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9.うまい話には裏がある

「おかしいな……」

 独り言は背の高い棚が並ぶ“倉庫”に響く。

 盲腸から復帰した上司は少し遅めのランチに出ていた。

 今日は、メディア向けの商品発表会の資料が届く事になっており、一時的に保管する事になっている備品管理課を無人にする訳にはいかず、交代でお昼休憩を取る事にしたのだ。

 さくらはデスクの上のカレンダーに目をやり、自らが書いたメモを確認すると受話器を取って内戦番号を押した。

『はい、警備員室。青木です』

 電話に出たのは、主任警備員の青木だった。

 警備員室の実質のトップが電話に出るとは珍しい――少し嫌な予感がしたが、さくらはその考えを振り切るように軽く頭を振ると受話器に向かって話し出した。

「お疲れ様です。備品管理課の高橋です。あの、今日――」

『ああ。資料だろう? 届いてるよ』

「えっ?」

 どういう事だろう。いつもは業者が来ると警備員室から連絡が入り、運搬用のエレベーターを使って備品管理課まで直接運んでもらうのだが……。

『今日は新商品の発表会に向けた準備で重役会議やら、支社や取引先からのお客さんが多くてねぇ。自社スタッフは緊急の用事で無い限り、少し遠い運搬用のエレベーターを使うようお達しがあってね。その時に、届く資料は備品管理課が取りに行くから、荷物は警備員室で預かるようにと……』

「えっ!? なんですか、それ!」

『違うのかい? いや、私もね、備品管理課は人手が足りないはずだしおかしいなとは……。だが、備品管理課のあるフロアは重役フロアの下だろう。業者とはいえ、部外者を近付けるべきではないと言われると、確かにそれもそうだからねぇ』

 つまり、重役フロアのある8階のすぐ下にある備品管理課のフロアからだと非常階段などからいとも簡単に重役フロアに入り込める為、今日に限って出入り禁止となったわけだ。

 それにしても……備品管理課では人手が足りない――つまり、課長とふたりではとてもではないが一度に運べる量では無いという事だ。

「あの……何箱……」

『――ざっと、三十はあるね。おかしいね。連絡の行き違いかな。だが秘書課が……』

「秘書課! 秘書課から連絡があったんですか!?」

『あぁ。そうだよ。午後からは来客ラッシュで警備員も通常より多く配置するようにとの話もあってね。運ぶのを手伝いたいところなんだが、こちらも最低限の人数しかいなくてね……』

 青木の申し訳なさそうな口ぶりに、さくらはとうとう諦めた。

「いえ……大丈夫です。台車持ってすぐに行きます」

 受話器を置くと、自然と溜息が出る。

 さくらは“倉庫”の奥に行くと、立てかけてある折りたたみ式の台車に手をかけた。

「さぁて、行くかー……」

 ガラガラガラ、と耳障りな音を倉庫に響かせながらさくらは倉庫を出た。

 ざっと三十箱……一体何往復する事になるだろう……課長はまだ力仕事が出来ない。それを思うと、さくらの口からはまた自然と大きな溜息が出た。

 備品管理課への出入り禁止令は秘書課からの指示だったと言う。

 数日前から始まったアレは、やはり気のせいではないようだ。

(あぁ……本当に面倒くさい……)

 変化は先週、惣介の店で留子と遭遇してから始まった。

 突然の急ぎの備品発注。閉めたはずのロッカーが開いていて、冷房対策として置いていたカーディガンの袖が強く引っ張ったように伸びてほつれていた。そしてトイレの電球が切れていると連絡を向かい、替えを持って向かえば緩んでいただけ等、今週はやたら振り回されている。

(急ぎの備品、忙しくて取りに行けないから届けろとも言われたなー)

 届け先は秘書課。ひとつ上、重役フロアの一角にある秘書課はその場所柄、自分達も重役になったと勘違いでもしているかのような高慢な女性社員も多い。

 さくらは足を踏み入れたその場所で全身隙の無い美女達に出迎えられた。

 惣介がどう、とか伊織がどう、と個々に何か言っていたが、さくらは正直何を言われたか覚えていない。

 数種類の香水が混ざりあった何とも言えないにおいが嫌で早く退室しようと思い、備品を指示された場所に置くとさっさと出てきたのだ。

 仕事だから控えめにつけているのだろうが、塵も積もればなんとやら。何人もが集まったらそれはもう凶器である。

 ロッカーの異変に気付いた時にも、かすかにだが香水の残り香を感じた。

 そして、今日――。さすがに故意だと考えてもいいだろう。

 運搬用エレベーターの前に辿り着き、ボタンを押したところでまた溜息が零れる。

(あぁ……本当に面倒くさい)

