化け狸のペルソナ
ある日化け狸は男に化けた。
酒場に行って金を使って酒を呷る。当然この金も頭に乗せたのとおんなじただの銀杏の葉。この化け狸は好んで銀杏の葉を使う。そうとも知らないバーテンダーはこれを受け取り、酒を出していた。
さて、さっき「呷る」とは言ったのだが、実のところ化け狸は酒が好きではない。
ならどうしてわざわざ店員を騙してまでそんなことをするのかって?
そうでもしないと顔が立たないからだ。
ほら、そうこうしている内に今回のお目当てが来た。
スラッとした男前なそいつは、とある大企業の社員さんだ。
男は仲間を二人連れて、このパブに来た。
一人がささっと酒を注文して持ってくる。男は右手でハイボールを握ってそのまま喉に流し込む。
化け狸は機会を窺う。
男は何杯か飲んだ後、便所に向かった。化け狸はすかさず便所に先回りする。そうして奥の小便器を使い、用を足すフリをする。
すぐに男が入ってきた。2つある便器の内でドア側の、化け狸にとって好都合の位置で男は用を足し始めた。
化け狸は酔ったふりをして話しかける。
「お兄さん、飲んでるかい?」
男はそれなりに酔っていた。間抜けな声掛けに反応した。
「ええ、飲んでますね。お宅も楽しんでるご様子で」
「そりゃもう楽しんでますよ」
男がそれを終える前に、化け狸はそそくさとズボンのチャックを閉めて立ち去ろうとする。狭い通路で男の後ろを、ぶつからないように、ばれないように、「すみませんね」と声で隠して、男の財布を盗みながら、通り過ぎる。
軽く水で手を濡らし、「それじゃ失礼」と言って便所を去る。
平然とした顔で店の中を歩き、さっさと出口へと向かう。男が無防備な間抜け面で便所を出てくる頃には、化け狸は店から遠く離れていた。
このまま放っておけば警察沙汰になるのは誰でもわかるが、この化け狸にそのつもりはない。少なくとも今すぐはそうさせるつもりがなかった。仮に今警察沙汰になっても、何一つ問題はなかった。というのも化け狸が化けていたのはどこにも存在しない人間だから。
それにしても皆がわからないのは、どうして化け狸が財布を盗む必要があったのか、ということ。化け狸は葉っぱ一つで本物そっくりのニセ札を作り出せる。なのにどうして財布が必要だったのか。
答えは財布の中身にあった。目当ては薄い札束じゃなく、もっと小さくてデカいものだった。そう、バンクカードだ(勿論答え合わせをすりゃ薄い札束も目当てってなるんだが、それはまだまだちっちぇ話ってわけだ)。
化け狸にどうしてバンクカードが必要かって?
まあそう焦りなさんな。
ほら、化け狸は銀行に向かった。そこでバンクカードをATMに差し込んだ。
驚くことに化け狸は暗証番号を知っていた。
いや、本当は驚くことではない。
言ったろ?「今回のお目当てが来た」って。
実は化け狸は前々からあの男を狙っていた。金持ちそうな人であるあの男を見つけ、お金を引き出す場所を確認し、待ち伏せしてお金を引き出す時の番号を盗み見ていた。その時はATMの天井に化けていたそうだ。
そうして、知った番号を使い、化け狸は金を引き出した。
化け狸は大量の札束を手に入れた。それも銀杏で作った紛い物じゃなく正真正銘の札束だ。
そう、化け狸はこの本物の金が欲しかったのだ。
お待たせ、とうとう答え合わせだ。なんてったってこの化け狸はこんな回りくどいことをしてまで本物の金を手に入れたかったのか。
実は最近の開発の影響で化け狸が住む地域の森がどんどん減っている。巷じゃ里山だなんだって騒ぐ声も聞こえるが、それじゃ森の狸は生きていけねぇってわけだった。少なくともこの地域の里山は役に立たねぇ。
そんでもって森の狸は街に住み始めるが、人間にとっちゃ狸は「害獣」。「専門家」なる殺し屋が、街に降りた狸をどんどん狩っている。
ちょっと待ってくれと言いたくなるかい?
