第24話 わたし変わりましたか?
幸いにもと言うには複雑だが、翌日は心療内科の診察日だった。
椅子に座って、担当医である遥香と向かい合った弥生は、昨晩のことをなるべく詳細に語る。
話が進むにつれて遥香の表情は険しくなって行ったが、意外にも弥生は平然としていた。
怖かったのは、間違いない。
それでも彼女は、その気持ちを受け止めることが出来ている。
弥生の様子を注意深く観察していた遥香は、やがて結論を出した。
「大変だったみたいだけど……本当に今は平気そうね」
「はい、ご心配をお掛けしました。 もしかしたら、お父さ……父との因縁に決着が付けられたからかもしれないですね……」
「なるほどね。 ただ、いつフラッシュバックするかわからないから、何かあったらすぐに相談するように。 約束よ?」
「わかりました、有難うございます。 では、失礼しますね」
そう言って席を立った弥生は、ペコリとお辞儀してから診察室を出ようとした。
しかし、そこで動きを止めたかと思うと、遥香に振り向いて問いを投げる。
「先生、わたし変わりましたか?」
微妙に緊張した顔付きの弥生に対して、遥香は少し驚きつつ、苦笑を浮かべて答えを返した。
「変わったと言うか、強くなったと思うわ」
「そうですか……。 有難うございます、失礼します」
嬉しそうに微笑んだ弥生は、診察室をあとにして病院の出口に向かった。
清々しい面持ちで、本当の意味で過去と決別出来たのだと窺える。
このときの弥生の心は平穏そのものだったが、それで済むことはなかった。
「あ! 弥生ちゃんじゃない!」
「え? 理恵さん?」
「そうそう! 覚えててくれたのね!」
「当たり前じゃないですか。 お久しぶりです」
「うん、久しぶり!」
皐月が入院していた頃に世話になっていた、看護師の理恵。
会う機会はすっかり減ってしまったとは言え、弥生が忘れることなどない。
再会した2人は、迷惑にならない程度の声量で話に花を咲かせていたが、不意に理恵が何かを思い付いたように手を打ち合わせる。
「あ、そうだ! 弥生ちゃん、明日の夜って空いてる?」
「明日の夜ですか? これと言って、用事はありませんけど……」
「良かったわ! 合コンのメンバーが1人来れなくなって、代わりを探してたのよ!」
「へ……!? ご、合コン……!?」
「そうそう! いやぁ、弥生ちゃんみたいな可愛い子が来てくれたら、きっと相手も喜んでくれるわ!」
「そ、そんなこと言われましても……」
「お願い! 今回限りで良いから! ね?」
拝むように頼まれた弥生は、懊悩した。
本音を言えば完全なるノーだったが、理恵には多大なる恩を感じている。
思考がグルグル回転し、迷いに迷った結果、弥生は盛大に溜息をつきながら答えを出した。
「本当に、今回だけですからね……? それと、わたしはお酒を飲みません」
「うん、それで充分よ! 詳しい時間と場所は――」
これ以上ないほど楽しそうな理恵と、げんなりしている弥生。
こうして彼女が人生初の合コンへの参加を決めている頃、暁も自身の戦いを繰り広げていた。
来る者を拒むほどの威容を誇る、大豪邸。
その前に佇んだ暁は、厳しい顔付きで玄関の門を睨み付けていた。
しばしそのような時間が続いたが、前置きなくスピーカーから声が聞こえる。
『お帰りなさいませ、暁様』
監視されていたことに戸惑うこともなく、小さく息をついてから、暁は意を決したかのように口を開いた。
「あいつに会いに来た」
『潮様でしたら、書斎にいらっしゃいます。 どうぞ、お入り下さい』
その言葉を最後に声が途切れ、門が自動で開く。
あまりにも用意周到だと思った暁だが、今更逃げ帰るつもりはなかった。
昨晩、弥生と黒木のやり取りを見た彼は、自分も潮との決着を付けるべきだと思っている。
その気持ちに突き動かされた暁は1歩踏み出し、豪邸の中へと入って行った。
良い思い出は少ないが、構造自体ははっきりと覚えている。
迷うことなく書斎へと辿り着き、1度深呼吸してからノックした。
「入れ」
胸を抉るような、鋭い声。
それでも暁が怯むことはなく、堂々とした佇まいで入室する。
執務机に着いた潮は、書類に落としていた視線を上げで、暁を見やった。
その際、ほんの微かに片眉が跳ねたが、瞬く間に元の厳格な面持ちに戻る。
距離を取って対面した2人の間に、緊迫した空気が流れた。
だが、長々とは続かない。
「戻って来る気になったか?」
開口一番、核心を突く潮。
それを受けた暁は表情を硬くしながらも、自身の意志を告げる。
「俺はやっぱり、弥生さんと白雪と一緒にいたい」
暁の声には、強い決意が滲んでいた。
もっとも、潮を納得させるには至らない。
溜息をついた彼は、子どもに言い聞かせるように言葉を並び立てる。
「今のお前の立場では、将来的に彼女たちを不幸にすると、まだわからんのか?」
「確かに、そうかもしれない。 だから、そうならないようにする」
「どうするつもりだ?」
「……自分で事業を立ち上げる」
潮の問に、暁はやや緊張しながらも、はっきりと宣言した。
息子の考えを聞いた潮は、長めの沈黙を挟んでから声の温度を下げて、言葉の矢を射掛ける。
「神崎家を敵に回して、やって行けると思うのか?」
「それは流石に無理だ。 だから、神崎家が手を出していない分野に進出する」
「ほう、それはどこだ?」
「話す義理はない……と言いたいところだけど、俺の覚悟を証明する為に教えてやろう。 ゲーム事業だ。 今はプレイする側だが、自分で開発してみせる」
「ふん、1人で何とかなるとでも思っているのか?」
