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7.噂

「ねぇ、さくら。あの噂知ってる?」

 ふわとろのオムライスをスプーンにこんもりと掬い取り、大口を開けて迎え入れようとしていたさくらの動きが一瞬止まった。

 その少しの動きで、ゆるい卵はボトリと皿に舞い戻ってしまう。

「あああ……なんて時に話し掛けるの。せっかく上手にスプーンに乗せたのに!」

 KANZAKIの程近くにある洋食屋ヨシダは安くて美味しいランチセットが有名だが、店の小ささから昼休みは行列必至の人気店だ。

 週に一度の贅沢で同僚と外食する事にしているさくらは、午後一で業者が備品を納入する都合で早めの昼休みに入れる事になり、この日は運良く並ばずに入る事が出来、限定十食の名物オムライスにありつけた。この名物オムライスは卵のゆるさが特徴で、ケチャップライスを包み込むのにギリギリの固さしか焼かない。絶妙な職人業で包み込まれてはいるが、表面のお米にじんわり染み込むほどのゆるさだ。残り少なくなるとライスの上に卵を乗せた状態でスプーンに入れるのが難しいのだ。

 やっと掬い取ったのに……と、目の前の里美を軽く睨むと既に完食し食後のコーヒーを飲んでいる里美は小さく肩を竦めるだけだった。

「噂? なにそれ」

 行儀が悪いとは思いつつ、さくらはサラダのフォークを使いながら卵をスプーンに乗せ始めた。

 《倉庫》で働くさくらは社内の噂には疎い。大体が目の前の噂好きな同僚高堂たかどう里美から聞かされる程度だ。

 里美とは研修の際同じグループでそれ以来親しくしていて、お互い親友だと思っている。始めは五十音順でグループ分けした会社を(出席番号順――学生か!)と心の中で突っ込んだものだが、結果として里美と親しくなれたし、留子とは別グループになったのだから万々歳だ。

「留子よ」

 丁度留子の事が頭をよぎったところだったので、手元に集中していたさくらの視線がふっと上がった。

 眉間には皺が寄り、それを目にした里美は思わずプッと噴出した。

「ちょっと、何て顔してんのよ」

「――思い出す事があってね……」

 スプーンに盛り付けたオムライスを少し乱暴に口に入れ、さくらはもぐもぐと口を動かした。


 合コンに着ていくような服をさくらはあまり持っていない。最初はそのまま杢グレーのスーツで行ったのだが、それはそれは悪目立ちしたので誘いが増えてからはこれじゃイカン、と思った。だが、タダメシの為に服を買っていては本末転倒。どうしたものかと思ったところに天使が現れた。

「さくらさんー、いつもすみませんー」

 ふたつ隣の部屋に住む女子大生の藤原麗羅レイラちゃん。流行りのキラキラネームに負けない清楚系美女の彼女にはよく実家から荷物が届き、それを度々さくらが預かっていた。

「ううん。いいんだよー。お互い様……どしたの?」

 部屋着も淡いピンクを基調とした可愛らしい格好をしている。抱えなければならない大きなダンボールを渡すのが躊躇われる位だ。その麗羅ちゃんがダンボールを受け取りながら可愛らしく首を傾げている。

「あっ、ダンボール部屋まで運ぼうか?」

「いえ……そうじゃなくて。さくらさんいつも同じような服着てるなぁと思って」

「そう……そうなんだよね……だから合コンでも悪目立ちしちゃって……」

 その言葉に麗羅が食いついたのは言うまでも無い。

「合コン行ってるんですか!? ダメじゃないですかもっと明るい色着なきゃ!」

 そこから麗羅レクチャーが始り、更にはいつも荷物を預かってくれるお礼として服や靴を貸し出してくれる事になった。

 ひらひらでリボンやレースといったいかにも女の子らしい服が多い麗羅の服はハードルが高すぎると断ったのだが、麗羅の瞳が更に光った。

「さくらさんは分かってません! 全身ピンクでひらひらなんて痛いだけですよ! ひらひらをポイントとして取り入れるからこそ引き立つんです。あたしの持ち物、結構シンプルなの多いんですよ」

「へぇー! そうなんだ。ほんとに借りていいの?」

 あの日借りたシャーベットオレンジのカーディガンも麗羅からの借り物だった。

 逃げる際強く腕を掴まれたためか、片方の袖の一部が伸びてしまい、それに気付いてよくよく見ると裾もほつれている。バレエシューズも側面が傷ついてしまい結局両方弁償した。麗羅は構わないと言ってくれたのだがそうはいかない。


