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「水晶の魔女」の魔法塾

男の魔女リオと姉弟子たち

作者: 蒼久斎

 「修辞の魔女」アヤの姉弟子、マリ門下の大天才魔女エリカ、いよいよ登場! でも主人公は一応リオ君です。才能あふれる姉弟子たち相手に、でもめげずに頑張ることを決意するよ! 姐御たち(特にアヤ)がスパルタきわまりないけどね!



 川辺かわべ理生りおは「男の魔女」である。

 世界的大ベストセラーとなった魔法学校の物語においては、魔法を使う男が「wizard」で、魔法を使う女が「witch」と表記されていたが、リオは堂々と、己のことを「male witch」、すなわち「男の魔女」と名乗っている。

 というのも、リオたちが所属する「系統」では、「魔女(=witch)」と「魔術師(=wizard)」との差す範囲が、明確に役分けされているからだ。「魔女」は「世界の声を聴く存在」であり、「魔術師」は「人間に囁いて操る存在」だ。リオは、徹底的に「聴く」ことに特化しており、何をどうあがいても、人に「囁く」なんて、器用な真似は出来ない。

 リオは、「歴史の魔女」マヤの弟子である、「詩歌の魔女」マリ一門の中で、いわば「末弟」に位置する存在だ。最古参の兄弟子だったアンリ……マリ先生の実の息子でもある……は、すぐ下の妹弟子となった二人、エリカとアヤの才能に嫉妬するあまりに、「魔女」としての「道」は踏み外した。彼は、己の欲望のために、他者に囁く「黒の魔術師」に堕ちた。師であり実母であったマリ先生の悲嘆は著しく、魔女の子は魔女にすべからず、という掟まで作ったほどである。

 もっとも、アレは相手が悪すぎる、とリオは思う。いや、マリ先生の弟子を見る目があり過ぎた、とも言える。エリカもアヤも、はっきりいって規格外の天才なのだ。妹分だと格下に見てしまったことが、アンリにとっての不幸の始まりだった。

 エリカ、アヤ……二人とも「魔女」を名乗っているが、どちらも「魔術師」としての資質も十分に兼ね備えている。あまつさえ、アヤは「白」だが「魔術師」と結婚した。マリ先生の猛反対を、どう説得したのか、リオは詳しいいきさつは知らない。知る気もない。

 ただ、アヤの結婚相手である「錬金の魔術師」リョウについては、とりあえず「悪い感覚」を受けることはなかった。リオにしてみれば、それで十分だ。

 ウランガラスを媒体に、連想法を使った催眠暗示による心理戦を得意とするリョウは、アンリにもっとも「恨まれている」一人であろう、アヤにとって、強力な味方でもあるだろう。

 最近では、アヤは自分の「魔法」理論に、リョウから教わった「魔術」理論を組み合わせ、独自に「魔道」なるものを編み出しつつあるらしい。個人の天賦の才と、個別に体感した経験則に拠る部分の大きい「魔法」に対して、共同体の中で連綿と受け継がれた知識・知恵を母体にして発達してきた「魔術」は、理論化という点では魔法よりも優位にある。

 アヤの頭脳をもってすれば、現在リオたちが使う「水晶の魔女」の「魔法」は、さらに一段階以上の、飛躍的発展を遂げるかもしれない。いや、現状、アヤ個人で見るならば、魔法と魔術とを折衷した、新しい術式や儀式は、すでに実践可能な段階に来ている。アヤの門下は、すでに10人を超す大所帯となり、最古参の弟子は、今度はいよいよ「一人前」としての「認定試験」に臨むはずである。

 実に、優秀極まりない、姐御である。


 仲間なかまあやこと、アヤ姉さんの、スーパー姐御伝説。

 まず、夫から与えられた知識を、自分の知識や経験などと照らし合わせて、アヤは新しい「魔女用魔術杖」の開発に成功した。

 もともと、マリ師匠の父親が「魔術師」であったことから、この門下では術の補助に杖を使う傾向が、最初から一応あった。だが、マヤ大先生とマリ先生が開発した「杖」は、「世界」から「受信」することに重点が置かれたものだった。魔女の杖だから当然だ。

 だがアヤは、膨大な知識を、専門分野である「修辞」と組み合わせ、さらに地学と化学をベースにした理系知識を噛み合わせて、内包物インクルージョン型水晶から「科学(・・)反応」を引き起こす形で、世界に「干渉」して、「心象」を「現象」に昇華させる技術を編み出した。

 初めて「魔女用魔術実戦杖」の実用実験を見学した際には、大いに驚愕したものだ。

 「水晶の魔女」の魔法は、水晶を「小さな地球」に見立てて、それを媒体にこの世界の声を「聴く」ことから始まる。アヤは、魔術師の理論を魔法に組み合わせ、見立ての水晶を媒体に、逆に「世界に干渉」する道を開きつつある。それが彼女の開拓しつつある「魔道」だ。

 正直に言おう。リオの頭脳では、まるきり理解できない。

 リオは「一点特化型」の魔女だ。師に特に指導されるわけでもなく、その才を開花させる存在のことを「野生の魔女」と呼ぶ。時々、哲学者や詩人にいる。リオは「野生の魔女」として、すでに成長途上にあったところを、マリ先生に拾われた。おかげで能力自体は「制御可能」になったのだが、「野生」時代の名残で、今でも直感や「皮膚感覚」で動く部分が多い。

 早い者ならば中学生から修練を始めるというのに、リオが本格的に訓練に入ったのは19歳。あれから7年経つ今も、マリ門下の「末弟」だ。先生もお歳だし、おそらくは自分が最後の直弟子になるだろう、という気もする。

 その最後の弟子が、野生くずれ(・・・)の、手間のかかる不肖の弟子であるということは、ちょっと申し訳なくも思うが、しかし好きで野生の魔女になりかけていたわけでもない。何度も言うが、魔術師とは違い、魔女の能力差は、天稟によってある程度ついてしまっている。

