第9話 共闘
仕事から帰った梅子は、すぐに自室でジャージに着替えた。
スポーティなファッションなどではなく、彼女が学生時代に着ていた物。
部屋は暁ほどではないが散らかっており、漫画やゲームが散乱していた。
彼女の家は極々普通の一軒家で、弥生たちが住んでいるところとは、スーパーを挟んだちょうど反対側に位置する。
スーパーの店長である梅子の収入は少なくないが、実家の住み心地が良くて出て行けない。
家事全般が苦手だから――ではなく、面倒臭がりなのだ。
そうして梅子は今日も、母親の世話になる。
「梅子、ご飯どうするの?」
ノックをして部屋に入って来たのは、梅子の母親である佐々木桃子。
それなりの年齢のはずだが若々しく、娘とは似ても似つかない、女性らしい体付きだ。
そのことを梅子は一瞬恨めしく思いながら、すぐに返事する。
「んー、あとで食べるから置いといて」
「良いけど、あんたゲームばかりやってないで、少しは女の子らしいことしたら?」
「うっさいわね! 余計なお世話よ!」
「またそんな口の利き方して。 サッサと武尊くんに、もらってもらえば良いのに」
「だ、だだだ、誰があんな奴に!?」
「あら、良い男じゃない。 頼り甲斐があるし優しいし、きっと向こうも梅子のこと……」
「出てけッ!」
顔を真っ赤にして、母親に枕を投げ付ける梅子。
しかし桃子はヒラリと躱して、「怖い怖い」と言いながら逃げて行く。
ぜぇぜぇと息を荒げていた梅子は、やがて溜息をついて枕を回収した。
そのとき、不意に姿見が目に入り、ジッと見つめる。
武尊にはいつもチンチクリンだと馬鹿にされ、今日は暁に子どもと間違われた。
それは、童顔なことと身長が低いことも関係しているだろうが、胸の大きさも原因だと思っている。
思わず自分の胸を両手で揉んでみたものの、弥生の感触と比べてあまりにも寂しい。
虚しくなった梅子は嘆息し、トボトボとその場を離れた。
だが彼女は、切り替えの早い人物である。
ベッドに飛び込んで横になった梅子は、バイザー型デバイスを装着して、勝気な笑みを浮かべた。
そしてすぐに起動ボタンを押すと視界が閉ざされ、各種チェックが終わったあとは――
「よっし、今日もやりますか!」
NAOの中。
それまでの梅子ではなく、金髪の見目麗しいエルフの姿で、大森林に立っている。
そう、NAOでも屈指のトッププレイヤー、アンジェリカだ。
大仰な名前と抜群のプロポーションは、佐々木梅子がリアルで抱えるコンプレックスの、裏返しである。
ここはエルフの里で、フォレスト・ドラゴンのエマージェンシークエストの舞台に似ているが、比べ物にならないほど明るく、神聖な雰囲気を感じた。
アンジェリカはこの景色が好きで、ログインしたあとは暫く眺めるようにしている。
ひとしきり堪能した彼女は、ギルドコンタクトを呼び出して、メンバーに挨拶した。
「御機嫌よう、皆さん」
アンジェリカとしての梅子は、優雅で気品に溢れた美女――と言う設定だ。
スノウと違って、これこそロールプレイだと言える。
挨拶に対して、数多くのギルドメンバーから返答があり、アンジェリカは微笑を浮かべた。
彼女は男性が嫌いな訳ではなく、純粋に可愛い少女との触れ合いを好んでいる。
Gunちゃんにお人形遊びと言われたが、あながち的外れでもない。
だからこそ、あれほど怒ったとも言えるが。
メンバーたちとの会話を楽しみながら、脳内でスケジュール帳を開く。
そして、会話がひと段落したのを見計らって、行動に移した。
「プラムさん、ネーレさん、いらっしゃいますか?」
『はーい! アンジェリカさん!』
『お待ちしていました』
アンジェリカの呼び掛けに、1人は元気に、もう1人は落ち着いて答えた。
満足そうに頷いたアンジェリカは、続きの言葉を放つ。
「遅くなって申し訳ありません。 いつも通り、大樹の下で合流しましょう」
『りょーかいです!』
『わかりました』
「ではまた、後ほど」
コンタクトを切ったアンジェリカは、エルフの里の中心部に向かう。
今いる場所からはかなり離れているが、遠目からでも見える大樹が聳え立っていた。
有名な待ち合わせスポットであり、アンジェリカも良く利用している。
尚、ギルドコンタクトは放っておくと、いつまでも会話が聞こえて来るが、『クエスト中』などの設定に変えることで、一時的に聞こえなくすることが可能だ。
