二節ー1
夢を見た。
五年前、兄と共に謁見の間に呼び出された日の夢を。
リカルドがいないから、と兄が部屋まで迎えに来てくれた。迎えに来てくれたことが嬉しくて、胸がじんわりと温かくなった。
……帰りも部屋まで送ってくれたけれど、さっきと違って胸が温まることはなかった。
少し前を歩く兄は、やっぱり何を考えているのか分からなくて。
でも、
とても怒っていることだけは伝わってきて。
兄がなぜ怒っているのか分からない。
それがどうしようもなく、悲しかった。
ブランシュタイン皇国には現在、三つの騎士団が存在している。
皇弟が五年前に創設した私設騎士団が一つ。
そして『二大騎士団』と呼ばれている、国を代表する騎士団が二つ。
二大騎士団とは建国と共に創設された近衛騎士団である。かつて英雄と共に国を救ったとされている戦士二人が『永久に戦友を支えられるように』と願い、創設したといわれている。
この国の騎士は『皇帝やその地位に準ずる者』に忠誠を誓うことと定められている。本来であれば正統な後継者であった皇子に両騎士団とも仕えるはずだったが、皇女の継承戦への参戦が決まったことにより二大騎士団のうちの一つであるノワール騎士団が皇女についた。
そこに皇弟の私設騎士団も加わり、皇族だけではなく騎士の間でも三つ巴の状態となる。その均衡が崩れることなく五年が経ち、現在に至る。
現在ノワール騎士団は皇女と共に皇宮を離れ、東の門の傍にある離宮を拠点にしている。壁ではなく薄暗い林に囲まれ、外装は全て黒く塗装されている。皇宮と相反するように建っている離宮を恐れる者は多く、皇都の住民で近づこうという者は誰もいない。
そんな離宮内に併設している騎士団の詰所では、今春入団試験を突破し晴れて騎士の称号を得た新米騎士達が鍛錬に勤しんでいた。正確に言うと勤しむしかなかった。
入団して間もない新米騎士が古参騎士について仕事など出来るわけもなく、彼らを待っていたのは地獄の鍛錬だった。朝起きてまず走り込み。朝食を摂ったら腕が上がらなくなるほど素振りをする。昼からは古参騎士も交えての模擬戦を行う。
古参騎士を打ち負かせられる訳もなく新米騎士はボコボコにされる。そうして夕方に鍛錬を終え、寮へと帰る。そんな生活を少なくとも二、三ヶ月は繰り返す。そうして毎日死んだ顔で重い足を引きずって宿舎に戻る新米騎士達の中にフィンもいた。
ひと月前、養成所時代を共にした仲間達が次々と落とされていく中、奇跡的に合格を掴み取ったフィン。その喜びもつかの間、地獄の鍛錬が始まった。
毎日震えてロクに動かない足を引き摺り宿舎へと戻り、意識を失うようにして眠る日々。更には共に入団した同僚のほとんどが貴族の子息だった為、平民で孤児でもあるフィンには肩身が狭い宿舎。入団したは良いもののこれからやっていけるのか、とフィンは食堂の一番端の席で密かに頭を悩ませていた。
「よぉ、フィン。今日も独り寂しく晩酌か?相変わらず辛気臭い顔だな」
そう言って一人の男がフィンの向かい側に座った。顔に薄ら笑いを浮かべている。だがその瞳に覇気はない。連日の鍛錬により瞳が輝いている者は既にここには存在しない。
この男の名はジョン。フィンの同寮の一人で、数少ない市井の出身である。それもあって入団以降、一緒に過ごすようになっていた。
「相変わらず失礼な奴だな、お前は。その減らず口どうにかしろよ」
「愛嬌だよ、愛嬌。大目に見てやって。……にしても。毎度のことながらキツイねぇ。見ろよ、オレなんか座ってるのに生まれたての小鹿並に足が震えてるぜ」
自分で笑いながらフィンに足を見せてくる。もちろん震えてなどいない。こうしたジョンのおちゃらけた言動もこのひと月で慣れたものになっていた。
「オレ達はいつ、この地獄を抜け出せるんだろう…。オレはなぁ、フィン。……玉の輿を狙っているんだ」