 それが「適性なカリキュラム」によってコントロールされれば、エリカやアヤのような存在にもなりうるが、コントロール不能なほどに「聴こえる」ようになれば、最悪、自我さえ保てなくなる。天才的詩人の不安定さのようなもので、才能があることが、イコール幸福ではないのだ。

 リオは、自分が「天才」であることは分かっている。言語化される前に感覚でわかるし、感覚でわかるが故に、うまく言語にも変換できない。魔法は使えても、魔術を使うことには徹底的に向かない。なんとか言語に変換しようとすると、奇怪な「詩」になってしまう。

 未来永劫、己が誰かの師匠になることはない、だろう。

 なら、「聴こえ過ぎる」が故に「制御不能」になりかけて、苦しんでいた自分に手を差し伸べ、「声」との付き合い方を教えてくれた、恩師や姉弟子たちに、自分は何ができるだろう、と考えた。




 師から受けたものを発展させ、弟子へと伝える存在に、リオはなれない。

 出た結論は、ならば自分の能力を生かして、彼女らの助けになる、だった。

 「水晶の魔女」には、「適合水晶」や、その中でも特に替えの利かない「つがいの石」と呼ばれる、特別な水晶が存在する。まぁ、鉱物学的には、水晶とは限らない。二酸化ケイ素を主体にする、石英系……大シリカ・グループの鉱物ならば、だいたい何でもOKなのだ。内包物インクルージョンによっても、各魔女の使える「魔法」の傾向にも差は出てくる。

 例えば、紅水晶ローズクォーツが「適合水晶」の「水晶の魔女」は、回復系が強い。紫水晶アメジストが「適合水晶」の場合は、危険探知能力が高くなる。

 リオは「両錐光輝水晶ハーキマー・ダイヤモンド」の「水晶の魔女」だ。

 俗に「番なし」と呼ばれる、無色透明系の水晶の魔女とは違い、せめて「アーカンソー産」との相性が良い、ということが分かっていることが、まだマシな点だろう。無色透明の水晶を適合水晶とする「魔女」は、得てして器用貧乏になる傾向があるのだ。

 もっとも、アヤ姐さんクラスまでになると、器用貧乏というより、オールマイティと呼んだ方が良いのかもしれない。自他ともに疑う者もない「天才魔女」である彼女だが、「適合水晶」は、無色透明の水晶である。普段は、俗に言う「レーザー水晶」を使っているが、必要になれば、放射線で人為的に着色して「黒水晶モリオン」にしたものも扱える。ただ、負担はそこそこあるようで、夫のリョウとの連携術式の行使の際にしか使わないらしい。

 ちなみに、連携術については、一度実戦訓練を見学させてもらったことがある。

 人工着色の黒水晶モリオンと、ウランガラスとの、放射線を利用したコンマ以下の連係。そして、錬金術の基本である、真鍮線を使った「チカラ」の伝達機構。

 最初の杖では、ここから「レーザー水晶」を通じて、現象の発生を起こしたわけだが、その後も「魔改造」は着々と進んでいたようだ。

 というか、天才姉弟子アヤ様の新作杖が、アレで終わるわけはなかった。

 紫水晶アメジストを使った「危険探知」、紅水晶ローズクォーツを使った「攻撃防御」、黄水晶シトリンを使った「鉄分への干渉」、乳白水晶ミルキークォーツを使った「中和・回復」、緑水晶グリーンクォーツを使った「逆探知妨害」……ここまでは、各々を適合水晶にする「魔女」たちのワザだ。

 ……それを、一人で全部やっている時点で、すでに化け物なのだが。

 が、圧巻なのは、この後の「効果相乗」機能だった。

 蜜柑水晶タンジェリンクォーツ針入水晶ルチルクォーツの効果相乗による、鉄成分を使う物理攻撃の「具象化」に、遊色蛋白石プレシャスオパール煙水晶スモーキークォーツの効果相乗による、屈折率操作による蜃気楼の「発生」……とどめに、檸檬水晶レモンクォーツの硫黄分を応用した、爆破。どこの特殊部隊か、テロリストか。

 さすがに最後は硫黄の量が足りなかったらしく、追加用の檸檬水晶レモンクォーツを手にしていた……というか、ぶっちゃけ、手榴弾よろしく投擲していたが。

 ドッカーンという爆発の後に、ポカーンと口を開けたのは、ほぼ全員だった。

 あのマリ師匠ですら、あまりの威力に絶句していた。


 まぁ、このように、リオの姉弟子サマは、とんでもない天才なのだ。

 リオ自身は、とにかく真っ先に開花してしまっていた「聴く」能力を、鉱脈探知に応用することにした。石英は地中に大量に含まれているが、リオは高純度の鉱床を探すコツを掴んだ。ただ、どんなコツかと問われれば、答えに窮するのが、リオのリオたる所以である。

 大学を卒業してからは、世界各地の鉱山に出入りし、情報収集と、貴石系の宝石掘りには「くず石」の石英系鉱物の採集に励んでいる。一応、鉱物採集業の、水晶専門バイヤーを名乗っているが、ようは「天文の魔女」たる姉弟子サヤの言うところの「風来坊」である。

 鉱脈探知術を完成させた際に、師から一応「律動の魔女」を名乗ることは許されたが、じゃあ何ができるかと問われれば、やはり「魔法」らしいことは、ろくすっぽできない。まぁ「普通の人間」には探知できないものを探知する能力、というのは、それでも十分魔法かもしれないのだが、天才すぎる姉弟子たちを見ていると、正直に言って自分が見劣りするという自覚はある。

 この度、めでたく新米師匠となったサヤの一番弟子、ミサの前では格好をつけてみたが、いうほどには実力がないことは自分自身でよく分かっている。

 だが、リオは、今更ながら、頑張ってみることにしたのだ。

 インドで出会った「魔法使い」の友、「芳香アロマの探究者」ソーマと話すうちに、自分の中にすでに「姉さんたちには敵わない」という諦めがあったことに、気づいた。

 敵わないからといって、諦めるのではなく、敵わなくとも、自分自身を磨くことに意味があるのだと、ソーマの生き方が教えてくれた。

 千年以上の歴史を持つ、インドの伝統医療「アーユルヴェーダ」を研究するソーマは、膨大な先行研究の蓄積に加えて、さらに自らの研究をしなければならない。その困難な道のりを、けれども、笑って生き生きと楽しむソーマの姿は、リオに「ただの鉱脈探知屋では終わりたくない」という気持ちを芽生えさせた。

