血を掘る
――の始まり
ぼくはエバルス。今日で大人というものになった。
大人になったぼくは、ある人物の元を訪れていた。
その人はぼくの顔を見るなり、ぶっきらぼうにこう言ったんだ。
「お前には今日から、穴を掘ってもらう」
その人はぼくにショベルを渡すと、どこかに消えてしまった。
困ったな、何をしたらいいのか分からない。
穴を掘るって言ったって、どこを、どうやって、どのように?
聞きたい事は色々あったのに。
その場で何も出来ずに居ると、別の誰かが声を掛けてきた。
「お前新入りか?」
声のした方に振り向くと、そこにはたくましい男が立っている。
「俺はレダエル、よろしくな!」
彼はショベルを担いで、ニカッと笑った。
ぼくはレダエルに聞いてみた。
穴を掘るって、どこを、どうやって、どのように?
「どこも何も、足元を掘ればいい」
どうやって?
「聞くよりまずは、やってみな!」
分からないのにやれというのも、無茶な話だと思う。
とは言っても、現状を変える方法が他に思いつかない。
レダエルの方を見ても、腕組しつつニコニコするだけ。
やるしかないようだ。
――の喜び
ショベルを持ち上げて力の限り切り振り下ろし、地面に突き刺してみる。
一度は確かに刺さったものの、刃は線を描いて滑ってしまった。
そんな様子を見てか、レダエルが大声で笑う。
「馬鹿だなあ。こうやって刃を斜めにして、足で踏むんだよ」
彼の足元を見ると、刃のほとんどが刺さっていた。
「そして、こうだ!」
持ち上げられたショベルの下に、大きな穴が出来上がる。
仕組みさえわかれば、大して難しいことでも無さそうだ。
ぼくは見よう見まねで、穴を掘ることにした。
刃を斜めに刺して、足で踏んで、持ち上げる。
「おっ、その調子だ。やれば出来るじゃねえか」
意外なレダエルの言葉に、胸の奥がくすぐったくなる。
それからぼくは、一心不乱に掘り続けた。
またあのくすぐったい言葉が欲しいからだ。
でも十個、二十個と掘り進めたところで、レダエルは何も言わない。
彼の期待するものには、何かが足りていないのだろうか。
そういえば、と思い出す。
ただ繰り返し穴を掘っているが、どのように穴を掘るべきなんだろう。
その疑問をレダエルにぶつけても、彼は好きに掘れと言うだけ。
これは試されているに違いない。ぼくはそう考えた。
彼が驚くような、すごい穴を掘ってみせよう。
そうすればきっと、またあのくすぐったい言葉をもらえる。
そう確信したぼくは、ありとあらゆる方法で穴を掘り始めた。
穴を広げて大きくしたり、穴と穴を繋いで長い溝にしたり。
どこよりも深い穴を掘ったりと、色々試していたら日が暮れた。
「よし、今日はここまでだ」
レダエルはそう言うと、汗を拭きながらこちらを見る。
ついにこの時がきた、思わず背筋が伸びる。
「なんだお前、変な穴掘ったなあ」
変な穴。彼の口から出た感想は、それだけだった。
「さ。腹減ったろ、ついてこい」
――の見返り
連れていかれたその建物は、人と食事で溢れかえっていた。
レダエルは料理を数品取ると、席に座って食べ始める。
ぼくはその様子を、よだれを飲み込みながら見つめていた。
鼻から入る食の誘惑に、脳みそがしびれていく。
今頃分かった。ぼくはとても、お腹が空いている。
子供だった頃は、親が食事を与えてくれた。
それはずっと続くことだと思っていた。
でも違っていた。
大人になってからは、自分で食事を手に入れなさい。
親はそう言って、ぼくをここに送り出した。
「なにしてんだ? お前も食えよ」
レダエルの声で我に返る。そして言葉の意味にしばらく悩む。
ぼくは食べられるものを持っていない。もちろんここには親も居ない。
では彼の言う、食えとは一体どれのことなのだろうか。
もしかして彼の料理を分けてくれるのか、恐る恐る手を延ばす。
「馬鹿か。自分の飯くらい、自分で取ってこい」
叩かれた手を抑えながら、いよいよ頭が回らなくなってきた。
そんなぼくの様子を見てか、彼は思い出したかの様に説明を始める。
その話によると、ここで一日穴を掘れば、一日分の食事を与えられるという。
だからぼくは今、好きな料理を、好きなだけ食べていいのだとか。
頭で理解を終える前に、ぼくは手当たり次第の料理を食べた。
ぼくはとても、お腹が空いていたのだ。
胃袋が満たされ始めたので、料理をかきまぜながら頭を整理する。
ここに居れば、食事にありつけるのは間違いないようだ。
でもそれには条件があって、それが穴を掘るということ。
じゃあもし、穴を掘らなかったら。一体どうなるのだろうか。
「そりゃあお前、飯抜きって奴だ」
そういうものらしい。それにしても、うまい。
――の意味
次の日になると、また穴を掘りに向かった。
昨日と同じ場所で、同じように掘ればいいらしい。
でもぼくは、その同じ場所が分からずにいた。
広い穴に、長い溝、そして深い穴。
昨日掘ったそれらの穴が、どこにも見当たらないのだ。
レダエルに確認しても、ここは間違いなく昨日の場所だと言う。
じゃあ昨日の穴はどこにいったのだろう?
するとまたもや、彼は思い出したかの様に教えてくれた。
「穴はな、次の日には消えてんだよ」
その言葉を聞いた時、ぼくの頭はある文字で埋め尽くされた。
……なぜ?
