第1話 お掃除とお買い物
食器類を片付けた弥生は、掃除道具一式を持って、再び暁の部屋を訪れた。
暁はやはり何をすれば良いかわかっていないようで、彼女の指示を待っている。
そのことに苦笑を漏らした弥生は、掃除道具を一旦置いて、彼に呼び掛けた。
「まずは、玄関回りですね。 段ボールと服がかなり多いので、それを分別して行きましょう」
「玄関回り……」
「はい。 わたしは段ボールを担当しますから、服は神崎さんにお任せします」
「……わかりました」
全くわかってなさそうだが、取り敢えず動き出した暁を尻目に、弥生は手際良く段ボールを潰し始める。
こう言った作業はアルバイトでも行うので、かなり慣れていた。
潰した段ボールは紐でまとめ、邪魔にならないように壁に立て掛ける。
それを何度か繰り返していると、背後から暁が申し訳なさそうに声を掛けて来た。
「すみません、集めた服はどうすれば良いですか?」
「何度かに分けて洗濯しますけど、量が量ですからね……。 これを機に、断捨離してしまうのも良いかもしれません」
「なるほど……。 それなら、ここにあるのは全部いりませんね」
「え? でも、結構新しい服もありませんか?」
「そうですけど、たぶんもう着ませんし」
「……神崎さんが良いなら、わたしは構いませんけど」
本音を言うと、弥生は勿体ないと思っていた。
洗濯すればまだまだ着れる服ばかりで、何なら彼女でも知っているブランド物もある。
それらを躊躇いなく処分する暁に、注意するべきか迷ったが、流石に踏み込み過ぎだと思って口を噤んだ。
弥生の様子に暁は不思議そうにしていたが、彼女は気付かぬふりをしてゴミ袋を渡す。
「処分するにしても、洗濯してから売りに行く手段もあるんですけど……」
「自分が着た物を、他人に着られるのは嫌ですね」
「まぁ……その気持ちは理解出来ます。 じゃあ、その袋に詰めて行って下さい」
「わかりました」
躊躇いなく服をゴミ袋に放り込む暁を見て、弥生は何とも言い難い気分になっている。
しかし、気を取り直して作業を再開すると、間もなくして玄関周りはだいぶ風通しが良くなった。
そのことに暁は感心していたが、これからが本番だ。
「次は、お部屋ですね。 あの辺りから始めましょう」
「あの辺りですか……。 具体的には、どうすれば良いですか?」
「やること自体は、それほど変わりませんよ。 神崎さんのお部屋は散らかってますけど、生ごみとかがほとんどなくて安心しました」
「放っておいたら、1度ゴ……黒い虫が出まして。 それ以降は捨てるようにしてます」
「それが出来るなら、他のところも掃除出来そうですけど……今は良いです。 取り敢えず、さっきと同じでわたしは段ボールをまとめるので、神崎さんは必要な服とそうじゃない服を分別して下さい。 流石に、全部捨てる訳じゃないでしょう?」
「そうですね、最低限着る服はいりますから。 他にすることはありますか?」
「ありますけど、1つずつ済ませましょう。 あそこを片付けたら、仮置き場として使います。 その準備が出来たら、他のところに手を付けますね」
「なるほど……。 天霧さん、凄いですね」
「こ、これくらい大したことじゃないですよ。 さ、さぁ、始めましょう」
「はい」
突然褒められた弥生は動揺して、耳まで顔を赤くした。
暁に背を向けて手を動かし始めると、彼も真剣な顔で作業に入る。
それからも弥生は逐一指示を与えながら、少しずつ部屋の掃除を進めた。
その過程で、使っていないパソコン機器が大量にあり、段ボールの山がその通販で使われた物だと気付く。
やはり勿体ないと思いつつ口に出すことはせず、残した衣類を可能な限り一緒に、洗濯機に放り込んだ。
尚、間違って下着を掴んでしまった弥生が悲鳴を上げたのだが、ご愛敬と言ったところだろう。
やがて大体の片付けが終わると、細々としたものを処理し、残った物を整理整頓して行った。
ここに関しては、部屋主である暁に主導権を渡す。