 マリ先生は、少し困ったように微笑みながら、私が死ぬまでにあなたを鍛えきれるかしらね、と言っていた。そこまで面倒を見てくれるつもりであることが、リオはうれしかった。

 アヤもエリカも天才だ。だが、彼女たちの才能は、長きにわたるたゆまぬ研鑽もあってこそ、あのように輝いているのだ。

「宝石は、磨かれてこそ光る……まさに、そうだと思わないか?」

 インド・ジャイプールの町で、ソーマはそう言っていた。

 宝石研磨業が盛んなインドでも、特に多くの業者が軒を連ねるあの町の、小さな工房の一角で、ソーマはそう言って、研磨済みの宝石と原石とを並べて、リオに笑いかけたのだ。まったく、そのとおりなのだと、あの時、改めて感じた。

 くすんで形も整わない、少し色がついた程度の石だったものが、熟練の職人たちの手によって、精巧なカットを施されることで、美しい煌めきを宿して、高貴な輝きを放つようになる。ルビー、サファイア、エメラルド、その他のたくさんの宝石たち。

 産出したその時点から、宝石と分かるほど良質のものは少ない。だが、見るものの目には見えるのだ。それが磨かれた時の、本当の輝きというものが。




 多分、マリ先生は、原石を見抜く能力が、恐ろしく高い。

 本人が気づいているかどうかは分からないし、アンリの件で傷ついているだろうから、藪をつついて蛇を出すような真似は避けたい。でも、そうだろうな、と思う。

 通常なら、器用貧乏で終わりそうな「無色透明の水晶」の魔女であるアヤが、あれほどに多様な術や儀式を編み出し、新しい「魔道」を切り開きつつある。

 オパールが適合水晶のエリカに至っては、まさに「魔女」と形容するしかない、凄まじいまでの「世界との交信能力」がある。通常、魔女は「受信」側なのだが、エリカは世界に、アヤのような理論化の作業をさして必要とせずに「干渉」できる。圧巻は「月夜の歌」だった。

 振動探知系能力を伸ばしてきたし、またその分野についてだけならば、いささか自信もあるリオだったが、姉弟子エリカの「月夜の歌」を見た時には、その凄まじさにただただ立ち竦んだ。植物質珪酸化物(プラント・オパール)への干渉による、植物の生育への介入。

 月光の下をのんびり裸足で歩きながら、エリカは、大地と大地に根差す植物たちの「声」を受信し、それに「歌」という「振動」で干渉したのだ。

 即興の「造語」で紡ぎ出される「歌」は、人間の言語の認識を超えた「世界の感覚」を、リオにまで伝えてきた。声帯の両側の膜を違う周波数で振動させ、同時に違う音程を出す「二重声」……モンゴルの伝統歌謡・ホーミーなどで使われている技術だ……あるいは「こだま」を応用した音の重ね掛け。きっと計算ではない本能で、彼女は「あれ」をやってのけていた。

 あの瞬間、自分には姉弟子たちの背中を見送ることしかできない、と思った気がする。それほどまでにエリカの「歌」は圧倒的で、リオは自分が、やはりただの「振動探知機」でしかない、と感じたのだ。

 エリカだって、最初からあんな大技が使えたわけがないだろう。

 でも、自分はきっと絶対に、こんなチカラを手に入れることはできない、と思った。

 けれど今、音波を扱う一人の魔女として、リオはエリカを目指す。

 アンリのように、功を焦る必要なんてないのだ。

 幸か不幸か、いや、今となってみれば幸運なことに、自分は「末弟」に過ぎない。

 だから姉弟子たちの背中を、自分のペースで追いかければいい。

 ソーマと出会って、鉱山を共にめぐる中で、リオはそう強く感じた。

 年とともに研鑽を重ね、賢者マギの境地に到達しつつある、ソーマの師匠・讃歌ヴェーダ導師グルヴィカス。そんな師との圧倒的な実力差を前にして、「だから追いかける楽しみが止まらないんだ」と、目を輝かせて語れるソーマの姿に、長い歴史を背負い、その中で鍛えられてきた、インド系魔術の底力を感じた。

 このままでは終わらない。終わりたくない。

 そう、あの磨かれる前の石と、磨かれた後の石を見て、強く思った。


 自分だってもっと、輝けるはずだ、と、あの時、ようやく、思えた。

 それほどまでに、姉弟子たちは優秀だった。

 でも、彼女らが優秀だからという理由で、自分が諦める必要など、なかったのだ。

 水晶は、ダイヤモンドにはなれない。

 けれど水晶には水晶の美しさ、水晶としての輝きがある。

 それを感じた瞬間に、リオは、自分が常日頃から身に着けている「魔女」の装身具……「ハーキマー・ダイヤモンド」を内側に編み入れたペンダントが、熱く「揺れる」のを感じた。

(ああ……この石が、僕の「適合水晶」なんだ……)

 久しく忘れていた感触だった。

 初めて、この石に触れた時に感じた、ほの温かな熱。

 いつだって、それを「聴いて」いたはずだった。

 けれどあの、ダイヤモンドにはなれなくとも、水晶なりの輝きを追おう、と決心した瞬間に、リオに伝わってきたのは、もっと熱くて、鮮烈なものだった。

 まるでくすぶり続けた熾火に、一気に酸素が吹き込まれたかのように。

 それから、とにかく、まずはサボった語学の取り返しを始めることにした。話し言葉は「音」だ。振動探知系能力者であるリオとは、相性は悪くない。

 それから、音楽。ただの「振動」ではない、意図をもって紡ぎだされる「ふるえ」を、カタチにすることを学ぶ。それは今までの「勘」を、きちんとした「理論」に変えていく、リオの苦手な作業だった。

