古井戸
これは僕が趣味でやっているフィールドワークで聞いた、とある土地の昔話です。
集めた話は伝聞調ではなく物語として書いているので少し読みにくいかも知れませんがご容赦ください。
その村には「覗いてはいけない井戸」というものがある。
村の端にある井戸で、その井戸は名主の敷地内にあったものだ。名主の制度は明治維新の頃に廃止されたが、村人は名主を慕い、名主も村人のために貢献する良好な関係が明治に入っても続いていた。
ただある代の名主の男は、村人への貢献など頭になく私利私欲に走る男だった。地方自治制度が変化していく中にあって、信頼を失った名主はしだいに落ちぶれていった。その腹いせのように村では横暴に振る舞い、器量の良い娘をむりやりに連れ去るということもあった。
村人たちはかつての名主への恩義もあってどうしたものか苦慮していたが、8人目の娘が連れ去られた頃、村人たちは決起し名主を殺すことにした。
使用人にもすっかり見放された名主の男を殺すことは造作もなかった。夜中、名主が寝入った頃に屋敷に押し入り、袋叩きにしたのである。
連れ去られた娘の家族たちは、娘の姿を探すも見つからない。屋敷に押し入った村人たちも手伝って、隅から隅まで確認したが、朝になっても娘の姿どころか着物一枚出てこない。
村人たちが途方に暮れた頃、外から悲鳴が上がった。
何事かと声のした方に向かってみると、ひとりの村人が井戸を指差して尻もちをついている。
井戸を覗いてみると、そこには娘とおぼしき死体が浮いていた。それもひとりではない。暗くて見えづらいが複数人はいる。名主の男は連れ去った娘たちを殺し、この井戸に放り込んでいたのだ。
あまりの光景に村人たちは青ざめた。この井戸に打ち捨てられた娘たちの死体をどうすればいいのか、そして屋敷の中に残っている名主の死体をどう処理するか……。
村人たちも冷静な判断を欠いていたのだろう。
誰かが「この井戸に名主の死体も放り込もう。そうすれば、名主に殺された娘たちの魂が名主を引き裂き、無念も晴れるだろう」と言った。疲弊した村人たちにとってはそれが妙案に思え、名主の死体は井戸に放り投げられた。
井戸には蓋をされ、大きな石をひとつ積み、井戸の横に「覗くな」と書いた立て札を立てた。
そうして名主の屋敷は打ち捨てられた。
村には「村の外れの廃屋敷にある井戸の中には鬼が棲んでいる。だから井戸の蓋を開けて覗いてはいけない」という言い伝えが残った。
村人たちはその教えを守っていた。だが、昭和の中期頃に村に移り住んだある男は違った。その言い伝えを過去の産物であると笑い、村人たちを意気地なしだと罵った。
そして村人が止めるのも聞かず男は井戸へ向かい、しばらくしてフラフラと村に戻ってきた。男はそのときには正気を失っており、へらへらと笑いながら口の中で何かをぶつぶつ唱えていた。その姿を見た村人たちはゾッとして、やはり言い伝えは正しかったのだと認識した。
そんな状態で男が戻ってきたものだから、もしかしたら井戸の蓋を開けたままにしてきたのではないかと誰かが言い出した。好奇心旺盛な村の子どもが井戸を覗き込んでしまうかもしれない。そこで村の中でも特に肝の座った男たちが数人で、井戸の様子を見に行くことになった。
予想に反して、井戸の蓋はちゃんと閉じられ、上には丁寧に大きな石も置かれていた。ほっと一安心していたが、立て札を見たとき男たちは凍りついた。
「二度と覗くな 次はない」
ボロボロになった立て札にはそんな文言が書かれていた。
立て札にはこれまで「覗くな」としか書かれていなかったはずだ。
男たちは大きな石から小さな石までを井戸の蓋にいくつも乗せ、慌てて帰っていった。
この話をしてくれたおじいさんによると、その名主の屋敷は村の端の広大な土地に建てられていたこともあり、廃れてからはわざわざ訪れる人もいなくなったようです。
そのため今ではすっかり草木に侵食されています。せっかくだったので、僕はその屋敷まで行ってみました。
おじいさんの言っていた通り、屋敷跡はすっかり低木やら背の高い草やらに覆われて、朽ちていました。ですが屋敷の作りは立派だったのでしょう。朽ちた廃屋はまだかつての姿を想像できる程度にはその面影を残していました。
僕は井戸のありそうな場所を探してみました。そう苦労せず、古井戸を見つけることができました。
古井戸は草に隠されていましたが、あの日積まれたのであろう大小の石が転がっていました。さすがに立て札は朽ち果てて、木の欠片すら僕には見つけることができませんでした。