アンジェリカが設定を変えながら緑の中を歩いていると、他のプレイヤーから何度も声を掛けられた。
個人としてもギルドリーダーとしても有名な彼女は、エルフの象徴とすら言える。
性格的にも――表面上――穏やかなアンジェリカは、柔和な笑みを浮かべて手を振った。
内心では先を急ぎたい気持ちがあるものの、彼女のロールプレイをする上では、大事なことである。
そうして、少し時間を掛けて大樹に辿り着いたアンジェリカを待っていたのは、2人の美少女。
少女たちを視界に収めたアンジェリカは、申し訳なさそうに声を投げた。
「お待たせして申し訳ありません、ネーレさん、プラムさん」
「お気になさらず。 わたしたちも、さっき来たところなので」
「アンジェリカさんは人気者ですから、仕方ないですよ!」
ネーレと呼ばれた少女は身長170cmほどで、アンジェリカと同じく高身長なエルフ。
サラサラな薄紫色の髪をショートカットにしており、凛々しい碧眼が真面目な印象を与える。
銀の軽鎧を装備している為にわかり難いが、胸部は控えめだ。
他方、プラムと呼ばれた少女は身長150cmそこそこで、桃色の長い髪をワンサイドアップにしている。
種族はヒューマンで、胸元は標準よりやや育っているくらい。
小動物を思わせる、クリクリとした大きな橙黄色の瞳が印象的だ。
ピンク色のフリフリした、アイドル風の衣装に身を包んでいる。
2人の言葉に安堵したアンジェリカは、話を先に進めることにした。
「有難うございます。 それでは、今日の予定をおさらいしましょうか」
「はい! 今日の目的地は、ネーヴェ山脈です!」
「そこでわたしたちのレベリングを行い、あわよくばレアドロップを狙います」
ビシッと手を挙げて発言するプラムと、淡々と述べるネーレ。
正反対とも言える2人に苦笑を漏らしそうになりながら、アンジェリカはゆっくりと首を縦に振った。
「その通りです。 ネーヴェ山脈は、フィールドダンジョンの中でも難易度が高い部類なので、貴女たちだけでは攻略出来ないでしょう」
「ですねぇ……」
「はい……」
「落ち込む必要はありませんわ。 その為に、わたくしが一緒に行くのですから。 それに、貴女たちは初心者にしては、相当強いです。 自信を持って下さい」
「有難うございます、頑張ります!」
「わたしも、もっと精進します」
「その意気ですわ。 では、参りましょうか」
2人に声を掛けたアンジェリカは、ポータル端末に向かう。
今の会話の通り、プラムとネーレはNAO初心者だ。
とは言え、レベルはそれぞれ40に達しており、装備は全身Bランク。
装備だけに限れば、夜宵よりも整っている。
これだけでも優秀ではあるが、彼女たちの場合は、プレイヤースキルの成長が著しい。
アンジェリカの見立てでは、近いうちにギルドの主力になる。
もっとも、ネーヴェ山脈の適正レベルを考えれば、アンジェリカがいたとしても、中々厳しいものがあるのだが。
しかし、アンジェリカは挑戦なくして成長はあり得ないと考えており、敢えてクリア出来るかどうかわからない難易度を選んでいる。
そのことはプラムたちもわかっているので、かなり気合いが入っていた。
やる気に満ち溢れた2人を、肩越しに見やったアンジェリカはクスリと笑い、ポータル端末を起動させる。
瞬間、3人の姿が掻き消えて、冒険の旅へ出発した。
アンジェリカたちがワープした先は、白銀の世界だった。
辺り1面を雪が覆っており、美しい情景が描かれている。
現実世界なら防寒対策をしていないと寒そうだが、ここはVRの世界。
3人とも何ら問題はなく、特に言及せずにアンジェリカが指示を出した。
「さぁ、参りましょう。 ついでですし、道中の採集アイテムは拾っておきましょうか」
「はーい!」
「了解です」
歩み出した少女たちは、雪に足跡を残しながら目的地に向かう。
アンジェリカが言ったように、ところどころに生えている花、『スノー・フラワー』の回収も忘れない。
そうして、なだらかな地形の雪原を暫く歩いていると、プラムがある物を見付けた。
「ん? あれって……」
彼女が目にしたのは、1輪の赤い花。
『スノー・フラワー』とは明らかに違う見た目で、リルムは少し興奮した様子で声を発する。
