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錬金術師

作者: kazae
掲載日:2026/08/30

「錬金術師」












彼の話を知りたいのなら、まず、あの花のことを語らなくてはならない。




貴方も見たことはあるでしょう。

今の季節に、窓際、あるいは暖炉の上で、鉢に入れられて鑑賞される。

目に鮮やかな花のことです。



名前を言えばわかるでしょうか。



そう、紅いシクラメンの花。



・・・今夜のような時に眺めると、さぞ、貴方も心が和むことでしょう。





炎に似た姿の花。

赤く燃えるような、幾重にも重なった花びらの花。

まっすぐに天へ伸びた茎を持つ花。

その先に灯した蝋燭の光のような、閃く小さな火に似ている花。

触れるとみずみずしく、つややかな花。

鮮やかに輝く灯のような花。



その姿は、一目で彼の目に焼きついた。

派手ではない。

なのに印象的な、緑の葉によく映える強烈な赤い色彩の、花。



香りはない。

存在感を煩く訴えることはしない。

ただ、部屋の片隅にじっと控えて・・・



暖炉の傍らで時を過ごしていた。

彼と共に。









それでは、その男の話をしよう・・・・・・。













彼は、錬金術師だった。




ここから西の外れにある町に、研究室を持って一人で住んでいた。

石の街路を歩き、光の当たらない横道に入り込んだところに、欠けたランプの下がった古びた扉がある。

そこに彼は、何年もひっそりと閉じこもって、己の野望を追い求めていた。



部屋の有様は、彼の心の姿に似ていた。

研究室に窓はなく、明るい陽光が差し込むことはなかった。

液体や薬品や金属を炉で加熱するために、部屋の片隅では、常に炎が煌々と燃えていた。

まるで、地獄から燃え移ったような、暴れる紅い獣のような、恐ろしい炎だった。

彼は研究に没頭するために、一切の人づき合いを断っていた。

誰かと言葉を交わすこともなく、毎日、鉛や硫酸、輝く水銀、ガラスの機材と向かい合い、険しい目で見つめながら人生を過ごした。



炉と同様に煮えたぎる彼の心は、ただ一つの願いにとり憑かれていた。



神がこの世界を創造したように、私の手で、価値のあるものをこの世に生み出そう。

異国の書物から読みといた魔法を、きっとこの手につかんでみせる。

人の心の愚かさに失望していた、若かりし日。

手に取った一冊の書物が、私に語りかけたのだ。

この世のあらゆる物質は変化しうる。

変えることができる。

造ることができる。

鉛も鉄も石くずも、無価値な人間さえも、王をひざまずかせるほど価値のある物質の材料にできる。

不変の輝きを持つ黄金へと変えることができる。



彼の青灰色の瞳は、冷えたガラスに似ていた。

それまでの人生で、何を映してきたためにこんなに悲しい色の瞳になってしまったのか、残念ながら誰も知らない。

ただひたすら、燃えさかる炎を目に映しながら、貪欲な狂気を反射させていた。



価値の無いものは価値の有るものに変えることができる。

世界が定めた私自身の価値も。

私の価値を勝手に定めた、そもそも無意味な人間達も。

その人間達の社会さえも。



もともと、彼にも、家族があったはずだった。

裕福な家に住んでいたと聞く。

彼の瞳が明るい空色をしていたことがあったと聞く。

妻を愛し、娘を愛し、人と言葉を交わすことを愛していたと聞く。

それらを一度に失う悲劇は、きっと彼のせいではなかった。

人間の世界を、金属に例えるなら、彼のいた世界には何か不純物が混ざっていたのだろう。

たったそれだけで、世界は輝きを失うのだ。なんと脆い構成物だろうか。

どんなに美しかったものも、純粋になれない限り、次第に冷え、次第に錆びるしかない。

彼が、黄金という物質の朽ちることの無い輝きに魅かれたのは、そのためだろうか。



太陽と同じ輝きを持つ、冷たく硬質な、金という元素の集合体。

どんなに時を越えても、朽ちることも崩れることも無い、永遠不変の価値を持つ。

神の特徴と似ているかもしれない。

それとも、神が創った物なのだろうか。

だから人間は、こんなにもこの物言わぬ物質に魅せられ、憧れ、狂おしさを感じるのだろうか。



ならば、黄金を創り出す術を手に入れることは、神に近づくこととではないか。

この世界を造り替え得る、神になることと同義でなないのか。




そして彼は、錬金術師になった。




それまでの生活は、いともあっさり捨てた。

研究に費やすための富だけを持ち出して、人目につかない場所に移り住んだ。

それ以来ずっとこの場所にいる。

いつのまにか、床には、彼が、あるゆる国から力の限りかき集めた錬金術に関する書物が散乱していた。

卑金属、貴金属等が分別もなくごちゃ混ぜになって、棚を埋め尽くした。

胸が悪くなるような薬品臭と熱気が始終立ち込めていた。

一日錬金術の実験に没頭している彼の身の回りの世話をさせるために雇った使用人以外に、扉を叩く者さえいない。

やがて、研究のための資財に底が見え始める。

そのために、身の回りの世話や助手をしてくれていたその雇用人達さえも、一人、また一人と来なくなった。

食事も生活も人とのつながりも、彼にはどうでもよかった。

醜い錆色の物質が、どうすれば目の眩むような輝きを持つか。

それだけに彼の心は縛られていた。

絶やすことなく燃やし続けた炉の炎に、いつの間にか正気さえ、彼の人としての心さえ、燃やし尽くしてしまっていたのかもしれない。



