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ご都合主義のスプーフ

虞美人草の咲き誇る場所 ~覇王別姫~

作者: 麻戸 槊來

小説などをもとに項羽と劉邦などを扱っておりますが、原作とは異なる表現も多く見られるかもしれません。また作中、項羽よりな表現がありますので、苦手な方はご注意ください。

2012/11/27に改稿。


信じていた主君が我欲にのまれた。

とても賢く、聡明な方だったというのに実に嘆かわしいことだ。この御方のために剣を振り、命を捧げようと決めたのに。そんなわたしをあざ笑うかのように、主君は皆の苦しみから目をそらし己が利益しか考えぬ。


―――保身と自身の利益しか考えなくなった人間など、上にたっても悪戯に世を混乱に陥れるだけであろう。このままではこの国はだめになってしまう…。



この国の未来を危ぶんだわたしは、傍らに携える妻に問いかけてみた。


もしもわたしが、のために主君を殺めても、おまえは隣で笑ってくれるか?


目すら見れずに心許ない気持ちで問いかけたというのに、帰った言葉は明快なものだった。


「えぇ、私はいつも貴方様のそばにおります」


そう言って笑った彼女は、今までで一番きれいだった。






✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾






乱世…その表現が、一番ふさわしいだろう。

そんな中、わたしはのち虞姫ぐきと呼ばれる女性と恋に落ちた。彼女は虞美人などとも呼ばれていたが、彼女に出会うまでは鼻で笑っていた。

華美な衣装をまとい、派手な化粧をしているだけだろうと。


ただ彼女を一目見て、今までにないほど心臓が脈打つのを感じた。まさしく彼女は美しかった。豊かな黒髪はつやつやと輝き、一点の曇りすらも見られない白い肌は、国中の女が羨んだと聞く。



自らをめかしこみ、いかにより有利に立つかということしか頭にないほかの貴族の女とは違い、彼女は知的でもあった。

そのため、朴念仁と呼ばれ女性の扱いが不慣れな俺ですら、気負わずに彼女との時を楽しむことが出来た。


難をあげれば、そこいらのふ抜けた男どもより知性的であったため、言いくるめられんとして、必死に言い返すだけの気の強さがあった。だが、そこいらの何を考えているのか分からない女より、感情に合わせて素直に変化する虞姫の表情のほうが、俺にとっては魅力的だった。




いつだったか、俺は彼女に言ったことがある。


私は世を統べたい訳ではないのだ。ただ民を救いたい。それが叶うのなら、べつに富も名誉も必要ないと考えている。しかし、それが出来る……。民を救える場所にたまたま私がいるのだというのなら、わたしは喜んでこの身を投じよう。おまえはこんなわたしでも慕ってくれるか?

苦労をかけるしか能のない男に、ついて来てくれるのか…と。



その時、彼女は俺の瞳をじっと見つめ『えぇ、私はいつも貴方様のそばにおります』と、それだけを応えて微笑んでくれた。


言葉数が少なかったからこそ、そこに含まれる気持ちに触れられた気がして嬉しかった。彼女ならきっと、俺を裏切ることも落胆させることもないだろうと、心の底から信じることが出来た。それなのに―――。




久方ぶりに虞姫へ剣舞を踊ってもらい、拍手もやみ終わらないうちにあわただしい足音が、時の動きを知らせた。


「王、劉邦りゅうほうの軍がとうとう攻め込んで来ようとしておりますっ。

 ただちにお逃げを」


「何故、わたしが尾を巻いて逃げださねばならぬ。やつが来るなら迎え撃つまでのこと。下らぬことを申してないで、とっとと戦う用意をせぬか!」


「ッしかし、そのようなことを申されてもあちらの軍勢はこちらの倍をいきます。

 その上、こちらには虞姫さまをはじめ、侍女や戦えぬものが多くおります。王、どうぞご判断を!」


虞姫の名を出され、思わず言葉に詰まる。ほんの少しやってしまった視線の意味に気づいてくれるなと願いながら、そっと視線を床へ向ける。部下の言葉には、戦に女を連れてくるべきではなかったのだという、非難が見て取れた。


