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15.旅先にて

「えっ? お盆休み……ですか?」

 伊織の質問に、さくらは思わず質問で返してしまった。


 秋向け商品の開発は、結局里美の言う通り七月いっぱいかかり、こうしてゆっくり会えるようになったのは連日の熱帯夜がとうとう連続記録を更新した八月上旬だった。

 伊織は八月最初の金曜日に仕事が一段落したその足でさくらの部屋を訪れ、そのまま週末泊り込んでしまった。はじめは驚いたさくらだったが、その気持ちが嬉しくて伊織を抱き締めて受け入れた。

 伊織がさくらにお盆休みの予定を聞いてきたのは、そんな日曜日の午後だった。

「そう。連休利用してどっか旅行行きたいなって思って」

「えっ!」

 伊織の提案に笑顔になるさくらだったが、その笑顔はすぐに萎んでしまう。

「ええっと……すみません……実は田舎に行く事に……」

 さくらは頭を抱える。

 そういえば、いつもの癖で田舎に行く手配をしてしまったのだった。

 お墓が遠いさくらにとっては、入社してからのこの数年はお盆休みと言えば、お墓参りだったのだ。

「田舎に?」

 珍しく伊織があからさまにふて腐れたような表情になった。

 正直、何も聞かれずに恋人に連休の予定を埋められたのは面白くない。

「それって、どうしても行かなきゃ駄目? 田舎にって言ったって、どこに泊まるの? 家はもう無いんだろ?」

 するとさくらの明るい色の瞳に影が落ちる。

 自分の前では眼鏡を外した素顔を見せてくれるようになったさくらだが、この表情かおは見たくなかった。

「……ごめん。何か思い入れがあるんだよな?」

「ううん……。私も何も相談しなくてごめんなさい。あの……お盆はいつもお墓参りに行くの。遠くてなかなか行けないし、冬は雪で行けない事が多いから、夏は必ず行くようにしてて……ごめんなさい。怒った?」

 理由を聞くと、伊織の中で燻っていた思いが霧散した。

「俺こそ、ごめん。なあ、それって俺も行っちゃ駄目かな?」

「えっ!?」

 伊織の提案にさくらは心の底から驚いた。まさか一緒に行くなどと言われるとは思わなかったのだ。

「ええと……でも、何もない所よ? すごく不便な場所だし、徒歩圏内にコンビニすらないような……それに、泊まる家もないからいつも近くの小さな温泉宿に泊まるんだけど……」

「行きたい。さくらの家族に、ちゃんと挨拶させて?」

 その言葉にさくらは思わず涙を零した。

 悲しいという気持ちは無いのに、何故かポロポロと零れ落ちる。

「えっ、ちょっと。何で? 嫌だった?」

 慌てる伊織に、さくらは小さく首を振った。

「ちが……。嬉しくって。実はちょっと不安だったの」

「不安? どうして」

「――伊織さんと一緒に過ごすのは、いつも私の部屋だったから。伊織さんは社長と一緒に住んでるし、私の事連れて行けないって頭では分かってても、なんか寂しくて……。なのに今、うちの家族に挨拶したいって言われたら、嬉しくて」

 伊織は胸が苦しくなってさくらを抱き締めた。

 そんなつもりは勿論無かったが、言葉が足りなかったのは確かだ。

「不安にさせて、ごめん。勿論、さくらを社長に紹介できないとか、そんな理由じゃないんだ。ただ……言っただろう? 俺は社長の遠縁も遠縁で、可愛がってはもらっているけれど、あそこが家か、家族かって言われると……少し違うんだ。でも、不安にさせたよな。ごめん」