しかし彼の意に反し、どんな物質も、金に変わることはなかった。

何一つ造り出せるものはなく、いたずらに時ばかりが過ぎていった。


フラスコを握る手に、次第に深い皺が増えた。


変わりゆくのは自分だけだ。

金属片を薬品の中に投じる腕は、もはや骸骨のようである。

部屋を埋め尽くすほどの、金になりそこなった失敗作の卑金属は、今では錆さえ朽ちていた。

大枚をはたいて手に入れた文献も、読むことができないほど色あせ、ばらばらになって散らばっている。



彼は、自分に残された時間が少ないことを感じ始め、憔悴した。






万物は変化し得るのではなかったのか。


変化とは・・・朽ちることしか、老いることしかできないのか。


どうしても、それが世の中の原理なのか。






それでも、彼は、何かにしがみつくかのように、炉の前に立ち続けた。

野望の炎が尽きる時は、自分の命が終わる時だ。



その時だ。



彼は、坩堝の底に、輝く物を見つけた。

覗き込み、そして、すくい上げた。






鉢植えのシクラメンの花だった。


投じた物質を黄金に変えるために調合した薬品の化合物の中で、それだけが、輝く硬質を手に入れた。


その様のなんと見事なことか。


薄い幾重にも重なった花弁はそのままの形で、滑らかな曲線を保っていた。


凛とした茎はまっすぐに、葉は葉脈の細やかな模様と縁のぎざぎざを崩していない。


ささやかなそりかえり具合も、息づいていたままの形だ。


その美しい造形で、金一色に統一されていた。


これこそが純金だった。






気づかないうちに、炉の隣の棚の上に置かれていたものを、落としてしまっていたらしい。







花を純金に変えられたことは、男にとって、喜ばしいことだっただろうか。

ところが、そうではなかった。


ある記憶が、よみがえったから。








なぜ、鉢がこの部屋にあったのか。

彼は思い出した。




私以外に毎日この研究室を訪れていた少女がいた。

ただの使用人に過ぎなかったはずだ。

しかし、私の気づかない所で、きっと彼女は私を見ていた。

食事を運んでくる合間に、私を労い、そっとこの花を飾ってくれたのだろう。

いつだったか、ちらりと見たこの花の、鮮やかな赤い色彩だけが目に焼きついている。



彼がこの花に気づくことがなかったように、彼は彼女の視線にさえ気づいていなかった。



黄金に変わった花に触れる。

硬く冷たい金属の手触り。

目にしたものをすくませるような、目くるめく輝き。



彼女が贈ってくれたものは、こんなものではなかったはずだ。



確かに、彼が手に入れたかったものだ。

しかし、同時に彼は、自分が一体何を失ってしまったのかに気づいてしまった。






炎に似た姿の花。


赤く燃えるような、幾重にも重なった花びらの花。


まっすぐに天へ伸びた茎を持つ花。


その先に灯した蝋燭の光のような、閃く小さな火に似ている花。


触れるとみずみずしく、つややかな花。


鮮やかに輝く灯のような花。









寒い季節なのに、燃える炎の姿で咲く、紅く鮮やかな、シクラメンの花。

何かに似ている。









派手ではない。

なのに印象的な、緑の葉によく映える強烈な赤い色彩の、花。



香りはない。

存在感を煩く訴えることはしない。

ただ、部屋の片隅にじっと控えて・・・



暖炉の傍らで時を過ごしていた。

彼と共に。







それは、彼女だった。







今更になって気づくことができた。

彼女は私を愛していたのだ、と。



危険な実験を繰り返すうちにボロボロになってしまった指先で、黄金に変えてしまった花に触れる。

輝く花。

しかし、しっとりと柔らかな花びらにはもう触れることができない。

息づくように温かな淡い紅色はもう見られない。



失ったのは、この花を贈ってくれた彼女の心と存在だった。










おや、暖炉の上に置いてあるものに目がとまりましたか?

少し話を中断しましょうか。



ええ、そうです。その時の純金の花です。

と、言いたい所ですが、そうではありません。

錬金術とは関係なく作られた、ただの細工物です。



純金の花はこの世には存在しません。



いえいえ。聞いてください。

この話には、続きがあるのですよ。

少し外の雪が増したようですね。

暖炉にもっと薪をくべるとましょう。

この炎は、恐ろしいものではないでしょう?

火の粉が爆ぜる音というのは、何故かもの寂しく感じますが、ね。









彼は、その後、研究室に火を起こし、全てを炎の中に葬ったそうです。

もちろん、自分自身の肉体も。






全てを呑みこんだ業火の輝きこそ、まさに黄金のような光景だったそうです・・・・・・。




だから、純金の花は見つかっていません。

きっとその時に、炎へ還ったのでしょう。












ところで、一つ疑問があると思います。

どうして、彼の実験では、何も金には変えられなかったのに、彼女が贈った花だけが、金になったのでしょうか?



この世で最も価値があるもの。

それは何だったのでしょうか。






どう思いますか。








おやおや。

もしかしたら。

貴方も、愚かな錬金術師なのですか。





ねぇ?


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