 しかし、口が悪かったりもするが、個性的な姉弟子たちは、実際のところ、基本的には面倒見が良い。特にアヤとサヤは、リオの拙い言語表現能力からでも、その才能を伸ばす手助けができるだけの人材になっている。サヤの理系的な論理思考が、アヤの文系的な論理思考と組み合わさると、リオは自分の「魔法の道」に、少し灯りがともったような気がするのだ。

 リオの拙い「歌」を、サヤは数値化して分析・処理し、アヤはそれを、言語で表現された理論にまとめなおしてくれる。どの振動数で、どの反応が出て、どの状況下ではどの「音」が適正か……さすがに「魔術師」を夫にしているだけあって、アヤの理論化能力は、門下随一だ。同時に複数人の弟子を抱えて育てる経験を、すでに積んでいることもあり、教えることもうまい。

 一度そう言ったら、「教師が本業だからな」と言われてしまったが。

 リオの鉱物採集業とは、少し違うかもしれないが、たしかにアヤの「本業」は教師だ。自分たち「水晶の魔女」にとって、「魔女」は職業ではなく、ただの「姿」でしかない。生まれつきに備わっている、ちょっとした能力が、少し「標準」からずれているだけで。




 ぶち抜け過ぎた天才・エリカは、山奥に猫一匹と引きこもり、もはや「隠者」の領域に達してしまったが、たずねれば、アヤの理論をさらに深めてくれることもある。猫と会話し、薬草を育てながら生活する彼女は、もう、色んな意味で完全に「魔女」としか呼べないだろう。

 今は「工芸の魔女」一団と親睦を深め、アヤの理論を現実に応用しやすくなるように工夫した、色々な「道具」を作っている。エリカお姉さまは、独学で「魔術」レベルも上げてしまったようで、儀式用に作ってみた、という「礼装」の一つを見せながら、アヤが「なんで姉さんはこう無駄に天才なんでしょうね」と、ボヤいていたのは、リオの記憶にも新しい。

 基本的に、アヤが感嘆の方向でボヤくのは、とても珍しいのだ。

 薬草で染め、機で緻密に織られた布に、さらに幾何学を応用した数学的な意匠を刺繍した、そのストールのごときものは、面倒くさい魔術儀式の手順を、かなり簡略化してくれるブツであったらしい。

 魔術知識には一日の長がある、アヤ姉さんの夫・リョウ氏の解説によれば、このストール(仮)の模様は、簡易なものながら魔方陣や、再利用可能な魔法円を兼ねた模様だったらしい。

「ここの地の紋様は、複素数を用いた数式の解析結果を、画像化したものに極めて近い……しかも緻密だ……我々『魔術師』の世界では、コンピューターで計算したものを印刷して、それをベースに機械で加工するんだ。だが、彼女はこれを……」

 リョウ氏はそこで、いったん言葉を途切れさせ、わなわなと震えた。

「『綺麗でしょ? 頑張っちゃった』で済ましやがったのだよ……」

 日本語が変になっているが、しかし、コンピューターレベルの細密作業を、機械を使わない、ヤマ勘でやってのけられたのだ。同情しよう。

「ちなみにこっちには、無理数を表現する術式の基本が組み合わされている……これについては『聴こえたとおりにやっただけ』と答えられた。何でも『綺麗が私に囁いた』らしい」

 リョウ氏にしてみれば遺憾であろうが、リオは何となく、エリカの顔が想像出来た。あっけらかんと、まるで出来て当然とばかりに、ケタケタ笑って見せてくれたのだろう。

「わかるか? いや、分からなくてもいいが……このベース生地は夏摘みのヨモギの三回染めに、酸性の鉄媒染を二度重ねて、仕上げに薄くタイムをかけてある……そして刺繍糸の基本の染料は、初夏摘みのギョリュウソウだ……一番液と二番液、三回染めの酸性鉄媒染と、二回染めのアルカリ銅媒染……アクセントの糸は、晩夏摘みのセイタカアワダチソウのアルカリ銅媒染の四回染め!」

 リョウ氏は、染色に関しても造詣が深いようである。

 リオの貧相な脳みそでは、何を言われているのかサッパリわからない。

「どの方円を刺繍するにあたって、どの染料の何番液を何回、しかも何性のどの媒染で染めた糸を用いるのか……たったそれだけに聞こえるかもしれないが、それはまさに、数多の魔術師たちが長年の研究を積んできた分野なんだぞ? しかも、恐ろしいことに、どれもが月を主とした天体の運行ペースから計算して、魔術的に最適の日に採取されている! その日に摘んだ理由を訊いたら、アレが何て言ったと思う? 『なんか聴こえたから』だぞ!」

 あ、うん。目に見える気がする。


 チクショウ! あれが魔術師の共同体生まれだったら、どれだけ魔術が進歩したか! ヤマ勘が、毎度毎度、最適解になるだなんて、反則級チートだろう!

 ……とか何とか、リョウ氏はひとしきり絶叫していた。

 基本的に「???」という理解レベルのリオだったが、一つだけはよく解った。

 エリカの姐御は、魔術師が長年をかけて研究してきた成果のようなものを、鼻歌まじりに「聴こえたから」という理由で、ポンポン、ほいほい仕上げる人間だ、ということだ。

 見ろ、と言いながら、リョウ氏がお得意の催眠系魔術を一つ発動してくれたが、しっかりと染料が定着しているのか、術の発動後もストール(仮)に目立った変化はなかった。ちなみに術の内容は、脳内に真っ白な火花が散る、瞬間的に意識を奪う「目くらまし」だ。

 心理系を得意とする魔術師にとっては、基本の術の一つらしい。

「……こいつの補助一つで、半端者でもおそらく十年近くは、さっきの術を撃ち放題だ。染色を専門にした技術系魔術師が、コンピューター計算で作った作品でも、保って五年ぐらいだぞ……無論、これだって、わざと日向において劣化させれば話は別だが、こいつは日光堅牢度もある程度計算され……」

