皇女と皇弟②
午前中の鍛錬を終え、午後へ向けて英気を養おうと昼食を摂っていた時のこと。
上級騎士が食堂に現れた。鍛錬の様子を見に来ていた中性的な顔の騎士だ。周囲がざわつき、フィンも存在に気づく。
何かを捜しているのか、辺りを見渡していた。何度かきょろきょろと見渡し、フィンと目が合った途端、挨拶をしようと近づいていた貴族子息を「うるさい、邪魔」と押しのけ、フィンに近づく。
「いたいた…。お前だ、お前だな!!アリアと焼飯食ったヤツ!」
「えっ!?」
フィンを射殺さんばかりに睨みつける騎士。自身の震える背中に既視感を覚えるフィン。
(気のせいじゃなかったっ…!)
体中に悪寒が駆け抜ける。誰がどう見ても怒っている騎士。そして何故か怒りを向けられる新米騎士。『コイツは入団早々、何をやらかしたんだ…』と疑念と諦念漂う食堂。
そんな雰囲気もお構いなしに、騎士は続ける。
「あそこをアリアに教えたのはこのボクだぞ!!なのに先を越しやがって…っ!許さないぞ、絶対に許さないっ!!」
「え、フィンお前、皇女サマと飯食ったのか?」
「今は出てくるなっ!!」
最悪のタイミングでジョン登場。ジョンの一言で騎士の怒りは更にヒートアップ。フィンは体内から体温が抜け落ちていくのを感じた。ここまで来れば、何が火に油を注ぐのか分かったものではない。
こんなところにも死の危険があるとは知らなかった。
「外に出ろっ!!決闘だ、決闘!!お前なんかアリアに会わせてやるもんかっ!!ボクが再起不能にして騎士団から追い出してや…ぐぇっ」
「敬称を付けろ、新米の前だぞ」
鼻と鼻が付きそうな程の距離からフィンと騎士を引き離したのは、あの赤髪の騎士だった。
「悪いな、新米。…目を離した隙にこんなところまで来ていたとは」
そう言ってため息をつく。中性的な騎士は「離せよ!」と子供のように暴れていた。
「こんなことで騒ぎを起こすな」
「うるっさいなぁ!コイツが悪いんだ!ボクがアリア……姫と一緒に行きたくて教えたのに!コイツなんかがっ!ボクらを差し置いて!」
「俺達は毎日一緒に食ってただろ」
「それとこれとは違う!!……南部視察だって連れて行ってくれなかったし!何でボクが留守番なんだよっ!こういうのはルーカスの仕事だろっ!!」
南部視察の話が出てきて訳が分からなくなる新米騎士達。どうやら騎士の怒りはフィンに向けられたものだけではないようだ。赤髪の騎士は二度目のため息をつき、フィンを見る。
「悪いな、新米。気にしないでくれ。単なる八つ当たりだ」
「はぁぁっ!?そんなんじゃないし!」
中性的な騎士が否定するが、そうとしか聞こえなかった。周囲は既に『皇女殿下と一緒が良かったんだな~』と微笑ましいものを見る目で騎士を見る。ジョンに至ってはほわほわとして頬を緩ませていた。怒りの騎士がこのような視線に耐えられる訳もなく。そして全ての矛先はフィンへ向く訳で。
「そんな瞳でボクを見るな!!どこまでもムカつくヤツだなぁっ!!………良いこと思いついたぞ。お前は今日から一生ボクの小間使いだ。泣こうが喚こうがボロボロになるまで使ってやる!これは上官命令だ。お前に拒否権は無いからな!ボロ雑巾みたいに穴が空こうが千切れようが粉々になろうがっ!使ってやるぅっっっ~~~~!!」
中性的な騎士は赤髪の騎士に引きずられながら連れて行かれた為、最後の方を聞き取ることは出来なかった。自分が上官命令で小間使いになったことは理解したが。
「皇女サマと毎日飯食えるなんて、羨ましくね?」とジョンに振られたが、フィンには言葉を返す気力はなかった。
こうして良いのか悪いのか、フィンは高位の騎士に『認識』されたのだった。
「次はここに行ってきて~」
「はいっ!」
フィンの小間使いとしての日々が始まった。鍛錬の合間や終了後に呼び出されては方々を駆け抜ける。震える足に鞭を打ち、騎士の要望に応える毎日。疲労は今までの何倍にも積み重なり、夕食を摂らずに眠ってしまう日もあった。
自分が使われている騎士の名すら知らなかったが、その事を知った赤髪の騎士が教えてくれた。赤髪の騎士はアモン、もう一人はシエル。皇女の護衛騎士をしているという。護衛騎士はあと二人いるらしいが、今は南部視察へ同行しており、不在らしい。
騎士団の中で離宮への入宮が許可されているのも護衛騎士のみとのことだった。話に聞いていたよりも狭き門であり、フィンは自分が足を踏み入れる日など来ないだろうを想っていたが―。