このとき夜宵はバイザー型デバイスを見て、何のゲームをしているか気になったが、その好奇心には蓋をした。
そして最後に、本当の意味での掃除に取り掛かる。
と言っても、フローリングワイパーを掛けるくらいだ。
かなり埃が溜まっていたことがわかり、弥生にそれを見せ付けられた暁は、少し恥ずかしそうにしている。
そんな彼の反応に弥生は苦笑を浮かべながら、嬉しそうに宣言した。
「こんなところですね」
「……やっぱり、天霧さんは凄いです」
「そ、そんなことないです。 それより、今後は出来るだけ綺麗に保つようにして下さい」
「はい。 流石に俺も、昨日までが異常だったことはわかりました。 今日で要領は覚えたので、もう大丈夫です」
「それは良かったです。 じゃあ、あとは洗濯物を干すだけですけど……神崎さんにお願いしますね」
「わかりました」
先ほどの事件を思い出した弥生は、頬を朱に染めて暁に委ねた。
少し不思議そうにしながら、暁は言われた通りに洗濯物を干して行く。
そんな彼を弥生は微笑ましく眺めつつ、口を開いた。
「それでは、わたしはひとまず帰ります。 お疲れ様でした」
「お疲れ様でした。 本当に、有難うございます」
「いえいえ、お気になさらず。 それより、何かリクエストとかありますか?」
「リクエストですか?」
「はい。 着替えとかを済ませたら、買い物に行こうと思ってまして。 お昼ご飯と夕飯のリクエストがあれば、出来る限り応えますよ」
弥生の言葉を聞いた暁はハッとして、改めて彼女の姿を見つめた。
掃除のせいで全体的に埃っぽくなって、服はところどころ汚れている。
恐らく作業用の服だろうが、だとしても申し訳なくなった暁は、自分に出来ることはないのかと自問自答した。
そうして、現実には一瞬で答えを出した彼は、決意を込めて言い放つ。
「それなら、俺も一緒に行きます」
「え?」
「荷物持ちくらいは出来ますし、他にも何か手伝えることがあるかもしれません」
「そう言ってもらえるのは助かりますけど……良いんですか?」
「勿論です。 むしろ、俺がそうしたいんです」
「……わかりました。 じゃあ、30分後に部屋の前に集まりましょう」
「了解です」
暁と別れた弥生は急いで部屋に戻り、手早く服と下着を脱ぎ去った。
すぐにシャワーを浴びようとしたが、不意に姿見が目に映る。
いつもは気にしないにもかかわらず、自身の裸体を見て、弥生は不安になった。
変なところはないか、太り過ぎてはいないか、逆に痩せ過ぎてはいないか――など。
余人が聞けば嫌味にしか思えないようなことを、延々と悩み続けている。
その不安がどこから来ているのかわからないまま、弥生は時間を惜しんで浴室に入った。
作業で埃っぽくなり、汗ばんだ体をシャワーで清める。
時間がないので簡易的にだが、シャンプーやコンディショナー、ボディーソープを駆使して、出来るだけ綺麗にした。
浴室を出て体を拭き、新しい下着を身に付けると、ドライヤーで髪を乾かす。
それから、クローゼットを開いて服を選ぼうとしたのだが――
「……どれにしましょう」
自分1人なら悩まなかったことに、引っ掛かりを覚えた弥生。
彼女から見ても暁は非常に魅力的な少年であり、隣を歩くのに勇気が必要だ。
それゆえ服装に迷ったのだが、最初から彼女に選択肢など、ほとんどない。
「どれも似たようなものなんですから、考えるだけ無駄ですね……」
デザインは似たり寄ったりで、クオリティも同程度。
今後は現実でもファッションに気を付けたいと嘆息しつつ、比較的マシな服に決める。
厚手の黒いパーカーと、デニムパンツ。
何の面白味もないが、これが1番まともなのだから仕方ない。
再び深く息を吐き出した弥生は、時間が迫っていることに気付き、慌てて他の身支度も整える。
そうして、ギリギリまで時間を使った彼女が玄関を出ると、既に暁が待っていた。
白い長袖のカットソーに、黒のスラックス。
服の下には、やはりネックレスを付けていた。