ジョンの発言にフィンは口に含んでいた水を噴き出した。遠い目をして何を言い出すかと思えば。フィンは驚きのあまり飲んでいた水をのどにひっかける。向かい側でえずいている同僚を気にも留めず、ジョンは話し続ける。
「上手いこと貴族のお気に入りになれたらあり得るかもしれないだろう?あの手この手で懐に入り…ご令嬢とお近づきになり…恋に落ちる。二人で数々の試練に立ち向かい、運命に引き離され、だが負けずに惹かれ合い、試練を乗り越えて、めでたくゴールイン…」
恍惚として語られるは、きっと、いや確実にあり得ない人生計画。
どうしてこんな奴が入団出来たのだろう、と思わずにはいられない程にお花畑の中で息をしている男。
こういう奴だ。こういう奴なのだ。真面目に聞いたらこちらが馬鹿になる。良い具合に聞き流すのが得策なのである。ちなみにこの人生計画にもいくつかあるらしい。他にフィンが聞いたのは、『騎士として出世し、豪遊しまくる』という案が一つ。もう一つは…。
(…うん。やめよう。考えるだけ馬鹿になる)
フィンには恐れ多くて口に出来ないような案である。たった今語られた『玉の輿』案が可愛く思える程に。
そしてフィンはこの人生計画が半分本気であることも知っている。もう半分は『愛嬌』らしいが。どちらにしろ、いろいろな意味で将来が心配になる男である。
己の将来を心配されているとも知らない同僚の話題は人生計画から、現在、南部へ視察に出ている皇女についてのものになっていた。
「見てみたいよなー、皇女サマ。いつ帰ってくるんだろうなー…。センパイ騎士サマの話だとめっちゃ綺麗らしいぜ?まぁ、高貴な方だから綺麗なのは当たり前だよなー」
「そうだな…」
皇女についてはフィンも気になっていた。
あの日、村娘の格好をしていた『リア』が住む世界の違う天上人だと入団して改めて思い知った。
南部視察で離宮に居ない為、会えないのは当然だが、一目見るだけでもどこまで昇級しなければならないのか。先輩騎士の話では、離宮への入宮が許可されているのも上級騎士のごく一部だという。
この話を聞いて、フィンの中にあった『自分のことを覚えていてくれているのではないか』という思いは粉々に崩れ去った。
一度だけ。しかも偶然会った市井の民を、一国の姫が覚えている訳がないだろう。自分だって、街中で偶々言葉を交わした人のことなど覚えていない。仮に覚えていてくれたとしても、自分は騎士団の下っ端。皇女に至ってはフィンが入団したことすら知らない。
やはり住む世界が違うのだ。出来ることといえば、皇女についている上級騎士の姿を遠目から眺めることくらいだろう。
(上級騎士…)
「……」
「急に黙りこくってどうしたんだ?フィン」
「いや…。…上級騎士って怖いよな…」
「は?」
「なんか、威圧感?というか…。こう、刺すような視線感じないか…?」
フィンが入団して以降、ずっと感じていたことだ。新米騎士の鍛錬中、上級騎士の中でも高位と思われる騎士が様子を見に来ることが何度かあった。
あの日、皇女を捜しに来ていた中性的な顔の騎士と赤髪の騎士。赤髪の騎士の方は見たことがなかったが、中性的な顔の騎士と親しそうにしていた為、階級が近いのだろうとフィンは推測していた。そしてその二人が見に来る時にやたらと視線を感じるのだ。刺すような、射殺さんばかりの背筋が震えるような視線を。
「そうか?威圧感はまぁ分かるが、視線は感じなかったな。オレたちのことなんか何とも思ってなさそうだし」
それはそれでムカつくよなー、とあっけらかんとしてジョンは言う。どうやら視線を感じていたのはフィンだけだったらしい。
(気のせいか…。それにしては強い視線だった気がするけど…)
感じたのが自分一人だけであった為、何とも言えない。
(気のせいなら…まぁ、いいか…)
身体的な疲労もあって、フィンの中の違和感は気のせいとして片づけられた。そして、またいつも通り意識を失うようにして眠りについた。
数週間後、事は起きる。