31話 夫の髪を結う
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何と言う、はしたないことをしてしまったんだろう。
混乱したまま夫の唇を奪い、呪いを解いた後、私は羞恥で顔を真っ赤にして廊下へ出た。パタパタと急ぎ足でとにかくアーノルドの部屋から離れる。
向こうから、マリーが様子を伺いにやって来ている。
「マリー、旦那様をお願い。」
すれ違いざまに、ぎょっとしているマリーにそれだけ言うと、私は庭に出て、気持ちを落ち着けるためにしばらくうろうろした。
私、アーノルドを好きだったんだ、、、。
いや、過去形ではないな。
私、アーノルドが好きなんだ。
庭を忙しく歩きながら、まずはその事実を認める。
そして、いきなり気付いてびっくりしたとはいえ、とっさにキスして呪いを解いてしまった。
そのシーンを思い出すと顔から火が出そうだ。
ふにっとした唇の感触を思い出して、頭が爆発しそうになる。
「~~~~~。」
どうしよう。
ちょっと今日はもうアーノルドの顔を見れそうもない。
こんな、薬で寝ているアーノルドに、、、、、
自分の行動力が恨めしい。
どうしよう、、、。
散々庭を歩き回って、どうにか顔色を戻すと私は屋敷へ戻った。
とりあえず、夕食は体調が優れないことにして自室で食べようと思っていたのだが、ありがたいことにアーノルドはそのままぐっすり眠っていて、顔を合わす事はなかった。
***
翌日、朝もアーノルドは起きてこなかったので、私はほっとして朝食を食べ、出勤した。
薬師塔にはいつも通り、誰よりも早い出勤の叔父のシメオンが1人お茶を飲んでいた。
「おはようございます。叔父様。」
「おはよう、セレス。ん?」
私は迷いのない足取りで、叔父に近寄った。
「叔父様、私の手を取ってみてもらえますか?」
「え?ああ、いいよ。」
叔父がそっと私の手を取る。
燃えない。
やはり、しっかりと呪いが解けている。
「、、、解呪したのか?」
「ええ、まあ、、、はい。」
呪いが本当に解けているか確かめるためとはいえ、解呪方法が好きな人とのキスだと知っている叔父にそう聞かれると少し動揺する。
叔父は私の手を離し、意地悪くニヤニヤした。
「、、、、アーノルド君だな?」
「まあ、そうです。」
だめだ、顔が赤くなる。
「好きなのか?」
「好きみたいです。」
きちんと答えると、叔父はにっこりした。
「そうか、そうかあ、良かった。いや、そうなる気はしてたよ。セレスは最初からアーノルド君に気を許していたしね。そうかあ、しかし、良かった。アーノルド君は飛び上がって喜んだんじゃないか?」
「、、、、いえ。」
「どうして?彼、セレスに惚れてるだろう?」
「それについては今はどうか分かりませんが、、、、今回のこれについては、同意の上ではないんです。」
「うん?前半も気になるけど、後半はもっと気になるな。え?同意の上ではないってどういう事だい。」
「えーと、寝ている夫の唇を勝手に奪いました。」
私の言葉に叔父は絶句した。
「、、、、、。」
じゅうぶんすぎるほど絶句した後。
叔父は爆笑した。
「ははははははっ、はははっ、あははっ、ははは、ふうー、ふはは、セレス、ふふふ、君らしいな。ははは、いや、本当に君らしい。あー、お腹痛い。涙出てきた。」
叔父はひとしきり笑ってからそう言って、涙を拭った。
「とてつもなく、はしたないことをしてしまいました。」
「ふふふ、いや、結婚してるんだし、構わないと思うよ。」
「でも、旦那様の顔はきっと見れません。」
「いやあ、アーノルド君は喜ぶよ。」
「そうでしょうか、最近は前ほどの熱意はないようです。」
私はそう言い、言ってから自分で自分の言葉に少し傷付いた。
「そうなのか?」
「はい、きっと急に燃え上がった気持ちなので、冷めるのも早いのでしょう。」
叔父が笑うのをやめて私を見る。
「セレス。そんな事はないと思うよ。」
「でも、以前ほど鬱陶しくないんです。」
「それは喜ばしいと思うが。」
「そうですね。」
「うーん、ねえ、セレス。私はまず、今のセレスの気持ちをアーノルド君に伝えて、勝手にキスした事を伝えるべきだと思うよ。」
「、、、そうですね。謝罪はすべきですね。」
「あー、うん。謝罪もだけど、気持ちもね。誰かを好きになる事は素晴らしい事だし、その想いは言わないと伝わらないからね。」
「はあ。」
「今日、帰ったらしっかり伝えなさい。」
「分かりました。」
とにかく、謝罪は絶対にするべきだし、謝罪するなら気持ちを伝えるべきだ。
決意すると、私は気持ちを切り替えて仕事に励んだ。
***
帰宅するとアーノルドはすっかり元気になっていて、私達は今、夕食を一緒に食べている。
そして、どうしよう。
私は困っていた。
どこからどう見ても、夫がかっこよく見えてしまうのだ。
ドキドキしてしまうので、顔を直視できない。
話す時はアーノルドの肩のあたりに視線を合わせるようにする。
そうすると、とりあえず普通に会話ができた。
アーノルドはお昼頃に元気に起きたようで、今日は暇だからと庭の作業を手伝い、夕食の下ごしらえも手伝ったらしい。
子爵なのにじゃが芋の皮むきの早さについて、得意気に話している。やっぱり変わっている。
私は、そんなアーノルドの話に自然な相づちを打ちながら、いつ話を切りだそうかと機会を伺っていた。
そして会話が途切れたところで、口を開いた。
「あの、」
そして、口を開いてから私は気付いた。
もし、今、想いを告げたら、ひょっとしたら、ひょっとして、今晩は同じ寝室で寝る事になりはしないか、と。
それは、無理だ。
だめだ、無理だ。
もちろん、結婚してるし、今や好きな人ではあるし、それは、もちろんそういう事もするのだろうけど、、、。
いや、でも、アーノルドは前ほど私の事は好きではないだろうし、いや、でも、自分の事が好きだという女が同じ家にいて、しかも妻なら手を出すのでは、、、。
構わないけど、、。
ん?