既視感を覚えた弥生だが、別段変わった服装ではない為、深く考えることはない。
その反面で、シンプルながら魅力的に見えた弥生は思わず目を見張ったが、すぐに立ち直って声を掛けた。
「お、お待たせしました」
「いえ、時間通りですよ。 さぁ、行きましょうか」
「は、はい」
率先して階段を下りながら、暁に助けられたことを思い出した弥生は、薄っすらと頬を朱に染めたが、今度は無事に1階に到着した。
アパートを出た2人は薄曇りの空の下、スーパーへの道を無言で歩く。
暁は何の気負いもなさそうだが、弥生は時折、彼の横顔をチラリと見ていた。
やはり整った顔立ちをしており、自分なんかが一緒にいて良いのかと卑下しそうになりながら、大事なことを思い出して口を開く。
「そ、そう言えば、何が食べたいですか? あまり手間が掛かる料理は難しいですけど、なるべく好きな物を作りますよ」
弥生としては間をもたせる意味合いもあったが、実際に聞いておきたいことだった。
ところが――
「……」
「……神崎さん?」
暁はどことなく気まずそうな顔をして、少し目を泳がせている。
その様子に弥生が小首を傾げていると、ようやくして暁が重い口を開いた。
「……です」
「え?」
「……グです」
「すみません、良く聞き取れないんですけど……」
弥生に意地悪する意図などなく、本気で聞こえなかった。
申し訳なさそうに眉を落とした彼女を見て、嘆息した暁は明後日の方を向き、ポツリと呟く。
「……ハンバーグです」
思わぬ子どもっぽい答えに弥生はポカンとし、次いで小さく吹き出した。
そんな彼女の反応を受けた暁は、憮然とした顔になっている。
クスクス笑っていた弥生だが、ようやくして楽しそうに声を発した。
「わかりました、ハンバーグですね。 頑張って作ります」
「……他の料理でも良いですよ」
「そう言わないで下さい。 笑ったお詫びとして、たくさん作りますから」
「別に、普通で良いです」
ムスッとした暁を可愛らしく思った弥生は、苦笑を漏らす。
このときには彼女の緊張は解れ、彼を1人の少年として受け入れることが出来ていた。
未だに拗ねている暁に、苦笑を深くした弥生は、問を重ねる。
「ハンバーグは夕飯にするとして、お昼は何にしましょう?」
「また笑われるので、言いたくありません」
「大丈夫です、もう絶対に笑いませんから。 折角食べてもらうなら、神崎さんが好きな物にしたいです」
「……本当ですか?」
「はい」
暁が横目で弥生の顔を窺うと、彼女は至極真剣な眼差しで見返して来た。
それでも暫く暁は黙っていたが、半信半疑ながら弥生に答えを返す。
「……オムライスです」
「……わかりました」
「今の間は何ですか?」
「き、気にしないで下さい、特に意味はありません」
「……まぁ、良いでしょう」
本音を言うと、またしても子どもっぽいリクエストだと感じた弥生だが、なんとか誤魔化した。
もっとも、暁には彼女の内心が透けて見えていたが。
ジト目を向けて来る暁に対して、弥生が必死に素知らぬ顔を作っていると、やがてスーパーに到着した。
普段はコンビニを利用している暁は物珍しそうにしており、ここぞとばかりに弥生が宣伝する。
「このスーパーは品揃えが豊富なだけじゃなく、値段も良心的なので、いつもお世話になってるんです」
「そうなんですね、俺は初めて来ました」
「アパートからは、コンビニの方が近いですしね。 でも、急ぎじゃないなら、こちらで買った方が安くつきますよ」
「確かに……。 次からは利用してみます」
「是非そうして下さい。 では、行きましょう」
なんとか仕切り直すことに成功した弥生は、内心でホッとしながらスーパーに入った。
中に入ると暁は辺りをキョロキョロ見渡し、まるで幼い子どものようである。
その仕草を微笑ましく思いながら、弥生は食材を買い物カゴに入れようとしたが、その前に暁がカゴを取り上げた。
