付録:日本人エルフ説に関する考察
現代のエルフ達 を追記。
【日本人エルフ説】
日本人エルフ説がミームとして広まった背景には、2010年代中頃からの英語圏コミュニティに於いて「現実世界の人種をファンタジーの種族に当てはめたら?」と言うおふざけの答えの一つだ。
しかしこれは本当にそう簡単に片付けて良いものなのだろうか?
他の国ではゴブリンやオーガ、ドワーフ、ホビットなど様々なものがあるが国別のステレオタイプという性質上、差別と言われかねないので今回は日本人エルフ説のみの考察とする。
古くにはエルフと妖精はあまり明確に区別されておらず、トールキンが指輪物語に於いて耳の長いエルフを明確に作り上げたと言う事実がある。
元々古いエルフの記述には『耳が大きい』と言う記述はあるが長いとは書かれていない。
つまりこの長い耳はトールキンの生み出したものだ。
正確に言えばトールキンは木の葉の様な耳と記述し後の映像作家達が現在の様な耳を作り上げたものだ。
大きなだけならば本来は日本的福耳のようなものなのかもしれないのだ。
そして古式エルフはほぼ妖精と言えるだろう。
【古い日本評】
トールキン以前の話を見てみよう。
かなり古い日本のそれらの話はバジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain, 1850–1935)の著書『日本事物誌(Japanese Things)』の中で、近代化前の日本について「古い日本は妖精の棲む小さくかわいらしい不思議の国であった」と表現した物などがある。これは、西洋人が目撃した当時の素朴で独特な日本文化への感嘆の言葉として残されているのだ。
“Things Japanese” (初版1890、明治初期頃の印象を記述) より
原文は
“Old Japan was a fairy-land, small, dainty, and full of wonders.”
である。
※この文は実際には1890年出版の “Things Japanese” に収録されているが、
内容は明治初期(1870年代)の日本で彼が見た光景の回顧記述である。
彼の言う妖精の国の根拠は
日本人は小柄で軽やか
動きが静かで優雅
家々は木造で軽く、まるで妖精の家のよう
日本人は痕跡を残さない
自然と調和し、森と水を恐れることなく受け入れている
礼儀正しさが異様なレベル
国全体が「静かな音楽」のように感じられる
これらがすべて妖精フェアリーの特徴に一致すると述べている。
彼の他にも
小泉八雲
“Japan appears like a land of spirits, so light, so silent.”
「日本は精霊の国のように見える。あまりにも軽く、あまりにも静かだ。」
紀行文集『知られぬ日本の面影』(原題:Glimpses of Unfamiliar Japan、1894年米国出版)
イザベラ・バード
“Villages are like fairy villages, quiet, neat, and strangely clean.”
「村々は妖精の村のようで、静かで整然としていて、不思議なほど清潔だ。」
“The people are small, graceful, and surprisingly youthful in appearance.”
「人々は小柄で優雅で、驚くほど若々しい外見を持っている。」
1878年(明治11年)『日本奥地紀行』(原題:Unbeaten Tracks in Japan)
ロンドンでの出版は1880年
【現代のミーム】
現代の様々なミームを集めてみよう。
『ホテルで日本人が過ごしても妖精のように跡形がない』
これは「森を傷つけず痕跡を残さず去るエルフ」のイメージと合致し朝の清掃などで街中の道にゴミも落ちていない事にも合致する。これは第一章で述べたExpediaの国別ベストツーリストにも顕著に表れている。
『日本人同士で小さく静かに集まり会話していると思い近づくと妖精の様に去ってしまう』
これは日本語の作りの違いから外国語が苦手でありシャイな事も影響するがそれも妖精的である。
森の中で妖精を見つけても人間が近づくとサッと消えてしまう。
『妖精=サイレントピープルのような非言語コミュニケーション力』
ケルトなどでは妖精の事を言葉を話さず意思疎通を行うサイレントピープルと言われることがある。
これは言葉ではなく、第五章で述べた日本人特有の「空気を読む」「間を取る」「沈黙を尊重する」といった非言語的な社会同調行動がまさにそれに該当する。日本人は非言語コミュニケーション能力の国際比較で非常に高いスコア(平均94.1)を示している。
『エルフ=長寿、不老、日本人のネオテニー傾向や長寿傾向』
年齢不詳でかなり長寿の部類である事が該当する。
『秩序、争わない傾向』
長い歴史と滅びない王朝、内戦でも非戦闘員を傷つけない歴史が該当する。
日本では一般人にとって合戦はおにぎりを持参して見物するものである。
『孤立した文化』
島国であり侵略されず独自の文明を築き上げたガラパゴス的日本がまさに該当する。
