反撃②
向かってくる騎士を倒し、諜報部隊をなんとか退け、かろうじて脱出に成功したアドワン。
屋敷内からはアリアが暴れているであろう音が聞こえてくる。
(やめてくれ……本当に)
昔から、何かとあの娘に振り回されている気がする。
あの時もそうだった。
『わたしもいっしょがいいっ!』
そう駄々を捏ねた少女に困り果て、退屈しのぎになれば、と渡した本。
あんなに喜ばれるとは思わなかった。
あんなにのめり込むとも思わなかった。
今の彼女に繋げてしまったのはこの自分だ。
「……………?……わっ」
誰かの肩とぶつかる。前を見ていなかった為、人がいたことに気が付かなかった。
「………アドワン?」
「……リカルド?………何で?」
目の前にいたのは、状況を知らせようとしていた親友だった。ノワールの騎士を数人引き連れている。
「うちの新人が、お前達が連れ去られるところを偶然見ていてな…」
リカルドは顎で自身の隣を指す。そこには腰の引けた騎士がいた。「どうも…」と小さく会釈され、アドワンも同じように返す。
「それで、アリアは?」
「侯爵と『話』をするって…」
「ほう…。『話』をしているようには……聞こえないが………」
リカルドは屋敷の方へ目を向けた。内部からは変わらず、銃の発砲音やガラスの割れる音が聞こえる。
「………僕は止めたよ」
アドワンは小さい声でそう返すしかなかった。隣でもため息をつく音が聞こえる。
「ありゃ。お目付け役の効果はなかったかー」
声の主はシエルだ。歩きながらこちらの話に入ってくる。
「私には務まりませんよ」
「まぁ、アリアだからねー。……馬車の確認、とれたよ。後、中の様子を見てきたけど酷いや。ほとんど死んでる。アリアがやったんだろうねー」
リカルドは「そうか」と短く返す。シエルの報告に騎士が数人ざわつくが、そんな様子も気にせずに報告を続けた。
「使用人がほとんどいなかったんだけど?何でだろ?」
「この家は使用人が『影』の役割も果たしているからな」
「立派な過重労働だね」
「うわー。人件費ケチった結果が全滅ってこと?かわいそー」
シエルは口元に手を当てて眉を下げる。もちろん振りで『かわいそー』なんて思ってもいないだろう。
その後、その場にいた騎士達に加わってこれからの方針を決めていく。最優先事項は皇女の安否確認と安全の確保だ。
そして、話し合いの最中にもう一人騎士が加わる。
「リカルド」
馬を引いてやってきたのはルーカスだった。
「報告……行ってきた……」
小さな声で、けれどはっきりと口にする。
「助かった」
「それで……なんだけど……」
ルーカスは一瞬、考える素振りを見せてから口を開く。
「皇子殿下が……あとで来るって……」
「「は?」」
(無駄に広いなぁーこの屋敷……)
アリアの歩く音だけが廊下に響く。諜報部隊を一掃して以降、斬りかかってくる騎士も現れず、エクター侯爵を捜し歩いていた。
だが、見つからない。『影』の少女から聞き出そうとしたが上手くいかず、接敵も無くなった今。
離宮よりも広い屋敷内でアリアは現在——迷子になっている。
「もー。どこにいるんですかー」
あえて声を出してみるが、誰も接触してこない。
(……もしや、誰もいない?)
