揺らすことなく脳内に直接響いた。

 それと同時に、下のベッドからガタンっという間抜けな音が聞こえた。鈴森が跳ね起きたらしい。


『残りプレイヤー数が十分の一を切ったので、その報告をさせていただきます。

 残存プレイヤー数、十名。トッププレイヤーの最高到達階層七。

 では引き続き、ゲームをお楽しみください』


 ぶつりと、電源が切れるような音を残して、『声』は消えた。


「神津さんっ!! 今のっ……」

「あぁ、聞いた」


 鈴森がベッドから這い出て、こちらを見上げていた。


「あと十人だなんてっ!! まだ始まって一週間もたってないのに!?」

「落ち着け、鈴森。ここからはそう簡単に減ってはいかないはずだ。この十人は最も厳しい開始直後を乗り切った者たちだから、そう簡単には脱落しない。皆、自分の能力の使い道を十二分に理解しているはずだから」


 鈴森を、極力落ち着いた声を意識して宥める。

 だが、これは予想以上にまずい展開になった。

 急速に早まる動機を抑えつつ、状況を整理する。

 残り十人、この中にイレギュラーがいる。いまだ捕まる気配のない、殺人鬼だ。

 Bランク探索者の話しぶりから察するに、その黒いフードの人物は挑戦者に違いない。

『膨大な実戦経験を持ちながら低いステータス』

 これは俺のような挑戦者とぴったり合致する。下界で何らかの武道を経験していたか、あるいは自衛隊のような組織に所属していたか。

 しかし重要なのはそこじゃない。

 今考えるべきなのは、なぜ、開始直後数日で殺人鬼へ変貌したのか、だ。可能性は二つある。

 一つ目は、このゲームの裏、すなわち転生できる魂が限られていることに気付いた可能性。

 その場合目的は、ほかの挑戦者を殺し、報酬を確実に得ることだ。

 二つ目は、もともとそいつがサイコパス、あるいは快楽殺人者の類であるという可能性。

 それは最悪の事象であり、最も蓋然性が高い。今回の場合、相手がこの類であることを前提に考えるべきだ。

 なぜ、サイコパスの類だとまずいのか。

 その場合、相手の目的がこちらからは押し測れないからだ。

 彼らは、普通ならまかり通らないような理屈で人を殺す。だから説得は不可能だし、次の行動が読みづらい。

 なにより、一つ目の場合は基本的にゲームのクリアを目標とするが、二つ目は殺しを目標とする。つまり、俺たちを全員殺すまで、決して終わることがない。

 近いうちに殺しあうことになるだろう。

 避けることはできない。


「……さん!! 神津さん!!」


 鈴森の声が聞こえた。

 しまった、また没頭してしまっていた。脳の奥がピリッと熱い。目をぎゅっと閉じ、開く。


「悪い、ぼぉっとしてた」

「はぁ……ってそうじゃないです!! 十人ってことは、あの人たちは……」


 例の三人組のことだろう。


「……どうだろうな」

「探しますっ!! 後ろ向いててください」

「おいっ!」


 言うや否や、俺がいることにもかかわらず部屋着から冒険者の服に着替え始めた。

 とりあえず後ろを向くが、勝手に行かせるわけにはいかない。狙われているとわかった以上、単独行動は危険だ。

 いや、そんなのこの子の勝手では? 俺の口出すことじゃない。そもそも、そろそろ別れて本格的に攻略へ乗り出さないと、俺の命も危ない。

 と、そんなことを考えているうちに、


「行ってきますっ!!」


 鈴森が着替え終わったらしい。


「あっおいっ!!」 


 俺の声は扉が閉まる音によって阻まれた。


「……たく」


『行ってきます』か。

 ありふれているはずの言葉。けれど貴重だった。たった六音に含まれた意味は大きい。

 何かが浸み込んでくるような、不思議な感覚。手足が甘く痺れた。


「……しょうがない、か」


 無意識につぶやく。言って、驚いた。

 なぜ、そんなことを言ったのか。

 義理を果たし、もうすぐ別れ、そして二度と会わないはずの相手を、これ以上気に掛けるメリットなどどこにもないはず。

 今最もすべきなのは、ダンジョンに挑戦し、次のレスト・スポットへ向かうことなのではないだろうか。もうこの町に用はない。強くなるためにも進むべきなのだ。

 けれどいまいち気分が乗らない。


「……うん?」


 考える。

 そうだ、ようやく鈴森をここまで育ててきたのだ。払った時間――対価は少なくない。ならば見返りを得なければ割に合わないじゃないか。どうせならきっちり元を取ってから別れよう。

 だから今日のところは――。 


「なるほど、これはしょうがない」


 独り言。しょうがないから、今日のところは付き合ってやるとしよう。

 

「さぁ行きますかっ!」


 陰鬱な気分を振り払うため一声を上げ、ベッドから飛び降りた。

 

 



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