突然のことに弥生がキョトンとしていると、暁は何でもないように言葉を紡ぐ。
「荷物持ちは俺の役目なので」
「……有難うございます」
暁の思いを知った弥生は苦笑を浮かべ、改めて彼の持つカゴに食材を入れて行った。
どちらかと言うと、あまり俊敏ではないイメージの弥生だが、こう言う場面ではかなり強い。
慣れた動きで人混みを縫い、目的地に着いては素早く食材を吟味する。
危うく暁の方が取り残されそうだったが、辛うじて付いて行くことが出来ていた。
そうしてスーパー内を淀みなく歩いていると、不意に弥生が立ち止まる。
何かあったのかと思った暁が彼女の視線を追うと、そこにはフライパンが陳列されている棚があった。
どうやら、それなりに高性能な物が、セール価格で売られているらしい。
暁には詳しいことがわからなかったものの、やることは決まっている。
「どれが欲しいんですか?」
「……え? な、何のことですか?」
「フライパン、欲しいんでしょう? ついでですし、買いましょう」
「だ、駄目です。 そんなお金はありません」
「今日のお礼と言うことで、俺が払います。 それに、今後料理を作ってもらう訳ですし、半分は自分の為の買い物ですから」
「でも……」
実際問題、弥生が使っているフライパンはかなり劣化が進んでおり、そろそろ新しい物が欲しいと思っていた。
しかし必須と言う訳ではないので、暁に買わせることを渋っていたのだが、彼は強硬策に出る。
「天霧さんが受け取ってくれないなら、俺の部屋で眠り続けることになりますけど」
「……随分と強引なんですね」
「それくらい言わないと、受け取ってもらえなさそうなので」
「……わかりました、今回はご厚意に甘えます。 有難うございます」
「そうして下さい。 そうだ、この際、他に欲しかった物があるなら揃えませんか?」
「な、何を言ってるんですか。 フライパンだけで充分です、これ以上は必要ありません」
「……本当に?」
「ほ……本当ですよ」
目を泳がせて言葉を紡ぐ弥生。
そんな彼女に苦笑した暁は、淡々と問い詰める。
「嘘が下手ですね。 正直に話して下さい」
「う……ほ、欲しいか欲しくないかで言えば欲しい物はありますけど、高価な物ですし、絶対に受け取りません」
「わかりました、プレゼントしないと約束します。 でも何かは興味があるので、教えてもらえませんか?」
「……炊飯器です」
「炊飯器?」
「はい。 良い物で炊くと、仕上がりが全然違うと聞いたので、前々から欲しいとは思ってました。 でも、そんな余裕はありませんし、今の炊飯器でも問題ないと思ってます」
「なるほど。 ちなみに、具体的にはどれが良いとかあるんですか?」
「えぇと……一応、もし買うとしたらこれかなとは思ってますけど……」
思いのほか詳しく聞いて来る暁に戸惑いつつ、弥生はスマートフォンで通販サイトを開いて、目星を付けていた商品を表示する。
それを見た暁は、無言で自分のスマートフォンを操作し始めた。
嫌な予感を抱きながら弥生が様子を窺っていると、ニコリと笑った暁がいけしゃあしゃあと言い放つ。
「来週、届くらしいです」
「え……!? プ、プレゼントしないって約束したじゃないですか……!」
「プレゼントじゃないですよ、これは俺が自分の為に買った物なので。 ただ、使い方がわかりませんし、天霧さんに貸すので使って下さい」
「貸すって……。 そう言うの、詭弁って言うんじゃないですか……?」
「まぁ、固いことを言わずに。 フライパンもそうですけど、これで俺も美味しいご飯が食べられるんですから、自分の為と言うのはあながち嘘ではないです」
「……もう2度と、神崎さんに欲しい物が何かは教えません」
頬を膨らませて顔を背けた弥生を、暁は苦笑交じりに見つめる。
自分でもかなり無茶な言い分だと思ったようだが、後悔はしていない。
どのような形であれ、弥生の望みを叶えられたのなら、それで良いと思っていた。
尚も彼女は不満そうにしていたが、盛大に嘆息すると、暁に向かって深く頭を下げる。
