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もりとき怪談 第一集【一話完結/短編怪談】  作者: もりとき


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20/45

トマト


 その日の仕事は、Mさんと一緒だった。

 俺は図書館で司書として働いている。図書館は21時まで開館していて、俺とMさんは遅番だった。

 ベテラン司書のMさんはおっとりした感じで、物腰がやわらかくて、年相応に落ち着いた感じの人。

 そんなMさんが、その日は出勤したときから何かそわそわしてた。


「Mさん、何かあったんですか?」


 カウンター奥の事務室で資料のデータ処理をしながらMさんに話しかけると、資料の修理をしていたMさんはびくりと肩を震わせてから、おずおずと顔を上げた。

 いつもはあまり見せない、ばつの悪いような、いびつな笑みを浮かべていた。確かに口元は笑うように弧を描いているんだけど、全然笑えていなかった。

 普段のMさんが見せることのない表情で、何か仕事でミスでもしたんだろうかとちょっと心配になった。


「……実は、見ちゃったんだ」

「見ちゃったって、何をです?」


 利用者が資料を無断持ち出ししたのを、黙って見過ごしたってことかな? なんて、俺は考えていた。

 Mさんは周囲を見渡して、事務室の中に俺の他に誰もいないことを確認した。

 カウンターの方にも目をやり、スタッフがこちらに来そうにないことも確認する。

 そうして、俺の方にぐぐっと身を乗り出して、小声で言った。


「通勤途中に、事故。俺、車で通勤してるだろ? 前に大型のトラックが走ってて、並走するように自転車がいたのね。で、トラックからは自転車が死角になってたんだと思う。トラックが曲がろうとして、そのまま後輪でぐしゃっと……ね」


 まったく予想していなかった方向の話をされて、俺の思考は一瞬固まった。

 Mさんは椅子の背もたれに体を預けて、ふぅと大きく息を吐き、独り言のように


「人間って、あんなに、トマトみたいに潰れちゃうんだな」


 と言った。

 俺は何と返して良いのか分からず黙り込んだ。

 Mさんもそんな俺の気持ちを察したみたいで、何も言わずに資料の修理に戻った。

 気まずい空気の中、やがて閉館時間を迎えた。

 スタッフさんを先に帰して、最後に俺たちが施錠の確認をして図書館を出る。

 俺は家が近いので歩きで、Mさんは勤務員用駐車場に車を取りに行く。俺たちは「お疲れ様です」と言い合いながら別れた。


 俺は街灯がともる大通りに出た。Mさんがどこで事故を見たのかは分からなかったが、もしこの付近だったらと思うと、俺は視線を泳がせて花束が供えられたりしていないかを、不謹慎ながらに探してしまった。

 家に向かって大通りを歩いていると、いつもMさんの車に追い抜かれる。

 追い抜くとき、Mさんは俺に向かって短くクラクションを鳴らす。それが俺とMさんの別れの挨拶だった。

 プッと短くクラクションが鳴り、俺はMさんに手を振るために振り返った。


 Mさんの車のボンネットに、頭が割れて半分しかない男がしがみついていた。どろりとした赤黒い血に脳漿が混ざって、ところどころ薄いピンクになっているのが、夜の闇にもはっきり見えた。

 Mさんは何も知らずに笑顔で俺に手を振っていた。

 俺も手を振り返したが、ちゃんと笑えていた自信がない。

 大通りには俺以外にも人がいて、誰も騒いでないのだから、あれは俺にしか見えないのだろう。Mさんだって、あんなのがボンネットにしがみついているのに笑って手が振れるわけがない。


 つまりあれは、この世ならざるものって訳だ。

 たぶんMさんが見た、トラックに轢かれた人なのだろう。

 いや、本当に人間って、あんなトマトみたいになるんだな。俺はしばらくトマトが食べられそうにない。



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