これらを簡単に整理してみると
A.身体的特徴(Physical)
小柄で軽い体格
ネオテニー(幼形成熟)傾向 → 若く見える
長寿
顔立ちが穏やかで攻撃性が低く見える
歩行・動作が静かで“気配が薄い”
B.行動様式(Behavioral)
痕跡を残さない(掃除文化、チェックアウトの痕跡ゼロ)
列に自然に並ぶ(秩序=フェアリー的)
集団同期性が高い → 行動が揃う
声が小さく、集団で静か
「間」を美とする沈黙文化(サイレントピープル的)
細やかな礼節
他者への配慮が常識化
C.文化的特徴(Cultural)
自然との共生(森・山・川を「怖れ敬う」)
物語文化:八百万の神、付喪神、精霊信仰(アニミズム的)
※一神教に上書きされていないと言う側面もある
侘び寂び・余白の美学
石造りではなく“風が抜ける”家屋、木造・紙・織物中心の“軽い建築”
村落共同体の調和性(ヨーロッパのフェアリーの郷に類似)
D.視覚的・環境的特徴(Environmental)
灯篭・庭園のデザインの幻想美
妖精のような着物
朝霧・苔・杉林の景観 → ケルト的
間接照明・紙の光 → 妖精の光(fairy light)的
E.言語的特徴(Linguistic)
柔らかい発音
可愛い言葉
オノマトペの豊富さ
子音より母音中心
他言語から見ると“異世界語のように聞こえる”と評価
F.外部からの印象(Foreign perception)
静かで優雅な民族に見える
怒りの表出が弱い
痕跡が薄く“消える”ように見える
若く見える
自然と溶け合う民族に見える
外国で礼儀正しすぎて“人間離れ”扱いされる
などである。
既にお気付きかと思うが、これは不思議な事にこれまでの章で論じて来た自己家畜化による変化に酷似している。
【ゴブリンとの違い】
では、ここで妖精の対極にあるとされるゴブリンについて考えてみよう。
『妖精達はゴブリンに間違われることをとても嫌う』
と言う。
そもそも妖精もいたずら好きであるが、同じ小人族のゴブリンのいたずらは種類が違う。
妖精のいたずらは教育的であったり、他愛のないものである事が多い。
但し中には赤ちゃんをすり替えるなどと言うとんでも無い事もあると言う。
ゴブリンの場合はまるで性質が異なる。
牛乳を腐敗させたり、育ちきっていない果実を落とすなどと言う完全に悪質で迷惑なものだ。
ゴブリンは子供に化けたり妖精だと偽りいたずらを行う。
その事を妖精達が嫌うのである。
現実の事象に照らし合わせると、アジア系の方々が犯罪で捕まった際に日本人だと騙る事がある。
また日本人を騙り北米等で寿司屋を経営する事がある。
勿論日本人を騙らずに修行しての話ならば何の問題もない。
ここではその問題を論じる気はなく、あくまでここでの主張は妖精と同じく、日本人は騙られる側である と言う事実だ。
勿論、妖精と同じく日本人と騙られる事を日本人は嫌うだろう。
そしてトールキンやその後の映像作家達により現代エルフのイメージが固められた後は、TRPG、ゲーム、アニメの世界となる。
ロードス島戦記やゲームなどにより更にイメージが固められるが、現代アニメのエルフは容姿こそ日本人離れした西洋的美形に描かれるが、その性格やだらしなさなどは日本人的感覚を持つことが多い。
ゲームやアニメの世界では日本の力は強くこれは多くの作者が日本人なのでその傾向が強いのは仕方ないだろう。
逆説的に言えば、様々なエルフとの一致以降もアニメなどで日本人的要素が上書きされ更に日本人的になってしまうと言う現象が重なったものではないか? と考えられるのである。
そしてこれはこれまでの全部の章で述べた様にホモ・サピエンスの進化の一つの形である自己家畜化なのである。
【幻想生物は何の投影なのか?】
化け物や妖怪は心理学的には何かしらの人間もしくは人間の行動の投影である事が考えられる。
例えば前述の ゴブリン であれば、それは人間の『だらしない』行動の投影だ。
ゴブリンが人の家に入り込む手口は、外に出された牛乳瓶に木っ端を入れておき、片付けない家を『だらしない』と判断し、だらしなく閉め忘れた窓などから入り込む。
そして牛乳を腐らせるのである。
これは完全に人間のだらしなさの投影でしかない。
では西洋において妖精やエルフは(日本人は関係ないとして)何の投影だったのだろうか?
争いを好まず破壊を良しとしない穏やかな森の人。
これは第六章で述べたクロード・レヴィ=ストロースの求めていたものではないだろうか?
繰り返しになるが、クロード・レヴィ=ストロースは、人類は断絶と支配の論理、近代化の暴力性、記憶と意味の喪失を嘆いており、それは侵略と征服を繰り返し、男系は殲滅し、宗教、文化は破壊し、新たに作り直す事を繰り返しているという意味だ。
人類に悲観した彼はそうでない答えを熱帯に求めたがそこには見つからなかったのである。
それが彼の著書『悲しき熱帯』だ。
しかし彼は晩年日本を知り大の親日家となる。完全な答えではないのかもしれないがその一部でも日本で奇跡の回答として見つけたとしたら、クロード・レヴィ=ストロースの求めていた事こそが西洋価値観における妖精やエルフの投影なのではないだろうか?
