第5話 初めての共同クエスト
デイリークエストを受注した夜宵たちは、森の中にいた。
さほど背の高い木はなく間隔も広い為、燦々と降り注ぐ日の光を遮ることはない。
綺麗な青空を見上げた夜宵――いつもの格好に戻っている――は微笑んだが、隣を歩くジンは微妙に不機嫌そうである。
それは、このクエストがつまらないから――ではなく、全く別の事柄が原因だ。
青空から視線を正面に戻した夜宵は、チラリとジンの様子を盗み見たが、居心地悪そうに縮こまるだけで何も言えない。
そのまま気まずい空気が流れてしばしすると、ジンが大きく息を吐き出して、無念そうに声を発した。
「ごめん夜宵さん、失敗だったね」
「ジ、ジンさんが謝る必要なんかありません。 わたしの方こそ、その……すみません……」
「それこそ、夜宵さんが謝ることじゃないだろう? それにしても……夜宵さんのアバターが可愛いのはわかってたけど、まさかあんなことになるなんて」
「言わないで下さい……思い出すだけで恥ずかしくなります……」
顔を見合わせた2人は、揃って盛大に嘆息した。
あのあと夜宵たちは、町の大通りに出てクエスト受注デバイスに向かったのだが、そこで事件が起こった。
端的に言うと、『プリンセスドレス・黒』と言うレアアイテムを着ている上に、美少女である夜宵に、男たち――アバターは女性の者もいた――が群がったのだ。
武道袴を着ていても充分以上に魅力的な彼女は、これまでも声を掛けられた経験はあるが、幸か不幸かサムライであることがストッパーとなって、頻度は少なかった。
しかし、ジンの手によって変身した彼女にその制限はなく、様々な思惑を持ったプレイヤーたちに迫られた。
予想外の事態に夜宵は完全に固まり、ジンは額に手を当てて頭痛を堪えることになった。
その後、なんとかジンの手で包囲網を突破した2人は、逃げるようにクエストを受けて森にワープし、今に至る。
最初の1歩どころか、踏み出す前に出鼻を挫かれた形だが、ジンの立ち直りは速かった。
「まぁ、過ぎたことは仕方がない。 服装に関してはあとで考えるとして、今は先に進もう」
「……そうですね、行きましょうか」
そう言って問題を棚上げした2人は、黙って歩を連ねる。
夜宵は緊張からか、ややぎこちないが、ジンは何ら問題なさそうだ。
草を踏み締める音だけが聞こえる時間が暫く続くと、森の奥からモンスターが姿を現した。
濁った緑色の肌と歪に尖った耳と鼻、手には棍棒。
RPGの代表的なザコモンスター、ゴブリンが5体。
本来は夜宵たちが戦うような相手ではないが、デイリークエストは初心者でも受けられる設定になっているので、こう言うこともしばしば起こる。
ジンは流石に拍子抜けしたようだが、夜宵は真剣そのものだ。
意外感を覚えながらもジンはそのことに触れず、鞘から剣を引き抜いて、【ホーリー・ブラスト】で一掃しようとしたが――
「待って下さい。 この程度の相手にAPを使う必要はありません」
思いのほか強い口調で止められて、発動をキャンセルした。
このときジンは、2つのことに驚いていた。
1つは、今の今までオドオドしていた夜宵が、急に頼もしくなったこと。
これに関しては、以前のアサルト・タイガー戦でも体験したので、そこまでの衝撃はない。
問題は――
「……どうして俺が、アーツを使うってわかったの?」
と言うことだ。
ジンは戦闘態勢には入っていたものの、まだ動き出してすらいなかった。
だからこそ、夜宵に動きを先読みされて驚愕したのだが、彼女の返答は至極淡白。
「剣先が、【ホーリー・ブラスト】を撃つときの動きをしたので。 ……違いましたか?」
「……いや、合ってるよ」
平静を装って返事したジンだが、一呼吸遅れてしまった。
それも無理はない。
VRとは言えゲームであるNAOでは、アーツを使う際に決まった予備動作がある。
しかしながら、それを視認するのは極めて難しく、ましてやほんの些細な動きで察知するなど、通常は不可能。
そのような神業と呼べる所業を成し遂げておいて、何でもないように振舞う夜宵を見て、ジンは戦慄した。
いったいどうすれば、これほどの洞察力を得られるのか興味は尽きなかったが、ひとまずその思いは胸に秘める。
「確かにゴブリンが相手なら、通常攻撃で充分だね。 楽しようとしてごめん」
「謝る必要はありません。 では、わたしは右から仕掛けます」
「わかった、俺は左だね」
そう言って少し離れた位置に立った2人は、ゴブリンの様子を観察する。
敵意剥き出しで、低く唸りながら近付いて来ており、逃げる気はなさそうだ。