 伊織の話にようやくさくらの涙が止まる。

 申し訳なさそうに眉を下げるさくらが続けようとした言葉をキスで止める。

 お互い遠慮して謝りたいわけじゃない。

「さくら、初めて名前で呼んでくれたな」

「……そ、そうだった?」

「うん。なあ、新幹線とか、もう取ってんの?」

 さくらは頷く。

「多分、もういっぱいだと思う……いつも早く埋まっちゃうから早めに予約するんだもの」

「じゃあキャンセルして。俺の車で行こう。ね?」

 今度さくらは嬉しそうに頷いた。

 恋人との最初の旅行がお墓参りというのは少し妙な感じがするが、場所も目的も何でもいい。さくらが一緒なんだから。

 伊織はそう言うともう一度キスを落としてさくらを抱き締めた。



 * * *



 翌週、北上した二人は車窓を流れる景色が段々のどかなものになっていくのを何となしに眺めていた。

 お互いあまりお喋りな方ではない。

 けれども、沈黙が気まずいと感じる事もなく、むしろ心地良く思える空気感だった。

 さくらの案内で、車はどんどん細い道に入って行く。

 最後には歩道すらされていない砂利道になり、やがて小高い丘に辿り着いた。

 見渡す限り、田んぼや畑だ。それ以外は雑草や木々が生茂っている。

 さくらの言う墓地は、丘の斜面に段々に作られた小さな墓地だった。

「本当に何もない所でしょう?」

「ここまでどうやって一人で来ようとしてたんだよ」

 伊織は呆れた。コンビニどころか、民家ですら田んぼの向こう側に小さく見えている位だ。

「うーん……いつもはタクシーとか……ほらっ。あそこにも居るじゃないですか」

 伊織が車を停めた場所から少し離れたところにタクシーが一台停まっている。

「私達の他にも誰かお墓参りに来てるみたいですね」

「そうみたいだな」

 二人は中央に作られた細い階段を下りて行く。すると、くたびれたスーツを着た痩せた男が階段を上って来たので、二人は脇に避けて男をやり過ごす事にした。

「こんにちは。暑いですね」

 男が通り過ぎようとした時にさくらが声をかけたが、男は小さく会釈しただけでそのまま行ってしまった。

「知り合いか?」

「ううん。この辺りの人は大体知ってるから、知ってる人かもと思ったんですけど……私みたいに余所から来た人ですかね?」

 だが、くたびれたスーツの後姿になんだか見覚えがあるような気がして、さくらは男の後姿を見送った。

「さくら。行くぞ。帽子もかぶってないんだから。早くしないと暑さにやられちまう」

「あ、はーい」

 さくらは伊織に急かされて再び階段を下りはじめた。

「あ、ここです」

 伊織を案内した場所には小さな墓石が立っている。

 さくらは伊織から紙袋を受け取ると、ペットボトルに入れてきた水ですばやく掃除をし、花を供えた。

「お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん。ただいま」

 その後恥ずかしそうに伊織の事を紹介するのを、伊織は微笑みながら見ていたが、少し気になる事があった。

 ――苗字が……違う?

 さくらと共に手を合わせた墓石に刻まれていたのは『高橋』では無かった。

 『今野こんの』?

 今野こんのという字面に何かが引っ掛かったが、その苗字に知っている人物は居ない。決して珍しい名ではないから、取引先で見た名だろうか。

 それにしてもてっきり高橋家の墓だと思っていたから驚いたが、色々と事情があるのかもしれない。第一伊織自身も、幼い頃は『神崎』という名では無かったのだから。

「あとはこっちも」

「こっち? これは墓石じゃないだろ」

「無縁仏ですよ。母が庇った子供、結局後で亡くなったんです。その子は孤児院の子で、ここに眠ってるので……」

「……そうか」

 さくらは苗字の違う墓石については触れない。まだ話すのは辛いのかもしれない。そう考え、伊織も何も言わなかった。

 いずれさくらとその話をする事があるだろうか。その時が来たら聞けばいい。辛いものを無理矢理聞いては傷が開いてしまう。この時はそう思い、伊織もさくらの横で手を合わせた。

 お互い気付いた小さな違和感を、この時は二人とも気のせいだと思い深く考える事は無かった。


 そんな二人の様子を、遠くから写真に撮る男が居た。

 薄い口元にはなんとも気味の悪い笑みを浮かべている。

 不思議な客だ。花のひとつも持たずに墓参りだと言うから連れて来たが、一通り巡ったかと思うと今度はこの殺風景な田舎の田園風景を写真に撮っている。

「この辺はたいしていい風景でもねえべ」

 思わず声をかけたが、男は満足そうにシャッターを切った。

「いいえ。素晴らしい田園風景ですよ。都会に居ると得る事の出来ない風景です」

 無表情な男だったが、その声は本当に嬉しそうだった。余程この田舎の風景が気に入ったのだろうか。気味の悪い男だと思って悪かったかな。人の良さそうなタクシーの運転手は一転して男の印象を良くした。

「そうけ。そんだなぁ。俺なんかはたまに都会さ行くとビルばっかで息苦しく思うもんだなや。都会の人もそう思うもんだべなぁ」

 タクシーの運転手は田園風景を褒められたものと思い、素直に喜んでいる。

 都会からこんな辺鄙な村に来る人物はそうそう居ない。かなり手前に寂れた温泉街がある位で、それよりも奥に入ってくる余所者は皆無に等しいのだ。それがこんなに嬉しそうに写真を撮っているのだから、まるで自分が褒められているような感覚になっていた。

「やっぱし都会とは空気が違うもんだべ」

 運転手は嬉しそうに言葉を続ける。どうやら本当にこの地が気に入ったのだと思っているらしい。

 だが男は何も言わずに、そう思わせておいた。

「ああ。本当に来た甲斐がありましたよ」

 本当に来た甲斐があった。

 都会に居たら、“得る事の出来ない風景”だった。

 ファインダー越しの二人は、再び今野こんの家の墓石前に戻り、再び手を合わせていた。

 この二人は一体、お互いの事をどこまで知って、何を知らないのだろう。

 何も知らずに一緒に居るとしたら、なんという運命の悪戯かと思う。

 これだから、この仕事は辞められない。

 男は顔を上げると上機嫌でタクシーに乗り込んだ。


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