第10話 夕暮れの約束未満
弥生たちが近所に帰って来た頃には、夕焼け空になっていた。
夕飯の買い出しを終えて、アパートへと歩んで行く。
荷物持ちは暁だ。
沈み行く太陽を目を細めて見やりつつ、弥生は非常に満足した思いを抱いている。
初めてのボウリングは楽しかった。
昼食のオムライスは美味しかった。
暁と白雪の歌は相変わらず最高だった。
トラブルに関しては怖かったが、結果として2人との仲が深まった気がしている。
思い出を振り返って、改めて充実した1日だったと感じた弥生。
幸せそうにしている彼女を、暁と白雪は微笑ましそうに見つめていた。
しかし、不意に悪戯心が湧いた暁が、表面上はにこやかなまま口を開く。
「天霧さん、今日は楽しかったですか?」
「あ……は、はい、凄く楽しかったです」
「それは良かったです。 俺も楽しかったですよ。 白雪は?」
「そうですね……わたしも、楽しかったです」
「そうか。 俺が提案したことではありますが、全員が楽しめて良かったです。 天霧さんは、特に何が楽しかったですか?」
「えぇと、ボウリングも楽しかったですけど……やっぱり、お2人の歌でしょうか。 感動しました」
「弥生さん……」
「照れなくても良いじゃないか、白雪。 実際、今日は特に良かったと思うよ」
「暁様まで……」
微妙に居心地が悪そうにする白雪。
顔が赤く見えるのは、夕焼けのせいではないだろう。
そんな彼女に弥生は苦笑していたが、そこに暁が言葉を投げ掛けた。
「まぁ、俺は弥生さんも素晴らしかったと思いますけど」
「う……忘れて下さい……」
「そんな勿体ないことしません。 忘れようとしても、忘れられそうにないですし。 ねぇ、白雪?」
「はい、暁様。 弥生さんの歌は、心に残りますから」
「うぅ……」
攻守逆転した弥生は、恥ずかしそうに縮こまった。
暁は完全に楽しんでおり、白雪は本音を語りつつ、ちょっぴり意趣返しも含んでいる。
暁と白雪から、歌える歌を用意しておいて欲しいと言われた弥生だが、彼女はそう言った分野にとことん疎い。
結果として選んだのは、いくつかの童謡。
まさか改めて用意して来た歌までも童謡だったことに、暁たちは驚いていた。
2人の反応に弥生は恥じ入っていたが、彼らは決して馬鹿にしたのではない。
そのことが伝わってなんとか歌い切ったものの、どうしても恥ずかしい気持ちは残っている。
モジモジとしている弥生を、暁は楽し気に見つめていたが、白雪に軽くジト目を向けられた。
あまりイジメるなと言う意思表示を受け取った彼は、小さく肩をすくめて話題転換を図る。
「それにしても、歌ったからかお腹が空きましたね」
「そ、そうですね。 帰ったら、すぐに夕飯を作ります」
「弥生さんも疲れているでしょうし、わたしも手伝いましょうか?」
「有難うございます、白雪さん。 でも、大丈夫ですよ。 助けてくれたお礼も兼ねて、わたしに作らせて下さい」
「そのようなこと、気にしなくて良いのですが……」
「わたしがそうしたいんです」
「……わかりました、よろしくお願いします」
「はい、任せて下さい」
そう言って微笑を浮かべた弥生に、白雪は苦笑を返す。
彼女たちがすっかり打ち解けていることに、暁も柔らかく微笑んでいた。
しかし、潮とのやり取りを思い出して、硬い面持ちを作る。
現状維持か、神崎家に戻るか。
近いうちに決断しなくてはならないが、どうしても考えが纏まらない。
何が正解かわからず、暁が懊悩していると、そのことに気付いた弥生が不安そうに問い掛けた。
「神崎さん、どうかしたんですか……?」
「……いえ、少し考え事をしていただけです。 大したことじゃないので、気にしないで下さい」
「……わかりました」
明らかに誤魔化されたと感じた弥生だが、彼女の性格上、踏み込むことは出来ない。
止む無く追及を諦めた弥生は、大人しく帰り道を歩き続ける。
その後は無言の時間が続き、やがてアパートが見えて来た。