「もしかして、レアアイテム!? わーい!」
「え? あ……! プラムさん、ちょっと待って……」
背後でアンジェリカが制止しようとしていたが、もう遅い。
駆け出したプラムは赤い花を手に取り――雪原が爆発した。
「きゃぁぁぁぁぁ!?」
「プラム!?」
驚愕したネーレの見る先には、白い触手に足を絡め取られ、宙吊りにされたプラムがいた。
アイドル衣装のスカートが捲れ、オレンジ色の可愛らしいショーツが白日の下に晒される。
地上では、触手が集まって出来たようなモンスター、ホワイト・ローパーが蠢いていた。
まんまと罠に嵌った仲間を前に、アンジェリカは溜息をつきながら、努めて冷静に声を掛ける。
「落ち着いて下さい、プラムさん。 そのモンスターは、見た目ほど強くありません」
「そんなこと言われましてもぉぉぉ!?」
「ですから落ち着いて下さい。 貴女なら、問題なく倒せる相手です」
「無理ですぅぅぅ!」
いくら宥めても、ギャアギャアと喚き立てるプラム。
再び溜息をついたアンジェリカは、仕方なく加勢することにして――触手が斬り裂かれた。
「ひゃぁぁぁぁぁ!?」
当然プラムは落下して、急速に地面が迫る。
次いで訪れるであろう衝撃を覚悟した彼女は、ギュッと目を瞑ったが、その必要はなかった。
プラムを迎えたのは固い地面ではなく、柔らかな感触。
恐る恐る目を開くと、黒髪の美少女と目が合った。
思わぬ事態に混乱しそうだったが、プラムは自分が横抱き――いわゆるお姫様抱っこ――にされていることに気付く。
助けられたことを理解したプラムが、慌てて礼を言おうとすると、少女は素早く彼女を立たせて背を向けた。
拒絶されたかと思ったプラムはショックを受けたが、そうではない。
「ふッ……!」
背後から迫っていたホワイト・ローパーの触手を、難なく斬り飛ばす少女。
更に間髪入れずに接近し、本体を真一文字に斬り裂いて倒す。
その可憐で華麗な姿に、プラムは見惚れていた。
すると少女が振り返り、少し躊躇してからプラムに歩み寄ると、どことなく挙動不審に問い掛ける。
「あの……大丈夫ですか?」
先ほどまでの凛々しい様子とは打って変わって、心細そうな少女。
最早言うまでもないだろうが、夜宵である。
戦闘モードを解いた彼女は、人見知りを発揮していた。
そんな彼女を前にプラムは、途轍もない衝撃を受けている。
強く、可愛く、優しい。
彼女にとって夜宵は、そう言う存在に思えた。
返事がないことに夜宵が不安になっていると、ようやく現実へ復帰したプラムが、勢い良く口を開く。
「た、助けて頂いて、有難うございました!」
「い、いえ、たまたま通り掛かっただけなので」
「それでもです! 凄く格好良かったです! 良ければ、お名前を教えてもらえませんか!?」
「えぇと……夜に宵闇の宵で、夜宵と言います」
「夜宵さんですね! よろしくお願いします!」
「は、はい、こちらこそよろしくお願いします……?」
何がよろしくか全くわからなかったが、夜宵としてはそう言うしかない。
うっとりして、熱っぽい視線を向けて来るプラムに困惑していると、アンジェリカとネーレが近付いて来た。
それを見た夜宵は、どうするべきか迷ったが、逃げる訳にも行かずに相対する。
向かい合った瞬間、アンジェリカが僅かに驚いた顔をしたが、すぐに柔和な笑みを浮かべて礼を述べた。
「仲間を助けて下さって、有難うございます。 感謝しますわ」
「き、気にしないで下さい。 わたしが手を出さなくても、アンジェリカさんたちなら大丈夫だったと思いますし……」
「あら、わたくしのことをご存じなんですか?」
「それは……はい。 アンジェリカさんは有名ですから」
「ふふ、有難うございます」
「あ……じ、自己紹介がまだでしたね。 わたしは……」
「夜宵さん、でしょう?」
「え……? 知ってたんですか……?」
「先日、ジンさんとのペアバトルを観戦しましたから。 最初は調子が出ていなかったようですが、途中からの動きは見事でした」
「そ、そうでしたか。 有難うございます」
アンジェリカに褒められた夜宵は、モジモジと恥ずかしそうに俯いた。
それですらプラムには魅力的に見えるらしく、何やら興奮した様子で凝視している。
仲間であり友人でもあるネーレは、プラムをジト目で見ていたが、気にした素振りはない。