現在は、劉邦に追い詰められ、先の戦いで負け帰った後だった。

仲間に裏切られ、軍勢はどんどんあちらが有利になっている。その上、周囲を取り囲まれた今となっては、わたしの首が討ち取られるのも時間の問題だろう。最期に一矢報いることは、出来ないだろうか…。


焦る一方で、疲れた心とからだを安らげようと考え、久方ぶりに会う虞姫を晩餐に誘い、しばしの休息を満喫している時に受けた報告だった。美酒と名高い酒は泥水のように感じ、ただでさえ酔えぬこの身が冷やされていくのを感じる。




思わず、苛立ちのまま舌打ちした。

せっかく、虞姫の三国一と呼ばれる剣舞を見られたのに、奴は愛しい者との別れを惜しむ時間すら与えてはくれないというのか?早まった愛しい女との別れにしばし黙り込んだ後、重い口をゆっくりと開いた。


「…虞姫よ、別れ惜しいがここでお前とも別れなければならぬようだ。

 たとえ今逃げ出したとしても、気休めにもならぬだろう。どうせなら、わたしはおのれの義を信じて、最後まで戦いたい…」


それを伝えた時、虞姫にどんな反応を返されるのか予想できず、彼女を直視せずにいた。…不甲斐ない。己の義を信じてなどよく言えたものだ。


所詮、俺は周囲に理解されることも、民を救うこともできずに…終わってしまうのだろうか?あと自身で選ぶ事が出来るのは、死に方くらいのものだろう。

せめて後世で犬死など笑われぬ、潔くも劉邦へ傷を残す方法でなければ気が済まなかった。



ただ、虞姫を共に連れて逝くつもりは元よりない。なんとしても彼女だけは逃がさなければいけない。どうか願わくは、次はもっと優しく争いなどとは無縁のいい男を選んでほしい。


彼女と視線を合わせた途端、自身の想像にすら嫉妬しきつく拳を握り締めた。

この美しい人が、別の男の物になるなど冗談じゃないと吼える本能と、それが彼女のためなのだと諭す理性が身を巡る。その時の俺は自身の思考にはまっていたせいで、虞姫が起こした行動へ瞬時に反応することが出来なかった。


「王、どうか嘆かないでくださいまし。

 誰に理解されずとも、私は貴方様を信じ、ついて行きます。―――けれど、それが貴方様の戦いの妨げになるというのなら、私は喜んでこの身を絶ちましょう」


何を……彼女は、言っているのだ?

言われた言葉を理解できず、俺は身動き一つ取れずに黙って彼女の瞳を見つめた。その瞳は、今しがた自ら命を絶つといった人間とは思えないほど澄んでいた。


虞姫のおかげで救われているというのに。これ程までに追い詰められた状況下で、悠長に晩酌など出来るのは、ひとえに彼女のお陰なのだ。

これまで何度も理解されず苦しんだ時も、裏切られた時も何時だって虞姫が支えてくれた。



馬鹿なことを申すなと、叱責しようとした口を動かす私よりも早く、彼女は行動を起こした。


「愛していますわ、項羽こうう様」


そんなむなしい言葉を響かせると、剣舞で使っていた剣が彼女の首元で踊った。

これまで嫌になるほど耳にしてきた物を裂く音が、鼓膜を震わせる。


一瞬後に噴出した血の色は、まるで彼女が好んでいた赤いヒゲナシの花のように赤々としていた。こんなにも美しい鮮血をみたのは初めてで、事が起こった刹那目のまえで起きたはずなのに、何が起きたのか理解することが出来ずにいた。


かみ合わない唇だったが、徐々に傾く彼女の体を目にいれた突如、喉を潰さん勢いでこの世で最も愛しい者の名を叫ぶ。


「虞姫ー!!」


頭では理解していないというのに崩れ落ちる彼女の姿を見て、俺の喉からは自然と悲鳴が上がっていた。わたしの嘆きを皮切りに、劉邦たちが屋敷に侵入してきた。



―――嗚呼

何故だ、何故だ、なぜだ、なぜだ!そんなにわたしと共に逝くのが嫌だったのか?

