6話 まごうことなき恋(1)
アーノルド視点です。
俺は、社交界の薔薇、孤高のエメラルドとも言われるセレスティーヌ・トトウ嬢の事はもちろん知っていた。
なんならそのデビューの夜会も目撃している。
16才の薔薇の社交界デビューは鮮烈だった。
侯爵家の秘蔵の長女ではあるが、公の場やお茶やサロンにも一切顔を出さないくせに、叔父のコネでさびれた薬師塔で既に働いているという噂の少女。
母に似て美貌で、賢く、立ち振舞いも完璧だと侯爵家の侍女達ばかりが褒めているが、薬師塔で女だてらに働くくらいであるから、実際は容姿も平凡で性格はひねくれた陰湿な女なのであろう。どれ、見てやろう。
その日の参加者達の大半はそういった意地の悪い興味本位で、薔薇を見ようと思っていた。
薔薇への意地悪な空気が漂う夜会で、薔薇は登場とともに全ての悪意を翻す。
輝く金髪に、エメラルドより少し深い緑色の瞳。すっと通った鼻筋に薄い唇。少し冷たさはあるが、彫刻のように整った顔立ち。
背は女性にしては長身で、手足は長く、身のこなしは完全に優雅だった。
ドレスとアクセサリーのセンスは抜群で、比の打ちどころがない。
深紅のドレスは首筋から手の甲の半ばまでを覆うデザインで露出はほとんどなかったがぴたりと体に沿っていて、薔薇の細い首筋や長い手が強調され、程よい胸の膨らみから、思わずかき抱きたくなるような華奢なウエストへのラインは完璧だった。
フリルやリボンの装飾はないが、その細かいダーツの取り方や生地の光沢、豪華な刺繍で侯爵が娘のドレスに惜しげもなく投資したことが分かる。
ドレスが首もとまであるので、アクセサリーは大振りなイヤリングのみ。
ダイヤとイエローダイヤを使ったかなり存在感のあるイヤリングだったが、薔薇の美貌は宝石に負けることはなく、イヤリングは完全に引き立て役だった。
デビュタントの可愛らしさは全くないが、完成され、洗練された中にほんの少しの初々しさがあり、その危うい魅力に会場の人々はあっという間に虜になった。
薔薇はファーストダンスを彼女の若い叔父で、当時の薬師塔の副長官であったシメオンと踊った。
この叔父は薔薇とは15才差であるのだが、垂れ目の美男で、年齢よりも大分若く見える。薔薇は薔薇で大人びているので、長身の叔父にリードされて完璧なステップで踊る様は、叔父と姪というよりは完全に美男美女のカップルで人々は、ほうっとため息をついた。
当然、薔薇にはダンスの申し込みが殺到した。
しかし、彼女は甘い申し込みに頬を赤らめたり、はにかむ様子は一切見せず、「初対面の、紹介もない殿方のお誘いをお受けする訳にはいきません。」と全てを突っぱねた。
その断り方は高慢とも取られかねないものだが、彼女の身のこなしや雰囲気はそれを当然のものにしていて、社交界デビューの初日の始めの半時にして薔薇は完全に高嶺の花になったのだった。
程なく、デビューでのドレスの色も相まって゛社交界の薔薇゛と称されるようになる。
デビューしてからの薔薇の社交界での活躍はめざましかった。薔薇は良識も品位もある高位の当主や婦人達と次々と近付きになった。
若い独身男性に向ける冷たい顔は、彼らの前では教えを乞う素直な瞳になり、美しい笑顔も惜しげもなく披露される。口を開けば機知に富んだ言葉が出てくるが、年配者の経験や知識への尊敬が常に込められていて、多くの紳士やマダムが薔薇の虜となるのにそう時間はかからなかった。
紳士やマダムに子息を紹介されそうになれば、薔薇は丁重に断った。
「私はすでに薬草の魅力の虜でございます。」
もちろん、それでも彼女に懸想する若い男はたくさん居たが、良識ある者は彼女の品位と侯爵家という高い家門に気後れして、挨拶して軽くあしらわれるだけの思い出で恋を諦めたし、そういった配慮のないものは、薔薇からばっさり冷たい仕打ちを受けて身のほどを思い知っていた。
俺は薔薇の社交界デビューの夜会に参加していたし、その後もたまに参加する夜会で薔薇を見知ってはいたが、特に興味はなかった。俺の好みはもっと情に厚い女だ。冷たい眺めるだけの花に興味はなかった。
、、、、はずだった。
25才で、魔法塔長官と宰相の後押しにより、陛下から本腰を入れて1年以内に結婚相手を探すよう、直々に言われてしまった。
陛下は申し訳なさそうではあったが、そこは国王、言われてしまっては逆らえない。
せめて努力だけでも見せないと、本気で勝手に結婚させられそうなので、俺は以前より頻繁に夜会に顔を出した。
と言っても、序盤に少し顔を出した後は、俺の特殊能力である化身の魔法で、猫に姿を変えてのんびり過ごし、終わりがけに元の姿に戻って挨拶をして帰る、というのを繰り返していた。
俺が薔薇の虜になってしまったのは、ある夜会で、そんな風に猫の姿で庭をウロウロしていた時だった。
その夜、俺はいつものように最初の顔見せだけすると、休憩室で猫に姿を変えて庭で好き勝手過ごした後、そろそろ戻ろうと家路に、ではなくて休憩室に向かって歩いていた。
ガサガサと茂みをかき分けて進んでいると、「あら?」と女の声がした。
やばい、見つかった、と俺は身を固くする。
茂みの先に令嬢が1人立っていて、明らかに猫の俺を見ている。
それは社交界の薔薇、セレスティーヌ・トトウだった。
うわ、社交界の薔薇だ。
見知ってはいたが、こんなに間近で見るのは初めてで、確かに美しい女だと俺は思った。
でも薔薇ならば逆に好都合だ、猫を捕まえて抱っこするなんてそんな野蛮な事は絶対しないだろう。
1人か?1人だな。
よし、このままそっと横切ってやり過ごそう。
俺が茂みから抜け出た時だった。
セレスティーヌはさっとかがむと、右手を俺の方に出して、ちょっちょっ、と舌を鳴らしだしたのだ。
ええっ!?