 秘書課で美女に囲まれた時にロクに話は聞かなかったからと言って、彼女達が何を言いたいのかは分かる。

 いずれ社長の後を継ぐだろうと言われている伊織と、去ったとはいえ、社長のお気に入りである惣介――そんな二人と社外で会っていたのが倉庫勤務で出世と無縁のさくらなのが面白くないのだ。

 勿論、さくらにはふたりとどうこうなりたいという気持ちは無い。

 そもそも、ふたりと親しくなるきっかけを作ったのは留子である。留子が合コンであんな悪趣味な嫌がらせを仕掛けてこなかったらあの日惣介の店を訪れる事も無かった訳で――。

「あー。駄目だなぁ。“たられば”なんて考えても仕方が無い事だっておじいちゃんに煩く言われてたのに」

 ようやくやって来たエレベーターに乗り込み、1Fのボタンを押すとさくらはすぐに頭を切り替えた。

(おじいちゃんの言う通り、過去のことを考えたって仕方が無いわ。あんな事があって気にかけてくれたけど、二人だって忙しいんだもの、噂なんてすぐに消えるわね)

 だが、実際はそう簡単にはいかなかった。

 勿論、この時のさくらはそんな事を知る由もない。数日もすればまたあの穏やかな日常が戻ってくるはずと信じていたのである。

 ガラガラと音をさせて警備員室に近づくと、その音に気付いた青木がドアを開け顔を出した。

「やぁ、なんだかすまないねぇ。乗せるのを手伝うよ」

「ありがとうございます」

 チラリと見た警備員室には、壁際一面にズラリとダンボールが積み上げられていた。

 資料はチラシにポスター、展開用POPなど様々で、積み上げられているダンボールの大きさも様々である。

「こりゃ5往復はかかるかもねぇ」

 なぜか申し訳無さそうに言う青木に、さくらはハハハと乾いた笑いを返すしかなかった。



 その時、問題の人物――神崎伊織は一足先に資料に目を通そうと倉庫に来ていた。

「お疲れ様です。――あれ? 佐々木課長。高橋はいないんですか?」

 立ち並ぶ棚の前にはダンボールが積み上げられていた。今日届く手筈になっていた資料なのだろうが、そこにはさくらがいなかった。居たのは、最近仕事復帰した備品管理課課長の佐々木良男ただひとり。

「あぁ、神崎君。さくら君なら、残りのダンボールを取りに警備員室だよ」

 そう言いながら小さなメモをひらひらと見せる。

 手に取ったそれには、“重役会議や来客対応の為、秘書課より業者の出入り禁止令発令。資料は自力で運ぶようにとの事なので、行ってまいります 高橋”とある。

「私がランチから戻ったらデスクにこれがあったんだ。途中変わろうとしたんだがね、力んだら傷口にさわりますって聞いてくれないんだ。ところで今日そんな重要な会議あったの?」

 私知らないんだよねぇー。まぁ、備品管理課が関わる会議なんて無いけど。そう続ける佐々木ではあったが、一応はこの課のトップだ。実際の会議には関わりのある重役のみの出席だが、会議があるならばどこの会議室で誰が出席していて何時に行われているかは全ての課のトップが共有していることだ。彼だけがしらないはずなど、無い。

「いいえ。確かに新作発表会が近づいていて支社などからの来客は普段より多いですが、部外者を締め出すほどではありませんよ。それに、コレがまだ未開封で何をどう打ち合わせしろと言うんですかね」

