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8.千客万来

「いらっしゃい」

 間接照明の暖かな光りが包み込む店内に足を踏み入れると、奥のカウンターからすぐに声がかかった。

「こんばんは、さくらさん。と……そちらは?」

「ええっと、彼女は同僚の高堂里美です」

「はじめまして! KANZAKIでは企画チームで神崎チーム長にお世話になってます!」

 物怖じしない性格の里美は、ずいっと前に身を乗り出した。

「あぁ、そうなんだ。伊織がお世話になってます」

 柔らかな笑みを浮かべると、惣介はふたりをカウンターへと案内する。

 さくらは足の長いスツールに苦労して腰掛けると、キョロキョロと辺りを見渡した。

「すごく素敵なお店ですね」

「ありがとう。出資は神崎社長だけどね」

 そう応える惣介の表情は相変わらず穏やかだが、緩く縁を描いていた唇は僅かに歪んだ。

「あのっ! では、完全に神崎社長の下から離れたわけではないんですか?」

 隣では里美が好奇心で目を輝かせている。

「ちょ、ちょっと……里美! いきなり何言うのよ!」

「だってー。気になるんだもの……」

 あまりにストレートな里美の物言いに、さくらは頭を抱えた。

 根は良い子なのだが、噂好きなところがあるこの同僚が食いつかないわけがない。第一ここに来たがった原因を考えたら仕方の無い事だった。

 だけど、自己紹介のすぐ後にするべき質問ではないだろう。

「すみません!」

 無理矢理里美の頭を下げさせると、惣介は気にしてないという風にさくらの頭をポンポンと優しく撫でた。

「そんなに気を使わないで。こういう話は直接聞かれた方が答えやすい。ただ、少し裏で仕事があってね。すぐ終わるから、待ってて。料理は適当に運ばせるから、飲物は自分で選んでね。いいかな」

 その言葉に、さくらはにっこりと嬉しそうに頷いた。


 惣介が奥の事務所に消えると、大人しくなった里美だったが、キョロキョロ辺りを見渡してはふむふむ、と一人納得したように頷いている。

 なかなかドリンクを決めない里美をせっついて、やっと飲物の注文を終えると里美は興奮気味にまくしたてた。

「やっぱ神崎絡みのお店ね。……ホラ、カウンターの瓶見てよ。全部ウチのブランドじゃない? それと取引のある海外ブランドのワイン……。奥にある階段、スタッフルームっぽくないし、VIPルームでもあるのかしら」

 運ばれてきた生ハムメロンを口いっぱいに頬張り、「ウマー」と至福の笑みを浮かべていたさくらは、里美の言葉に驚いて目を向けた。

「ちょっと……さっきの発言といい、何なの? ご馳走になりに来たんじゃないの? 美味しいよ。ホラホラ!」

「ん。あー美味しい。絶妙な塩気とメロンのジューシーさが合うわー。でもご飯の為だけに来たんじゃないわよ。色々面白そうだったから。でも想像以上だわね!」

「そうぞう、いじょう?」

 口をもごもごさせつつ鸚鵡返しするが、さくらの目は運ばれてくる次の皿に釘付けだ。

 里美はやれやれ、といった風に両肩を少し竦めると、めげずに話し出した。

「惣介さんの話によると、ここは神崎直営のバーって事でしょう? でも、神崎本社の社員は知らない。――ま、あたしたちが下っ端っていうのもあるかもしれないけどね。で、思ったワケよ。ここは接待に使われたりしてる、ある種営業のひとつなんじゃないかなーって。なら社長が簡単に惣介さんを送り出したのも分かるなーって思って」

「ライスコロッケだっ! ほら里美。湯気がすごいよ! ホッコホコ!」

「もうあんたはっ!」

 すると後ろからクスクスと笑い声が聞こえてきた。

「すごい観察力ですね。探偵さんみたいだ。でもせっかくの推理もさくらさんの前では食欲に負けてしまうようですけれども」

「海老!」

 惣介の手には海老が乗った皿がある。

「ええ。いい海老が入ったと言ったでしょう? シンプルに塩麹に浸けておいて焼いたものだけれど、美味しいよ」

 ハイ、と渡された皿を喜色満面で受け取ると早速パクリとかぶりつく。

 それを里美は呆れ顔で見やったが、「残しといてよ」と言うのは忘れなかった。

「全くこの子の食い意地ったら……」

「いいんですよ。この店は先程あなたが推理したように、上のフロアは接待に使われているんだ。一階も一般に開放されているけれど大々的に神崎の名は出していないんです。ドリンクに合う料理というのも提案している店なので、さくらさんのように沢山食べてくれる人は大歓迎ですよ。さくらさん、後で感想教えてね」

