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もりとき怪談 第一集【一話完結/短編怪談】  作者: もりとき


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罅音


「かおん」という言葉を知っているか?

「加温」でも「加恩」でもないぞ。言葉の意味は「ひび割れた壁の向こう側から聞こえる音、または声」だ。

 俺がこの言葉を知ったのは中学生の頃だ。その当時の俺は暇があれば辞書を引いて、聞いたこともないような言葉を調べてた。まぁ、中二病だったわけだな。

 そして「かおん」という言葉も、辞書で見つけた。

 漢字が難しくて忘れてしまったが、「おん」は間違いなく「音」だった。意味が「ひび割れた壁の向こう側から聞こえる音、または声」だから、たぶん「か」は「ひび」という漢字だったのだろうと思っている。


 とにかく、俺は中学生だったある日に、罅音って言葉を知ったんだ。

 言葉を知ると、それまで自分が何気なく体験していたことにも名前をつけることができる。昼下がりの何でもない道を歩いていて、ふと「ピシ」とか「バン」みたいな音がしたとする。音の方に目を向けて、ひび割れた壁があったとしたら「あぁ、罅音か」って納得することができるんだ。

 だから俺は、罅音って言葉を知ったその日から、罅音を認知することができるようになった。


 そんな俺も中二病を卒業して勉学に励み、大学生になった。

 大学では学生寮に下宿していたんだが、それがけっこう年季の入った建物でな。補修はしてあったが、壁は薄汚れてひび割れているし、内装は洋風ではあったがかつての住民がつけたのであろう汚れや傷が残っていたりもした。

 でも悪いところではなかったよ。ただ日当たりの悪い北向きの建物で、部屋は日中でも薄暗かった。

 まぁ、そんな寮だからか、幽霊が出るだなんて噂があってな。大学生にもなって幽霊話だなんて情けないと思っていたが、俺の隣人なんかはすっかり怯えた様子だった。奴は俺を見つけるとヘラヘラしながらついてきて、何かと俺と一緒にいたがった。俺と一緒にいると安心するのだと言う。俺だってこれが可憐な女性だったらやぶさかではないが、隣人はむさくるしい男だったので何の喜びもなかった。


 ある夜、バイトから寮に戻ってくると外でばったり隣人に出くわした。

 奴もちょうど自室に戻るところだったらしく、ふたりで戻ることになった。俺達の部屋は寮の3階だ。当然エレベーターなんてないから、階段を上っていく。

 この階段というのがまた薄暗くて、安っぽい蛍光灯がジーっと音を立てながらチラチラと灯っているような空間だった。

 俺達は無言で階段を上る。俺達の足音が階段に響く。蛍光灯がかすかにジーっと音を立てる。

 その中に混ざって「ずずず」とも「ううう」ともつかない、低い音が聞こえた。それは何かを引きずるような音にも、男の苦悶の唸り声にも思えるような音だった。


 隣人が足を止めて「何か聞こえないか?」と俺に聞いた。

 階段の壁には大きなひび割れをパテで補修した跡があった。「罅音だろう」と俺は答えた。

 隣人は「何だよ、罅音って」とさらに問う。「ひび割れた壁の向こう側から聞こえる音、または声、という意味の言葉だ」と俺は答えた。奴はぽかんとした間抜けな顔をして「そんな言葉、聞いたことないぞ」と返した。

 俺は呆れてちゃんと辞書にも載っていることを伝えたが、奴は絶対にそんな言葉はないと言って譲らなかった。


 それならばと隣人の部屋に乗り込んで、一緒に辞書を覗いて見たが、不思議と「罅音」という言葉は載っていなかった。

 俺の部屋からも辞書を持ってきて引いてみたが、やはり載っていない。ネットでも検索してみたが、「罅音」という言葉はヒットしなかった。

 ならば俺がこれまで「罅音」として処理して納得していた音や声は、一体何だったのだろう。辞書に載っている程度には一般的な事象なのだろうと思い通り過ぎていたあの音や声は、一般的なものではなかったのだろうか。だとしたら、これまで俺が聞いてきたひび割れた壁の向こう側から聞こえてきていた音や声の『正体』とは……。


 この一件依頼、ひび割れた壁を見つけるたびに音や声が聞こえるのではないかと思って、足早に通り過ぎるようになってしまった。

 実家に帰ったときに中学の頃に使っていた辞書を確認したのだが、やはり「罅音」なんて言葉は載っていなかった。だが俺はこの言葉の読み方が「かおん」であり、意味は「ひび割れた壁の向こう側から聞こえる音、または声」であることを知っている。この知識はどこから得たものなのだろうか。俺の妄想なのだろうか。

 もし、「罅音」という言葉を知っている人がいたら、教えてほしい。



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