俺はその光景にびっしりと固まった。身体中の毛が逆立つ。
えええ!?
今、俺の目の前にいるのは、社交界の薔薇、孤高のエメラルドだろ?
何度か瞬きをしてから、もう一度薔薇を見る。
やっぱりかがんで、舌を鳴らしている。
いやいやいや!何してんだよ!社交界の薔薇!
お前が猫相手にかがむなんて、おかしいだろう。
おまけに舌を鳴らすなんて、淑女としてあるまじき行為だ。
どうしたんだ?何してんだ?社交界の薔薇!!
そんな俺の動揺には全く気づかずに、薔薇はちょっちょっ、と舌を鳴らす。そしてあまつさえ、少し甘い声で猫の俺に話しかけてきた。
「猫さん、おいで。猫さーん。」
うっわ、、、、。かわい、、、、。
俺は猫なのに顔が赤らむのが分かった。
何、このギャップ。
ヤバイ、ヤバイんですけどー。若い独身男性は笑顔を見ることも稀で、もはや笑顔を向けて貰うことなんて皆無のはずの、孤高の冷たいエメラルドの瞳が、柔らかく俺を見ている。
おまけに何その、可愛い声。
聞いたことないわ!!
そして極めつけの゛猫さん゛。
くそう、このまま走り去るなんて無理だ。無理だよね?
うん、無理だ。
俺は不覚にも警戒しながらではあったが、じりじりと薔薇に近寄った。
近寄ると、さすが薔薇、すごくいい匂いだ。
ついつい、差し出された右手にすりすりと顔を寄せてしまう。
ゴロゴロと喉が鳴る。
「あら、あなた、人懐こい猫さんなのね。王宮の誰かの猫さんなのかしら。」
薔薇はハスキーで少しこもったいつもの声に、少し笑みを混ぜた最高に色気のある声でそう言う。
そして、手の甲でするすると俺の頭から背中にかけて撫でてくれる。
冷たくさらりとした肌。
「毛並みもとてもいいわね。あなたの飼い主さんは高位の侍女かしらね。」
するり、するり、と撫でられ、喉の下を長い指でこしょこしょされる。
ふわあ、俺は目を閉じて喉を鳴らした。
「ふふ、可愛いわね。」
薔薇は柔らかく色っぽい、鼻に抜ける声でそう言った。
恥ずかしながら、この触れあいの後から俺は夜会に参加した時は、猫になって姿をくらませたりせずにずっと会場で薔薇を見つめるようになった。
俺はもともと、注意深くて細かくて執念深い性質だ。そんな俺がじっくりと薔薇を観察するのだ。
俺は薔薇について、様々な発見をした。
まず、薔薇は実はキノコが苦手だ。料理の添え物に乗っているときはそうっとどけている。
好き嫌いなんてありませんよ、という顔で澄ましているのにしっかり、がっつりどけている。
そして薔薇は酒はまあまあ強いが、ある程度以上飲むと、耳が赤らみ瞳が少し潤む事も分かった。
薔薇はもちろん、そのような状態を人目に晒すことを良しとはしていなくて、飲む酒の量にはいつも気を使っている。
たまに断りにくいグラスの誘いで、杯が進むとほんのり耳を赤くしている。
耳が赤くなると本人は少し慌てているようだ、行動や話し方に、俺にしか分からないくらいだが、少しそつが出る。
そして薔薇は思っていたよりずっと、表情が豊かだ。観察していると瞳の揺れや、眉の動き、ほんの僅かな唇の様子で薔薇の表情が読めるようになった。
俺が一番好きなのは、褒められたり、讃えられて恥ずかしがる時の薔薇の顔だ。
いつもは相手の目をまっすぐ見ているエメラルド色の瞳は、耀きを揺らめかせながら少し伏し目がちにされ、唇には少しきゅっと力が入る。眉毛はとても少しだけ困ったように下げられる。
はあ、、。
そんな薔薇を見るとため息が出る。
あの表情を夜に俺だけが見てみたいと思う。もはや変態だな、と思うけど止められないし仕方ない。
俺はどんどんと薔薇にのめり込んでいくことになる。
時々、薔薇と貴族達の会話をそっと横で盗み聞きして分かった事は、薔薇が薬師塔での仕事にとても熱意を持っている事だった。
夜会では国の予算に口を出せそうな大物をメインに、地方の有力な貴族達と片っ端から親しくしている。
最近の目当ては南部の港湾地域の領地を有する奴のようで、全て薬師塔への予算や、希少な薬草の採取や輸入のためだ。
何より、薬の開発について語る時の彼女の表情は、いつもより目の輝きが増す。あまり仕事について喋りすぎて引かれないように気を付けていることまで俺には分かる。
俺は彼女の役に立ちたい一心で、加熱せずに薬の成分を分離できるような魔道具の開発まで始めた。
これはもう、まごうことなき恋だ。