「留子め……!」

「あーあ。じゃあ何。あの女の所為でタダメシプランも“おみや”の楽しみも無くなった上に、予定外の出費まであったって言うわけ?」

 苦々しい口調で話した後、さくらはコクリと頷いた。

「あたしが何をしたって言うのよ。あの女、ほんっと何がしたいか分からない」

「周りがチヤホヤしてくれるからさ、少々刺激が足りないんじゃなーい?」

「確かに綺麗だけどさ、受付にも秘書課にも……ううん。他の課にだって留子レベルの綺麗な人はいるじゃない」

 すると里美はしたり顔でチッチッチと舌を鳴らした。

「違うのよ……それがさっき言った噂に繋がるんだけどさぁ」

「何よ。もったいぶらないで言ってよ」

 里美はデザートのカラメルプリンをつつくだけでなかなか本題に入らない。

「ショック受けないでね? あのさ、留子、時々社長の車で一緒に通勤してるみたいなのよね……」

「え。――愛人って事? 服や持ち物からしてどっかいいとこのお嬢さんなのかなとは思ってたけど……それでなんであたしがショック受けるのよ」

「愛人じゃないわね。うちの社長、独身だもん。知らなかったの? 一族の有望な人材を後継者として側に置いてるのよ。神崎チーム長はその筆頭ってワケ。チーム長は社長と一緒に住んでるハズだから……留子の相手が社長なのか、チーム長なのか――。もしチーム長の方だったらさ、さくらは神崎チーム長に可愛がられてるから、ショック大きいかなーなんて……えっ!? どしたの?」

 大好きなはずのプリンを口に入れたまま固まったさくらの眉間には先程よりも深い皺が刻まれている。

「わわっ。あんたがそんな苦悶の表情でこのカラメルプリン食べるなんて! やっぱりショックだった?」

「じゃなくて。私……神崎先輩に……あの日のトラブルの原因、留子だって言っちゃった……」

「えっ!!」

 その声に、小さな店内にひしめき合うように座っている客全員の視線が突き刺さった。中には見知った顔もある。この店はKANZAKIから近いのだから当然だった。

「さくら、早く食べちゃって! 続きは戻りながらよ!」

「う、うん。分かった」

 昼休みはまだたっぷりあったが、慌ててプリンをかきこみ席を立つ。

 店を出ると、里美は急かすようにさくらに話の続きを促した。

「どういう事? いつの間にそんな事をチーム長に相談したりするような間柄になってたの?」

「違うよ! あの日居合わせた先輩達が助けてくれたの。あたしはトイレに逃げ込んでて、出たところを助けられてそのまま一緒に店を出たから留子は先輩達が店に居た事知らないかも……」

「ちょっと待って! 先輩“達”? チーム長以外にも居たの?」

 里美は目を輝かせて聞いてくる。最早興味は留子の正体ではなくさくらをトラブルから救った伊織達に移ったようだった。

「あのね、神崎先輩の――」

 その時、ランチ用の小さなトートバッグが震えてスマホにメールの着信があったことを知らせた。

「あ」

 メールの主は話題のミスターX、惣介である。

 なぜか惣介はあの日以降頻繁にメールを寄越すようになった。時間もマチマチ。話題も天候から映画の感想まで様々で、まるでブログでも更新しているかのようでさくらは不思議だった。どう返事をしていいかも分からないし、興味を惹かれた話題にだけ簡単に返信するだけだった。

 あまりのそっけない態度にいずれメールも減るだろうと思っていたのだが、変わらずメールは届く。

 今日はどんな話題だろうかとついつい気付いたその場でメールを開いてしまうようになったのを、さくら自身は気付いていない。

 メールには海の写真が添付されていた。

「何? 『知り合いの漁師から海老を仕入れたけれど、食べに来ない? ご馳走するよ。伊織に合コン禁止されて外食減ったんでしょう? 惣介』何よこの意味深なメールは! チーム長呼び捨てだし! 誰なの!? 白状しなさい!」

 焦れた里美がメールを覗き見してその内容に騒ぎ出した。すれ違う人々が驚いたように振り返る。その中には勿論KANZAKIの社員も含まれていたが、最早里美は気にならないらしい。

「だから、神崎先輩の――あ」

「何よ。誤魔化そうったて、そうはいかないんだからね!」

「違う違う。惣介さんって知ってる? 神埼先輩の従兄らしいんだけど。名字も神崎かな」

 すると、里美の動きがピタリと止まった。

「それって、神崎惣介さん? さくら覚えてないの? 入社試験の時面接官の中に居たわよ。社長の一番のお気に入りで、後継者候補ナンバーワンだったんだけどあたし達が入社して少しした頃、急に会社を辞めちゃったのよ」

「あー、うん。今はバーを経営してるらしいね」

「……さくら、いろーいろ聞きたい事があるわ。まず、なんでその惣介さんからこんな親しげなメールが来るのかしら?」

 にっこり笑う里美の笑顔が怖いと感じたのは初めてだった。

「い、一緒に行こう! ホラ、ご馳走してくれるって書いてるし! 留子と社長の関係だって説明してくれるよきっと。ね? 一気に解決だね!」

「行く! 定時に上がれるように午後からの仕事頑張るから、さくらもね!」

 里美の勢いに押されたさくらは、説明を全て惣介に押し付けてしまおうと考えていた。

 もう会う事はないだろうと思っていた惣介とまた会う事になるとは……だが、鼻息も荒く隣を歩く里美を見ると、やっぱりやめようと言う勇気は無かった。




全身ピンクのひらひらが似合う方も、勿論いらっしゃいます。麗羅というキャラクターの考えであり、特定の人物もしくはキャラクターを批判するつもりはありません。もしもお気を悪くなさった方がいらっしゃいましたら申し訳ありませんm(__)m

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