 そこまで言いかけて、リョウ氏は、いや、と首を振った。

「してないな、アレのことだ」

 うん、してないだろうな、とリオも思った。

 闇堕ちした兄弟子アンリには悪いが、やはり、エリカが相手では、分が悪すぎたというしかない。妹分と下に見た時点で、ある意味運命は決まっていたのだろう。

 さて、では「フォールス・ネーム(=偽称)」に「ダイヤ」が入る、「両錐光輝水晶ハーキマー・ダイヤモンド」を適合水晶とする自分が、彼女らの弟弟子、になったということにも、何かの運命が関わっているのだろうか。

 占い師でもあるサヤに訊けば「見」てくれるかもしれないが、基本的にサヤは、自分に降りかかるトラブルを避ける時ぐらいにしか、本気を出さない人物だ。

 もちろん、弟子には真摯に接しているが、全力全開を出しているのは、アヤに付き合わされた「魔術実験」の時ぐらいにしか、見たことがない。基本的に「占いなんて半分以上カウンセリング」と言い放ち、実際、真面目に「魔法」としての「占い」をやることは稀だ。

 占星術を第一得意分野にする彼女は、宇宙の中の太陽系・その中の地球、という形で「水晶の魔法」を使う、珍しいタイプの魔女だ。だが魔法の発動までの「必要認識範囲」が桁違いに広いために、全力全開を出すと、すぐにオーバーヒートする。

「アンタの魔法の理論化を手伝うのは、私のためでもあるんだからね」

 ……というツンデレ気取りなセリフは、多分、ただの事実だ。

 とにかく、サヤの魔法は燃費が悪い。アヤが次世代ハイブリッド車なら、サヤはワットの改良前の蒸気機関で無理やり動かしている馬なし馬車、というぐらいの差だ。弟子取りが許可されているのだから、サヤだって理論化能力は一定以上にあるだろうが、それでアレだ。

 アヤが効率化の天才なのか、サヤの選んだ分野が元々非効率的だったのか。

 いや、多分、両方だろう。

 だからこそサヤは研鑽を怠らないのだ。くだらないところでは、手を抜くけれど。





「はい、声紋、基本構造の解析完了。干渉状態の観測データ、出力開始」

 反響が出ない構造の「スタジオ」で、リオは「歌」を収録する。目の前の水槽に向けて、聴こえる限りに「合わせた」それは、しかし、サヤにはただの解析対象の数値である。

「サヤ姉……感想ぐらいくれよ……」

 ちょっと、心がへしょげそうである。

 隣で、腕組みをしながら聞いていたアヤが、かわりとばかりに口を開く。

 あ、これアカンやつや。

「途中で意図的に声質を変えたのは、データのため?」

 歌詞なんてあってないようなものだから、そういう感想は求めていないが、せめてメロディとか、そういうものについての「音楽的」コメントをして欲しかった。

 だが、サヤはもちろんアヤにも、そういうものを期待してはいけない。

 エリカ? うん。悪気なく、こちらの才能のなさを思い知らせてくれるだろう。

「……や、なーんか『ズレ』てる気がしまして」

 そのコメントに、ふむ、とアヤは考え込むような目つきになる。

「するとその前後で、対象への干渉状態に、有意差が出ている可能性があるな」

 パァッ、と顔を輝かせたリオに対し、優秀なる姉弟子は無情な続きを述べる。

「ま、お前の『歌』に、きちんとした『チカラ』が働いていれば、だが」

「デスヨネー」

 エリカみたいな大技は、いまだ望むべくもないが、しかし、恐ろしく「音」の道は険しかった。むしろ独力であの境地に到達したエリカが、本当に化け物だ。

 うん、アンリは、本当に、運が悪かった。

「とりあえず、いったん外へ出て休憩しろ……お前がいない時のデータも取る」

「はーい」

 スタジオの外に出ると、ほんの少しの反響にすら、敏感になっていると感じる。

 多分、エリカの「聴いて」いる世界は、もっと深くて広い。

 自分も一応「天才」の分類だが、魔女の世界は、基本的には天才しか残らない。魔術師の世界では秀才が大半だが、生まれ持った才能差が絶大な影響を与える魔女の世界では、天才と大天才との勝負になるのが基本で、そしてエリカは「大」の方なのだ。

 アレで世俗の仕事の中でやっていくのは、相当にキツかっただろう。「聴こえ過ぎた」ことのある人間の一人として、リオには少し、エリカの苦しみが分かる。いや、エリカの場合、見えているゴールを無視して迷走する人間を見るストレスは、自分の比ではなかったろう。

 耳を澄ませば、答えは歌のように流れてくる。

 だが、人の「声」の雑音の多さ!


 ふと気配を感じて……いや、気配といっても、いわゆる「普通の人間」が感じる類のものではない。自分を中心店として広がる「音」の「探知範囲」に、微細な異変が入ったのを感じ取って……リオは、その違和感の方向へと、顔を向けた。

 そして、あんぐりと口を開けてしまった。

「エリカ姉さん……」

 基本的に、山奥に引きこもっているはずの「大天才魔女」が、立っていた。

 自分で紡いで染めた糸を織って仕立てたのだろう。息苦しさを感じさせない程度に身体のラインにフィットした、森のような深緑色のワンピースを着ている。

 袖や襟に、アクセントのように入っている刺繍は、ほぼ間違いなく「ヤマ勘」による、何がしかの魔術機能を備えているのだろう。まだまだ魔術の知識はサッパリのリオには、どういう機能が発動するのかは見当はつかないが、リョウ氏が見たら、きっとまた絶叫するのに相違ない。

「なんでここに?」

「アヤから連絡があったの。比較実験のサンプル取りたいからって」

 リオは内心で、アヤの姐御に呪詛を吐いた。

 あの姐さんめは、こともあろうに、リオの「歌」とエリカの「歌」を比較する気だ。

(勝てるわけあるかあぁぁっ!!)