暁から買い物袋を受け取った弥生は、2人に向かって頭を下げてから言葉を紡ぐ。
「今日は有難うございました。 夕飯を作って来るので、一旦帰りますね」
「こちらこそ、付き合ってくれて有難うございました。 部屋で待ってますね」
「弥生さんも無理せず、作るのは休憩してからでも構いません」
「はい、一息ついてからにします。 じゃあ、またです」
機嫌良く階段を上がった弥生は、自室へと戻って行った。
その後ろ姿を、暁と白雪は黙って見送っていたが――
「暁様、何があったのですか?」
白雪の緊迫した声が響く。
自身の変化を気付かれていたことに、暁は驚くこともなく、苦笑を浮かべて告げた。
「あいつから連絡があったんだ」
「あいつ……。 ……! やはり、潮様ですか……」
「そうだ。 神崎家に戻って来いだって」
「……どうされるおつもりですか?」
「まだわからない」
「と言うことは……戻るかもしれないと言うことですか?」
「そうだね」
「……それは、暁様の望みなのですか?」
「いいや。 ただ、悔しいけど……あいつの言っていることも、理解は出来る。 だからこそ、しっかり考えないといけないと思ってるよ」
「暁様……」
ややぎこちなく笑みを浮かべる主を目にして、白雪は不安そうに眉を落とした。
何故なら、彼女は知っている。
こう言ったケースになった場合、暁は潮の指示通り動くと言うことを。
本人に自覚はないのかもしれないが、昔からずっと傍で見て来た白雪は、確信していた。
そして、そうなった際に弥生と別れなければならないことも、正確に把握している。
暁が全てだった頃なら、何も問題はなかった。
だが、彼女との関係を育みつつある現段階で離れるのは、正直なところ悲しい。
それでも、白雪は暁に付いて行くつもりだったが――
「もし俺が神崎家に戻ることになったら、白雪には弥生さんを頼みたい」
「……ッ! それは――」
「出来ないって言いたいのはわかる。 でも、聞いてくれないか? 弥生さんは成人女性だけど、はっきり言って頼りない。 1人にさせるのは、心配で仕方ないんだ。 その点、白雪が一緒なら安心出来る。 最近は、すっかり仲良くなったみたいだしね」
「ですが……」
「お願いだ、白雪。 俺は、皐月さんの期待も裏切りたくない。 また今日みたいなことがないとも、限らないからね。 弥生さんには、まだ誰かが必要だ」
必死に懇願して来る暁に、白雪は言葉を失った。
同時に、彼の弥生に対する気持ちも、はっきり認識出来た気がしている。
胸が引き裂かれるような痛みや、様々な感情が綯い交ぜになって、思わず涙がこぼれそうになった。
しかし、白雪は辛うじてそれを堪えて、決然とした声で言い放つ。
「かしこまりました。 そのときは、わたしが弥生さんを守ります」
「……有難う」
白雪の返事を聞いて、暁は泣き笑いのような表情になった。
だが、彼女の言葉には続きがある。
「ですが、あくまでも暁様が神崎家に戻ったときの話です。 そうならない限りは、暁様が弥生さんを守って下さい。 ……本当に大事な人なら、ご自分で守るべきです」
「……! 白雪……」
「差し出口、申し訳ありません。 そろそろ部屋に戻りましょう。 ずっとここにいる訳にも参りませんから」
「……そうだね」
率先して歩き出した白雪。
その肩が僅かに震えていることに、暁は気付いていたが、声を掛けることが出来なかった。
部屋に戻った2人は着替えなどを済ませ、弥生とともに夕食を食べる。
彼らはいつも通りを装っており、普通なら違和感を持つことなどなかっただろうが、弥生は微妙な空気の変化を察していた。
ところが、最後まで問い掛けることは出来ず、片付けに入る。
こうして楽しかった外出は、しこりを残しながら終わった。
ここまで読んで頂き、有難うございます。
次回「光る二人三脚」は21:30に投稿予定です。
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