7話 まごうことなき恋(2)
そんな夜会生活を送り出して数ヶ月経ったある夜、俺がいつものように、今日は少し遠目で薔薇を観察していると、薔薇がこちらに歩いてきた。
もちろん、薔薇が俺目当てな訳はない。
だが、周りには俺以外いないし、慌てていると薔薇は俺を素通りして背後のテラスへと出た。
俺は一切迷わずに、ガラスの扉が閉まる前に薔薇に続いてするり、とテラスへ出た。
そのまま壁にぴたりと寄り添う。
薔薇とテラスで2人きりなんて、まるで十代の少年のように俺はすごくドキドキした。
どうする?どうする俺?
薔薇は俺に気付いていないようだ。いつもの彼女ならあり得ない。そういえば今日は始めから少し様子が変だった。
俺のドキドキはすぐにしぼんだ。
彼女の様子が変だったからだ。
動揺して落ち込んでいるのが分かる。苛立ちと悲しみが伝わってくる。
「何かありましたか?社交界の薔薇。」
そう声をかけた。
もちろん薔薇は警戒したが、よっぽど参っていたのだろう。ぽつりと呟いた。
「断れない縁談がきたのです。」
彼女の悲しみの理由が俺にはすぐ分かった。断れないほどの高位の貴族からの縁談。話がまとまればもちろん仕事は辞めざるを得ない。
一般的な貴族が妻が働くことを良しとする訳がない。高位の貴族なら尚更だ。
俺は何とか薔薇を救おうと思った。
開発途中の魔道具の事も出して、訪問の約束を取り付け、結婚の提案をした。
薔薇が結婚を承諾してくれた時は、幸せすぎて頭がぼんやりしてしまった。
トトウ侯爵にもその日の内に上手く挨拶をして、結婚の承諾を得た。
その翌日、俺はフィッツロイ王太子殿下のもとを尋ねた。
「フィー、頼みがあるんだ。」
王太子殿下の部屋に入るなり俺は言った。
机に座ったフィー殿下が目を丸くして俺を見ている。
よく見ると、部屋には先客が居た。王国騎士団の騎士、カイン・オルランドだった。
そう、俺の愛しい薔薇を悲しみの淵に追いやったあの、カイン・オルランドだ。
「なんだ、カインも居たのか。」
俺とフィー殿下は幼なじみだが、このカインもさすがに公爵家嫡男だけあって、同じく殿下の幼なじみだ。
だからといって、俺とカインが幼なじみかというとそうではない。俺は子供の頃からカインが嫌いだ。
「そっちが済んだらでいいよ。教えて。」
「カインの話は済んでるよ、アニー、君が僕に頼みなんて珍しいな。」
フィーはにこやかにそう言った。
「俺は席をはずすか?」
カインが聞いてくる。
「いや、いいよ。カインにも関係あるから、大ありだから。」
俺はぎりぎりとカインを睨んだ。
カインは変な目で俺を見返してくる。
「それで、何だい?」
フィーはおおらかに聞いてきた。
その包み込むような口調は聞くだけで心強い。5つ年下だが包容力は俺よりフィーの方が上なんじゃないかと思う。さすが王太子殿下だ。
「陛下に言われていた、結婚相手を見つけたんだ。」
俺がそう言うと、フィーは口笛を吹いた。カインは無反応だ。
「へえ、ついに。相手はどちらの?」
「セレスティーヌ・トトウ嬢。」
その名前を告げると、フィーは美しい青い目をまん丸にした。
カインは引き続き無反応だ。
「えっ?本当に?トトウ侯爵令嬢?ええぇ、意外すぎる。ええ?どうやって?いや、どうやっては君に失礼か。」
「それで、君に頼みがあるんだ。」
「ええー、ちょっと待って、まだ君とトトウ侯爵令嬢が結びついてないんだよ。」
「早く結びつけて、頼みなんだけどさ。」
「いや、本当に待って、アニーの妄想とかじゃないよね。そしてアニーはトトウ侯爵令嬢でいいの?なんで社交界の薔薇にしたの?」
「少し前から俺は恋に落ちてる。そして妄想じゃない。彼女は意に沿わない縁談に困ってて、断る口実に俺と結婚してもいいって。」
「、、、、うん?」
フィーは首を傾げた。
「俺と結婚したら、その縁談蹴れるよって持ち掛けたら承諾してくれた。」
「え、何それ?それいいの?悪代官みたいだけど。」
「いいんだ。それで君に頼みだ。彼女の縁談を先方に上手く断ってほしいんだ。」
「しかも他力本願。」
「適材適所だよ。俺が行っても揉めるだけだし。」
「いちおう聞くけど、先方って誰?」
「オルランド公爵家。」
そこで初めてカインの顔色が変わった。
「は?うちか?」
「そうだ、お前んとこだ。」
「、、、、、父の後妻か?」
「はあ?ふざけてんのか?セレスティーヌ・トトウ侯爵令嬢だぞ、社交界の薔薇だ。後妻なんかに娶れるわけないだろ。相手はお前だよ。」
カインは唖然として黙った。
「そういえば、父が近々婚約者を決めると言っていたな。」
しばらくして、カインはぼそりとそう言った。
ああ、もう本当に俺はこいつが嫌いだ。こいつにとって婚約なんてその程度の事なのだ。
薔薇があんなに思い詰めていたのにだ。
「でもなぜトトウ侯爵令嬢は、カインが嫌なの?彼女の感じだとアニーよりはカインを好みそうだけれど、あ、うわあ、怖いよアニー。一般的にだよ、一般的に。」
「会ったこともないのに縁談を申し込む男なんて嫌だってさ。」
「申し込んだのは俺ではない。」
「公爵の勝手にさせてたのはお前だろう。なに俺の薔薇に手をだそうとしてんだ。」
「いやいや、アニー、君の恋心、僕も今さっき知ったからね。危ないなあ、トトウ侯爵令嬢は前に王太子妃候補にも名前が上がってたんだよ。だから、怖いよアニー。何年か前の話だよ。」
「なんで外したんだよ?」
「え、そっちで怒るの?まだ名前が上がっただけの時点ですぐにトトウ侯爵が丁重に断ってきたんだ。僕はてっきり令嬢に決まった相手がいるのかと思ってた。」
「いないよ、そんな奴。、、、たぶん。とにかく、王命で相手探してた俺が薔薇に心を決めてんだ。フィーはオルランド公爵を諦めさせて。」
「えー?うーん。」
「何で迷うんだよ。」
「いやあ、トトウ侯爵令嬢にとってどちらが幸せなのかな、と。」
「俺とに決まってるだろ!」
「そう?」
「そうなの、昨日、トトウ侯爵にも挨拶してきた。侯爵も了承済みだ。」
「えっ、それを早く言ってよ。侯爵まで話が通ってるなら、ちょっと信じられないけど令嬢も納得してるんだろうね。」
「そうだ!」
「そういうことなら、頑張ってみるよ。カイン
、今日はお父上は登城してる?」
「してるはずだ。」
「じゃあ、諦めるよう言うけどいい?」
「俺には関係ないからな。」
「あるわー!!」
「アニー、ややこしくなるから黙ってて。」
とにかく、フィーはその日の内にオルランド公爵を上手く丸めて説得した。というかちょっと脅迫して嫡男への縁談を諦めさせた。
これでさしあたっての小さな問題は無くなった。
あとは、大きな問題、薔薇の心を開くだけだ。