反撃①
流血・残虐シーンが入ります。
苦手な方はお気を付けください。
『アリア嬢、これを。少し難しいかもしれませんが…。退屈はしないと思います』
あの日、渡した本がきっかけだった。
もし、渡さなければ。
もし、何も知らない少女のままであったなら。
違う未来もあったのではないか?
そう、後悔せずにはいられなかった。
地下室を出てアリアとアドワンは予定通り、二手に分かれた。一人屋敷内に残るアリアの片手には銃、もう片手には隠していたダガーナイフが握られている。
同年代の女性に比べると優れているだろう脚力で廊下を走り抜けていく。途中、接敵した騎士達は問答無用で殺していた。
(それにしても——)
「……数が多いな」
裏切り者はこんなにいたのか、と驚きもせず淡々と思考する。接敵した騎士は皆、ノワール騎士団の制服を着ていた。どうやら、エクター侯爵子息は一定数の支持を得ていたらしい。
「いたぞっ!」
新たに接敵した騎士がアリアに向かって斬り込んでくる。
アリアは身をかがめて躱すと同時に相手の懐に入り、脇腹をダガーナイフで突き刺す。
「ぐっ…ごぁっ!」
騎士は吐血し、倒れる。一時痙攣していたが、事切れたのか動かなくなった。
アリアは先に進もうと脚に力を入れる。だが走り出すことはなく、背後からの殺気に即座に反応する。反射にも近いその反応で受けた攻撃は、アリアの頸を狙ったものだった。
攻撃の主は騎士ではなく、殺し屋のような風貌をした小柄な娘だった。アリアはその容姿にも躊躇うことなく、みぞおちに二発撃ち込み息の根を止める。
一息つく間もなく、アリアは体に絡みつくような独特の殺気を纏った者達に囲まれていく。どこからともなく現れた彼らは皆小柄で、誰一人恵まれた体格ではない。
(暗殺・諜報に特化した体格…)
一部の高位貴族は当主直属の諜報部隊を配置している。皇族同様、命の危険もある彼らはこうして『影』に身を守らせることが多い。
今、アリアの目の前にいる彼らがエクター侯爵家の『影』なのだろう。小柄な体を更に屈めて、じりじりと距離を詰めてくる。
(相手の懐を狙った姿勢……無駄がない)
恐らくアリアの出方を伺っているのだろう。距離は詰めてくるが手は出してこない。互いに睨み合い、沈黙が続く。永遠とも一瞬とも感じたその緊張状態は遠くから響く銃声によって崩れた。
銃声はアリアの背を向けている方角からだった。銃を扱う者はアリアの他にもう一人。先程別れた宰相候補が諜報部隊の一部と会敵・開戦したのだろう。
そして戦場で開戦を知らせる鏑矢のように、こちら側の開戦の合図にもなった。
一斉に飛び掛かってくる影に、アリアの口角が上がっていく。
「来る者全てに最大の敬意を。そして——」
少女は。
「晴れやかな死を」
悪魔のように微笑った。
『影』は全てに秀でていなくてはならない。
忠誠を誓った主を守る為。与えられた任務を寸分の狂いなく遂行する為。
『全てに秀でていなくてはならない』
歴史あるエクター侯爵家の影として、幼い頃よりそう訓練された。
「皇女が脱走を図ったら捕らえろ。抵抗するなら殺しても構わん。……まぁ、あの方にそんな真似は出来ないだろうが」
主より任務を賜り、各自配置についていたがそこまで警戒はしていなかった。自分達の腕への驕りと主の『出来ない』という言葉を鵜呑みにした。それが間違いだった。
しばらくしてから大砲の発砲音のような音が壁伝いに聞こえ、地下に向かった。そこには血を流す騎士の死体だけが残されており、地下室はもぬけの殻だった。
『皇女が騎士を殺して脱走した』
仲間たちにそう伝達する。殺害は抵抗とみなして、捕縛対象から暗殺対象に移行した。
この屋敷内で確実に静粛に息の根を止める。
いつだってやってきたことだった。
失敗することはない。
そう思っていた。
皇女との乱戦が始まって数十分。既に『影』の半数が殺された。残っている仲間達は疲労と焦りから息が上がってきている。