そうだな、確かに化け狸は人に化けられるし、おんなじように森の狸も化けりゃいいじゃないかって思うよな。
でも現実はそんな簡単じゃない。森の狸も確かに人に化けられるが、耳や尻尾が残るなり化け方が下手で仕方ない。葉っぱを札束に変えるなんてもってのほかだ(自分が化けるのは楽だが、物を化けさせるのは案外難しい)。
化け狸はたまたま化けるのが得意だった、そして悲しいかな、とても親切だった。
こんな状況だから、化け狸は考えた。
皆が生きるには森にまとまって住むほかねぇ。でもそれじゃ食い物が手に入らねぇ。盗むにしてもリスクはでけぇし大した量は盗めねぇ。
よし、俺が一芝居打ってやろう。
金持ちを化かして大金をいただく。その金で飯を買おう。
こうして、金持ちだろうあの男の財布からバンクカードを拝借し、本物のお金を大量に手に入れた化け狸。すると化け狸はあろうことかまたあの酒場に向かって歩き出した。
「さて、もう少し」
化け狸は財布を男に返そうとしていた。
ちょいと言い忘れていたが、実は化け狸、得意の化かしで男の財布を盗むだけじゃなく偽物の財布と入れ換えていた。これが化け狸の策だった。
化け狸はよーく男を観察していたから知っていた。男にも家族がいる。化け狸に大事に思う仲間がいるように、家族がいる。男と化け狸との違いは金の有無。
実を言うと、化け狸は男ほど金を持つ人間を見つけるのにしばらく何人か人間を観察し続けていた。なぜって?
金が大量にほしいから?
うーん、間違いじゃねぇが正解でもねぇ。
金を盗まれるなんてことは大なり小なり人間にとっては不幸でしかねぇ。
それでも化け狸はその不幸が少しでも小さくなるように、十分に金を持っている人間を探した。これが正義かなんだってのは今は無視しようじゃねぇか。化け狸はとにかくそこまで親切をかけたくなっちまったんだ。いや、親切でもねぇか。まあいい。
とにかく、化け狸は男に財布を返すことにした。
そうして店の前まで来た。もう少しで計画が完了するってんで化け狸は息が上がっていた。
しかし、どうにも店の中が騒がしかった。
化け狸は窓からそぉーっと中の様子を窺う。
「……!」
中にはなんと警察がいた。
そして警察とあの男が喋っていた。
男の表情は深刻そのもの。
その手には銀杏の葉が握られていた。
「しまった!」
どうやら術が切れてしまったらしかった。
男は頭を抱え、警察がその様子を呆れ顔で眺めている。
そりゃそうだ。財布が消えて銀杏になったなんて話を聞いたら、部外者は訳がわからなくなる。
化け狸は心が痛んだ。
このままずらかろうかとも迷った。おかしな話だよな、化け狸は迷ったんだ。ああ、迷った。
だが化け狸は屋外のテーブルに財布を置いた。
そして酒場の扉を三回叩くと、勢いよく夜の街を駆け出した。
人影が去るのを見た警察は急いで店の外に出るもその姿を見失い、テーブルに置かれた財布を見つけて手に取った。
化け狸は走った。森に向かって走った。
心臓が跳ね上がる中、冷静に路地に入って術を解き、金の入った封筒を加えて森に走った。
住処に戻れば皆がいた。大事な仲間がいた。
そして化け狸は称えられた。
「ありがとう」
今日の昼までなら、心を躍らせたであろうその言葉が、今は化け狸の心に傷を負わせる。
化け狸は番の雌に問われる。
「どうしたの?」
化け狸は今にも泣きそうだった。
「いや、なんでもない」
「そう、こんな大仕事をしたんですもの。疲れたわよね。今日はゆっくり休みなさいな」
「ああ」
化け狸は床に就こうとしたが、雌がそれを呼び止めた。
「あなた」
化け狸が雌に振り向く。
「ありがとう」
満面の笑みだった。
「……ああ」
化け狸は皆に背を向け眠りに落ちた。
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