 いや、待て。落ち着け。別に勝たなくてもいいのだ。っていうか、すでに負けている。歌われる前から負けることが確定している。世界的歌姫と、カラオケがちょっと得意な子どもぐらいの格差があるのだ。勝てるわけがないのだ。勝負はすでについている。

 むしろ、アヤとサヤのことだ。比較実験といいながら、この機にエリカの歌もサンプリングして分析する気でいるのに違いない。自分はオマケか。ああ、オマケだろう。

 きっと己は、エリカを釣るエサだったのだ。海老鯛か!

「……珍しいですよね。エリカ姉さんが、こっちまで下りてくるのって」

 エリカは、このご時世には珍しい、純粋に引きこもりな「隠者系魔女」なのである。

「アヤとサヤの店に出す、次の商品の取引についても、相談があるらしいから」

 ああ。そういえば、エリカの主収入源は、手作りアクセサリー(という名の護符・呪符)や、手織りのショール(という名目の儀式礼装)だった。アクセサリーはたしか、アヤとリョウ氏の経営する喫茶店や、サヤの占い館な図書喫茶でも販売されている。

 そうか、商談で釣ったのか。海老鯛ではなかったのか。

「そういうわけで、摩霧マキリにアーサーを預けて、アヤの家にちょっと泊まる予定」

 どんっ、とエリカはトランクを置き、ここに来るまでのあいだ羽織っていたのだろう、黒いロングローブを、その上にかけた。パチパチと手際よく日傘を折りたたんで、トランクの中に収納する。道中の姿は、さぞかし、これから魔法学校に行きそうな風体だったろう。ただし、生徒側ではなく、教員側で。

 しかし、アーサーを預けるとなると、かなり本気の逗留だ。



 アーサーは、エリカの飼い猫である。種類はメインクーン。10キログラム超の巨体を誇る、超大型猫であり、片方の前足が六本指の多指症だ。ふさふさした長い毛は、ブラウンタビーという茶色と焦げ茶の縞模様で、一メートルを超そうという全長の半分弱を占めるしっぽは、圧巻のたわし具合だ。一度見れば、あのインパクトは忘れられない。

 飼い主に似たのか、ずば抜けて頭が良い。しかも、二日三日……いや、一週間以上放置しようが、自力でメシを捕獲して生存可能なぐらいには、タフな猫である。だがそれだけではなく、強力な「受信」能力を有しており、一般人との意思疎通もある程度までは可能という、まさに「魔女猫」だ。

 そんな猫をわざわざ預けてから来るのだ。ちょっと、とは言うが、どれぐらいの期間になるのか、さすがの「大魔女」にも予想がつかなかったのだろう。

 エリカにそんな反応をさせるとなると、相手は師匠のマリか、双璧をなすアヤで。

 おそらく、今回は、後者だ。

摩霧マキリ……たしか、北海道系の、工芸系魔女の一族ですよね?」

「正確にいうと、全滅寸前のアイヌ系の呪術や儀式の研究をしている家系ね。必要な道具や、それを作る技術が失われつつあるから、結果として『工芸系』にならざるを得なかったわけだけれど。内地ヤマトの人間には、鮭皮のなめし方なんて技術、基本的にないしねぇ」

 たしかに、と、リオは頷く。

 アイヌの独自文化は、明治政府の徹底的な同化政策によって、多くが失われた。中には今でも、行政に正式に願い出ても、実行許可が下りない儀式も多い。

 そういった知恵や伝統を継承するべく、ユーカラとよばれる叙事詩や民話、あるいはアイヌ語辞書などの編纂に関わった者たちがいる。だが、それとは別の「裏側」のルートで、継承されてきた「知恵」を後世に伝えようと努力をした者たちもあったのだ。

 そのうちの一つが、工芸の魔女集団にも籍を置く、摩霧マキリ一族だ。

神子柴みこしばと揉めないんですか?」

 ヤマトの神道系呪術使いの家系である。

「戦時中は、マキリは息をひそめていたからねぇ。むしろ神子柴は、敗戦で表にいられなくなって、奥地へと引っ込んできた身だから……大して衝突は起きてないわよ。まぁ、お互いに積極的にかかわることを避けているのも、大きいでしょうけれどね」

 なんとなく、穏やかならざる雰囲気である、らしいことは察せた。

「あー……やっぱ、対立とか、あるんですね」

「というより、伝統への『混ざりモノ』への恐怖が強いんでしょうね。マキリの危機感は、そりゃ言うべくもなく明白だけれど、神子柴だって、西洋呪術が浸透してきている今、新しい術や何やの開発よりも、今まで継承されてきたことを、できるだけ昔の通りに伝え残す方が、最優先だから」


 なるほど、エリカが「工芸の魔女」集団で、ある程度の地位を占められるわけだ。いわゆる「政治」についてだけは、エリカは徹底的に能力が欠如している。

 残り火から再起を図る、アイヌ系のマキリ。

 連合国によって叩き潰されかけた、ヤマト系の神子柴。

 時勢によっては、西洋系呪術をベースに学んできたエリカの立場は、微妙なものになっていただろう。だが、現在日本領となっている各地域の伝統呪術、そのどれもが衰退傾向にある今、圧倒的知名度を確保している西洋系呪術の使い手であるエリカは、バランサーとして機能するのだ。

 しかも、エリカは自分のペースでしか行動せず、他の工芸の魔女たちの動きには干渉しない。新しい技術を覚えたがる傾向は強いが、それで仮に新しい技術を編み出したとしても、それを「伝統を重んじなければならない」ほどに切迫した彼らに、ひけらかしたりはしない。

 効率化よりも何よりも、その技術が残っているということ自体が貴重である。

 そういう時代の、そういう現場に、今まさに自分は立ち会っていて、そしてそれをひっかき回す権利などない身である、ということは、さすがのエリカにも理解できているのだろう。