日本に旅行客として来る方々は日本のサブカルチャーである食などに熱狂する人も多いが少なからず日本を好きになって頂ける方々にはその答えが見えている方も多いだろう。
私にとってはそれが日本人エルフ説の正体なのだ。
【現代のエルフ達】
ここで現代日本を見てみよう。
経済は失われた30年と言われ給与も据え置き国債発行による政府債務も1300兆円を超える悲惨に見える状況と誤解されている。
まず、国債から紐解いて行こう。
額だけを見れば対GDP比250-260%となり一般的には危険とみなされる。
内容はどうだろうか?
日本の国債の保有者の殆どは日本人であり半数以上は日本銀行が保有している。
国内全体:約86%〜87%(外国人・海外保有比率は約13%〜14%程度)で、日銀保有は約53%だ。
更に日本政府が日銀保有国債に対して支払った利払費や日銀の運用益は、経費や法定準備金を除いたほぼ全額が「国庫納付金」として政府の歳入に戻って来る。
これは債務なのだろうか?
そして殆どは日本人による金融資産に他ならない。
国債を除いても日本人の持つ金融資産は多額だが国債もその一部となる。
私から見るとまるで正しい銀行のようにしか見えないが、銀行の貸し出しが多過ぎると批難されることなどあるのだろうか?
日本の国債を減らせなどと言う暴論は日本人の資産を減らせと言う事になる。
一般的な財政の厳しい国家は国債を外資に買ってもらう事もあるがその感覚で日本の国債を批判するのは間違えている。
仕組みを知らないか知っていて無視しているエセ経済学者かなんちゃって経済学者の暴論である。
日本の国際的金融収支を見ると国際収支統計における「第一次所得収支」は42兆円で、約270ビリオンダラーとなる。何もしないで毎年入る額だ。
金本位制からドル本位制に移行しドルベースで経済が語られる事がある。
近年の日本の税収は円ベースでは増え続け2020年度にはバブル最盛期を更新し約60.8兆円、2022年には史上初の70兆円を超え2025年度以降は80兆円台を視野に入れた大幅増となっている。
この増益が失われたと言えるのだろうか?
そう述べると給与が据え置かれていると言われることがあるだろう。
実質ドルベースの経済成長が少なく他国と比較されるからだ。
先進国のこの流れは
経済成長しようと移民を招く
↓
移民により数が足りず土地、家屋が高騰する
↓
必然として給与を上げないと生活出来ない
↓
物価が上がる
↓
GDPは上がるが生活は苦しい
と私には見える。
経済と言う尺度のみで考えればそれは経済成長と言うだろう。
ロシアによりウクライナ侵攻が始まり、イギリスの食品物価上昇率は19%を超え食品ロスアプリが流行った事は記憶に新しいと思う。
しかし日本はそこまでの影響は受けず主食である米はほぼ自給であり物価も安定している。
必然として欧米のようなインフレに追いつくための狂乱的な賃上げ圧力こそ生じないが、食料の手に入れやすさをGFSIの指標から見れば日本はかなり高く不安のない部類だ。勿論餓死者も少ない。
上記のようなサイクルにより物価上昇も止まらない訳だが、これはどちらが良いかは意見が分かれるだろう。
私が海外へ行き、驚くのはその食品の値段の高さである。
原価はそんな事はない。ほぼ人件費だ。
ではそれだけの人件費に見合うサービスを提供しているのだろうか?
そうではなく、物価や家賃が高いから と言うだけのサービスに見合う金額ではないのではなかろうか。
人はそれをバブルと呼ぶ。
円安も当然影響はするが、当初述べた日本に来る旅行客はなんで日本の食べ物がこんなに安いのか! と驚くのはそのような理由からだ。いや、彼らの目線こそがバブルの歪みであり、日本の姿こそが正常なのだと言えるだろう。
当たり前のように笑顔で接客してくれるのが日本の現代のエルフ達なのである。
ロンドンでは経済と言うスケールに基づき、産業から金融に舵を切り、今や家庭内第一言語が英語でない層が急増し、生まれてくる新生児の名前のトップがムハンマドである。
私はそれを悪いとは言わないがこの現在の世界状況をクロード・レヴィ=ストロースが見たらなんと言うだろうか?
恐らく、
「熱い社会」の暴走、人間のエントロピー化
とでも言うかと思う。
文化の魂を切り売りしてしまえばそれは二度と買い戻せないのだ。
ゲルマン民族大移動によりローマの滅びは加速したが何故学ばないのだろう?
日本については、
「冷たい社会」の強靱性、日常の神聖性の維持
とでも称するかもしれない。
言い方もあるが私から言わせればこの経済狂乱から取り残された日本は、まるで世界から隔離された
『現代のエルフの森』
のようである。
そしてそれはこれまでの章で述べた通り究極まで進んだ自己家畜化によるものだ。
哲学者のアレクサンドル・コジェーヴの言う『歴史の終わり』日本的スノビズム、つまりはエルフの森にどれだけの国がたどり着けるのだろうか?
多くの経済学者とは意見が異なるだろうが、願わくば末永くこれらが残って欲しいものである。
21,Aug,2026 Mimana Jingu