その日は、以外にも近くにあった。
小間使いとして使われるようになって三週間ほど経った頃。フィンはシエルに連れられ離宮へと向かっていた。
「皇女殿下の許可もとっていないのに無理ですよ!」
さすがにフィンも抵抗があったが。
「ボクと一緒だから大丈夫だよ!…それとも上官の命令に背くのか?」
こう言われては従う他なく。
(俺は悪くない…)
言い訳を胸に仕舞い、フィンは離宮へと足を踏み入れた。外装が黒く、全体的に暗い雰囲気の離宮だが、中は以外にも明るかった。
迷うことなく歩を進めるシエルの背に隠れるようにしてフィンも後に続く。そうして歩き続け、二人がたどり着いたのは図書室だった。
その一角にある、机から溢れそうな程積み重なった資料を見て、シエルが言う。
「今日の仕事はこれだ。この資料を整理するんだ。ボク一人じゃ手に負えない」
普段のような肉体労働ではないことに安堵するフィン。これなら自分にも出来そうだ。そう思い、早速取り掛かる。
「整理って言っても、どのように…?」
「資料に番号が振ってあるだろ?その番号と同じ番号の棚に仕舞うんだ。気を付けろよ。少しでもページが曲がってるとアリア……姫がブチギレるからな」
村娘の時の姿が思い浮かぶフィンは皇女がブチギレるところなど想像出来なかったが、シエルのとてつもなく真剣な顔を見て、資料を持つ手を緩める。
そうして二人で手分けをして進めていたのだが。
「シエル。皇弟殿下が来られた。それはいいからこっちを手伝え」
アモンがシエルを呼びに来た。
「え~、あともうちょっとで終わりそうだったのに」
「俺がやっておきましょうか?」
「いや、新米一人にやらせるのは…。うーん……とりあえずそのままにして何も触らないで。勝手に本を読むのもダメ。すぐ戻ってくるから!」
そう言って、アモンに続いて図書室を出るシエル。一人残されたフィンは言いつけ通りどこにも触れず、辺りを見回す。
棚には多くの本が並んでいた。小さな子供が読むような絵本や図鑑。村娘が好むような恋愛小説。騎士が読む指南書まで置いてある。それ以外は難しそうな本ばかりだった。
いくつか為になりそうな本もある。
(借りられるのかな…?)
身につけられるものは身につけたい。アモンもシエルも立っているだけでも他とは違う。剣を握っていなくても高位の騎士だと分かる。どうすればあのようになれるのだろうか。自分とは何が違うのだろう。それが知りたい。
本に囲まれ、思考に浸っていたフィンは気づかなかった。
背後を取られていたことに。
「見ない顔だね、新人かな?」
声を掛けられ、すぐさま振り向き、距離を取るフィン。右手は剣の柄を握っていた。
「新人とはいえ背後を取られるのはいかがなものかな?」
そう言って笑う男は写真でしか会ったことのない人物だった。
エリアス・シュタイン。皇弟である。フィンは緊張を隠す事が出来ない。アモンがシエルを連れ図書室を離れたのはいつ頃だっただろうか。こんな大物、自分一人では相手を出来るはずがない。
(早く戻ってきてください!!)
強く願うが、簡単には届かず。ただ時間だけが過ぎていく。
「アリアが君のような新人を傍に置くとは珍しいな。あの子は……そう。身内にも警戒心が強いから」
どう取り入ったのか教えてほしいよ。そう言いながら、少しずつ距離を詰めてくる。こちらの居心地が悪くなるような笑みを浮かべて。対してフィンは距離を取ろうと後ずさる。
「いえ、あのおれ…わたしは」
「そうだ、うちの騎士団に来ないかい?君ならきっと上手くやれるだろう。私の部下もきっと気に入る。階級も今より二つほど上げよう」
「あの、わたしは…」
「なかなかの好待遇だろう。これを断る者はいない。君もそうだろう?」
自分の状況を説明しようと試みるが口が動かない。当然だ。フィンは貴族に対する礼も知らないのだ。言葉を発すれば全てが不敬となりそうで怖かった。そんなフィンに対して皇弟は更に押してくる。
「そうと決まれば早速、皇宮へ向かおう。私が案内するよ。とても綺麗なところなんだ。君は見たことが無いだろう?かつて兄が…」
「騎士の引き抜きなら詰所の方でどうぞ」
男二人しかいない空間に突如、少女の声が響く。
「離宮内で許可した覚えはないのですが」
そこにはフィンが仕える本来の主が立っていた。