見方によっては勇敢だが、この場合は無謀だろう。
もっとも、最下級モンスターであるゴブリンに、敵の力量を測る知能などないのだから仕方ない。
圧倒的に格下であっても、気を抜かない夜宵は集中力を高め、彼女に呼応するかのようにジンも闘志を滾らせる。
アイコンタクトを取った2人は同時に駆け出し、ゴブリンに躍り掛かった。
クエストを開始して既に50秒以上経過している為、【神速への道】の効果が最大になっている夜宵は、まさしく一瞬で右端のゴブリンに接敵する。
すれ違いざまに刀を振り切り胴を両断すると、即座に方向転換して次の1体に迫った。
何が起こったかわからないゴブリンは、ろくに動くことも出来ず、逆袈裟に振り上げた夜宵の刃によって絶命した。
そのときになって、ようやく残りのゴブリンが反応したが――遅過ぎる。
真ん中に陣取っていた1体が夜宵に振り向くと、眼前に刀が迫っていた。
一片の容赦もなく振り下ろされ、頭頂部から真っ二つにされる。
あっと言う間に3体を始末した夜宵は、油断なく次の敵に向かおうとしたが、その必要はない。
「まったく……まるで別人だね」
ジンによって片付けられていたからだ。
肩をすくめて苦笑を漏らした彼は、夜宵をまじまじと見つめる。
遠慮のないジンの眼差しに曝されて、夜宵はモジモジしていたが、ひとまずは言うべきことを言うことにした。
「お、お疲れ様でした」
「別に疲れてないけど、お疲れ様。 それにしても、【神速への道】は使い難いスキルだと思ってたけど、こう言うときは便利だね」
「そうですね。 クエストを開始してからフィールドを移動しているうちに50秒は経ちますし、攻撃さえ受けなければ効果はずっと続きますから」
「攻撃さえ受けなければ、ね……」
「……? 何か変なことを言いましたか?」
不思議そうに首を横に倒した夜宵を見て、ジンは呆れる思いだった。
だが、鋼の精神でそれを悟らせず、なんとか会話を成立させる。
「いや、変と言うか、それがどれくらい難しいかわかってるのかと思って」
「どれくらいと言われましても……」
難しい顔で考え込む夜宵の反応を見て、ジンはある疑念を抱いた。
そして、辛うじてそれを表面に出さないように気を付けながら、恐る恐る尋ねる。
「1つ聞きたいんだけど、1番最近被弾したのがいつか覚えてる?」
「え? えぇと……あれ……?」
右手を頬に当てて間の抜けた顔をしている夜宵を見て、ジンはとうとう我慢出来ずに吹き出した。
自分が何故笑われたのかわからない夜宵は、目をパチクリさせていたが、ジンは楽しそうに言葉を紡ぐ。
「オーケー、良くわかったよ。 キミが思ってた以上に、規格外なプレイヤーだってことがね」
「褒められているんでしょうか……?」
「褒めてるよ。 それはもう、これ以上ないくらいに」
「有難うございます……?」
訳がわからないまま、一応の礼を言った夜宵の頭上には、大量の疑問符が乱舞していた。
そのことにジンは気付いていながら、敢えて何も言わずにいる。
何故なら、その方が面白いと考えたからだ。
この人が、自身の凄さに気付くのはいつだろう。
そして、そのときこの人はどうするのだろう。
少し意地悪だと思いつつ、ジンは楽しみが増えたことを喜んだ。
それと同時に――
「……負けられないな」
夜宵に聞かれないように呟いたジンは、密かに対抗心を燃やす。
クラスが違うので比較するのは難しいが、少なくとも対単体戦闘においては、彼女の方がプレイヤーとして上だと確信したからだ。
自分がライバル視されているなど露知らず、夜宵は能天気に口を開いた。
「それでは、次に行きましょう。 このデイリークエストの達成条件はゴブリンを20体撃破なので、あと15体ですね」
「あぁ、わかった。 次こそ、俺の方が多く倒してみせる」
このセリフは特に意識したものではなく、ジンにとっては軽い意思表示のつもりだったが――
「ゴブリンを相手に、【神速への道】があるわたしより多く倒すのは、難しいと思いますよ? アーツを使うなら別ですけど」
「……言ってくれるね、俄然やる気が出て来たよ」
「ジ、ジンさん……? なんか怖いんですけど……」
「気のせいだよ。 ほら、行こう」
「は、はい……」
夜宵から放たれた無自覚な口撃によって、決死の覚悟を抱いたジン。
彼の迫力に夜宵は完全に飲まれていたが、そのせいで動きが鈍ることはなかった。
その後、森を散策しながらゴブリンを次々に撃破した2人だが――結果がどうなったかは、ジンの名誉の為に言わないでおこう。