 が、ここで一つ、リオの脳裏を、嫌な予感が過ぎった。

「……エリカ姉さん、まさか、アイヌ系呪術まで習得してたり、する?」

 一度見たら、ほぼ同じレベルで「複写トレース」できるのが、エリカの恐ろしさだ。

「部外者が、そうやすやすと伝統行事の儀式に立ち入れると思う?」

 あー良かった、と、リオは内心で胸を撫で下ろした。

「ま、簡単な『おまじない』なら、覚えたけど」

「……デスヨネー」

 そりゃ、そうだ。この姉弟子が、何も吸収せずに去るわけがないのだ。

「けど、別にマキリの術でやる必要ないのよねぇ。天候干渉とか」

 どえらい単語が出てきて、リオはむせた。

「……雨乞いとか?」

「それ以外にも、霧をよんだりとか。マキリの漢字が『摩霧』なのも、主として水を操る術を行使していたから、らしいし。けど私の石、オパールだからねぇ」

 オパールの組成化学式は、SiO2・H2Oである。二酸化ケイ素の中に水分が含まれ、その水分子が不規則に配列されている時、反射が乱れて、虹色の遊色を呈するのだ。遊色を示すものを「プレシャス・オパール」、遊色を示さないものを「コモン・オパール」とよぶ。

 遊色が出ないものは、水分子の配列が規則的なために、反射に乱れが生じないだけだが、宝石としての評価はプレシャスの方が文字通り「貴重プレシャス」である。なおオパールは、コモンもプレシャスも、保管時には湿度に気をつけ、水を入れたコップなどを傍に置いておかなければ、乾燥によってヒビ割れることもある。なかなかデリケートな宝石なのである。

 ひっくり返して言えば、鉄イオンを含むが故に、鉄分への干渉能力が高い傾向にある黄水晶シトリンの魔女のように、ダイレクトに水を組成に含むオパールの魔女は、水系統の術ときわめつけに相性が良い。ついでにいうと、エリカの「番の石」は、オーストラリア産の貝オパール。化石がベースのためか、生体への干渉能力も高い。

 ……ようするに、水槽の水に反応を起こす「歌」の実験では、勝敗は完全にこの時点で明白なのである。エリカはオパールの魔女として、最初からアドバンテージがある。

 その上に、経験値の差と、圧倒的地力の差だ。なんと過酷な比較だろう!




「エリカ姉さんの『歌』、タノシミダナー」

 手入れが不十分なせいでひび割れたオパールのように笑いながら、リオはかろうじてそう言った。だがエリカは、そんなことより! と声を上げた。

「なんか、アヤとサヤが共同で学会発表するらしいのよ!」

「……へ?」

「『振動による火・風・水・地の四属性対象への術行使比較実験』とか」

 おうっふ。

 思わずリオは奇声をあげかけた。

 なるほど、ノリノリで姉弟子たちが協力してくれたわけだ。

「僕はモルモットか……」

 学会……そう、魔女と、対魔女融和派魔術師たちの、研究成果発表会。

 アヤとリョウを中心に開催されるようになった行事で、そろそろ十年になるはずだ。

 が、主催者のアヤの発表はともかく、アヤとサヤの共同発表は、初のはずだ。

「……て、もしかして、比較実験の相手って、リオ?」

 エリカも気づいたらしい。ようやくか。いや、ここがようやくだから、エリカは「政治」パラメーターの値だけはゼロの、技術能力系極振り系魔女なのであるが。

「うん、多分……さっき『歌って』きた。ちなみに、水槽の水にむかって」

「なるほど。ってことは、すでにあの二人が全実験を終えていると考えて、私はあと最低で四回、リオはあと最低で三回歌うことになるわけね」

「???」

「四属性全てへの実験なんだから、一属性につき最低一回のデータは取るでしょう? 地属性……つまり固体に、水属性……液体に、風属性の気体、それから、火属性のプラズマ」

 なんてこった。

「あと、あの二人が私たち二人だけをサンプルにして終わらせるわけがない。少なくともアヤは、取れるだけのデータはガッチリとるはずだから、古参の弟子ぐらいなら招集してるはず……」

 全ては姐御の計算の内か! 自分は踊らされたのか!

「適合水晶別でもデータを揃えたいはずだから、化石オパールの魔女である私に声がかかるのは、まず当然だわね。で、アヤが『番なし』で、あんたが『好相性判明型番なし』……サヤは『内包物インクルージョン型』で……隠微晶質クリプトクリスタラインに、メジャーどころは一通りデータを抑えようと目論むはずだわ。アヤは論文には超本気出すタイプだし」

 そういえば、アヤが教師として最初に得た称号が「小論文の超人」だった。

「そうか……僕は姐御に利用されたのか……」

 ぼそりと呟くと、きょとん、とエリカが首を傾げた。

「何言ってんの? ここまで本気出して論文をまとめてくれる、ってことは、あんたの『律動』を、最終的には『音楽』まで格上げするつもり、ってことでしょ?」

 はぁっ?! と、リオは驚きのあまり、思いっきり大きな声を上げてしまった。

「『音楽の魔女』?! 無茶ぶりだろ、それ!」

 それでは、自由七科リベラル・アーツの魔女になってしまう。

 学術系「魔女」の最高峰の称号の一つである。

 すなわち、「文法」「修辞」「論理」「算術」「幾何」「天文」「音楽」だ。


 すでにアヤが「修辞」、サヤが「天文」を襲名しているが、アヤはともかく、サヤはまだまだ修行段階である。サヤの場合は、行使魔法の特殊性が「天文」に相応しいと、先代に指名されていたから、あの年齢でなれたようなものだ。しかも、先代の急死による襲名。特異例である。

 言語系の三学トリウィウム……「文法」「修辞」「論理」に、数学系の四科クワドリウィウム……「算術」「幾何」「天文」「音楽」とで、「七大魔女」だ。

 位階としては、この上に「哲学の魔女」が存在し、さらに「神学の魔女」となる。なお「神学の魔女」に到達すると「賢者マギ」と呼ばれるようになる。ただしこれは複数形で、男性単数形なら「マグス」、女性単数形なら「マガ」となる。「哲学の魔女」は「賢者マギ」扱いされたり、されなかったりと、流派や門派ごとに差がある。