暁の決意を前にしても潮が揺らぐことはなく、むしろ鼻で笑うように尋ねた。
それに比して暁は、僅かに時間を置いてから声を発する。
「何ともならないだろうな」
「何だと?」
「本気で事業としてやって行くなら、俺だけの力じゃ足りない。 信頼出来る仲間たちが必要だ」
悲観するでもなく、事実として語る暁。
今度は潮が黙り込み、真っ直ぐに暁を見つめた。
そのまま、時計の秒針が1回転するほどの時間が経ち――
「ふん……少しはマシになったか」
「何……?」
「お前は、何でも1人で片付けようとしていたが、それには限界がある」
「……その通りだ」
「だが、今のお前が事業を起こしたところで、付いて来る者がいるのか?」
研ぎ澄まされた眼光を、暁に突き刺す潮。
暁が恐れ入ることはなかったものの、返す言葉が見付からない。
口を固く引き結び、拳を握った。
そんな暁に潮は嘆息したかと思うと、1冊のファイルを取り出して、受け取るように示した。
どう言うつもりかと思った暁は眉を顰めつつ、取り敢えず手に取って中を確認し――目を見開く。
弾かれるように顔を上げた暁が潮を見ると、彼はあくまでも淡々と言葉を連ねた。
「見ての通り、神崎グループでもゲーム事業に取り掛かる計画がある。 やる気があるなら、お前もそこで働け。 それとも、神崎家の世話になるのは嫌か?」
「……今の俺に、そんな好き嫌いを言う資格はない。 ただし、得られるものを得たら、独立するかもしれないぞ?」
「やれるものならやってみろ」
「その言葉、忘れるな」
挑発的な笑みではあるが、初めて笑った潮。
それを受けた暁も、勝気に笑ってみせた。
視線で火花を散らしながらも、笑顔を交換する親子。
暫く、そのような時間が続いたが――
「燈子の死に目に会いに行けなかったことは、申し訳なく思っている」
目を逸らした潮の、突然の告白。
予想外の事態に目を丸くした暁だが、逡巡した後に言い返した。
「もう済んだことだ。 あんたにはあんたの事情があったことも、理解している。 母さんの死を受け入れられなくて、八つ当たりしていただけだ。 だから……俺も悪かった」
最後の一言は極めて小さな声だったが、潮の耳には間違いなく届いていた。
書斎に静寂が満ちる。
しかし、決して重いものではなく、やがて潮が口を開いた。
「いつから働くかは、追って連絡する。 いつでも動けるように、準備していろ」
「わかった」
短く答えた暁は、あっさりと立ち去った。
彼らの確執が完全になくなるには時間が掛かるだろうが、今日はその切っ掛けになるだろう。
書斎で1人になった潮は、椅子の背もたれに体を預け、薄っすらと口元だけで笑みを作った。
弥生が診察を終えて、暁が潮と話を付けた日の夕方。
白雪を加えた3人は、夕食をともにしていた。
以前と同じようで、そこには確かな変化が起こっている。
「暁さん、ご飯のお替わりはどうですか?」
「頂きます、弥生さん」
明るい笑顔の弥生と、包み込むような微笑の暁。
名前で呼び合うようになってから、明らかに距離が縮まっていた。
そのことに白雪は傷付く――ことはなく、優しく見守ることが出来ている。
勿論、全く辛くない訳ではない。
それでも彼女は既に、自身の決意を固めていた。
そうして、和やかな時間を過ごしていた3人だが――
「そう言えば、暁さんと白雪さんは、合コンってどんなことをするか知っていますか?」
ピシッ――と。
空気が固まった音が聞こえる。
暁はコーヒーカップを持ち上げる途中で固まり、白雪も似たようなもの。
弥生が彼らの反応に戸惑っていると、ようやく復活を遂げた2人が言葉を紡いだ。
「どうして、そんなことを聞くんですか?」
「弥生さんには、関係のない話題に思えますが?」
貼り付けたような笑顔を浮かべる暁と、目が笑っていない微笑の白雪。
自分の発言が不味かったと自覚した弥生は、大慌てで口を開いた。
「い、いえ、それが、お母さん……母がお世話になっていた看護師さんから、メンバーが足りないから来て欲しいと頼まれまして……」
「なるほど……。 そう言うことでしたか」
「それならば……致し方ないでしょうか、暁様」
「そうだね、白雪。 ただ、俺も合コンに参加したことはないんで、一般的な知識しか持ってないんです」
「同じくです」
「そうですか……。 わたしは飲みませんけど、お酒を飲んでお話する……くらいの認識で良いんでしょうか?」
「それで充分だと思いますよ、弥生さん。 変に構える必要はないです」
「暁様の仰る通りです。 むしろ、その場に存在するだけでも構いません」
「さ、流石にそれはどうかと思いますけど……。 ですが、有難うございます。 なんとか気負わずに済みそうです」
眉を落とした困り顔ながら、安心した様子の弥生。
だが、暁たちからすれば、まだ話は終わっていなかった。
「それで、何時にどこでやるんですか?」
「えっと、19時に駅前で待ち合わせです。 そこから移動して、居酒屋さんでするそうですね」
「そうですか」
それだけ言って、暁はコーヒーを口に含む。
彼が付いて行く気満々だと悟った白雪は、溜息を堪えつつ、自分も付き合う心積もりをしていた。
2人の反応を不思議に思った弥生は、可愛らしく小首を傾げている。
その後はいつも通りの時間を満喫していたが、今度はNAO内で波乱が待っていた。
ここまで読んで頂き、有難うございます。
次回「集う6人」は12:30に投稿予定です。
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