だったら、いっそのこと俺を殺してくれ。


嫌だ、嫌だ、いやだ、いやだ。何の為に、わたしがこの世を平和にしようとしたのか、一番近くにいてくれた君が分かっていなかったのか?


止めてくれ、止めてくれ、やめてくれ、やめてくれ。彼女とすごしたこの場所を…彼女が最期に選んだ場所を―――。どうか誰も、壊さないでくれ。



そののち、健闘もむなしく覇王はおうと呼ばれた男は劉邦に討ち取られ彼女のあとを追う事となった。






✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾







皆に例外なく美しいと言われる女性は、そっと愛しい男に心の中で話しかけた。

仲間の裏切りを嘆くその大きな体は、何故裏切ったのかと憤りを隠せずにいる。


『貴方への不満が…。城内に全くないなどと、どうして言えましょう』

心の中ではわかっていながらも、諭すような言葉を口にはせずそっと近くに寄り添った。


「貴方様のお心は、あまりに真っ直ぐすぎるのです」


一本気で何が悪いと恫喝されるかと思ったのに、彼は口を開くことはなかった。

愛しい御方のたくましくも悲しい背中をみつめ、そっとひとつため息をつく。


真っ直ぐであるが故、周囲には理解されにくく。

その苛立ちを素直に表現なさるから、一層、貴方様は恐れられるのでしょう。

幾度か、ほかの殿方から「何故よりにもよってあんな男を選んだのだ」と言われたことすらある。


―――私には一度たりとも、怒鳴ったりなされたことは無いというのに。

嗚呼、どうしてそんなにも貴方様は不器用なのですか?何度としれない問いは、そっと心にとどめた。


私はそのお優しい姿を、皆に見せて差し上げたい。弱い者には手を差し出し。

迷える者には助言を与える。そんな御方が、この世に何人おりましょう?

貴方様以外に、私がついて行きたい人などおりません。


だから周りに何と言われようと、貴方様の傍に居られる事が私の幸せであり、望みなのです。そう思って今まであの御方の傍にいた。




しかし時は流れ、ひとは変わり。

志を共にする者として、信頼していた者たちまで彼を裏切った。滅多に見ることのない、貴方様の涙に胸が詰まるようだった。だからせめて…、最期くらいは心おきなく戦わせてあげたいと感じたのです。私の死を嘆いてくれる彼に、そっと囁く。


「…誰に理解されなくとも、貴方様を愛しております」


どうか忘れずにいて下さい。こんな女がお傍におりました事を…。貴方様の優しい眼差しが私へ向けられるたびに、この胸は人知れず高鳴ってゆくのです。


どうか気付かずにいらっしゃって下さい。

できれば……もっと違う形で出逢いたかったと、弱い心が申すのです。


決してなかった事にはしないで下さい。貴方様のお陰でこんなにも幸せになった女が、此処に確かにいたのです。


いくつもの伝えきれなかった言葉たちを抱えたまま、そっと重いまぶたを閉じた。




虞姫が自ら命を絶った場所には、ヒナゲシの花。

またの名を虞美人草が、咲き誇っていた。





虞姫は正確な名前が分かっていないため、ほかにもいくつか呼び名はありますが、こちらを作中で使わせていただきました。

項羽は残忍とされていますが、虞姫との馴れ初めを先に知った私にはそれだけだとは思えませんでした。ぜひ、興味がありましたら京劇などの作品を見てみてください。

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