 ただ、マヤ・マリ先生の系譜には、「七大魔女」より上の位階を承認された存在はいない。だがこの区分は、この二人の師匠と大師匠が、古い記録を漁って固め直したものだから、遡りようがないともいえる。

 なお「七大魔女」とは別に、芸術系の「九術魔女」と呼ばれる存在がいる。ヘシオドスの分類に従ったギリシア神話のムーサたち、「叙事詩」「歴史」「抒情詩」「喜劇・牧歌」「悲劇・挽歌」「合唱・舞踏」「独唱」「讃歌・物語」「天文」の女神たちにちなむ、九つの分野を得意とする魔女である。だが、実際には「合唱の魔女」と「舞踏の魔女」は別人であることが多い。この他にも、アルクマンの分類による「歌唱」「記憶」「実践」……キケロの4分類では「歌唱」「実践」の他に「魅惑」と「始源」が入る……など、まぁ、実質十人を超すのが通常運転の位階である。

 「九術魔女」は「七大魔女」と比べると、やや格下扱いで、サヤの「天文」も、現状では「七大」よりは「九術」扱いである。

 だが、そんな「九術」すらも遠いのが、現状のリオ……「律動の魔女」だ。

 単純にリズムを操るだけの能力。

 むしろ「七大魔女」を飛び超えて「哲学の魔女」に就任しそうな姉弟子に、「お前は『七大魔女』の一角である『音楽の魔女』になるのだ」と言われても、困惑しかない。

 しかし、エリカは強い眼差しで、いいえ、と言う。

「目指すことを諦めた者の前に、道は開かれない……諦めない者の前にだけ、道は開かれる。私が言っても説得力に欠けるかもしれないけれど、私もアヤも、全てのことを、要求される以上の努力をしてこなしてきた……だから『天才』なんて言われているだけよ」

 本気で説得力がない。

 コンピューター並みの精密作業をヤマ勘でやった人に言われても、である。

 だが、不思議とその言葉は、心に熱を持ってしみ込んだ。

 水晶には、水晶の光り方があるのだ、と気づいたあの時と、同じように。

「……じゃ、とりあえず『歌唱の魔女』を目指しますよ」

 そう返すと、エリカは少し困ったように微笑んだ。

「多分あなたの適性は『エラトー』……『独唱の魔女』だと思うんだけどねぇ」

「じゃ、それで」

 そう返したリオに、今度こそエリカは、ぷっとふき出した。

「そうよ。そのぐらいの心意気で、思いつめずに、やりたい放題に頑張りなさい」

 めちゃくちゃなことを言われているようだけれど、アヤもエリカも、多分、そうやって能力を伸ばしていったのだ。日本語は変なのに、はっきりと伝わってくる。

「はい!」

 知らず知らず、満面の笑顔になって、リオは応えていた。

 しばらくしてから、スタジオから、アヤが出てきた。

「次、姉さんの番」

 しれっと、そうエリカに伝える姐御を、リオはちょっぴり睨む。

 そんな弟弟子を見て、姉弟子とのやり取りを推測したらしいアヤは、小さく囁いた。

「これでアンタも、姉さんの『歌』が、盗めるかもしれないじゃない」


 ……さすが、天才は発想がチガウナー。


 もはや苦笑いするしかなかった。おいそれと盗めるなら、とうに盗んでいる。

 だが、偽ダイヤではなく水晶として、水晶なりに光ろうと決めたリオは、ぐっと拳を握って、小さく肯いた。完全に盗めなくても、できるだけのことをやって、己を磨きたい。

 原石は磨いてこそ光るのだと、親愛なるインドの友が、教えてくれたのだ。


 まだまだ、自分は磨かれきってなんて、いない!






 エリカさんの「月夜の歌」は、タイドプール仮説をも併用しているのですが、リオの頭ではそこまでわかりませんでした(笑)

 エリカさんは多分、ルドルフ・シュタイナーの著作は全部読んでる。月の運行は、多少は気にしていると思いますが、気にしなくても「あ、そろそろだ」と分かるのが、エリカさんのエリカさんたる所以です。


 リオとソーマとの友情エピソードも、またそのうち書きたいと思っています。サヤの店で、ミサもまじって、ほっこりしてたらいいと思う。

 アヤ姐さん、マジでアヤ姐さん。水晶をバシバシ投げて「物理」攻撃をかます、魔女で魔術師、そして錬成術師。


 レモン水晶は、硫黄を内包しているために黄色に見える水晶で、鉄イオンによって発色するシトリンとは、まるきりの別物です。ミネラルショーでも、ごっちゃになってること多いですケドネー。

 アヤ姐さんの「爆破」は、黒色火薬を基本にした化学反応ですが、厳密な計算によるものではなく、イメージ行使を具現化したものなので「科学反応」という表記にしてあります。


 マキリ一族、神子柴一族の話は、書くかもしれませんが、書かないかもしれません。アイヌの儀式なんて、作者もまだまだかじりたてのホヤホヤですよ! 神道は大学時代に授業でやりましたけどね……地鎮祭の祝詞でカタカナ社名の発音とかすると、カオス感すごいですね。

 この他、名前だけは確実に出るのが、沖縄本島の玉城たまぐすく一族。ユタの話なども、ちこちこ出てくる可能性があります。土佐系・出雲系・諏訪系の伝統呪術のネタも、出せるなら出していきたいものです。


 まぁ、あくまでもメインは「水晶の魔女の魔法」です。どこまでも「よそ者」で「外側からの観察者」のスタンスで、民俗学や文化形態論をやっていきます。そして魔法は自己流(?)です。

 ちなみに、燃費最悪と判明したサヤ姉さんですが、彼女だって一応「アンリの脅威」に備えて、戦闘系の呪術は使えるのであります。ただし、最大出力を出せる日時が、ものすごい限定されてます。そのうちこのネタでも書きたいですね。

 ……あれ? そしたら、アンリ登場になっちゃう?


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