 その言葉に、さくらはモゴモゴと口を動かしたが、話す事を諦めてコクコクと頷いた。

 それを惣介がにっこり微笑んで頷いた。

「あの、じゃあ……実質まだKANZAKIグループに属しているって事なんですか?」

 里美の追及にに、惣介はさすがに苦笑した。

「本当にストレートに聞いてきますね。――ええ、結局私はまだ神埼社長の手中にある。あの人の存在は大きい。それでも、好きな仕事をさせてもらっているから文句は言えませんけれど」

「本当は完璧に神崎から離れたいという事ですか? 勿体無い!」

「自分ひとりの力を試したい。男なら誰でもそう考えるのではないでしょうか。一から始めて、このような店を持ちたいと思っていたのですがね……」

 語尾を濁して苦い笑みを浮かべた惣介は、それでもまだ諦めてはいないようだった。

「でも普通は即こんな立派なお店任せてもらえませんよ。それこそ贅沢な話で。苦労してやってる人には羨ましいやら妬ましいやらなんじゃないですかね」

 いつの間にか食事の手を止めてさくらは惣介を見上げていた。

「そうだね。とても恵まれた環境に居ることはよくわかっているつもりだよ。でもね、僕も伊織も神崎の遠縁として普通に生活していたところ、見込みがあるというだけで社長の下に呼び寄せられたんだ。だから時々考えてしまうんだよ、あのまま普通に暮らしていて、神崎本家が単なる遠縁のままだったらどんな人生だっただろう、ってね」

「社長が、今からでも結婚したら……遅くないんじゃないですか? ええっと、噂の若い彼女と、とか?」

 里美はまだ昼間の話を引きずっているらしい。「噂の?」と、カウンターに両手をつき問い返してくる惣介に、里美はニヤニヤと笑いながら身を乗り出し、更に近づくよう手招きする。

 その仕草に思わずさくらも顔を寄せたため、後ろの気配には誰も気付かなかった。

「留子です。三島留子。うちの秘書課のマドンナですよ! 社長の車で一緒に――」

「あら! 惣介さん今日はお店に出てらしたのね!」

 背中に突き刺さるねっとりと媚びるような声に、声の主にばれずにこの場を去れるものなら何でもするとまで思ったが、その願いはすぐに打ち砕かれた。

「出た!」

 勿論声を上げたのは里美である。その声に留子が里美の存在を確認すると、その横にいるのがさくらだとすぐにバレてしまった。

「……あら? あなたたちなぜここにいるの? 一般社員はこの店の存在を知らされていないはずよ」

 先程までの声とは違い、刺々しい言葉を投げつける。それが表情にも表れているのは、振り返らずとも分かった。

(どうしたものかなぁ……面倒くさい……)

 答えなければならないだろうか――だが、どう答えても留子は突っかかってくるに違いない。あの合コン以来、なるべく接しない事が最善だと判断したのに、なぜこうなるのか……。

(どうしたものかなぁ……)

「ちょっと! 返事しなさいよ!」

 苛立って声を荒げた留子に応えたのは、惣介の穏やかな声だった。

「どうしたの? 君が大きな声を出すなんて珍しいね。確か、君達は同期だろう?」

「えっ? あ、惣介さん。あの……少し驚いただけですわ。でもあの……どうして彼女達が?」

 留子は一瞬惣介の存在を忘れていたようだ。慌てて取り繕うと、今度はしおらしく問いかけた。

 その変化に、さくらは里美と顔を見合わせ、少し冷めてしまったライスコロッケをフォークでつついた。

「少し前に知り合ってね、今日は僕が招待したんだよ」

「そちらは? どんなご関係?」

 里美が興味津々に問うと、留子が一瞬口篭ったようにさくらの目に映った。いつも自信満々の留子にしては珍しい表情だったのだが、それは本当に一瞬のことだったので、さくらは気のせいだったのかもしれないと思いなおした。

「留子さんは、社長がお世話になっている方のご令嬢なんだよ。それで僕も伊織も昔から知っているんだ」

「それで社長の車に?」

「そう。間違っても社長の恋人などではないから、誤解は解いておいてくれますか? 留子さんも気をつけたほうがいいよ。、君も困るだろう?」

 だが、その問いに留子は曖昧に微笑むだけだった。

 とりあえず、惣介がフォローしてくれたのだからこの件では絡まれる事はないだろうとさくらが胸を撫で下ろしたのだが、間が悪い時はとことん間が悪いものだ。さくらはそれをすぐに思い知る事となる。

「あぁ、伊織。遅かったね」

「惣介さん、ごめん。遅くなった。高橋、まだ居る?」

 なぜ、このタイミングで現れるのか……なぜ、さもさくらに会うのが目的だったかのように名前を出すのか……そもそもなぜ今日ここに来るのか。

 再び鋭さを増した留子の視線に、さくらはこの場から逃げ出したくてたまらなかった。

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