たった一人。相手はたった一人だ。
(なのに……なのにどうして……っ)
簡単な任務だと思っていた。自分達には造作もない事だと。
だが、攻撃は悉く躱され、倒れていくのは仲間達ばかり。
目の前の少女は血に塗れているが、全て返り血だ。身体には傷一つついていない。
少女は何食わぬ顔で今も立っている。その様はあまりに異様で。
言いようのない恐怖と自分達への不信感。それが焦燥へと変わり、体の内側から責め立ててくる。
それでも、攻撃の手を止めることはなかった。手を止めれば次に死ぬのは自分だと本能が理解していた。
それは仲間達も同様で、誰一人として止まる者はいなかった。
狙うは急所。一撃で致命傷を与えられるよう捨て身で攻撃を仕掛ける。だが、攻撃が皇女に届くことはなく、逆に蹴り飛ばされた。壁に背中を強打する。気絶することは無かったが全身が痺れ、動けない。
その間も仲間たちが攻撃を続ける。その全ては躱されるかナイフで受け流されている。体勢を立て直す間もなく皇女に頸を斬られ、また一人倒れる。
クロスボウでの狙撃を試みた仲間は、大砲のような筒型の武器で頭に穴を空けられた。放った矢は仲間の死体を盾にされ、皇女には届かない。
(…あり得ない。こんなこと…今まで一度も…っ)
『影』の少女は仲間達が死に逝くのを見ていた。身体は痺れてまだ動かせない。
このままでは全滅する。侯爵家の歴史の中でも前代未聞の事態だ。
『あり得ない』と小さく口に出る。
任務の対象である皇女は未だ傷一つなく立っている。息は上がっているが、疲労の色は見えない。むしろこの状況を楽しんでいるように見えた。
(怖い……)
少女は初めて恐怖を憶える。
『影』として仲間と共にエクター侯爵家を守って来た誇りと自負があった。
それが崩れることの恐怖。死ぬことへの恐怖。そして……皇女のその異様な強さへの恐怖。
そう。異様なのだ。
相手は皇族だ。性別に関わらず、多少の自衛術は学んでいるのかもしれない。だとしても、そんな次元はとっくに超えていた。自分達の技も連携も戦術も全て見切られた。
こちらも厳しい訓練は受けてきたのだ。その過程で死んだ仲間もいる。『頑張れば超えられる』なんて言えるようなものではなかった。
自分は強い、と声高らかに言うことはないが、弱くもない。仲間達も同様だ。
少なくともたった一人の、自分と年も変わらないであろう少女の手によって、全滅まで追い込まれるとは思ってもみなかった。
気づけば、仲間達は全員床に倒れていた。誰一人として息をしていない。その光景に、ようやく動かせるようになった身体が震え出す。
筒型の武器を構えて向かってくる皇女。血で全身が真っ赤に染まっている様は、お伽噺の鬼のようだった。
(鬼………)
少女は思い出す。皇女に鬼に由来する異名があったことを。
主は『外交や国政に対する彼女の手腕を誇張しているだけだ』と言っていたが、その解釈が間違っていたとしたら。
社交界での彼女はにこにこと笑ってばかりで、あんな大層な名は似合わない。
だが、目の前にいる今の彼女にはその名を当ててもおかしくない。むしろ、そうとしか言えないだろう。
『鬼才』
その異名の本当の意味を少女は理解する。と同時に動き出す。
(知らせないと………!)
知らせなくてはいけない。主に本当の意味を。
『影』の使命は主を守ること。一刻も早く、ここから逃がす必要がある。
だが、傷を負った身体で今までのように俊敏に動けるはずがなく、少女はすぐに追い詰められた。
皇女は少女の頭に筒型の武器を当て、問いかける。
「侯爵はどこ?」
何と答えようが自分は死ぬ。
ならば。
「言わない…っ。言う訳がないだろっ!この……おにっ……」
銃声が響き渡り、少女は倒れる。
『影』の使命は主を守ること。
仲間達と共に最後までその忠誠を守って死んだのだった。
久々の投稿となります!
一か月近く止まっていましたが、再開いたします。
どうか、楽しんでいただけますように。