それはなぜ穴が消えるのか、ではなく。
ではなぜ、昨日穴を掘ったのか。
一体なんのために、汗にまみれ、工夫をこらし、穴を掘ったのか。
頭に浮かんだ文字たちは、収まりがつかなくなって口から溢れる。
ぼくはそれらを、レダエルに向かって吐き出した。
なぜ? なぜ? なぜ?
彼は困ったように頭をかいて、たった一言だけ返してくれた。
「飯のためだろ」
それからレダエルは、何も言わずに穴を掘った。
その姿を睨みながら、ぼくは頭の文字を追いかける。
なぜ、彼は穴を掘れるのだろう。
なぜ、ぼくは今立ち尽くしているのだろう。
足元から生える影が、少しづつ伸びていく。
――の放棄
その日は結局、穴を掘らなかった。
終始何も言わないレダエルは、汗を拭きながら建物へ向かう。
ぼくもその背中についていくけど、ドアの前で止められた。
「お前はダメだ。言ったろ、飯抜きだ」
分かってはいたはずなのに、少し驚くぼくが居た。
ぼくは建物の外でひざを抱えた。
沈んだ太陽の代わりに、空には無数の星が散らばっていた。
やることが無いので、星を数えたり繋いだりした。
それにも飽きると、手近な石を拾って投げた。
もう一つ拾って、口に入れた。
鈍い痛みに涙が出る。
ぼくは何をやっているんだ。
こんなもの、食べられるはずがないのに。
一日ぶりに感じる味覚が、口の中に広がっていく。
鼻から入る食の誘惑が、脳みそをドロドロに崩していく。
今頃分かった、本当は分かっていた。
ぼくは、お腹が空いていた。
次の日レダエルは、何も言わずにショベルをくれた。
ぼくも何も言わずに、刃を突き刺した。
一つ、二つと穴を掘る。明日には消える穴を掘る。
口の中でにじむ味が、ぼくに問いかける気がした。
一体なんのために掘るの?
ぼくはそれを飲み込んだ。
それは血の味がした。
「よし、今日はここまでだ」
レダエルはそう言うと、汗を拭きながらこちらを見る。
「……腹減ったろ、飯行こうか」
ぼくはうなずいて歩き出す。
振り返るとそこには、たくさんの穴が空いていた。
――の責任
今日も一日穴を掘り、そして食事にありついた。
そんな日を繰り返してきた。
何度も繰り返した。
何度も何度も、何度も何度も。
そしてある日唐突に、頭の中に文字が浮かんだ。
……なぜ?
それはかつてのような、穴を掘る理由ではない。
穴を掘るのは食事にありつくため。
お腹が空くから、食事は絶対に必要なんだ。
でももし、お腹が空かなければ?
ぼくは穴を掘る理由がない。
ではなぜ、ぼくはお腹が空くのだろうか。
もしかして、穴を掘るためにお腹が空くのだろうか。
今後も食事を続けることに、理由はあるのだろうか。
レダエルに聞くと、彼は教えてくれた。
「嫁を見つけて、子を産ませろ。そんでそいつらに、飯を持っていけ」
ぼくはその言葉が、よく分からずに居た。
例えばレダエルの言うことを、ぼくがやらなかったとする。
それでも他の誰かが嫁を見つけて、子を産ませ、食事を与えるだろう。
だとしたら、ぼくがそれをやる理由が無い。
ぼくでなないといけない理由が、ぼくにしか出来ない理由が。
レダエルはため息をついてこう言った。
「理由とかじゃねえ。これは俺たちの、いわば連帯責任だ」
――の価値
ぼくは今後、嫁を見つけて、子を産ませ、食事を与えるのだろうか。
それは誰もがやるべきことで、言わば当たり前のことなんだろう。
でもそれは少し、寂しくないだろうか。
そんな当たり前だけじゃ、物足りないような気がするんだ。
ぼくにしか出来ないこと。
何かそういうものが、一つくらいあってもいいじゃないか。
足元に目をやると、いつもの穴が空いている。
この穴は明日にも消えてしまうだろう。
それは誰もが受け入れることで、つまり当たり前のことなんだ。
だとしたら、この穴をずっと残すことが出来れば。
ぼくにしか作れない、唯一の穴になるんじゃないか。
その時ふと、初日のくすぐったい言葉がよみがえった。
これが成功すれば、またあんな言葉をもらえるかもしれない。
よし、やろう。
ぼくはこの穴をずっと残すことにした。
そのために取った行動、それは明日まで掘り続けることだった。
ぼくは掘った、レダエルが不思議そうな顔で建物に帰っても。
ぼくは掘った、太陽が沈んで星が空に散らばめられても。
穴が消えてしまわないように、必死で掘った。
掘って、掘って、掘り続けた。
そしてぼくは気がついた、穴の周りに人がいること。
彼らは見たこともない顔ぶれだけど、同じショベルを持っていること。
ぼくは聞いた、そのショベルで穴を掘るのか。
一人の男が答えてくれた。
「いいえ。我々はその穴を埋めに来ました」
ぼくはショベルを置いた。
――の価値
もし、これはもしもの話になるのだけれど。
そんなものがあるとするのなら。
ぼくは一度でいいから、見てみたかった気がするよ。
でも何万回穴を掘っても見つからないんだ。
明日には消える穴だから。
誰かが埋める穴だから。
それはどこに。
それはきっと血の中に。