構わない?
何を考えてるんだ、私は。
いや、ここは構わないでいいとしよう。
だって好きだし、結婚してるもの。
構わない。
構わないけど、告白してすぐにそうなるかもしれないのは、今の私には負担が大き過ぎると思う。
心の準備の時間が必要だ。
夜、告白するのは止めよう。
よし、止めよう。
朝にしよう。
「どうしたの?」
「あ、、、、えーと、あの、、、、明日は出勤しますか?」
「うん。一緒に行こうね。」
そして翌朝、朝食の席。
困った。
昨夜に増して、夫がかっこいい。
朝だからだろうか、髪の毛を結わえていないからだろうか、少し気だるそうな感じは色気すらある。
だめだ。直視できない。
私は緊張すると、いつもより更に無表情になるので、アーノルドに私が変な様子は伝わっていないようだ。いつも通りにしゃべっている。
私はまた、アーノルドの肩へと視線を合わせた。
朝食後、2人で王宮へと向かう。
「薔薇?何か怒ってる?」
アーノルドが私を覗きこんでそう聞いてきた。
さらり、とアッシュグレイの髪の毛が顔にかかり、かき揚げる手つきがかっこいい。
だめだ、これは。
ちょっと、いや、だいぶ自分が変だと思う。
「いえ、別に。」
「そう?何だか顔か強ばってない?」
「普通です。ところで今日は髪を結わえてないんですね。」
「あ、ほんとだ。昨日ずっとこのままだったから忘れてたよ。」
髪の毛をおろしているからだろうか、しどけない様子で色気が漂う。
アーノルドはそもそも顔はわりと整っているのだ。
見目麗しい、とか、超絶美形、とか、掘りの深く凛々しい顔立ち、とかではないが、程好く薄い、穏やかなイケメンだ。よく見るとかっこいいのだ。
こんなしどけない様子で出勤するのはよくないんじゃないか、と私は思った。
「リボンはありますか?」
「えーと、あ、あるよ。」
アーノルドがごそごそとリボンを取り出す。
「かしてください、結わえてあげます。」
「えっ?、、、、ありがとう。」
前までのアーノルドなら考えられないくらい、控えめに喜ぶ。
やっぱりもう私の事はそんなに好きじゃないんじゃと思い、ちょっと胸がずきっとする。
「しゃがんだ方がいい?」
「大丈夫です。届きます。」
私はアーノルドの後ろに回ると、手でその髪をすいて、丁寧にまとめた。
髪に触っててるだけなのに、妙に官能的な気持ちになってドキドキしてしまう。
髪と共に頭も触るからだろうか。
そういえば、゛私の騎士様゛のシリーズでも、王子は何かにつけてヒロインの髪を触ったり、指で弄んだりしていた。
なるほど、と私は納得する。
髪の毛に触るというのは、特別な事のようだ。
なるほど。
そうして、夫の髪を結わえて、結局朝の告白もできなかった。
「伝えられた?」
出勤後、開口一番に叔父が聞いてきた。
「無理でした。」
「えっ?珍しいな。」
「夫を見るとドキドキして変なんです。昨日からやたらかっこよく見えるし、とにかく変です。」
「ふーん?」
「前まではこんな事なかったんですけど、急に
変です。なぜでしょう?」
「セレス。気持ちっていうのは見えないからね、自覚して口に出して確認すると、より強固になるんだよ。」
「、、、、それは、困りましたね。」
「そんなにかっこよく見えるの?」
「はい。顔は直視できないので、昨日からは肩に視線を合わせています。」
「ぶふっ、面白いな。」
「叔父様、困ってるんです。」
「そうか、そうか、ま、拗れない内に頑張って告白しなさい。」
叔父はすごく楽しそうだ。
私はその日、決意もあらたに帰宅した。
そうして、告白できないまま1週間経った。