「勝手な真似をされたことには、正直腹が立ちましたけど……有難うございます。 精一杯、美味しいご飯を作らせてもらいますね」
「はい、楽しみにしてます。 じゃあ、買い物を続けましょうか」
「そうですね」
なんとか折り合いを付けた弥生は、これからの行動で少しずつでも、暁に恩を返すことに決めた。
奇しくも互いに恩を感じ合っている2人は、気を取り直して買い出しを再開しようとしたのだが――
「あ! やよちゃんだ! やっほー!」
店内を巡回していた梅子が弥生を発見して、嬉しそうに突撃する――ことなく、ゆっくりと近付いて来た。
流石の彼女も、このような場で過剰なスキンシップを取るつもりはないらしい。
そのことに弥生は内心で安堵しつつ、朗らかに挨拶を返そうとしたが、梅子の様子がおかしいことに気付いた。
数歩手前でピタリと足を止め、弥生を――いや、弥生の隣を凝視している。
ハッとした彼女は慌てて弁明しようとしたが、1歩遅かった。
「やよちゃん! 誰よ、その男!?」
「だ、誰と言われましても……その……」
「あぁ、もう! じれったいわね! ちょっと、あんた!」
「俺?」
「他に誰がいるのよ! あんた、やよちゃんとはどう言う関係なの!?」
「どう言う関係……」
そこで言葉を切った暁は、横目で弥生を見やる。
しかし、彼女は視線を合わせようとせず、恥ずかしそうに俯いていた。
そのまま、しばしの時が流れたが、やがて暁が平然と答えを述べる。
「隣人だよ。 付け加えるなら、世話になってるってところかな」
「り~ん~じ~ん~?」
暁の言葉に梅子は強い疑念を持ったが、弥生がコクコク頷いているのを見て、一応信じることにした。
ところが、それも次の瞬間にはなかったことになる。
「その食材……まさか2人で買い物に来て、一緒にご飯を食べるつもりじゃないでしょーね!?」
「そ、そのつもりですけど……いけませんか……?」
「そんなの、隣人の域を完全に超えてるわよ! もう恋人とか、夫婦みたいなもんじゃない!」
「こ、恋人……!? 夫婦……!?」
「あ! やよちゃんが赤くなった! むぅ~!」
「な、なってません……!」
いや、なっている。
プンスカ怒る梅子と、目を回す寸前の弥生。
ベクトルは違うものの、両者ともに感情が高ぶっているが、もう1人は非常に落ち着いていた。
「天霧さん」
「は、はひ……!?」
「さっきから気になってたんですけど、この偉そうな子どもは誰ですか?」
「……へ?」
「子どもって……もしかして、あたし?」
「決まってるだろう? 俺は別に気にしないけど、年長者にはもう少し、丁寧な言葉遣いを心掛けた方が良いよ」
「ちょ……!? か、神崎さん、この人はこれでも26歳で、スーパーの店長なんです……!」
「26歳? 店長?」
青ざめた弥生の言葉を聞いた暁は、俯いてプルプル震えている梅子をジッと観察し、ポツリと呟く。
「どう見ても、小学生か中学生なんですけど」
「ぐはッ……!」
容赦ない暁の一言によって大ダメージを受けた梅子が、両手を床に突いて項垂れた。
そんな彼女を弥生がオロオロと見つめていると、不死鳥のように蘇った梅子がガバッと立ち上がり――
「うわーん! 武尊ー!」
泣き叫びながら走り去った。
弥生はポカンと見送ったが、暁は「やっぱり子どもか」などとこぼしている。
しかし、梅子はただ逃げた訳ではなく、すぐに武尊を連れて帰って来た。
武尊はいかにも迷惑そうだが、弥生と暁を見て目を丸くしている。
そうして再び暁の前に立った梅子は、指をビシッと突き付けて喚き立てた。
ちなみに、その両目には涙が滲んでいる。
「武尊! こいつが、やよちゃんをたぶらかそうとしてるのよ! しかも、あたしのことを子どもとか言うのよ!? 信じられない!」
「いや、テメェが子どもに見えるのは普通……痛ってぇ!?」
一般論(?)を振りかざした武尊に対して、梅子は無言で脛を蹴ると言う行為に出た。