もしくは既に逃げたか。一瞬よぎった考えをアリアは即座に打ち消した。
あの親子が逃げるはずがない。そもそも勝機があると踏んで実行に移したのだろう。自慢の『影』がアリアによって全滅させられたなど、夢にも思わないはずだ。むしろ死体を回収しに来るかもしれない。『皇女が死んだ』と勘違いして。
「……………あ………」
小さな物音と共に女性の声がした。アリアは銃を構えなおし、音がした方へと向かう。
「……めよ、だめ………お願いだから……………して」
か細い声が聞こえた部屋の前でアリアは足を止める。部屋の主が女性だとしても油断出来ない。アリアはダガーナイフを持ち直し、乱暴に扉を蹴り破る。
「いやぁぁぁっ!」
「フシャアァァァ!」
「…………」
そこに居たのは、四十代後半程の女性と、アリアに威嚇する猫。
「どっ、どうか、乱暴はおやめ下さい…っ!どうか、この子だけは………!……………………皇女……でん…か……?」
「……貴方は…」
女性はどうやらアリアのことを知っているらしい。だが、アリアは面識がない。
猫を胸に抱いて震えている女性は、貴族の女性にしては見映えを整えておらず、だが使用人にしては質の良い品を身につけている。
アリアは自身の推測をそのまま口に出した。
「……エクター侯爵夫人…?」
「こっ皇女殿下……?なぜ、そのような……お姿で……?」
「………知らないのですか?」
アリアは辺りを見回した。机には裁縫道具や婦人誌が置いてある。アリアや屋敷が血に塗れているなか、この部屋だけが不自然な程に穏やかだった。
「………エクター侯爵が私を拉致したのです。恐らくですが、暗殺を計画していたのではないかと」
「……え………?」
「………私をここまで連れてきたのは、御子息です」
「そ……っ、そんな………っっ!」
アリアは全てを話す。例え残酷であっても、彼女は知る必要がある。妻として、母として。
夫人の顔は青く染まり、瞳からは涙が溢れていく。
「あ……、あっ………」
震えながらも発した言葉は——。
「…も、……申し訳ございませんっ!!」
謝罪だった。
「ほ、本当に…っ!申し訳ございませんっ!わたくしが、私が見ていなかったばかりに…っ!………うぅぅ……本当にっ申し訳ございませ……!」
「お、落ち着いてください」
「私が、私が悪いのですっ!女主人でありながら何も出来ずに……っ!息子のことも止められなかった……っ。どうかっ!どうか、罰して下さい!極刑は免れないのでしょうっ!!であればっ!私も!」
「……夫人」
頭を床に擦り付け、泣き叫ぶ姿に困惑する。大人に取り乱されると、どうすればいいのか分からなくなってしまう。
「侯爵家の罪は私の罪でもあります。どうか、罰をっ!何も出来なかった私に罰をっ!……ふっ…うぅ…………そのくらいしか、出来ないのです。そのくらいしかっ………私はあの子に……トーマスに、何もしてあげられない………っ」
必死の懇願にアリアは何も言えなくなる。母親とはこんなものなのだろうか。子供の為なら、何もかも、命すらも差し出せるものなのか。
『母』を知らないアリアには、分からない。
「夫人。どうか、顔を上げて下さい。……貴方に聞きたいことがあるのです」
アリアの言葉にようやく顔を上げる侯爵夫人。髪は乱れ、顔も涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「…貴方は本当に何も知らなかったのですね?」
「…はい。私はお飾りの妻なのです。夫や息子がしていること、社交界でのこと、何一つとして知らされたことはございません」
「では、彼らは今どこにいますか?心当たりなどはありませんか?」
「……………」
アリアの問いかけに侯爵夫人は黙り込む。居場所を分かってはいるが、伝えることを躊躇っている様だ。
「これ以上罪を被らせない為にも、教えていただけませんか…?」
「………っ!…………………………この先の階段を上がった先の……………角の部屋です。夫の書斎で、最近は二人でよく籠っていたので…………」
「…………ありがとうございます」
夫人は猫を抱き締めたまま動かない。ぽたぽたと涙が落ちる音だけがする。アリアも涙を流す大人に対して掛けられる言葉は持っていなかった。
「夫人。……その子と一緒に避難して下さい。外にはノワールの騎士がいるはずです。彼らに私の名前を出して伝えてください。貴方のことは私が保護をする、と」
出てきた言葉は事務的な内容。夫人と猫の安全確保を促す言葉だった。
「い、いえ、保護なんて……私も罪人の……」
「今はこれ以上被害が出さないことが最優先です。保護は……私がしたくてします。どうか、従っていただけませんか?」
先程、廊下の窓からシエルを見掛けた。なぜ既にここにいるかは不明だが、それでも自分の意図を正確に汲んでくれるだろう。
「侯爵も子息も身柄を拘束しますが、殺しはしません。お約束します」
「………わ、分かりました…」
夫人はゆっくりと立ち上がり、アリアと共に部屋を出る。
「表の方はあまり通らない方がいいでしょう。見て気持ちのいいものではないので…。裏口があれば、そちらから」
「…お気遣い、ありがとうございます」
今になって、やり過ぎたのでは、と思い始める。何も気にせず闘り合った為、それはそれは酷いことになっているだろう。
夫人と別れ、アリアは階段を駆け上がる。その瞳には静かな怒りが滲んでいた。
ゆらゆらと音も立てず小さく燃える、青い怒りが。