 ポンと積み上げられたダンボールに手をやると、伊織は顔を顰めた。手を置いたところにはちょうど伝票が貼ってあり『12/38』とある。

「全部で38箱……まだありそうですね。手伝ってきます。全く……ムチャして」

 伊織は佐々木の返事を待たずにドアに向かった。それでも最後の呟きは佐々木の耳に入り、佐々木はおや、と目を細めた。

「これは面白い事になりましたねぇ。さくら君にもようやく春が来たのかな? いや、春が来たのは神崎君でしょうか」


「あらあら。さすが倉庫勤務の方は逞しいのね」

 警備員室に向かっていた伊織の耳に飛び込んできたのは、明らかな蔑みが含まれた女の声だった。

「あなた……秘書課の?」

 応えるさくらの声は力が無い。相当疲れているようで、伊織はすぐにでも出て言って手伝いたかったが、ぐっと我慢し息を潜めた。

「ええ。今、お客様を見送って来ましたの。あらあら、まだ春だというのに汗だくね。ご苦労様。手伝って差し上げたいけれど……私力仕事なんて危険な事、した事が無くて。ごめんなさいね?」

 労いの言葉をかけ、謝ってはいてもその言い方はちっとも心がこもっていない。

「危険ねぇ。あなたのその殺傷能力の高そうな爪の方が余程危険だと思いますけどね。手伝って頂かなくても結構ですので、どいてくれませんか。台車通れないんですけど」

「ちょっと……あなたね! 伊織様や惣介様と少しお話したからっていい気になって! 倉庫勤務の分際でうざいのよ!」

「この場ではどう考えても君の方がうざいけど?」

「なんですって!? ――い、伊織様!」

 伊織はどうしようもなく大きな怒りが身体の中からわき出でてくるのを感じた。その冷たい視線を正面から受け、女はぶるりと大きく震えた。

「あの、伊織様。違うんです! 先にその方が……」

 必死に言い訳するも、またもや冷たく睨まれ、急激に語尾が小さくなる。

「どっちが先など、そんな事はどうでもいい。高橋君は今汗をかきながら一生懸命仕事をしている。君はどうだ? お客様を送ったら君の仕事はおしまいか? 秘書課はそんなに暇を持て余しているのか?」

「いえ……あの、それは……」

「仕事が残っているのならすぐに戻りたまえ。油を売っていいと教わっているのなら、一度秘書課の上層部と話す必要があるな」

「申し訳ありません! 失礼します!」

 カツカツとヒールの音を響かせ、女は去って行く。その後姿を呆然と見送りながら、さくらは見事なものだなぁと思っていた。

「さぁ、運ぼう。ん? どうした?」

「今、御曹司伊織様の顔を見ました」

「なんだそれは」

「企画チーム長が秘書課の上層部を動かせるなんて」

「あぁ、あれは嘘。俺はそこまで力は持ってない。と、言いたいところだが、わからん。でも、やってしまうと、そこには“俺”じゃない力が動く」

 さくらは、そう話す伊織の口ぶりに歯痒さを感じた。

「伊織様、ですって」

「止めろ。ほら、台車寄越せ」

 ダンボールを積み上げた台車がギイイと重そうな音を立てる。

「おい、お前、乗せすぎだろこんなに」

「いけるかなぁと思ったんですけど、流石にきつかったです」

「よし。今日は頑張ったから飯奢ってやる。惣介さんのとこでも行くか」

 さっきの今で、惣介の店を選ぶとは……名も知らぬ秘書課の女性の言葉が頭をよぎったが、伊織も気を使っての事だったのかもしれない。そう思いなおすと、さくらは大きく頷いた。

「驕りなら、是非」



 * * *



 開店前の静まり返った店内に、ピロロロン。と機械音が響いた。

「メールですか」

 店の二階の一室で会っていた男が感情の篭っていない声で問う。

「ええ、失礼。――おや。今晩また店に来てくれるようです」

「ほう、それはそれは。では、私もまた後でこちらに来るとしましょう。写真だけでは分からない、直接見て得るものもありますからね」

 相変わらず抑揚の無い話し方だったが、それでも少しだけ薄い笑いを浮かべたのを惣介は気付いていた。

「気付かれないよう、頼みますよ」

 惣介が、テーブルに散らばっていた写真を一枚取り上げ男に渡す。

 写っているのは、さくら――先日、来店した時に店内の防犯カメラに映っていたものだ。

「私、プロですよ?」

 惣介の言葉に淡々と言い返すと、男はテーブルの上の写真を一枚一枚丁寧に揃えてファイルに仕舞いこんだ。

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