当然、彼は文句を言おうとしたが、彼女の鬼気迫る勢いに押されて、口を縫い付けられる。
その代わりに溜息をついた武尊は暁に向き直ると、高身長の彼より更に高い位置から見下ろし、真剣な声音で問い掛けた。
「んで? テメェが弥生ちゃんをたぶらかそうってのは、本当か?」
「そんなつもりはないですけど、仮にそうならどうするんですか?」
「弥生ちゃんは、俺らにとって大事な子でな。 もし悪さしようってんなら、ぶっ飛ばす」
「こう見えて、俺は結構強いですよ」
「大事な子を守るのに、相手が強いかどうかなんて関係ねぇよ」
視線を絡めて緊迫した空気を醸し出す2人を前に、弥生はどうすれば良いかわからず、混乱しそうになっていた。
一方の梅子は、店長として最後のブレーキを掛ける準備をしながら、武尊を止めようとは思っていない。
しばし沈黙が続き、周囲の来客が騒めき始めた、そのとき――
「天霧さん、良い友人を持ってますね」
「梅子、こいつは大丈夫だ」
暁と武尊が同時に視線を外し、弥生と梅子に告げた。
それを受けた弥生は目をパチクリさせていたが、梅子は不満そうにしながらも、はっきり首を縦に振る。
剣呑な雰囲気が霧散したことで来客は買い物に戻り、残された4人の中で、武尊が真っ先に口を開いた。
「悪かったな、試すような真似をしてよ」
「いえ、それはお互い様ですから。 俺は神崎暁と言います、よろしくお願いします。 その子……その人には言いましたけど、天霧さんの隣人です」
「俺は岩田武尊だ、よろしくな。 ……ん?」
「どうかしましたか?」
「いや、隣人って……もしかして、弥生ちゃんを助けてくれたのはテメェか?」
「あぁ、一応そうなります」
飄々と事実だけを述べた暁の言葉を聞いて、武尊は痛恨のミスをしたような顔になった。
そのときのことを思い出した弥生は頬を朱に染めたが、事情を知らない梅子は、眉根を寄せて首を傾げている。
すると、嘆息した武尊が梅子に振り返り、ことの顛末を語った。
話を聞いた梅子は驚き、次いで複雑そうな面持ちを浮かべる。
しかし、大人を自負しているだけはあり、きちんと暁に頭を下げた。
「やよちゃんを助けてくれたのに、酷いことを言ってごめん」
「気にしないで下さい。 俺の方こそ、失礼なことを言いました。 すみません」
「気にしてないって言ったら噓になるけど、もう良いわよ。 あたしは佐々木梅子、これからもやよちゃんのことをお願いね。 この子、ちょっと危なっかしいから」
「言われるまでもないですよ、佐々木さん」
そう言って暁は、仲直りの意味も込めて握手を求めた。
それを見た梅子は一瞬キョトンとしたが、すぐに快活な笑みを湛えて、力強く手を握る。
2人の関係が改善されたことに、弥生はホッと胸を撫で下ろし、武尊はニカッと笑っていた。
こうして初めての邂逅を果たした弥生たちだが、何かを思いついた武尊が唐突に口を開く。
「そうだ、今度この4人で花見に行かねぇか? 車は俺が出すからよ」
「お、お花見ですか。 そう言えば、もうそんな季節なんですね……。 皆さんが良ければ、わたしは行きたいです」
「天霧さんが行くなら、俺も行きますよ」
「あたしも、やよちゃんが行くなら行っても良いけど、シフトの調整があるから、すぐには返事出来ないわね」
「それは俺も一緒だ。 どっちにしろ開花は、もうちょっと先だからな。 全員の都合が良い日に決めようぜ」
「そうね。 て言うか、あんたいつまでサボってんの? サッサと仕事に戻りなさいよ」
「あぁ!? テメェが連れて来たんだろうが!」
「うっさいわね、店内で叫ばないで。 じゃあね、2人とも。 また今度ゆっくり話しましょ」
「この野郎……。 弥生ちゃん、神崎、またな」
別れの挨拶を済ませた梅子と武尊は、何事かを言い合いながら立ち去った。
そんな2人を弥生は苦笑を浮かべて見送り、暁はどことなく呆れている。
その後、弥生たちは残りの買い物を終わらせ、アパートへ帰って行った。