ある意味で異様な空気が充満する中、アンジェリカはプラムとは別の理由で、夜宵に視線を固定していた。
そのことを察した夜宵が、落ち着きなく目を彷徨わせていると、アンジェリカは優し気な声音で告げる。
「申し訳ありません、知り合いに良く似ていたものでして。 失礼しました」
「あ……そ、そうだったんですね」
「それはそうと、夜宵さんはギルドには入っているんですか?」
「え? 入ってませんけど……」
「でしたら、うちに来るつもりはありませんか? 面接は受けてもらわないといけませんけど」
「わ、わたしが『Garden Of Lily』に……?」
「それは良いですね! 夜宵さん、是非そうしましょうよ! ネーレちゃんも賛成だよね!?」
「あんたは自分の欲望の為でしょうが……。 でも、わたしも反対する理由はありません」
勧誘を受けた夜宵は、どう答えたものか悩んだ。
今のところギルドに入るつもりはないが、断る明確な理由もない。
それゆえに何と言えば良いかわからず、3人――特にプラム――のプレッシャーに飲まれかけている。
そのとき――
「夜宵さんは男だよ」
突如として響いた男性の声を聞いて、全員がそちらを向いた。
白い地面を踏み締めた、ジン。
その隣にはスノウの姿もある。
2人を確認した夜宵はホッと息をついたが、発言内容を思い出して、反論しようとした。
しかし、ジンはそれを視線で制して、続きの言葉を放つ。
「『Garden Of Lily』は、女性限定のギルドだよね? だったら、夜宵さんは入れないと思うけど」
「確かにそうですが、本当に男性なのですか?」
「本当だよ。 ねぇ、夜宵さん?」
ジンの顔には、「話を合わせろ」と書かれていた。
それがわからない夜宵ではなく、覚悟を決めて男性を演じる――つもりだったのだが――
「そ、そうなんです……だぜ。 わたし……ではなく、僕……いえ、俺……? と、とにかく男性なんで……だぜ……」
あまりにも酷い、大根役者と言う言葉では生温いほどの、下手過ぎる演技。
それを自覚した夜宵は、真っ赤になった顔を両手で覆って、蹲ってしまった。
そんな彼女をアンジェリカとネーレ、スノウは、カワイソウなものを見る目で見つめ、プラムは何故かときめいている。
一方、事の発端となったジンは、声を押し殺して笑っていた。
その場を奇妙な静寂が支配したが、ようやくしてアンジェリカが、仕切り直すように咳払いして言葉を紡ぐ。
「取り敢えず、ギルドのことは保留にしましょう。 ところで、貴方たちはこれからどこへ行くんですか?」
「俺たちは、この先のネーヴェ山脈に行くよ」
「やはりそうなのですね。 でしたら、目的地は同じですし、折角ですから一緒に行きませんか?」
「そうしましょう! 絶対その方が楽しいです!」
「そうですね。 ギルドメンバー以外との交流も、たまには良いかと思いますし」
復帰の目途が立たない夜宵を放置して、ジンに提案するアンジェリカ。
プラムはやはり勢い込んで賛同したが、今度はネーレもかなり前向きだった。
誤魔化しているつもりだが、チラチラとジンを窺っている。
だが、スノウが見逃すことはなく、鋭い視線をネーレに飛ばしていた。
ジンは即答しなかったが、しばしして口を開く。
「一緒に行くのは構わないけど、パーティは別のままにしよう」
「どうしてですか? パーティは同じの方が、スキルの恩恵を受け易いと思いますが」
「だからだよ。 俺たちもキミたちも、本来は3人での攻略を想定していた。 なら、出来るだけそのスタンスを保つべきだ。 楽をし過ぎると、あとで困るからね」
「……確かに、一理ありますわね」
理由を聞いたアンジェリカは、おとがいに手を当てて考えた。
元々このダンジョンを選んだのは、プラムとネーレのレベリング目的だが、ギリギリの戦いを経験させる為でもある。
そのことを思えば、ジンの指摘はもっともだった。
結論を出したアンジェリカは1つ頷き、朗らかに笑って言い放つ。
「わかりました、それで参りましょう。 よろしくお願いします」
「あぁ、よろしく」
アンジェリカの返事を聞いたジンは、不敵な笑みを浮かべる。
こうして6人は別パーティながら、ともにダンジョンに向かった。
ちなみに、夜宵は目的地に到着するまで、立ち直ることが出来なかった。




